第三章 第一話
こんな形でここへ戻ることになるとは。僕は再び収容所へ、強制送還されていた。
僕は上裸のままベッドに縛り付けられ、尋問を受けた。町を壊し、人間を殺傷し、ヒトの存在を脅かした、一人の犯罪者として。
永遠に続くかと思われた。ただひたすらに天井を見つめながら看守に質問を投げかけられる。僕が答えを出すまでの沈黙。この部屋には僕と看守以外誰もいない。二人の呼吸と心臓の音が不気味なほど一定のリズムを刻む。
「目的は?」
看守が手元の紙にペンを構える。僕は何も答えない。
「この行動に至った経緯は?」
「ここを出てからこれまで、どこで、何をしていた?」
何を聞かれたところで、僕には絵空事にしか思えず、一つ足りとも答えられなかった。
あれからしばらく小さな町は凍えるような寒さから解放されることはなかった。それほど僕の放った力は強く、氷柱はしっかりと根を張ってしまったらしい。けれど、生き残った者たちも、家族を失い、家を失い、仕事を失い、悲しみに暮れているかと思えば、そんなことは一切なかった。またしてもヒトの決まりごとが僕を孤立させた。
強靭な力を持つ看守たちがあの光景を目にした全ての人間から記憶を消し去った。綺麗さっぱり何事もなかったかのように、町はいつもの日常を取り返した。凍える寒さは異常気象として、再建は開発工事の一環として報道された。もともと僕など存在していなかったかのように、僕が能力を放っていない世界線がそこにはあった。かつて、君の記憶が消されたときと同じように。
この収容所はとても都合の良い場所だった。ヒトにとってはある意味、ここだけが素でいられる唯一の場所と言っても過言ではない。それは学校であり、牢獄であり、老人施設でもあった。ありとあらゆる用途を兼ね備えたこの施設は、来る人によっては天国にも、地獄にもなり得る場所であった。
しかしベッドに縛り付けられ、ただひたすらに毎日尋問を受ける僕にとって、ここは地獄でしかなかった。だがこの繰り返される尋問の中で、能力への嫌悪も、苛立ちも、どこか遠くへ身を潜めていった。自分の犯した事の重大さに恐れ、切り苛まれる思いだった。
これからまた、罪に問われる日々が続くのだ。まだ君に対して冒した罪でさえ償いきれていないというのに。どう償うべきかもわからぬまま、ベッドに縛り付けられる時間が長くなればなるほど、僕は虚無感に包まれていった。責め続ける心も疲弊し、もう何も残っていない。能力でもって僕を縛り付けるこの鎖を壊してやろうという気も起こらない。
結局ヒトで溢れかえったこの場所でさえ、僕にとっては救いの場にはならなかった。ここにいる全ての者が僕の行為を問い、非議してくるようだった。
何を問うても、どれほど時間をかけても、一切口を開くことのない僕に呆れ果てたのか、しばらくすると看守からの尋問はなくなった。尋問を受けるというのは無論苦しいものではあったが、それがなくなると、とうとうこの部屋には誰も訪ねてこなくなり、どこか落魄とした心持ちになった。
変わらず整然と並べられた空白のベッド。要塞のような無機質な壁。体を縛り付ける鎖。その全てが僕の精力を吸い取っていった。次第に僕はただ息をするだけの、ヒトの能力を持っただけの、何とも定義されない生物のように姿を変えていった。
来る日も来る日も僕はただそこで息をしていた。誰かが殺めてくれることもなく、真っ白な天井を見つめ、自分に罪を問い続けた。そこには重量を失った空虚感が漂っていた。
あれは日暮れ頃だったろうか、突然一人の看守がこのだだっ広い部屋へ入ってきた。久しぶりに開け放たれた扉からは、部屋の外にある一つの窓から夕日が差し込んでいた。相変わらず天井を見つめるだけだった僕は、ヒトになったことで備わった鋭い聴力も役に立たず、その物音にさえ気づかなかった。
変わらず警察官のような格好をした彼は、ブーツをコツコツと鳴らしながら僕の方へ近寄り、焦点の合わない僕の目を見つめながらこう告げた。
