第十七葉:純粋な気持ち


~~


「ここが真理華ちゃんの夢?」

 小舟に揺られて辿りついた真っ白な夢の世界を見て、小野里さんが言う。

 そばで櫓を漕ぐ鳴子が、遠くの黒い渦の壁を指差して答えた。

「ううん、わたしの夢。経由地だね。真理華さんの夢はあの先だよ」

「そうなんだ。真っ白で不思議な場所……」

「寂しいところでしょ?」

「そうだけど、静かで落ち着く」

 和やかに(?)話す二人。小野里さんは舟に乗ってくれたはいいものの、露骨にワタシから離れていてモヤモヤしないでもない。まぁ、いいけど。そんなことより、真理華の悪夢を解決する方が大事だし。

 悪夢に飛び込む前に、念押ししておこう。

「小野里さん。さっき説明したこと、いいね? ワタシ達のやることは忘れられちゃうけど、心に残るモノがあるハズだから」

「ひっ……。う、うん。わかってるよ」

 話しかけた途端、ビクリと肩を震わせる小野里さん。扱いの差が酷いのでは。

 ここまでくる間に、ざっくりと夢の仕様(起きたら忘れる・でも精神には作用する・夢から追い出されることがある等)は説明している。

 小野里さんにも忘れてもらうため(真理華のプライバシーに触れすぎるし、夢に入るチカラを知られ過ぎると鳴子が怖がられそうなので)、覚えていることもある、とか、鳴子の夢についてきたら覚えていられる、とかは伝えていない。

「ワタシが試すから、見ていて」

 黒い渦の前に到着。ワタシと鳴子が拒絶されているのを示すため、櫂の先を渦に触れさせる。すぐに黒い稲妻が──。

「──出ない??」

 鳴子も反応。

「出ないね」

 顔を見合わせるワタシ達を見て、小野里さんが首を捻った。

「出ないって、なにが?」

「この前、櫂凪ちゃんとわたしで入ろうとしたら、黒い電気がバリバリって出て入れなかったんだ。それが今回は出なくて。実ちゃんのおかげだね」

「そうなんだ。……入れなかったらどうするつもりだったの?」

「それは……、どうするつもりだったの? 櫂凪ちゃん」

 同じ角度で鳴子も首を捻った。

 入れなかったらどうするかなんて、決まっている。

「もちろん、小野里さんだけで行ってもらうつもりだったけど」

「「……」」

 二人して、じっとりした目つきを向けてきた。入れないんだから、入れる人が解決するしかないでしょうに。

「何か問題が?」

「櫂凪ちゃん、結構スパルタだね……」

「他に手段がないから仕方ないでしょ?」

「じゃあ今は三人で入れるから一緒に行こうね」

「う……」

 鳴子が笑顔で櫓に手をかける。三人で入れるならそれに越したことはないし、別に嫌だとかそういう気持ちはない。……ない。うん。

「実ちゃん、準備いい? ついた先で三人バラバラになったら、教室で合流しようね」

「……わかった」

 コクリと、小野里さんが頷く。それを見て、鳴子はワタシにアイコンタクト。黒い渦へと舟を進めた。

 落下する感覚がして、前回と同様に女の子の声が……、真理華の声が聞こえてくる。


『私を見て! ふさわしい存在になりますから、私を……!』


 訴えかける言葉。聞いていて辛くなるほど、悲痛で、やるせない。事情を知らないワタシでも、言葉が届かなかったことを感覚的に理解できてしまう。その誰かは、ずっと寄り添って見ていた小野里さんじゃない。もちろん、ワタシや鳴子でもない。


 誰かに心を囚われている人に、誰かではないワタシは何ができるだろう?


