明菜と葉月の話
三郎
元生徒(先輩)と元恩師(後輩)
貴女のいない学校生活
彼女と付き合い始めて半年。
「葉月ちゃんせんせーおはよー」
「おはよー」
「おはようございます。廊下は走らない。あと、私は葉月ちゃんせんせーではなくて森中先生です」
「はーい。葉月ちゃんせんせー」
「だから! 全くもう……」
彼女が居なくなったこの白鳥高校で、私は変わらず教師をしている。彼女が卒業しても、彼女と何度も繰り返したこのやり取りが無くなることはない。こういう馴れ馴れしい生徒はどこにでも居る。きっとこの先も同じやり取りを別の生徒と繰り返していくのだろう。ちなみに、今この学校には彼女の妹たちが通っている。そのせいか、『和泉さんのお義姉さん』なんて呼び方をして揶揄ってくる生徒も居る。流石に生徒からお義姉さん呼びされることは今後はもうないだろう。
「あ、お義姉さん。おはようございまーす」
「明音さん……お義姉さんはやめてください」
「じゃあ葉月ちゃん」
「はぁ……あら。明鈴さんは? お休みですか?」
彼女の妹は双子で、いつも一緒に居る。しかし今日は珍しく一人だ。ちなみに今接しているのは姉の方。否定しないということはあっているのだろう。あまりにも間違えられるからもはや否定するのもめんどくさくなっているという可能性もあるが、恐らく間違ってはいないはずだ。
「喧嘩中なので時間ずらして登校してまーす」
「珍しい。いつも一緒なのに」
「一緒にいれば喧嘩の一つや二つしますよ。ところで先生、最近お姉ちゃんとはどうですか?」
「どうって……」
「お姉ちゃん、寂しがってましたよ? もう何日も葉月ちゃんとデートしてないって。お姉ちゃん、先生に気を使ってあんまり甘えないから。時間が取れたら会えない分ちゃんと甘やかしてあげてくださいね。じゃ」
言いたいことを言って明音さんは去っていく。その後しばらくして、すれ違った妹の明鈴(あかり)さんにも全く同じことを言われた。確かに、最後に彼女に会ったのは一ヵ月以上前だ。連絡が来たら返してはいるが、こちらから連絡することはあまりない。今何してるかなと、彼女のことを考える時間は多いけれど、それを直接彼女に送ることはあまりしない。気を使って甘えられないのは、むしろ私の方だ。彼女は容赦なくメッセージを送ってくる。だけど、家に帰って改めてメッセージを見返すと、他愛もない話をするばかりで、会いたいとかデートしたいとか、そういう話はあまりしていない。妹たちの言う通り、やはり気を使っているのだろうか。そう思いながらチャット画面と睨めっこしていると、しゅぽっと彼女からメッセージが届いた。妹の勉強を見てやっているが、分からないところがあるから教えてほしいというメッセージだった。送られてきたノートの写真を拡大して問題を読み、解説を送る。『流石先生。分かりやすい解説ありがとう』と返事がきて、やり取りはそこで途切れた。やはりここは私から誘うべきなのかと思い、メッセージを打ち込む。なんと送ればいいのかと悩みに悩み、結局送れたのは『会いたいです』の一言だけ。既読がつくと、すぐに電話がかかってきた。
「も、もしもし!」
『ふふ。何焦ってんの? もしかして、寂しすぎて一人でしてた?』
「んなっ……ひ、久しぶりの電話で最初に言うことがそれですか!?」
『ははっ。ごめんごめん。……あー。葉月ちゃんの声聞いたの久しぶりな気がする。最後に会ったのいつだっけ?』
「一ヶ月……二ヶ月前だったと思います」
『そっかぁ……たった二ヶ月かぁ。今までは平日はほぼ毎日会ってたもんね。学校で。戻りたいなぁ』
「戻ってこなくて結構です」
『えぇー。冷たい。会いたいなんてメッセージ送ってくるくせにぃ。素直じゃないなぁ』
「……先輩は、会いたいって、思わないんですか」
『ん?』
「……メッセージ見返してたら、会いたいって……一言も言ってないなって、思って」
『えっ!? 嘘! 言ったことなかった!?』
「無いです。一度も』
『えぇ? あ、まさかそれで拗ねてんの?』
「いえ。拗ねてないです。ただ……気を使ってるのかなって」
『気を使ってるつもりはない……けど……無意識に使ってたのかな』