「お前と話したいと言う者がいる」
無意識に僕はふっと看守の方へ目を向けた。彼の後ろには一人の男が立っていた。肩幅のしっかりとした長身の男は、綺麗に整えられた艶やかな短髪に、いつのものかと思わせるテールコートを折り目正しく纏っていた。歳は僕より少し上だろうか、容姿からは四、五十歳ほどに窺えた。
それだけ言うと看守はあっさりとその場を離れた。ブーツの音が遠くの方で響く。
看守が立ち去ると今度は男が僕のベッドの傍にやって来た。近くに置いてあった脚の長さの揃わない、古びた木製の椅子をギーッと引き、そこに腰掛け、僕の瞳を見つめてくる。
「サンタマリアか」
男は一言、そう呟いた。真っ先に色について触れてきたことに、それまで無であった僕も、咄嗟に男の顔を見てしまった。
この収容所の存在を知り得るのはヒトだけだ。中に入るためには見張り役の看守の許可がいる。そこでヒトであると判断されなければ中へは通してもらえない。
この男は本当に僕と同じヒトなのだろうか。であれば黒・白・青の三色しかわからないはずだ。僕の瞳を見て青色だと判断できても、その細かな青の種類まで見分けられるとは。彼はヒトであっても、人間と同じように色が見えるというわけか。
彼の瞳は僕にはただの青色にしか見えなかった。けれど、これまで収容所で見てきたヒトとは別の色を持っていると思わせるような、そんな瞳であった。
一方でその色には、どこか懐かしさを覚えさせるものがあった。彼が左右を向くと、その瞳にはどこからか不自然に黒い光が差し込むようだった。その瞳はどことなく物憂げで、僕の心に空いた穴に、するりと絡みつき、入り込んでくる様だった。
その男は僕のように心の弱ったヒトを助ける活動をしているという。なんとも胡散臭いと思いながらも、どこか縋る道を探していた僕は、気づけばその男の話に耳を傾けていた。
男のもとには何人ものヒトがいるらしい。彼らは男に貸し与えられた家で生活を送り、男の扶助を受けながら、それぞれに新たな暮らしを持つのだと。男は自分も全てを失っているからお前の気持ちはよくわかると言った。そこで暮らせばいつかその傷も癒えるだろう、そう男は話を続けた。
男について行けば収容所からも出られるというわけだ。特段、収容所から解放されたいという気持ちもなかったが、だからといってこの先、死ぬこともなく何十年、何百年とこの鎖に縛り付けられているよりはいいだろう。
僕はこの男の話に乗ることにした。収容所を出て行こうとする僕を、看守は止めもしなかった。十年もの間、何も抵抗することなく、能力を発揮する素振りも見せず、ただ息をするだけで死んだも同然だった僕に、彼らもそれなりに手を焼いていたらしい。
全てのものは館に揃っているから何も持っていく必要はないと男は言った。そう言われても僕の手元には身一つだけで、何も残っていなかった———。
収容所を出る日、長らく僕に尋問を続けていたある一人の看守が見送りに来た。彼はあの日、僕が人間として最後の時間を過ごした日、この収容所まで運んでくれた者だ。
相変わらず無表情の彼が何を思って見送りに来たのかはわからない。特別言葉を交わすこともなく、僕は男に続いて収容所を後にした。
男は僕を車で迎えに来ていた。黒く丁寧に磨かれたその車は、男の時代遅れのテールコートをより立派に際立たせた。左右に付けられた丸いヘッドランプは上下二灯ずつ並び、夜道を丁寧に照らした。真夏の夜の町を走り抜ける車の中は、暑苦しい熱気が溜まっていた。
僕はただじっと夜の道を見つめていた。数少ない街灯が、両脇を囲む景色が、向かう先が大きな街ではないことを物語っていた。道中、男は一度も口を開かなかった。僕も同様に。
車内には轟々と叫ぶ、エンジン音だけが響き渡っていた。
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