~~


 灰色と言うには暗過ぎる、厚く苛立った曇り空。昼なのか夕方なのかもわからない夕霞女子学院本館前広場に、ワタシは──ワタシ達はいた。珍しく、一緒に悪夢へ入った鳴子と小野里さんがそばにいる。

「本物の鳴子、と、小野里さんだよね?」

 聞いてみると、鳴子はパッと表情を明るくする。

「うん! 実ちゃんもそうだよ!」

 二人はワタシより早く到着していたらしい。

 小野里さんは不安そうに拳を握って、校舎や周囲の景色を観察していた。

「伊欲さん、ここ本当に真理華ちゃんの夢の中なの? こんな、こんな、嫌な雰囲気のところが……」

 視線を追う。小野里さんが見つめているのは、ワタシ達のクラスがある本館三階。確かに、嫌な雰囲気としか言えない、近づきたくない感覚がした。

「恐らく。でも前回の始まりは教室前だったから様子が違うね。意味があるのかも」

 場所が違うだけでなく、施設も現実と様相が異なっている。森や陸上トラックは存在せず、高等部校舎は大雑把な造形。鮮明なのは、初等部と中等部、そして体育館。……あれ?

「体育館ってあんな光ってたっけ?」

 初等部と中等部が現実そっくりなのに対し、体育館は現実そっくりだけど、内側の光が普段と違って異様に煌びやか。

 ワタシがそれを口にすると、小野里さんは目を見開いてポツリと言った。

「真理華ちゃんは、まだ……」

「まだ?」

「伊欲さん知らないんだ」

「知らないって??」

 言葉が引っかかって尋ねたが、答えは得られなかった。

「ううん、なんでもない。真理華ちゃんのために知らないでいて」

「なにそれ……」

「それより伊欲さん。光っているとどうして気になるの?」

 話を変えたいらしい逆質問。

 ヘソを曲げられても困るので、ワタシの疑問はひっこめた。

「鮮明な上に、普段と違う状態だから。夢の中は、夢の主が意識していることは鮮明に、そうでないことは曖昧になりがち。だから真理華は、体育館を意識してると考えられる。しかも普段とは違う状態の。悪夢解決のヒントになりそうでしょ?」

「そういうこと……。じゃあ、あっちに行ってみてもいい?」

 話の流れと異なって、小野里さんは初等部校舎を指差した。中等部並みに鮮明な造形なので、体育館ほどじゃないけど気にならなくもない。

 ……小野里さんが興味を示しているなら、こっちを調べるしかないか。

「鳴子、いいよね?」

「うん。行ってみよう」

 ひとまずの確認に鳴子が頷く。

 ワタシ達は小野里さんの先導の元、本館に隣接する初等部校舎へと入った。


~~


「小野里さん、ここは?」

「私と真理華ちゃんが初めて出会った、一年の教室。……真理華ちゃん、覚えていてくれたんだ」

 廊下の窓から教室を覗いて、小野里さんが感慨深げにした。中等部と違って室内が見通せる窓の奥には、教室扉の半分よりちょっと背が高いくらいの、小さな女の子達の姿がある。

