教育

丸膝玲吾

第1話

 「ニャーニャー」

 「ギャーオス」

 夫は会社へ行った。朝起きてリビングに来て私が用意した朝ごはんを食べて一言も話さずに家を出た。

 「シャー!!!シャー!!!」

 「グルルッルルッルルルッル」 

 換気扇をかけていても負けないぐらいの音量で唸り声が聞こえる。手元の卵焼きに集中する。唸り声をあげる彼らのために、私は朝食を作っている。

 彼らは机の椅子の上に立ち、机に手を置いて睨み合って威嚇している。容姿は年齢相応で二人とも成人している。上が24歳の女、下が21歳の男。上は名門私大の院に、下は国立大学に行っている。

 彼らの前にご飯と味噌汁、卵焼きを置いた。湯気の経つ朝食に二人は目もくれない。唸り声がご近所迷惑だからやめて、と過去に何度も話しかけたが彼らは聞かなかった。

 「ニャッ」

 「ガラルルルルルアアアアアアアアア!!!!!」

 ガッシャーン。

 バリンバリン。

 ドドドドドドドドドド。

 ブチチチチチ。

 私は耳を塞ぎ目を閉じてその場にうずくまり、嵐が去るのを待った。

 やめて。

 もう、いや。

 目から落ちる涙に気づき、その時には音が止んで、二人はそれぞれの部屋に戻っていったようだった。

 リビングには割れた茶碗、散らばった朝食、抜け毛、血が散乱していた。

 私はキッチンの下からゴミ袋を取って、分別せずに一つの袋に入れていった。

 

 私たちの人生は順風満帆なはず、だった。

 弟が大学に入り勉強への情熱が尽きて単位を落とすようになってから、様子はおかしくなり、ついに姉が就職活動に失敗し卒業してからの進路がなくなって、それが決定だとなった。

 彼らは私たち夫婦の自慢の子供達だった。彼らが大学に合格したときは親戚中が大喜びした。子供たちはそれを鼻にかけることなく照れるように笑って、私たちはそれを見て彼らの目の間に広がる輝く大地を想像した。

 一人暮らしをした息子の様子が変だということに気づいたのは、いつだっただろうか。彼が友達が一人もできず単位も取れずにいることは、既に太陽が東から昇ることのように真実になっているから思い出せない。

 とにかく彼の輝かしい道は閉ざされて彼自身もひどく落ち込んでいるように見えた。私たちはそんな彼を根気よく励ましたが、自動的に上がることのできる三回生の夏になっても良い兆しは見られず、ついに留年した。

 夫はひどく怒っていた。彼が精神的に参っていたとかならともかく彼自身の無気力ゆえのものなど認めたくなかった。そのくせ彼は言い訳ばかりする。これまでどれだけお金を彼のために使ったかと嘆いた。

 しかし夫は根がいい人だったからそういった言葉を使ったのを謝り彼に対してとやかくいうこともなかった。

 凋落した彼の姿を見るのが辛かったし、何より親戚からそう思われるのが辛かった。

 娘が院に行きたいと申し出たとき、私は就職の心配をした。文系の院生の就職はひどく大変だということを散々聞かされていたから私は直接言葉に出さずにやんわりと止めた。

 しかし最終的には本人のやりたいことを第一にと考えていたから院に進むことに反対はしなかった。

 夏、娘は志望していた会社の面接に全て落ちた。彼女は就職に失敗した。息子は蓄積した劣等感が爆発した。ついに彼らは壊れた。息子は犬に、娘は猫となった。

 私はまだ彼らを愛している。彼らの将来を案じている。彼らは私から生まれた子達なのだ。産声、小さな手足、成長が全て脳裏に焼き付いている。今更他人のふりなどできるものか。

 私は彼らを待っている。いつまでも、待っている。

 

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

教育 丸膝玲吾 @najuna

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