追放された聖女は、白銀の獣人王に愛され春を告げる
響 蒼華
白銀の獣人王
――白く凍てついた冬を体現したようなひとだ、とアナスタシアは思った。
自分の置かれている状況が理解しきれない。理解が事態に追いついてくれない。
周りには血を流し意識を失った、或いは命を失ったならず者達が倒れている。
息をしてその場にあるのは、アナスタシアともう一人だけだ。
顔色を無くし、呆然と見開いた眼差しをその人影に向ける。
彼女の目の前には、血に濡れた剣を手にした一人の男性が居る。
素直に美しいと言える、整った顔立ちの精悍な男性だ。
冴え凍る雪の平原を彷彿とさせる怜悧な空気をまとった、均整の取れた長身。流れるような銀色の髪が僅かな陽の光を弾いて鋭く輝き、風に靡いている。
簡素で実用的な戦士の出で立ちであるが、武骨であっても粗野とは思わせない風格。
それに何より、とアナスタシアは裡に呟く。
立派な体躯の美丈夫には、明らかにアナスタシアと異なる特徴があった。
白銀の毛色、褐色の斑が入った猫のような動物の耳。
銀灰色の瞳には不思議な虹彩が見える。
そればかりではない。目の前の男性には、耳と同じように斑の入った白銀の毛並みの尾があるではないか。
獣人だ、と思わず息を飲む。
『白の荒野』に住まうとされる種族である獣人は、かつては人であったものが、荒野にすまう幻獣達を狩ったが為に呪いを受け誕生したと言われている。
元となった獣の特性を備えると共に、あらゆる身体能力において人間を凌駕するという脅威の種族である。
だが、始まりとなったのが王国にて暮らせなくなったはぐれ者達であることから。また、王国に比べて文化的に未発達な暮らしである事から『雪原の蛮族』と蔑まれている。
戦地に傭兵として出ていく他は、荒野にある自分達の本拠地から、必要がなければ王国領へ近づいてこないとされているのに。
どうしてこんなところに。このような時に。
雪原から遠く離れた、アルビオンと呼ばれる王国の果てへと続く辺境の街道に。
アナスタシアが、まさに尊厳と命の危機にあったその時に。
一つ息を吐いて白銀の男性は剣を鞘におさめると、アナスタシアに向き直る。
武器をおさめたということは、アナスタシアに対する敵意はないのだろうか……?
言葉にこそ出してはいないものの、ただただ凝視してしまっていた視線が銀灰の瞳と真っ向からぶつかる。
不思議な虹彩の銀灰を真っ直ぐに見つめる形となってしまい、強張った表情のままのアナスタシアの肩が跳ねた。
何か言わなくては、と思う。
先程までアナスタシアは窮地にあった。経緯はわからないままであっても、この男性に救われた形なのだ。
……救われたのかどうかは、まだわからないのだが。
「聖女アナスタシア殿だな?」
内なる懸念に俯いていたアナスタシアの耳に、伺う響きを帯びた低い問いが聞こえる。
弾かれたように顔を上げると、再び男性と眼差しが交錯する。
男性は、アナスタシアを聖女と称した。
今は既に懐かしい呼称に、知らぬ内に唇を引き結んでしまう。
そう呼ばれなくなってから左程経っていないというのに、もう随分と昔のように思える。
最後に呼ばれたのは何時だっただろう。
忌々しさを隠そうともしない声音で、否定の言葉を投げつけられた時の記憶が脳裏に蘇りかける。
アナスタシアは、自分を落ち着けるように大きく息を吐くと、裡にて必死に自分を叱咤しながら言葉を紡いだ。
「そう呼ばれていたことは……確かです」
頷きながら、切れ切れであっても何とかそれだけを口にした。
否定はしないが、今は肯定もできない。今を正しく表すにはそう答えるしかなかった。
絞り出した声は随分掠れてしまっていたが、男性の耳には届いたようだ。
少しの間沈黙したままアナスタシアを見つめていた男性は、大きく頷いたかと思えば再び口を開いた。
「俺はアインマールの王、シュタール」
聞いた瞬間、アナスタシアは思わず目を瞬いた。
雪と氷に閉ざされた『白の荒野』と呼ばれる地に築かれた獣人達の国こそが、アインマールと呼ばれている国である。
青年――シュタールはその国の王と名乗った。
彼は、雪原に住まう獣人達を統べるものなのだろうか。
確かに、王を名乗るに相応しい風格の持ち主と言えるけれど、真実なのだろうか。
シュタールが本当にアインマールの王であるというならば。それならば、尚の事『何故』という問いがアナスタシアの脳裏に浮かぶ。
『白の荒野』に在るはずの獣人を統べる者が、何故に国を離れてこのような場所――罪人を封じる辺境の地へ通じる道に現れたのだろう。
そして、護送されていた重罪人を――アナスタシアを救ったのだろう。
問いはアナスタシアの裡にて渦を巻き、鬩ぎ合い。眼差しに恐れと疑念をこめて相手を見つめることしかできない。
無言の問いを宿した眼差しを真っ向から受け止めて、シュタールは静かに瞳の問いに対する答えを口にした。
「我らが国の為、貴方を攫いに来た」
思いもよらぬ言葉は、辺境の地を揺らす強い風の中でも不思議な程にはっきりと聞こえた――。
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