 長袖の白ブラウスに、中等部とは違う紺色の吊りスカートが子どもらしい。

「覚えてるって、何を?」

「見てたらわかるよ。初等部入学で私、イジメられてて。代々お金持ちの名家の子達と違って、私はお父さんが始めた事業が上手くいっただけの、成金だったから」


 休み時間で教師のいない教室。廊下の反対側の教室後方で、このクラスで一番小柄な眼鏡お下げ髪の子……、昔の小野里さんが、三人のクラスメイトに囲まれている。

 怯える小野里さんに、気の強そうなツインテール髪の子、見下し目線のパッツン前髪の子、嫌な笑顔のサイドテール髪の子が言った。

『ようち園がちがう子は成金なんだってー』

『成金はすぐいなくなるってパパが言ってた!』

『いなくなる人となかよくするのはムダだよね』

 三人の圧に負けて、小野里さんはその場にヘタり込んでしまう。俯き握るスカートに、涙の雫が零れ落ちた。

 資産や家柄での値踏み。子どもの言葉なのに、聞いていて嫌な気分がした。鳴子も同じで、教室に飛び込もうとする体を一生懸命抑えている。

『う……う……。お父さんのウソつき。小学校、お友だちも楽しいもないよぉ……』

 涙を気にも留めず、クラスメイトは捨て台詞。

『学校くるのはいいけど、だれにも話しかけないでよね』

 背を向けて、どこかへ行こうとする。

 しかしその行く手を、別の女の子が腕組みで立って阻んだ。

『へー。ボツラクキゾクってこんな感じなんだー』

 周りより背が高く、セミロングの綺麗な黒髪ストレート。長い睫毛でパッチリとした目。自信に溢れた様子で顎高く見下ろし。

 ツインテール髪の子が目を細めて言い返した。

『ボツラク……? まりか、わたしたちのことバカにしたでしょ』

『だってバカだから』

『!』

 黒髪ストレートの女の子は、昔の真理華だった。数で劣りながらあっけらかんと悪口を言い放つ。

 当然クラスメイト達は怒って取り囲んだが、真理華は腕組みのまま話した。

『その子のパパが、学校にどのくらいお金を寄付したか、しってる?』

『し、しらないけど……』

 堂々とした問いかけに、ツインテール髪の子が僅かに怯む。

 真理華は鼻で笑った。

『私のパパから聞いたんだけど、さいてい三口さんくちのアナタたちのお家の、五百倍だそうよ。「今までおつきあいできなかった分」とかで。ぜいたくより、その子が私たちとお友だちになるのをだいじにするって、かしこいお金の使いかたよね』

『そ、それがなんなの!』

『べつに。いなくなりそうな子となかよくするのはムダだから、あっちいって』

 言い争いをふっかけておいて、興味を無くしそっぽを向く真理華。

『ふんっ。まりかなんかしらない! もうあそんであげないから!!』

 クラスメイトは口々に言って、三人一緒に真理華から離れていった。

『たすけて、くれたの……?』

 勝ち誇った顔で立つ真理華に、小野里さんが涙を拭きながら話しかけた。

 聞かれた真理華は、腕組みのまま視線を外す。

『べ、べつに。アナタとなかよくするほうが良いと思っただけ。私、かしこいから』

『……なかよく。……うれしい。ありがとう』

 噛みしめるように、言う小野里さん。

 真理華はぶっきらぼうな口調で返した。

『アナタ、名前は?』

『おのさと、みのり』

『みのり、ね。私はまりか。ごんまりか。よろしく』

『……うん! よろしくね、まりかちゃん!』

 さっきまでの涙はなくなって、小野里さんは明るく笑う。真理華も嬉しそうにしていて、二人の周りは先の体育館ほどではないものの、眩しく輝いていた。


 悪夢の中に灯る、光の思い出。

 見つめている今の小野里さんも、噛みしめて言う。

「この後も時々嫌がらせされたけど、全部、真理華ちゃんが追い返してくれたの。言い返せる子はいなかったし、そうしなくても、真理華ちゃんはいつもクラスの中心にいて、私を輪に入れてくれた。賢くて、自信に溢れてて、かっこよくて、一途で、健気な、私の大切な人。……ここは間違いなく、真理華ちゃんの夢」

 初等部の教室に背を向け、小野里さんが歩き出す。

「真理華ちゃんが苦しんでいるなら、次は私が助けなきゃ……!」

 先を急ぐ小野里さんを追いかけ、ワタシ達も続いた。

 目指す先は中等部三階。悪夢の中心と思われる、ワタシ達が学ぶ教室。 


~~


 本館玄関を入ってすぐ、おかしな点を見つけて足が止まった。職員室や保健室、理事長室などがある方向の廊下が、現実には存在しない壁で塞がれている。

「小野里さん、わかる?」

「……」

 小野里さんは苦々しい顔をするだけで、何も言わずに階段を上がっていった。

「ちょっと、何があるの?」

「……触れないであげて」

「わかったけど……」

 調べることは許されず、ワタシも鳴子もついていくしかない。階段を上った先は、中一、中二の教室が並ぶ廊下で、こちらも現実と違い進学クラス以外の教室がなくなっていた。本来は長い廊下の一番端っこにある教室が、階段のすぐそばにある。

