顔のない探偵① 帰って来た女
まさきひろ
1
コンクリートの打ちっぱなしの飾りのない白壁にブラインドの影が横縞模様を描いていた。
「はじめまして、
と僕のボス、いや、もとい、若月さん(「ボス」とか「所長」とか呼んでくれるな、若月さんと「さん」付けで呼んでくれという本人の要望に従い)に挨拶された依頼人は若月さんを見てぎょっと驚いた顔をした。まあ、無理もない。スーツ姿の若月さんがかぶっていた仮面のせいだ。顔全体をすっぽり覆う、スマイル・フェイスの黄金仮面。若月さんは他にもいろんなマスクを持っていて、僕が知っているだけでも、綺羅びやかなヴェネチアン・マスク(数種)、コメディア・デラルテやイギリス仮面劇で使われるマスク(数種)、あるいはアノニマスがシンボルに使っているガイ・フォークス・マスクなどを気分によって付け替えている。(日本の能面や天狗のお面、おかめ・ひょっとこもあるのかも知れないが、僕はまだ見たことがない)。
「で、どんな依頼でしょう?」
若月さんに促されて、依頼人――
「数日前のことです。私の家に見も知らぬ若い女がやってきたんです。私は病院で、家にはいなかったんですが、妻が呼び鈴が鳴ったのに気づいて玄関を開けましたら、その女が無断で家の中に押し入ってきた。もちろん、妻は女を外に追い出そうとしたんですが、女はそれを振り切って、まるで勝手知ったる他人の家という様子で、ずんずんと家の中に入っていく。私の家は二世帯住宅で、一階を私達夫婦、二階を父と伯母が使っているんですが、女は階段を上がって、二階の、それも父の寝室に入った。台所で夕食の準備をしていた伯母が、妻の叫び声を聞いて寝室に駆けつけると、女は伯母の顔を見て、言ったんです。姉さん、と。伯母が驚いたのは、その女の顔が伯母の妹――つまり私の母、父の妻でもあるんですが――にそっくりだったことです。さらに女は、伯母の顔をじっと見て、約束通り帰って来たわ、と言って、失神しました。私は妻から電話でそのことを知らされて、急いで自宅に戻りました。私が着いた時にはもう女の意識は戻っていて、名前を尋ねると、
「ふむふむ」と若月さんは肯いた。笑った顔の仮面のせいか、話を愉しんでいるように見える。「あなたが電話を受けて自宅に戻られるまでどのくらい時間がかかりましたか?」
「正確な時間はわかりませんが、5分か10分の間だと思います」
「それで意識が回復していた」
「おかしいことではありません。失神というのは、通常8〜10秒、長くて1〜2分くらいですから」
「逆に、それ以上長く昏睡していたら演技だった可能性もあったわけですね」
「はい」山茶花隆道はストレートのダージリンで喉を潤わせてから、また話しだした。「念の為、私の車で病院まで運び、検査しました。私どもの病院は精神科・心療内科が専門でして、心電図、脳波、頭部CT、頭部MRIを検査しましたが、どこも異常はなさそうでした。警察に届けようと思ったんですが、事務長から止められました。あまり警察沙汰にしたくない、というのですね。父も、とりあえず女性の話を聞いてから、というので、私もそれに同意しました。
ヒアリングは私と父とで行いました。あ、父は山茶花
最初に、どうして私の家に来たのか、真倉弓子に尋ねましたら、知らない、と答えました。家にやってきたことも、父の寝室に押し入ったことも、伯母に、帰って来た、と言ったことも、いっさい覚えてない、と。
じゃあいつから記憶がなくなったか尋ねますと、台場山の展望台で町を見下ろした直後からだと答えました。台場山といいますのは、私どもの病院から歩いて15分くらいのところにある山でして、戦時中、敵戦艦が東京湾に攻め入った時に大砲で迎え撃つための砦の跡に作られた公園です。真倉弓子は先週、テレビの旅番組でたまたま、その展望台からの景色を見て、懐かしい感じがして、展望台にやってきたのだそうですが、急に、ふら〜と、体が落ちていくような感じがして、それから意識がなくなった、と。
話を聞いていて、隣にいた父が顔を強張らせたのがわかりました。
というのも、その展望台は私の母、父にとっては最愛の妻が死んだ場所でもあるのです。転落死で」
「ほほお」若月さんの声はマスクのせいでくぐもって獣のうなり声のように聞こえた。
山茶花隆道は探るような目で若月さんに訊いた。「若月さんは生まれ変わりを信じられますか?」
「まさか」若月さんは間髪入れず即答して、「あなたは信じられるんですか?」と逆に山茶花隆道に訊き返した。
「私も信じません」
「お父様は?」
「父も……」と言いかけて、ちょっと間を置いて、「直接父に訊いたわけではないですが、信じてないと思います。少なくとも、信じたりしたら精神科医は務まりません」
「ごもっとも」と若月さんは首を大きく縦に振った。「で、それから真倉弓子は? 退院してそれっきりですか?」
「いえ、まだ病院に入院中です」
「入院中? 入院ってお金がかかりますよね?」
「はい」
「入院費は真倉弓子本人が払うんですか?」
「だと思います」
「ふうむ」若月さんは腕を組んで、天井を見上げると、左の二の腕の上を右手の人差し指と中指でタップしだした。若月さんの頭の中で流れているのはJ・S・バッハだろうか、それともショパンだろうか。演奏が終わるのを待ちきれずに、山茶花隆道が言った。
「何の目的があるのかはわかりませんが、真倉弓子は誰かから頼まれて生まれ変わりのふりをしてるんだと思うんです」山茶花隆道はきっぱりと言い切った。「その誰かをつきとめていただきたい」
「その前にいくつか質問をしていいですか?」
「はい」
「真倉弓子はあなたの伯母さんに、約束通り帰って来たわ、と言ったんですね。約束って何のことですか?」
「それは……」山茶花隆道は言いづらそうに、「実は、母はオカルトに凝っていたらしいんです。それで、死んでも生まれ変わって帰って来ると周囲に言っていたとか」
「あなたはその周囲には含まれますか?」
「いえ、僕はまだ小さかったですから。母が亡くなった時は小学校に入ったばかりで、まだ6歳でした。だから、母が私にそういうことを言っていたとしても、私は覚えていません」
「具体的に、そのことを知っているのは誰ですか?」
「伯母の
「あなたの奥さんは?」
「
若月さんは深く肯いて、「わかりました。ご依頼お引き受けいたします」
「ありがとうございます」と山茶花隆道はテーブルに手をついて頭を下げた。「よろしければ私の家に客として来ていただきたい。友人ということにしてして」
「せっかくのご招待ですが、ぼくはこんな顔ですから、皆さんに怪しまれることでしょう。ですので、助手の
僕は依頼人を不安がらせえないよう、つとめて明るくはきはきと答えた。「お任せ下さい」
(つづく)
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