Ⅴ 狩人の悪魔

「時間がないからいろいろすっ飛ばしていくよ? ……出現せよ! 炎の被造物たちよ! さもなくば汝らは永遠に呪われ、罵られ、責め苛まれん! ソロモン王が七十二柱の悪魔の一柱! 序列八番・力天使の公爵バルバトス!」


 そうこうして仲間達が奮戦する傍ら、〝ソロモン王の魔法円〟の中心に立ったマルクは、悪魔召喚の魔術儀式を粛々と進めてゆく……本来は暗くて静かな場所で行うべきところではあるが、今は急を要しているので〝ハープーヌ・カノン〟の置かれた甲板上である。


 また、正式には魔法杖ワンドと〝通常の召喚しゅ〟で丁寧に始めるところ、はなから最強に強力な〝炎の召喚呪〟と短剣ダガーでいきなり脅すというかなり強引なやり方だ。下手すれば悪魔が現れないばかりか、怒りすら買いかねない非常識な危険行為である。


「出現せよ! 炎の被造物たちよ! さもなくば汝らは永遠に呪われ、罵られ、責め苛まれん!」


 それでも構うことなく〝炎の召喚呪〟を唱えながら、柄に半円形のナックルガードが付いた短剣ダガーでマルクは空中を何度も斬りつける。


「出現せよ! 炎の被造物たちよ! さもなくば汝らは永遠に呪われ…」


 そうして呪文を三回ほど唱えた時、不意に周囲が暗くなったかと思うと、俄かにかき曇った空の下にプゥアァァァー…! とトランペットの音が甲高く鳴り響いた。


 そして、魔法円の前方にある〝深緑の円を内包する三角形〟の上へ、狩人らしき恰好をした蒼白い髭面の男が、ラッパを咥えた四人の王と共に半透明の姿を現す。


「どんなもぐり・・・のバカかと思ったら貴様かマルク・デ・スファラニア! トウシロウでもあるまいに、いきなり刃物と炎の呪で呼び出すやつがあるか!」


 真紅の房の付いた緑色のチロル帽を被り、その身に灰色のマントを纏って手に猟銃を携えたその狩人──悪魔バルバトスは開口一番、マルクに向かって激しく怒鳴りつける。


「ごめん。マナー違反は謝るよ。でも、そんな悠長なことやってる余裕なかったんでね。その代わりって言っちゃなんだけど、今回は君にも悪い話じゃないと思うよ、バルバトス」


 だが、悪魔の激昂にもどこ吹く風で、マルクは淡々といつもの如く交渉に入る。


「悪い話じゃない? どういうことだ?」


「あれをご覧よ。クラーケンだ。これからクラーケン狩りをやるんでね。せっかくだから君も狩りにお誘いしようかと思って。どうだい?なかなかの大物だろ?」


 予想外のその言葉に、怪訝そうに眉をひそめて悪魔がしわがれ声で尋ねると、海上に浮かぶその小島──否、クラーケンの頭を指し示しながらマルクはそう答える。


「ほう……クラーケンか。確かに悪くない獲物だ。で、俺は何をすればいい?」


 すると、非礼に対する怒りも忘れ、むしろ乗り気にバルバトスはマルクの話を聞こうとしてくる。


 それは、狩人である力天使の公爵バルバトスの趣味趣向を上手いこと突いた、ベテラン魔術師マルクならではの作戦であった……バルバトスにとって珍しい極上の獲物は、人の魂以上に価値のあるものなのだ。


「この銛に力を込めて、クラーケンの急所を刺し貫けるようにしてもらいたい。こいつはうちの錬金術師が造った新兵器でね。火薬で銛を撃ち出せるんだ。こいつもなかなかイカしてるだろう? 使ってみたくはないかい?」


「ああ、ますます悪くない……よし。ならば法に則り、正式にそれを望むがよい」


 さらに駄目押しとばかりに前衛的な狩猟道具まで見せびらかすと、対価の魂を求めるのも忘れて、さらにノリノリに悪魔の方から願望を述べるようマルクに要求してくる。


「そうこなくっちゃ。じゃ、いくよ…… 霊よ、偉大な神の徳と知恵と慈愛によって、我は汝に命ずる! 力天使の公爵バルバトス! この銛に汝の力を宿し、クラーケンの急所を一撃のもとに貫きたまえ!」


 その要請に応え、俄かに威儀を正すと厳かな声で、マルクは改めて悪魔バルバトスにその願いを命じる。


「承知した……さあ、我が力と共に撃ち出すがよい」


 すると、悪魔はそう言い残してどこへともなく姿を消し、ハープーヌ・カノンの砲口に込められた矢のような銛は、ぼんやりと緑色の光を纏って薄らと輝き出す。


「よし! マリアンネ、準備OKだ! いつでも撃てるよ?」


「……あ、もうできたんだね。了解だよ! それじゃあ派手に一発、最後の仕上げと参りましょうか……」


 準備万端。悪魔の力による強化が整うと、マルクはマリアンネに合図を送り、彼女も水雷を握った手を止めて自慢の新兵器の方へと小走りに急ぐ。


「目標、クラーケン胴体部……ハープーヌ・カノン、発射ぁっ!」


 そして、砲身に付けられた照準器で素早く狙いを定めると、遠方に浮かぶ海坊主めがけて火口に立てた羽根に火を放った。


 瞬間、ドォォォーン…! と轟音が響き渡るとともに、爆発的な速度で発射された銛は真っ直ぐクラーケンへと向かってゆく……かに思われたのだが、なんとも不可思議なことがそこで起こった。


 そのままなら丸い頭のド真ん中へ見事、突き刺さっていたところ、なぜかギュゥゥゥゥーン…とありえないカーブを描き、その下の無数に棘の生えた口の中へと真っ正面から突っ込んでいったのだ。


「キィィィィィィィィィーッ…!」


 刹那の後、銛が小山並の巨体を縦方向へ突き抜けると、クラーケンは断末魔の奇声を海上に轟かせ、だらんと触手も脱力してゆっくりと水中へ沈み始める……。


 無論、不自然に軌道が変ったのはバルバトスの力である。クラーケンはイカやタコ同様、体内に三つの心臓を持っているのだが、メインの体心臓をやられれば、たとえ補助のエラ心臓が無事だったとしてもさすがに命はない……そこで、狩人の悪魔は銛の軌道を微調整し、身体の中心部にある体心臓へと放たれた火矢を導いたのだ。


「よーし! 着弾だよ! 我、敵撃沈を確認せり!」


 自身の発明品でクラーケンを仕留めたマリアンネは、背後に佇む半透明のバルバトスとともにドヤ顔でガッツポーズをとる。


「うん。みんな、ご苦労さま。これにて一件落着だ」


 一方、マルクも沈みゆくクラーケンを眺めながら、満足げに労いの言葉を仲間達にかけた──。

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