 廊下の窓をちょっとだけ開けて、中を覗いた。


 中一の教室は、授業風景。まだ黒髪ストレートだった頃の真理華が、塾の課題をやっている。昔のワタシもいて、仏頂面で教科書の上に参考書を広げていた。どちらも授業より先の勉強がしたくての行動。先生も理解してくれていて、受験科目では今も黙認されている。

 断片的な記憶でできているのか、授業風景が休み時間に変わる。自習するワタシの前に、真理華がやってきて話しかけた。恐らく、嫌味を言うため。

『アナタそんな評判悪い参考書使ってんの?』

『……使えればなんでもいい』

 ムスっとした顔で答えるワタシ。

『弘法筆を選ばずっての? 調子にノって! 後悔するのが目に見えるわ!』

 苛ついた語気で言って、真理華は席へと戻っていく。……なんだかずいぶんと、会話の印象が当時と違った。

 真理華の口調はもっと嫌な言い方だった気がするし、ワタシはあっさり返していたつもりだった。だけど、あの真理華は高飛車だけどそこまでトゲはなく、あのワタシはとんでもなく不機嫌で冷たい。

 互いに主観なので、どちらが正解ということはない。しかし少なくとも、真理華からすれば嫌味を言ったつもりはなかったのかもしれない。

 教室には小野里さんもいて、真理華に横柄な(?)態度を取るワタシを睨んでいた。


 中二の教室は、終礼。教卓に当時の担任の先生がいて、その前にワタシが立たされている。なんだっけ……。あぁ、あれだ。首元に白百合のスカーフがあるから、模試の成績を紹介された時だ。

『先日行われた大学受験用の模試で、伊欲さんは全国〇〇位の成績を~~』

 ワタシは誰にもどこにも視線を合わせず、明後日の方向に目を逸らしている。クラスメイトも興味が無さそうで、先生に促され渋々拍手。なんとも気まずい空気が流れていた。真理華は……。

 茶髪巻き髪で派手メイクの真理華は、だらけた座り方で顔を伏している。……ように見えて、机の中に隠した紙に視線を向けていた。ワタシと同じ模試の結果用紙で、内容はここから見えな──。


「──櫂凪ちゃーん、置いてかれるよっ!」

 階段の上、踊り場から鳴子の声。

 いつの間にか、小野里さんも鳴子も先に行ってしまっている。

「ごめん、今行く!」

 覗くのを止めて、慌てて階段を駆け上った。


 ここまで見てきた出来事で、ワタシが真理華や小野里さんから嫌われている理由が少し、分かった気がする。悪いことはしていないので落ち度は感じないけど、別の接し方をしていれば、別の関係性もあったかもしれない。

 同時に、わからないこともある。模試の成績でワタシに負けたことはショックそうではあったけど、それにしては勉強の悩みが無かった。

 解けない問題に当たった時、覚えたことを忘れた時、勉強時間を確保できなかった時……etc、やきもきしたり苛立ったりする場面はたくさんあるのに、そういうことは一切、悪夢になっていない。


 などと考えているうちに、3-Aの教室に到着。すでに小野里さんは扉に手をかけていて、重苦しい空気に迷うことなく勢い良く開ける。

 普段とあまりにも違う光景に、ワタシは思わず声が漏れてしまった。

「鏡……?」

 机も椅子も、クラスメイトの姿もない教室。その中心に真理華は立ち、視線を正面の黒板──が巨大な鏡のようになったモノ──へと向けていた。

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