第2話いつもの訓練
「先生!ハンス先生!おはようございまぁす!エルウィン来ました!」
朝早くから子供の元気な声が家の中にまで響き渡る。少し間をおいて階段を下る足音が聞こえたかと思うと、ヨレヨレのシャツの袖から出たとは思えない程に逞しい腕が、無精髭の顎をボリボリと掻き、大きなあくびをしながら、やれやれといった様子で玄関扉を開けて顔を出す。40前後の壮齢の男性であるが、少し長めの髪は、さも今起きましたと言わんばかりの寝癖がついている。
「あぁー・・・エルウィン、まだ早くないかい?俺は朝飯もまだなんだが・・・?」
ハンス先生と呼ばれた男性とは裏腹に満天の笑顔のエルウィン。
「先生は僕が時間通りに来てもいつも寝てるよ!今日もよろしくお願いします!」
図星を突かれて一瞬天を仰ぐも何かに気付いたようにエルウィンの腰に視線を送る。
「お?新しい木剣だな?黒塗りか?かっこよさに引かれて買ったんじゃないだろうな?ちょっと貸してみろ」
エルウィンの返事を聞く前に腰の木剣に手を伸ばすとそのまま抜き取り片手で構えて切先きっさきから順に目をやる。先ほどまでの眠気眼はどこにいったか、真剣な眼差しだ。
「少し長い、か?俺とのリーチ差による間合いが遠いんでその分は長さでカバーしようなんてガキらしい安易な発想。だが・・・長くはなってるが、よく乾かした木材が使用されてるのか、重さはあまり前と変わらねぇ感じがするな。これならスピードもそんなに死なねぇし、よく考えてるじゃねーか。」
そう言い終わるとエルウィンの腰に木剣を差し直す。
「30分で支度をしてくる。俺が来るまでにしっかり体を温めておけよ。」
「はいっ!」
大きな返事とともに早速エルウィンはハンスの家の裏手に広がる、少しばかり整地された訓練場とは名ばかりのいつもの庭の外周を走りに向かう。
その姿を見送ったハンスはたった今出てきた玄関の中へ踵を返していった。
ハンスが見ていなくとも決して手を抜くことはない。師の言い付けはきっちり守るエルウィン。サボる事など念頭に一切ない。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・」
何周か走り軽く息が切れてきたところでペースを落としゆっくりと流す。そのまま少し息を整えると首から順に柔軟運動へ移っていき、身体が温まり本格的な運動の準備が完了したところで木剣を使った縦斬り、横斬り、突きなどの素振りをこなすのがいつものルーティーンである。
そうして額に汗が浮いてきた頃に身嗜みを整えたハンスがやってくるのだ。最初に顔を見せた時のだらしなさは、この30分程の間にすっかり消えて雄々しい雰囲気へと変わっている。
「しっかり温まってるな?今日はどうするかな・・・せっかくエルウィンも新しい木剣も用意してきたんだ。軽く手合わせでもするか?」
その言葉にエルウィンは興奮する。
「いいんですかぁ!やった!今日こそ先生に一発入れられるように頑張りますっ!」
「ふんっ、やれるもんならな。」
ニヤリと一瞬だけ口角をあげたかと思うとゆったりとした大きなバックステップにて距離をとるハンス。
「いつでもいいぜ、かかってこい。」
エルウィンもスイッチを切り替え木剣を少し斜に顔の前に構えた。
「いきますっ!」
言い終わると同時にとても子供とは思えない脚力で地面を蹴り出した。後ろに大きく舞った土埃はその力強さの証明だ。大抵の大人では目にも留まらぬ速さで二人の間の距離を一瞬にして詰め、そのまま木剣を縦に振り下ろす。ハンスの体がそれにピクリと反応した所でエルウィンは振り下ろした腕を止めて、サイドにステップを踏んだ勢いそのままに横斬りを繰り出す。が、しかしそれを読んで刀身部分を下に向け、縦に構えた状態でその横斬りを軽く防ぎ、体重差を利用してエルウィンの身体を押し返すハンス。
「縦斬りをフェイントか。だが殺気が込められてないお前の剣じゃバレバレでフェイントの意味がないぞ」
押し返されて少し体勢を崩したものの、ハンスのアドバイスの合間にすぐに立て直す。
それを待ってか今度はハンスが木剣を脇に構えたままにエルウィンに迫る。
(横から!間に合うかっ!?)
