第10話

翌日、私は重い足取りで会社に向かった。頭の中は昨日の出来事でいっぱいだ。何とか仕事に集中しようと努めたが、上手くいかない。

仕事を終え、「月光堂」に、バイトに向かう。今日は、あまり直接的なアドバイスは避け、ただの詐欺師らしく曖昧なことだけを言おう。どうせ元々詐欺みたいな店主だし。


バイトを始め、何人かを占った。その人達の運命は見えるけど、最初に決めた通り直接的なアドバイスはやめた。やはり適当な解釈はできない。

1時間程した頃、意外な来客がきた。

「占い師さん、この前はありがとうございました」

そう彼は嬉しそうに言う。まさかの橘さん、2度目の襲来だ。


「おっしゃる通り、既に出会っていた人の中に運命の人を見つけました」

私は動揺を隠しながら答える。

「そうですか。良かったですね」

「それで、彼女との今後を占っていただきたいのですが...」

なるほど。この人は騙されるタイプのようだ。典型的な、お人好し?


私の頭に様々な考えが駆け巡る。人の言う事を鵜呑みにするような人と自分は関わってはいけない。きっと私の一言を真に受けてしまうのだから。

「そうですね...」私は慎重に言葉を選ぶ。

「その方は現在色々と悩んでいるようです。多分、今しばらくは無理して近づかない方が良いでしょう。例え運命であっても、行動1つでそれは変わります。嫌われる可能性だってあるのです」


橘は少し困惑した様子だったが、すぐに納得した。

「分かりました。ありがとうございます」

彼が店を出た後、ほっとため息をついた。これで少しは距離を置けるだろう。


しかし、その安堵も長くは続かなかった。バイトが終わった後の帰り道、突然私のスマホが鳴る。画面には「橘さん」の名前。

「え?...」私は、その電話を無視した。彼は人のアドバイスを聞いてないのかしら?


ところが翌日、仕事を終えて会社を出ると、そこに橘さんがさり気なく立っていた。静かに去ろうとすると...

「紡木さん、お疲れ様です」

私は驚きを隠せない、フリをして答える。

「橘さん?どうしてここに?」

「食事でもどうですか?」橘は笑顔で言う。

おいおい、この人、占い師の助言は鵜呑みにするタイプではなかったの?

いや、私が自惚れてたのか。彼の思ってる運命の人って、実は別の人なのかも。


それはそれで恥ずかしいが、私は慌てて言い訳を探す。

「ああ、嬉しいのですが。弟のご飯作らなきゃいけないので...」

「では、喫茶店で一杯だけでも」

強引だ。結局、断る理由が見つからず、私は仕方なく付き合うことにした。


喫茶店に入り、席に着くと、橘さんが真剣な顔で私を見つめた。

「紡木さん、何か悩んでいるんですか?」

その質問に、私は驚いた。

「え?なぜそう思うんですか?」

「実は、占い師さんがそう言っていたんですよ」

彼の言葉に、私はさすがに吹き出してしまった。まさか私の言葉を真に受けるなんて。そして、それを言ってしまうんだ。


「その占い師さん、他には何か言ってたんですか?」

「今は近づかない方がいいって」

「じゃあ、なぜそこは信じないんですか?」私は軽く笑いながら尋ねる。

すると彼はまっすぐ私の目を見て答えた。

「誰に何を言われても、悩んでいる紡木さんを放ってはおけないですよ」

あまりにストレートな言葉に、自分の心臓が大きく跳ねるのを感じた。


「橘さん...」言葉に詰まる。この人は本当に他人を、私を、心配しているのだ。そして本気で運命の人だと思っているのだろう。まあ、そこそこ本当だけど。

その雰囲気に耐えられず冗談っぽく私は言う。

「もしも私も、占い師みたいに人の運命が見られるって言ったら、どうしますか?」

彼の目は驚きで見開かれ...しかし、直ぐに、躊躇せず答えた。「信じます」

「信じるんですか?」

「はい。ってか、それを悩んでいるんですか?」橘は真剣な顔で尋ねてくる。


あまりの素直さに押され、私は小さく頷いた。どうせ冗談で終わらせる事の出来る話だ。

「そ、そうなんです...私には、人の運命が見える能力があって」

橘は静かに私の話を聞いている。私は自分の能力のこと、そしてそれによって引き起こしてしまった悲劇のことを名前を伏せフィクションっぽく話してみる。


話し終え、彼の反応を窺った。

「大変な重荷を背負っているんですね」橘は真剣な面持ちで言った。

「でも、紡木さんはその人を助けたかったんですよね?どうせ運命なら見過ごしても良かったのに...」

彼は熱く語り始める。冗談とも言いづらい雰囲気に私は戸惑いながら頷いていた。


「それは紡木さんのせいじゃない。きっと、紡木さんが助言しなくても、遅かれ早かれ運命は起きてたと思います。ひょっとしたら、もっと悪い事になってたかもしれない」

彼は、さらに熱く熱弁する。

「結果だけを見れば後悔かもですが。むしろ、それが紡木さんの優しさじゃないですか?人を助けたかっただけ。きっと僕がその立場でも同じ事をすると思いますよ」


熱い語りが終わる。すると彼はスっと私にハンカチを差し出した。何故?と一瞬思ったが、私の目には涙が溢れていた。いつの間にか。

冗談にするつもりだったのに......


「一緒に考えましょう。あなたの能力をどう使えば、みんなを幸せにできるか」

彼はそう話を締めて、優しい笑顔で微笑む。

涙で滲む私の視界の中で彼の運命の糸と私の糸が、少しずつ複雑に絡みはじめていた。

この人となら、もしかしたら...本当に誰かを幸せにできるのだろうか。


「橘さん、私...」言葉を探しながら、彼の目を見つめる。

彼は優しく微笑んで頷いた。

「紡木さん。僕は、あなたを支えたい。良ければ僕とお付き合いしてくれませんか?」

頬が熱くなるのを感じた。これが春?年齢イコール彼氏いない歴の私に、春が来ようとしている。

けれど......それは何とも滑稽だ。


「いや、さっきの話。冗談ですよ?なに本気にしてるんですか...橘さん」

そういって私は、おもむろに目の前に手を差し出して人差し指と中指で、ちょきんと宙を切った。

彼には何をしてるのか分からないだろう。だが、私には見えている。目の前に漂う彼と私の絡み合う運命の糸、結婚する運命を切った。


私には彼と結ばれる資格なんかない。彼はあまりに真っ直ぐで、騙されやすくて、優しすぎる。そう思うと、余計に涙が溢れてきた。

これで彼との関係はやがて終わる。そう思った次の瞬間、彼が急に私の手を取った。心臓が跳ねる。

「僕に嘘をつかないでください。冗談を言ってる人が涙なんか流さないでしょ」


その言葉に私は心の何処かで安心した。そして完全に堕ちた。くそ程も興味無かったはずの恋愛ドラマの舞台に乗せられてしまう。

「私、結構嘘つきですよ?」

「それを見抜くのも僕の腕の見せ所です!僕はこれでも出来る営業マンですから。だから安心して嘘ついてください」

そう言って笑う彼に、私は小さく頷いていた。


店を出て別れる時、彼は私の手をそっと握った。

「何かあったら、いつでも連絡してください」

私は頷いて、彼の温かい手を握り返した。家に向かう道すがら、私は空を見上げる。

今までよりも星が明るく輝いて見えた。これからどんな未来が待っているのか分からない。でも、もう一人じゃない。そう思えた。

やっぱり、糸切らなきゃよかったな。

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