第6話


その日のうちに俺はアパートの二階から四階までの全ての部屋の鍵が空いていないかを調べ終えた。


流石に道路と繋がっている一階に降りる勇気はなかった。


二階から四階までのフロアにゾンビは一体もいなかった。


残念ながら全ての部屋の鍵は閉まっており、侵入は難しそうだという結論になった。


人の気配のある部屋もいくつかあったのだが、郵便受け口から中を覗いて確認すると、ことごとくゾンビだった。


俺のようにウイルスを克服した生存者はいないようだった。



ぐぅぅう…



「腹減ったなぁ…さて、どうするか…」



再び自分の部屋へと戻ってきた俺は、作戦を練り直す。


このアパートのどの部屋にも正面玄関から侵入することは出来ないことが確認できた。


つまりゾンビに襲われるリスクを回避して手近なところから食料を調達する希望は断たれたわけだ。


保存食はもう完全にそこを突き、水も残りわずか。


やはり危険を冒してでもアパートの外へ出て食料を探す以外にないのか。



「…」


ふと俺は顔を上げてベランダの方を見た。


一応、他の部屋に侵入する手段がないわけではない。


隣の部屋のベランダに飛び移り、そこから中へ侵入する。


このアパートの構造上、そういう方法は可能である。


だがこの方法には大きな問題がある。


隣の部屋にはゾンビ化したあの女がいるのだ。


隣の部屋に飛び移って侵入しようとすれば、確実に襲ってくるだろう。



「どうする…」



俺は頭を悩ませる。


リスクを覚悟してアパートの外に出るか、それとも確実にゾンビが一体いる隣の部屋のベランダに侵入するか。


隣の部屋に侵入を試みれば、確実にゾンビに襲われる。


だが、数は一体。


動きも緩慢なので、頑張れば倒せるかも知れない。


けれど外に出れば、もっとたくさんのゾンビに襲われる可能性がある。


いくらゾンビの動きが緩慢だからといって集団に囲まれたらなすすべがない。



「やるしかないか」



悩んだ挙句、俺は隣の部屋のベランダに侵入する選択肢を選んだ。


アパートの外に迂闊に出るよりもその方がまだ生き延びる可能性が高いと思った。



「…っ」


隣の部屋にベランダから侵入すると決めた俺は、早速行動に移すことにした。


ゾンビと一戦交えるのなら、視界が確保できている昼間のうちに済ませてしまいたかった。


俺は恐る恐るベランダに出て、隣の部屋のベランダを確認する。


ゾンビの女はそこにはいなかった。


中にいるのだろうか。



ウゥウウウウ…

ウボォオオオオオ…



俺は眼下に数体のゾンビを見ながら、落ちないようにベランダとベランダの小さな隙間を飛び越えた。


なんとか最小限の音で、隣のベランダに着地することができた。


金属バットを持って、隣の部屋の中をみる。


ベランダと部屋を仕切るガラス戸は空いていた。


恐る恐る部屋の中を覗く。


構造は俺の部屋とほとんど変わらない。


「…っ」


ゾンビはそう苦労せずすぐに見つけることができた。


リビングの向こう側……キッチンのところで、虚空を見つめながらゆらゆらと揺れている。


まだ俺には気づいていないようである。


俺は金属バットを構え、足音を殺してそろりそろりと近づいた。


緊張し、鼓動が早まる。


数メートルという距離に近づいても、ゾンビはこちらを向こうともせずにゆらゆらと揺れているだけだ。


いきなり襲い掛かられるんじゃいかという恐怖に付き纏われながら、なんとか距離を詰めた俺は、バットを握り締め、一気に襲いかかる。



「う、うわぁあああああ」



声なんて出すつもりはなかったのに気づいたら出ていた。


たったまま揺れているだけのゾンビに殴りかかり、バットを思いっきり振りかぶる。


バキッ


俺の降ったバットが、ゾンビ女の肩に命中して何かが折れた音がなった。


頭を狙ったつもりなのに狙いが逸れてしまった。


反撃されると思い、腰が引けてしまう。


なんとかバットを構え直し、もう一度振り下ろそうとしたところで、俺ははたと動きを止めた。



おかしい。


ゾンビ女はこちらを向こうともしない。


金属バットで思いきり殴ったにも関わらず、全く俺に興味を示さなかった。



「なんで襲ってこないんだ…?」


俺の疑問の声が、部屋の空気に溶けて消えていく。


ゾンビ女は、虚な瞳で虚空を見つめ、ゆらゆらと揺れているだけだった。

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