「……寂しいですか?」
『そりゃ寂しいよ。寂しいは送ってたよね?』
「なかったですね」
『えぇー? 嘘だー。見落としてんじゃないの?』
「いえ。見落としはないはずです」
『……ええ? 私、そんなに君に遠慮してたのかな。全然、自覚なかったけど』
「……日曜日、空いてます」
『え?』
「今週の、日曜日、空いてます。だから……どこか、行き『行く! 空けとく! 日曜日な!? 今週で良いよな!?』
食い気味に即答されて、思わず笑ってしまう。
「はい。今週です。空けておいてください。行きたい場所あります?」
『ない。考えとく』
「わかりました。私も考えておきます。じゃあ……また連絡します」
『うん。待ってる。……あ、待って、まだ電話切らないで』
「はい」
『……寂しかったし、会いたかったよ。ずっと、君のこと考えてた』
「私もです。私も先輩のこと考えてますよ。いつも」
『の、割には君からメッセージくれないよね』
「……すみません。何を送ればいいか分からなくて」
『気を使ってんのそっちじゃん』
「そうですね。……今も、先輩からのメッセージがなければ、送れなかったと思います」
私がそう言うと、彼女は『なるほどねぇ』と呟いた。電話越しに誰かの笑い声が聞こえた気がした。恐らく、妹のどちらかだろう。バタンと扉が閉まる音がした。
『……』
「……」
会話は途切れ、沈黙が流れる。しかし彼女も私も、電話を切ろうとはしない。多分、考えていることは同じだろう。
「……明日、早いですか?」
『ううん。葉月ちゃんは? もう、寝る?』
「……はい。でも……まだ、電話切らないでください」
『ん。分かった。繋げとく』
バサバサと音が聞こえてきて、彼女が布団の用意をしている姿が脳裏に浮かぶ。私もベッドに入り、スマホを枕元に置く。『添い寝してるみたいだね』なんて、彼女が電話越しに囁く。彼女の隣で眠ったのは、あの日が最初で最後だ。色々と思い出して、心臓が高鳴る。それを見透かすように、彼女は笑う。いつもみたいに、私を揶揄うように。電話越しに心臓の鼓動が聞こえてしまっているのではないかなんて思ってしまう。
心臓の音がうるさくて彼女の話が入ってこない。ようやく落ち着いてきたかと思えば、電話越しに寝息が聞こえてきた。どうやら彼女の方が先に寝落ちしたらしい。なんどか声をかけるが、反応はない。ドキドキさせるだけさせて。勝手な人だ。
「……好きですよ。明菜先輩」
電話の先で眠っているであろう彼女にそう囁いて、ちゅっとリップ音を残す。我に返って恥ずかしくなり電話を切ろうとすると『今キスした?』とはっきりした声が聞こえてきて思わず声にならない声をあげた。
「し、してません! なんで起きてるんですか!? 寝てください!」
『いや、寝てたよ。寝てたけどちょっと、びっくりして起きた。てか今キスした?』
「してません!」
『やめてよこれから寝るって時にそういう可愛いことするの。ムラムラして眠れなくなるじゃん』
「してませんってば! ていうか、ムラムラって貴女ねぇ……!」
『溜まってんのよ。というわけで、日曜日、抱くから』
「へ……」
沈黙が流れる。抱く? 抱くって、それはつまり——言葉の意味を理解した途端、顔から火が出るほど体温が急上昇する。彼女はどこか気まずそうに咳払いを一つして続ける。
『あー……えっと、安心して。もちろん無理強いはしない。こんなこと言った後だと説得力無いかもだけど、別に性欲を発散するために会いたいわけじゃないから。当日そういう気分になれなかったら拒否してくれて全然良いからね。むしろちゃんと断ってね。私に気を使って我慢しないでほしい。でも一応、そういうつもりで来てほしい。……と、いうわけで。じゃ、おやすみ。また日曜日ね』
一方的にそう言って、彼女は逃げるように電話を切った。とんでもない爆弾発言を置いて。『日曜日、抱くから』サラッと言われたその言葉が反響する。今日は月曜日で、一週間はまだ始まったばかりだというのに。これからどうやってこの一週間を乗り切れというのか。
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