第3話
雨の日は、吉良は決して外に出ようとしなかった。彼曰く、雨の中などにいると魔力が増大しすぎて、身の丈に合わぬ行いをしてしまう可能性が大きくなってしまうのだそうだ。彼の魔力でできることは、ミズノイノチという、その名の通り水でできた生き物を生み出すことだった。一度ひまわりをミズノイノチに変えてくれと頼んだことがあった。しかし、それをしてくれることはなかった。既に形あるものの命を水に移すことはできないのだそうだ。私はよくわからないが、吉良の魔力は何でも作れるということではなく、さまざまな規定があるらしい。その規定に沿う範囲で、吉良はさまざまなミズノイノチを私に見せてくれた。晴れの日はひまわりの観察をして、雨の日はミズノイノチと遊ぶ。
しかし、そんな楽しい日々は突然に幕を閉じた。
改札をくぐると、いつも通りに一番線のホームに向かうべく、階段を上がっていった。そのとき、私の傘からぽたりと落ちた雫が…小さなネコになった。何で。息が詰まりそうになるのを感じながらその小さなネコを見つめた。
「俺を、この上に連れて行って。早く落ちすぎてしまったんだ」
懇願されるがまま、私は手を差し出していた。何で七年も経って、今更ミズノイノチが現れるの。何で突然吉良はいなくなってしまったの。何で吉良は私に何も告げずに博物館に来なくなってしまったの。聞きたいことは山ほどあったけれど、どれも口にすることはできなかった。聞いてしまったら、七年の時を越えて現れたこの小さなつながりさえも消えてしまいそうで。
「着いたよ」
小声でネコに告げる。ホームには、平日の午後らしい寂しく感じない程度の人がいた。私の手のひらにちょこんと座るネコに気づいている者はまだいない。ネコはひげをぴんと伸ばして、空を見上げた。
「俺は、自分のわがままのせいでたくさんの者を傷つけた。その中に、あなたも入るんだよ、優しい人間のお人よ」
「…どういう意味」
聞き方が恐る恐るになってしまったのは、相手がミズノイノチであったからであろう。私がミズノイノチから傷つけられたこととして心当たりがあるとすれば、それは吉良のことでしかなかった。
いつも通りの朝。いや、その日は観測史上最大の台風が上陸すると、朝のニュースで騒がれていた。危ないからと止める母をなんとか振り切り、博物館への道を急いだ。木が大きくかしぐのと比例するように、私は浮き足だっていた。こんなにすごい雨が降っているのなら、今日はいつもより強力な吉良の魔法が見られるかもしれない。でも、博物館に着くと、その気持ちはしぼんでいった。いつでも私より先に来ていた吉良が、どこにもいなかった。台風のせいで遅れているのかもしれないと、ずっと待ってみたけれど、いつまで経っても吉良は現れず、なぜか母が来た。
「何でこんな時間まで帰ってこないの!心配したじゃない」
言われて初めて知った。外はもう、真っ暗だった。
「ちとせ、お昼ご飯はどこで食べたの」
「…食べてない」
それなのに、不思議とお腹はすいていなかった。
それから毎日、いつか吉良が来るかもしれないと博物館に通い続けたけれど、一度も会えることはなかった。陽だまりの中、ひたすらひまわりを見つめていた吉良の姿が、まぶたの奥に焼きついて離れない。そうこうしているうちに夏休みは終わりを迎え、学校が始まり、博物館に行けなくなってしまった。冬休みは博物館に行こう。そう心に決めて日常を頑張ることにしたのに、私が冬休みを迎える前にあの博物館は取り壊された。大人の事情というものらしかったが、当時の私には何故吉良との思い出の場所が破壊されなくてはならないのか理解することはできなくて、ひたすら泣きっぱなしの冬休みだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます