コンティニュー

 教室に戻るのを拒んだ迅は『体調不良』と判断され、朝霧は少し考えてから自分の執務室で休めと伝えた。講義が終わり次第、自宅アパートまで送ると言ったが迅は慌てて断り、ひとまず仮眠を取らせて貰おうと執務室の場所を教えてもらう。

「いいか、ちゃんと休めよ」

「分かってるって。ばんちゃ…朝霧先生は心配性だな」

「当たり前だ。おれの大事な…生徒なんだから」

 嬉しいのは確かだが、大袈裟過ぎるようにも思え複雑な心境で隣に並んだ。抵抗する術がなく、従わざるを得ない状況で朝霧の宛てがわれた部屋に向かう。長い廊下を歩いて部屋に近づくに連れ、あの鮮明な夜想帝国での出来事を思い出し憂鬱な気分になった。ゲームとは言え、ヒトを一人刺してしまったことに変わりは無いのだ。

(……そういえば…夜想帝国のデータ、本当に吹き飛んだのかな。できるなら…もう1回やり直したいのに)

「願わくば晩猶との出会いから、ってな」

 目の前にある朝霧の部屋のドアノブに手を差し出した瞬間、足元を鼠のような何かが這った。驚いた拍子に体勢を崩し、背中から倒れそうになった瞬間。


「……おい、気をつけろ」

 腕と腰を掴まれ、かろうじて転倒を免れる。シャツから剥き出しになった迅の腕にふわ、と柔らかい感触がした。朝霧の腕ではない。

「???」

 自分よりも遥かに大きな影が扉に映り込み、恐る恐る背後を振り返る。迅は目を見開き、混乱する頭で相手の顔を見上げた。


 忘れたことがない、獣人姿の皇帝だ。


「……晩猶……?」

「どうした、何を呆けている」

「どうしたって……ここ、」

 何故晩猶が自分の目の前にいるのか。今しがた朝霧の部屋の扉に触れたばかりなのに、気がつけば目の前の扉はなくなっている。足元に柔らかいカーペットが敷かれた部屋の中で、迅は裸足で立っていた。

 晩猶の邸宅だ。

「なんで……晩猶…?」

「なんだ」

「俺、おまえを……この手で……」

 震える手を見つめ、あの時の感触と熱い血潮を思い出した迅は呆然と立ち尽くした。その様子を見て、晩猶はそっと迅の背後から腕を伸ばし、腹に手を回して抱きしめる。

「おれはずっと、ここに居る。案ずることはない」

「はは……おかしいなぁ、夜想帝国に戻ってきちゃったのか」

「戻る?迅、何を言っているんだ。おまえはずっと屋敷にいただろう」

 困惑している晩猶の声に、迅は増々混乱してきた。何故居場所が急に変わったのだろうかと辺りを見渡すが、あの元凶であるたぬこの姿は見当たらない。もしや奇跡が起きたとでも言うのだろうか。

「晩猶、今日は満月か?俺は誰だ?」

「何を言って…頭でも打ったのか?今日の夜は満月の二日目で…おまえはオレの伴侶、イクサバ ジンだ」

(かなり前に戻ったみたいだな…って……俺?)

 自分の名を呼ばれ、迅は急に動悸が強くなった。本名を名乗りはしたが、この世界で晩猶に与えられた名は戦刃せんじんだ。

「……なんでだ…俺でいいのか…?」

「まったく、変なことを言う。当たり前だろう」

 晩猶はそのまま迅を後ろから抱き上げ、自分の腕の中にスッポリと横抱きにして納めた。ヒトよりも高い体温と被毛の温かさで、寝不足だった彼はうとうとと微睡む。

「ふぁ…最高の毛布みたいだ……ばんちゃん」

「なんだ」

「ごめんな……痛かっただろ」

 今の彼に言った所で、恐らく理解は出来ないだろう。晩猶に対して憧れを超えた愛情を抱えるようになり、迅は恥ずかしげもなく「大好きだよ」と大きな獣耳に向かって小声で囁いた。晩猶の耳が小刻みに震え、嬉しそうに喉を鳴らす。

「……そんなこと、言われなくとも知っている」

「へへ。でもさ、ちゃんと言わなきゃ伝わらないだろ?」

 晩猶の首に腕を回して抱きつくと、迅の手に触れたのは狼の毛ではなく、筋骨逞しい肩だった。

「あっ…もしかして、もう夜……?」

「ああ。そうだな」

 ややムッとした顔で晩猶が頷き、銀色の髪が揺れる。ヒトの姿になった晩猶は、獣人形態である自分自身に嫉妬しているように見えた。

「迅……おまえは獣人姿のおれが好きか?」

「いや、どっちも好きだよ。モフモフのばんちゃんも、人になった晩猶も…全部、おまえだから惚れたんだ」

 恥ずかしそうにそう言って満面の笑みを浮かべ、晩猶の頬に手を触れじっと見つめる。

「あー!ほんとにもー!!カッコよすぎんだよ!」

「……そうか?」

「そうだよ!でかいし包容力あるイケメンだし顔がいいし、優しくて勇猛果敢な皇帝だろ?仕事もできて頼りになれるなんて…才色兼備どころじゃない!それにサラサラの銀色の髪と瞳の色は満月と同じなんだぞ……最高かよ」

「何処かで似たようなことを聞いた気がするな…」

「たぶん何回も言ってる!もしくは…俺じゃない誰かも同じことを言ってたのかな」

 再び晩猶に逢えたからには、伝えきれなかったことを全て伝えたいと思っていた。例え現実に戻れなくとも、戦刃迅としての自分を晩猶が選んでくれたのなら。その選択を、彼に後悔させたくはない。

(もしかしたら都合のいい夢かも知れない…だけど、いっそのこと…醒めない夢であればいいのに)

 たかがゲームの世界、ファンタジーだと頭では分かっている。しかし手のひらに感じる晩猶の温もりも、匂いも、聞こえてくる声も目に見える晩猶の顔も全てが本物なのは事実だった。

「俺の恋愛対象、女の子だったハズなんだよ…何でだろうな」

「何がだ?」

「晩猶にハグされてもお姫様抱っこされても嫌じゃない…むしろ嬉しいし、もっと…触れて欲しい」

 迅は自分の格好が、今までと変わらない半袖シャツとジーパン姿なのに今更ながら驚いた。今まで着てきた夜想帝国の装束ではなく、まともに今の自分を見た迅の目は期待と戸惑いが見え隠れしていた。

「……なら、何が欲しい?」

「えっ…何がって」

「ちゃんと言わないと伝わらないだろ」

「あ……確かに、そうだな」

 む、と唇を尖らせる迅の顔に、晩猶の顔が間近に迫る。

「…いっぱい俺を撫でて、抱きしめて、キスして」

「ふっ…まったく、強欲な皇妃殿だ」

 晩猶はくすくすと笑い、晩猶の後頭部に手のひらを這わせる。そして首筋、肩と指先で撫でながら唇を重ねた。角度を変え、深さを超え、時折息継ぎを交えながらひとつになっては離れていく。

「はァ…ばんちゃん……好き」

「おれはお前を愛している。間違いなく、戦刃迅を」

 迅が啄むように唇を何度も吸い、腕を背中に絡める。勢い余って晩猶が寝台に背中を預けた。

「ふふっ。何時ぞやとは逆の位置になったな」

「大丈夫、逆カプは許さないから」

「逆…なんだって?」

「へへ、なんでもない」

 迅がクスクスと笑い、晩猶の広い胸元に飛び込む。深く鼻から息を吸い、晩猶の匂いを堪能して胸元に顔を埋めた。

(俺の帰る場所は…やっぱりここがいい)

 この温もりは二度と手放さないと心に誓い噛み締めながら、迅は瞼をそっと閉じた。


 コイン状の金属片が、床板の隙間に落ちているとも気付かずに。


END

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夜想帝国 椎那渉 @shiina_wataru

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