20 エルホルザの竜狩



 あの日以来、俺たちへの風向きが変わった。

 マックスはあの事件を貴族的に処理した。

 つまり、エルホルザの街に潜ませていた密偵たちを使って、街の人間に竜と戦ったのはソフィーであると喧伝した。

 さらに大勢の吟遊詩人に金貨を握らせ、『エルホルザの竜狩』という詩を国中に広めた。

 主役はもちろんソフィーだ。

 俺のことは少しも描かれていない。

 王妃という立場にある人間が、体を張って竜から自分たちを守ってくれたのだ。

 英雄譚を人々は好む。

 そして、恩を仇で返すわけにはいかないと、ボロ屋に大勢の人々が訪れては献上品と共に感謝を述べていく。

 頼んでもいないのに大工がやってきて、ボロ屋を直していった。

 代官は土下座してこれまでの不忠を詫び、うちに送られていた生活費から不正に得ていた金銭を返還した。

 金銭が返還されたことは些事だ。

 実際、大した額ではなかった。

 献上品のほとんどと、返還された金銭に関しては、街の復興に使ってくれと代官に預けた。

 森のことで喧嘩していた村も、村長たちが謝罪にやってきた。

 ここでの生活は、あっという間に過ごしやすくなった。


 その一方で、ソフィーの人気が上がることを面白くない者たちもいる。

 たとえ、このエルホルザという地は、ヴァルトルク王国の中では北方に位置する。

 北方には北方の貴族勢力が存在する。

 南方諸侯をまとめるマクシミリアン・アンハルト侯爵の娘であるソフィーが王妃としては異例の勇名を上げるというのは、縄張り違いの人物がでしゃばってきたというような違和感が存在する。

 北方諸侯の中には第二王妃カタリーナの出身であるレーフェンブルグ領も存在するので、彼らは潜在的にカタリーナを支援する立場であることもまた、影響しているだろう。

 そうなると、北方諸侯から王家やアンハルト家に、どうして『静養中のソフィー王妃が竜狩なんてできるのか?』という嫌味とも取れる問い合わせが行ったりもする。

 マックスは「俺の娘ですからな」と笑っていれば済む話だが、王家にとってはたまらないだろう。

 すでに北方諸侯のいくらかからは、ソフィーにお茶会や食事の誘いが来ている。

 屋敷に招待する話もあれば、あちらからやってくるという話もある。


 実際にやってきた貴族の奥方は、ソフィーの家を見て驚き、自身の屋敷に移り住むように言ってきたり、あるいは新しい屋敷を建てさせてくれと言ってくる者もいる。

 ソフィーは「こういう暮らしも悪くないものですよ」と笑い、全て断っているけれど、それはそれで彼女への同情を呼び、王家……いやフランツの非情さへの非難が集まっている。


 夫婦間の仲の良さをあれこれと言うものはいないが、妻を大事に扱えないというのは、尊い血筋の者としての器量を問われている。

 そして同時に、王家とアンハルト侯爵家との不仲説へと発展していく。

 国外へとそんな話が漏れ出れば、アンハルト侯爵家と国境を接している国からよからぬ接触が増えることになる。

 南方諸侯がまとめて、ヴァルトルク王国の国境線を書き変えを行うという、最悪の未来もありえるということだ。


「いまのところそんなことをするつもりはないがな」


 三ヶ月ぶりにやってきたマックスが、その言葉で締め括った。


「それで、そっちはどうなんだ?」

「先日、天狗掌という技を習いました」

「なに?」

「遠距離攻撃の基礎だからな」


 ソフィーとはあれ以来、魔功に関する技をいくつか教えている。

 親子という感じは薄れた。とはいえ俺を勇者ジークとして敬うということもなく、なんというか、友達のような付き合い方をしているような気がする。

 いや、それは前からか?

 ソフィーは変わらない、ということかもしれない。


「いや、待て待て……その技、知らんぞ?」


 マックスが真剣な顔で言う。


「お前に遠距離攻撃はいらんだろう?」


 だいたい避けるし、速いし。

 なにより頑丈だし。

 剣圧で竜の尻尾まで切れるんだし。


「いるぞ! なに言ってんだよ! 教えろよ! ずるいぞ!」

「まぁ、いいけどさ」

「そういえば、どうして魔功の技は東方文字なのです?」

「師匠が東方人だったからな」

「そうなのですか」

「ああ、船が難破して、この地に流れ着いたとか言っていたが」


 詳細は知らない。

 山の中に篭って他人を排除した生活をしていたのだ。

 そんな人物が、どうして遠い西の地にいたのか。

 本人が語らなかったので、知りようがない。


「その方は?」

「死んだ。もういない」

「そうですか」

「まったく! 俺も教わりたかったぜ!」


 マックスが前も言ったことを繰り返す。

 だが、あの師匠はマックスには教えなかったろう。

 強くなることへの執念は凄まじいが、俺が出会った頃のマックスは、まだなにも失っていなかったからな。

 武以外はなにも要らぬと言いながら、どうにも解消できない飢えに苛まれていた師匠にとって、マックスの強さへの執念など、子供の遊びにしか見えなかったに違いない。


 いまは、違うが。

 こいつも、魔王への旅の途中でいろいろと経験したからな。

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