第30話 焦燥


 私は、長い夢を見ていた。その夢には、特に仲が深い3人の姿があった。


 私と、信濃くんと、澪央みおちゃんと、それから夏輝くんが、同じ教室に立っている。放課後の夕焼けが窓から差し込んでいて、澪央と信濃くんは、私よりも先に帰宅の途についた。


 私と夏輝くんだけが、静寂が満ちる教室に、ぽつねんと取り残されていた。


「待って!!」


 夏輝くんが、唐突に走り出した。私は夢の中で、声の限りに叫んだ。


 虚ろな顔で歩みだした彼は、ベランダの柵に足を掛けた。そのまま彼は、3階の高さから飛び降りてしまった。その後に、バンっという衝撃音が響いた。



 私は、声の限りに叫んだ。喉の声帯がぶつりと切れる音を聞いたところで意識が暗転して、見慣れた白の天井を見上げていた。





****




 私は、くらくらとする頭を押さえながら、ベッドから起き上がった。窓に掛かったカーテンの隙間からは、


 スマホの電源を入れて、メールを確認した。



(……一応、送ってみようかな)



 夢の中の、鮮烈な光景がいつまでも忘れられない。脳の裏側に焼き付いていて、拭っても擦っても落ちない汚れのように、私の思考の片隅にあった。


……まさか、と思いつつ、夏輝くんに個別のメールを送った。



(この間の水族館、楽しかったよ!)


 次いで、お金を貰ったことへの感謝を綴った。


(あと、お金ありがとう。お父さんが、過度な出費を止めてくれたよ( ;∀;))


 夏輝くんから受け取った三万円を握りしめて、お父さんに迫り、語気を強くして言った。「これは、私の友達から貰ったお金」と。父は心配そうな顔をした。「私の友達にまで迷惑を掛けてる!遊ぶのやめて。お母さんも悲しむよ」と、強めな押しをしたところ、それきり、父が夜な夜な家を出ることはなくなった。


 これで、夏輝くんへの感謝が伝えられれば、完璧だった。この借りは、どんな形であれ返したいと思っていた。



 しかし返信はおろか、既読のマークすら付かない。


「おーい冬紀、学校行かなくていいのか?」


 父が、部屋の前で声をかけてくれた。時計を見れば、午前10時の表記。ずいぶんと長い間、悪夢にうなされていたようだった。いつもは、アラームが鳴る6時前には自然と目覚めるはずなのに。


「今日は、台風で臨時休校になったの!だから、大丈夫!」

「そうか、そうか。じゃあ、お父さんはちょっと会社に行ってくるよ」

「いってらっしゃい、気をつけてね!」

「ほほいのほい~月月火水木金金~」


 父が歌いながら、廊下をドスドスと歩く音が聞こえてきて、少し後には玄関の扉に掛かっている鈴の音が鳴った。電車での通勤だから、台風の風雨による遅延や運休が心配されるところ。


 私は、胸の内のどこかに、只ならぬ焦燥を抱えていた。


「ええ!?なんでこんなに汗かいてるんだろう……」


 着替えを済ませようとして、寝間着として着ていたジャージを脱いだ。ズボンも下着も、全てが汗でぐっしょりと濡れていた。


 仕方なく汗で汚れた衣服を、洗濯機の傍に置かれたバケツに入れて、水と洗剤に浸け置きした。バイトも休みで、何も予定が無い日だったから、こんな寝坊も、汗の処理も許されている。


 着替えを済ませて、Tシャツ一枚だけの姿になっていた私は、気が付いたらメールを確認していた。


「……急なんだけど、家に遊びに行ってもいい?」

 

 私は、返信の無い個別チャット欄に、次いで打ち込んだ。そう言いながら、外出用の、膝丈の黒スカートを履いていた。淡い空色のトップスと、髑髏のネックレスを合わせて、家を出ていた。


 額をジリジリと焼く陽光で、また背中に汗が湧いて出た。


(うわ、暑っ!?もう秋なのに……)


 近所の人たちが、蛍光色の養生テープを窓に張ったり、買い物に出かけようとして車のエンジンをかけていたり、排水溝に溜まった枝葉の掃除をしたりしていた。嵐の襲来を予感させるそれを横目に、私は「こんにちわ!」と、いつもの調子を装って挨拶を飛ばす。


 表情は晴れやかな仮面で装うことができるが、心は、黒い墨がわだかまって底で火が燻るような感じだった。


(何事も無ければ、それで良しだから……)



 メール欄を開きながら、電車に乗り込んだ。未だ、夏輝くんからの返信は無し。



(私、どうかしてるのかな…………?)



 衝動に駆られて行動が起こることなど、今まで経験に無かった。何かに手を引かれるようにして、私は電車に乗って、夏輝くんの家の最寄りの駅にまで向かっていた。


 この季節外れの暑さで脳がやられてしまったか。それとも、この景色も全て、長い夢の延長線上のものなのだろうか。



 以前、夕食をいつもの4人で楽しんだ夜に教えてもらった住所に到着した。白っぽい外壁で、ワインレッドの色の屋根にはアンテナが立っていて、窓には白レースのカーテンが掛かっている家だ。ポストの隅には、「羽多」の文字が刻まれている。


「少しお邪魔するだけ。それで済めば、万々歳だし、安心できるよね……」


 私は、一息の間を設けて、インターホンのボタンを強く押し込んだ。家の中から、インターホンの音と、声変わりしたてっぽい男の子の声が聞こえてきた。



「はい……誰ですか?」

「あの、羽田夏輝くんと同じクラスの早瀬と申します。夏輝くんは、いらっしゃいますか?」

「今は、学校に行っていて居ないです」

「えっ……」


 子供っぽい声は、恐らく夏輝くんの弟だと推測。しかし、夏輝くんが不在であることを告げられて、私は絶句した。




——今日は、台風の影響が考慮されて、高校は臨時の休校になっているはずなのに。

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