鋭いハンスの眼光が自分の胴をほんの一瞬捉えるかのように見えたエルウィンが、ハンスの横斬りに備えようと構えた瞬間の出来事である。ヒヤリとした汗が頬を伝いそのまま流れていった先の喉元には、しっかりとハンスの木剣の切先が届いている。
「あ・・・なんで・・・たしかに僕の胴に向かって横から入ってきたと思ったのに」
剣の軌道が予測とは全く違う所から出てきたせいか、状況がうまく掴めないエルウィン。
ゴクリと唾を飲み込む音が自身の体に響き渡ったかのように感じる。
「これが本当のフェイントってやつだ。
お前には俺が一瞬胴斬りを放ったように見えたはずだ。だが実際の俺はそのまま真っ直ぐにお前の喉を突きにいった。相手に本物の攻撃と思わせて読み間違いを引き起こす、これこそが本来のフェイントなのさ。端からフェイント入れてやろうなんて魂胆で振った剣ではだめだ。実際にそのまま斬ってやるつもりで振った先にこそ相手を惑わせる殺気がある。もう一回だ、来い。」
普段から自他共に認めるだらしない大人の筆頭とも言えるハンスだが、剣の腕は確かで元は統一騎士団の中でも上位の剣術の腕前を買われて分隊長を任されていた程の男である。が、生来からの性格が災いしてかそれ以上の昇格は望めず燻っていた所で最後は折り合いの悪い組織上部と揉め事を起こした事をきっかけに自らそのキャリアに終止符をうち、今現在は周辺エリアの子供向けに剣術訓練で生計を立てている。保護者からの評判はそれ程良くはないものの、子供達からは慕われており、また、教え子達の確かな成長も見てとれるため人間性以外を見習ってほしいとの一定の評価はある。
エルウィンからしても、ハンスに一太刀を入れる事を当面の目標にしており、これまでに木剣を何度も買い換える程に研鑽をつみ、挑み続けてはいるが、未だにかする事さえ出来ずにいた。とは言えまだまだ10才の子供であるエルウィンの体格は、大人のハンスのそれとはもちろん比較にならないが、現時点でもエルウィンは同年代の子はおろか、生半可な大人では太刀打ちできない程の腕前に達していた。このまま成長を続ければ自分を超える力を必ず身に付けるだろうとハンスは考えていた。だからこそ、その力を誤った方向へ向けないように導いてやる事こそ今の自身の使命であるとさえ思っている。そんな二人の間には確かに師弟の絆があった。
その後も何度も挑み続けるエルウィンであったが、攻略の糸口さえ掴めない。実戦経験がなく、子供であるエルウィンには、なかなか本物の殺気というものが理解できないのは仕方のない事である。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・先生!もう一本お願いします!」
再度ハンスに飛び込もうと身構えた時、家の裏手に子供が二人入ってきた。
「あぁー!やっぱり抜け駆けしてるよエルの奴!せんせーい!ズルいぞエルばっかり贔屓してぇ!」
「コーネルが遅かったせいじゃないですか。だから少し早めに行きましょうって言ったのに。エルにどんどん置いていかれますよ?」
声の主はいつも二人一緒に行動しているコーネルとホルガーの仲良しコンビである。
エルウィンとは一緒にハンスの指導を受けている仲間であり、三人は同い年でもある。
二人は、はっきりとした目標を掲げての訓練ではないため、モチベーション腕前共に、エルウィンと比べて決して高くはないものの、剣術訓練には真面目に取り組んでおり、体格の良いコーネルは大雑把な太刀筋が多いが、持ち前の力を活かした高い攻撃力を有する一撃が魅力で、一方のホルガーは頭が切れ、教科書通りの丁寧な攻撃を軸に戦闘をしっかり組み立て理詰めでじわりじわりと相手を追い詰めていくタイプで、手を組めばなかなか厄介なコンビである。
「エル、共闘してやってみようぜ!三人でかかればさすがに先生にも一発や二発は入れられるんじゃないか?」
悪そうな笑みを浮かべながらコーネルがハンスを見る。そこにホルガーも便乗する。
「ハンス先生、さすがに僕たち三人相手では分が悪いのでは?もちろん一対一がよければそれでも構いませんよ?」
挑発も兼ねたホルガーの発言に一瞬眉間に皺を寄せ、青筋を立てそうになるが、あくまで余裕ある大人を演じるハンス。
「フンッ。生意気なガキどもだ。いいぜ、三人まとめてかかってこいよ。余裕で返り討ちにしてやるよ」
三人ともやる気である。が、エルウィンはあまり乗り気ではないのが表情で見て取れる。
しばらく考え込むような素振りを見せた後に口を開く。
「ごめんコーネル、ホルガー。僕は一人で先生に勝たなきゃ意味がないんだ・・・。自分の掲げた目標だからね。三人でもし、勝てたとしてもきっと素直に喜べないと思うから・・・だから、ごめん。」
ハンスはエルウィンの言葉を聞いて、唯一の大人である自分が教え子達の見え透いた挑発に乗ってしまった事を恥ずかしく思い、少し気まずそうな表情を浮かべる。
だがコーネルとホルガーはそんなハンスとは逆にお互いの顔を見合うと、吹き出してしまった。
「ハッハッハ、エルならそう言うと思ってたよ。先生は俺達が疲れさせてやるから少し休んでろよ。そんな疲れた状態じゃいくらやっても先生に一撃入れるなんて出来ねーだろ?」
「フッフ。そうですよエル。相手万全の状態を作らせない事は初歩中の初歩ですからね。ハンス先生、というわけで僕とコーネルの二人でエルの勝利のお膳立てをさせてもらいますね。」
「フン。俺が疲れていようがいまいがお前らの勝率が0なのは変わらねーけどな。まぁ1%でもそれを高められるように訓練は欠かさねーこった。エルウィンは少し休んでろ。今度はこいつらに稽古つけてやるからよ。」
「はい!先生!コーネル、ホルガー!頑張れよ!」
エルウィンはそう言うと木陰に移動し草むらに腰を下ろし、子供ながらに改めて自身の環境が恵まれている事を実感していた。
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