僕の師匠は②


 黒の厄災は、シークベルタ国を建国当時から悩ませ続けていた。

 いつからかどこからともなく出現したどす黒い光の塊は、時間の経過とともに大きくなり、国に様々な災いをもたらし続けた。

 黒の厄災自体は光の塊だ。人々を直接的に悩ませたのは、光の塊の中から現れる魔物と呼ばれる存在だった。

 魔物の討伐は、魔女や魔法使い、傭兵たちが行っていた。しかし、年々魔物の凶悪さは増していく一方で、戦えるものは一人、また一人と減っていく。


 僕が生まれた頃には、元々少数一族であった魔女・魔法使いは20に満たないほどまで減少していたらしい。

 そんな中、歴代最強の魔力を持つ国一番の魔女に期待がかかるのは、無理もないことだろう。



 そうして、運命の日は突然にやってきたのである。

 夕暮れ時、僕は師匠といつものように夕飯の支度をしていた。

 しかし、突如耳をつんざくような悲鳴が聞こえてきたのだ。

 

「きゃあああ!」


 外からの悲鳴に、僕と師匠は顔を見合わせる。

 そろそろと玄関の扉を開けて様子を伺うと、近くの民家に火がつき、人々が逃げ出している姿があった。

 燃える民家の上には、竜のような姿をした魔物が口から火を放ちながら暴れ回っている。


「おい、お前たちも逃げろ! 直ぐに火が回っちまう!」


 走っていく村人の一人が、僕たちに気づいたのか、こちらに向かって叫んだ。


「何があったの!?」


「上を見ろ! あいつのせいだ!」

 

 遠のいていくその姿に師匠が慌てて尋ねると、村人はもう一度だけ振り返ってそう一言だけ教えてくれた。

 その言葉通り、僕も師匠も民家の上へと視線を向ける。

 そこにあったのは、赤く燃える夕焼け空を背景にゆらゆらと飛んでいる黒い光の塊――黒の厄災の姿だった。


「エミル、自分の身は自分で守れるわね?」


「は、はい」


「ここにいてちょうだい」


 師匠は僕の頭をポンポンと撫でると、燃え盛る家々に向かって風のような早さで駆けていった。


 

「このままだとらちが明かないわね……」

 

 数分で竜を倒して戻ってきた師匠は、僕の体を抱きしめながら、深く息を吐き出した。

 というのも、次から次へと凶悪な魔物が現れるのだ。

 村にはあっという間に火の手が回り、僕たちの家も含めてみな焼け落ちてしまった。

 あたりはまるで、火の海のような状態だ。


 その時、僕たちの元へ一匹の小さなコウモリが飛んできた。

 魔法で作ったコウモリだ。

 魔女や魔法使いが使う伝達網の一つだと、師匠から教えてもらったことがあった。


 師匠は手のひらの上で浮遊するコウモリの囁きにしばらく耳を傾けていたが、やがてぐっとコウモリをにぎり潰した。コウモリが、光となって霧散する。

 

「……エミル。他の町でも同様の被害が出ているそうよ。この伝達をくれた人も、他の魔女も魔物と戦って、もう……」


「そんな……」


 ――もうほかの魔女はいないのか。

 

 悔しそうな師匠の様子に、僕は言外の言葉を察してしまった。


「……私が、倒してくるわ。エミルはいい子で待っていて」

 

 師匠の呟きに、僕はハッとする。

 見上げれば、師匠は強い瞳で上空に浮かぶ黒の厄災を見据えていた。


「リラ師匠……行かないでください」


 師匠は僕から体を離し、向こうに歩いていこうとする。

 僕は師匠の服の裾を掴んで引き止めた。

 目の縁に涙が溜まっていることが、自分でもわかる。けれど、決してこぼすまいと僕は唇を引き結んだ。


「……ごめんね、エミル。行かないといけないの。あの黒の厄災やくさいを止められるのは私しかいないでしょ?」


 そう言って苦笑しながら振り返った師匠はいつも通りだった。

 そこに悲壮感はない。まるで、覚悟などとうの昔にしていたかのようだ。

 

「わかって、います……」


 分かっている。黒の厄災は自分がいつか必ず倒さなくてはならないのだと、そのために魔法を磨いているのだと、師匠がたまに語ってくれていたから。


 それでも、その日が突然来るなんて思ってもいなかったのだ。


「でも、師匠が死ぬのは嫌だ……!」

 

 ――あんなものと戦ったら、師匠でも死んでしまう……!

 

 僕はまっすぐに師匠を見つめた。

 大好きな人が死ぬかもしれないと思うと耐えきれなかった。

 堪えていたはずの涙が、僕の頬を伝って落ちていく。


 どうして僕は、無力な子どもなんだろう。

 どうして僕は、大事な人を守れないんだろう。

 

「エミル……。大丈夫よ、帰ってくるから」


 師匠はそっと手を伸ばして、優しく僕の頭にふれた。

 師匠が戻ってこられる保証がないことなど、僕にも分かっている。それでも、師匠の言葉を信じたかった。


 


 師匠が出ていったあと、僕は村の片隅に隠れてずっと泣いていた。

 遠くの空の上で師匠が戦っているのが、放たれている魔力からわかる。僕は見ているのが怖くて、膝を抱えてうずくまっていた。


「師匠……?」


 何か、変だ。僕は顔を上げた。

 今まで張り詰めた糸のような鋭い魔力を感じていたのに、それがふっと途切れたのを感じる。


 ――黒の厄災が消えた?


 見上げれば、上空にいたはずの黒の厄災がいなくなっている。村にいたはずの魔物も。


 ――もしかして、師匠が勝ったのか?


 しかし、それにしては師匠の魔力を感じられない。

 なんだか胸騒ぎがする。


 ――……師匠を探さないと。

 

 そうして森や村の中を探しまわり、ようやく見つけた師匠は、死人のように美しく眠っていたのである。

 



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