15 魔獣



 それは空から落ちてきた。


 雷の鳴り響く夜だった。

 雨は降っていないが、空の物々しさに、エルホルザにある街は早くに店を閉め、人々もベッドに逃げ込んだ。

 不可思議な空模様は夜遅くまで続いた。

 雷光を纏う厚い雲が空を覆い、月は姿を隠している。

 明かりなしでは鼻を摘まれてもわからない暗闇に覆われている。

 街がそうなのだから、村などはもっと暗い。


 それはボロ屋も変わらない。


「アル、起きている?」


 窓を開けて空を眺めていると、ソフィーが覗きに来た。


「起きてます」

「そうよね。こんなにうるさくては眠れないわ」


 会話をしている間も雷の音はうるさく響き、ソフィーの言葉をかき混ぜる。


「おいで、下で温かい物でも飲みましょう」

「はい」


 下の階のキッチンを兼ねたリビングには侍女と騎士もいて、牛乳を温めているところだった。

 蜂蜜をわずかに溶かしたホットミルクが体の中を温める。


「お父様、無事でいるかしら?」

「大丈夫でしょう。御領主様はこの程度のことで動揺なされる方ではありません」


 残っている騎士は、自分の主人を心配している様子はなかった。


「そうでしょうけど、ここは大丈夫だけれど雨が降っているかもしれないし……無理をして馬を病気にさせたりしないといいのだけど」


 そして娘も、父親の心配はしていなかった。

 俺はそんな会話を聞きながら、空の様子を音だけで探っていた。

 この雷鳴……というか、天気はおかしい。

 雲の上になにかがいる。

 争っているな。

 空を駆け、争うだけで雲が湧き、雷鳴が起こる。

 そんな存在の種類は、限られている。

 よりにもよって、どうしてこんなところで争っているのか?

 そんなことを考えていると、一際激しい雷鳴が、俺たち頭を押さえた。

 少し遅れて、遠くで地鳴りが聞こえた。


「なにか起きた」


 ソフィーと騎士が察知して、外に出る。


「殿下、いけません」


 付いて行こうとすると、侍女に止められてしまった。

 仕方なく待っていると、すぐに二人は戻ってきた。


「どうでした?」

「街で魔獣が暴れているようです」


 侍女の問いにソフィーが答える。


「かなりの大型です」

「ど、どうしてそのような」


 エルホルザは王国の中にあって比較的安全な土地だ。

 そうでなければ大規模な放牧などできない。

 そんなところで魔獣が現れたのだ。

 街は天地をひっくり返したような騒ぎになっていることだろう。


「雷の音が聞こえなくなりました。おそらく、空で暴れていた魔獣が落ちたのでしょう」


 ソフィーの言うように、あの大きな雷鳴の後から空は静まり返っている。

 雲上で争っていた二体の魔獣は決着を付けたのだ。

 一体は地上に落ち、一体は勝利を確信して去っていった。

 そんなところか。

 ソフィーは家の中に入り、自分の部屋へ向かっていく。


「魔獣を狩ります。支度を手伝いなさい」

「ソフィー様! なりません!」


 侍女は悲鳴をあげる。


「民を見捨てては王族の名折れでしょう」

「しかし、あの街の者たちはソフィー様に……」

「それは王家の不徳故のこと、民に罪はありません」

「しかし……」

「マクシミリアン・アンハルトの娘が、剣を振る時を見誤るなど、許されません」

「……承知しました」


 ついに侍女は観念し、二人は部屋に入った。

 騎士の方はとっくに支度をするために自分の部屋に入っている。


 いまならいけるな。

 と、思ったのだが。


「すいません殿下、ちょっとここのベルトを引っ張ってもらえませんかね?」

「はーい」


 騎士に言われ、仕方なく手伝いに向かった。


 着替えを終えてソフィーが出てくる。

 ドレスの上から鎧のパーツを嵌め込んだ姿だ。

 胴体は金属板の入ったコルセットが巻かれ、ナイフなどが収まった革製のベルトがあちこちにある。

 両手足とガントレットとブーツだけが物々しい。

 剣は二本、腰の後ろに回るように下げられている。


「では、言ってくるわね」

「母様」

「アル、ここで待っていてね」

「ご武運を」

「ありがとう」


 そして、二人は街へと走った。

 二人とも魔功が使える。

 あっという間に見えなくなった。


 さて……。

 どうやって侍女の目を誤魔化すか。

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