第5話
翌日。「月光堂」での仕事を終え、帰宅すると、健太が珍しく興奮した様子で迎えてくれた。
「姉ちゃん!すごいことがあったんだ!」
「どうしたの?」
「今日、学校の帰り道で田中を見かけたんだ。ギターケース持っててさ...」
私は思わず息を呑んだ。
「それで?」
「声をかけてみたんだ。そしたらあいつ、すごいんだ。ギターがプロ級なんだよ!」
健太の目が輝いている。
「へぇ、それはすごいわね」
まあ、知っているけれど。平静を装いながら答えた。そして付け加える。
「今度、会社主催のイベントでアマチュアバンド募集するかもしれないわ。教えてあげたら?」
「そうなんだ!それはいいかも!」
数日後、会社のプロジェクトである音楽イベントの準備が本格化。ポスターやSNSでの告知が始まった。
「紡木さん、このイベント、意外と反響があるみたいですよ」
中村さんが嬉しそうに報告してくれる。
しかし2日後、健太が言った。
「姉ちゃん、田中にさ音楽イベントに出たら?って言ったんだけど」
「それで?」
「でも、自分と組んでくれる奴なんていないってさ。あいつのギター、プロ級なんだけどな」
私は深いため息をついた。そう来たか。しかし、ここまで来て、つまずくわけにはいかない。
その夜、眠れずにいた私は、決意を固めた。もう、直接介入するしかないだろう。ここまでは本人の力 (弟の力もあるが)でやってきたのだし。少しくらいの後押しなら、大した改変にはならない…はず。
翌日、仕事帰りに私は楽器店を巡り始めた。1軒目、2軒目と回るうちに、だんだん不安が募る。本当にこんなことで上手くいくだろうか。
しかし、3軒目の楽器店。ギターコーナーで、1人の少年が真剣な表情でギターを見ていた。私は静かに近づき、彼の運命の糸を覗き見る。
「この子なら...」
少年の糸には音楽への情熱が溢れていた。しかし、何かが足りない。パートナーを求めているのだ。
深呼吸をして、私は決意する。そっと指を伸ばし、青年の糸に触れる。ほんの少しだけ、私の方へ流れを変えた。上手くいけば私の関係、それこそ健太とかに繋がるかもしれない。
「すみません、このギター試してもいいっすか?」
青年が店員に声をかける。その瞬間、店の入り口が開いた。
振り向くと、背の高い少年がいた。彼もギターケースを持っており、フラフラとギターコーナーに向かう。
そこでは先程の青年が試奏を始めている。その音は何というかお世辞にも、上手くはなかった。
その時。別の店員と話してた背の高い少年も、おもむろに売り物のギターで試奏を始めた。ただ、それは素人でも分かる程に驚くほど美しいギターの音色。
隣にいた少年が弾くのを止め、耳を傾ける。そして少年はそっと背の高い少年に近付いた。
「すごい...君、バンドやってる?」
あまり上手くない少年が声をかける。いや、これは少し失礼な言い方か。
背の高い少年は驚いた顔で首を横に振った。
「いや別に」
「マジで?俺、バンドボーカルやってるんだけど、ギターがいなくてさ。兼用しようと思ったけど、才能なさそうだし。よかったらだけど...」
二人の会話が弾み始めた。私が息を潜めて見守っていると。やがて、二人は連絡先を交換し始めた。
「え?まさかあの少年って?」
私は背の高い少年の運命を覗き見た。そこには私が占った女性の運命の糸が絡まっている。
「つまり…」田中くん!?
我ながら恐ろしい能力に、私は小さくガッツポーズする。
それから更に数日後、帰宅すると健太が興奮した様子で待っていた。
「姉ちゃん!田中がバンド組むって!イベントに向けて練習してるらしい。俺もやろうかな!」
「あなたは楽器出来ないでしょ。ってか買わないわよ」
平静を装ったが、内心では安堵の涙が込み上げてくる。きっと運命は変わったのだ。
ベッドに横たわり、天井を見つめる。直接介入はしたけれど、私自身が彼を大きく変えたわけではない。これはきっとやって良かったのだ。
目を閉じると、金色の糸が見える。母親の糸、田中くんの糸、それらが私自身の糸に少しずつ絡み合っていた。
もはや、私も他人ではないのだと実感した。
それから数週間が過ぎ。
「紡木さん、出場者の応募が予想以上に多いの!」
中村さんが嬉しそうに報告してくれる。私は内心でほっとした。
「ホントですか?それは良かった」
「うん!あ、それとね...」
中村さんが声を潜める。
「実は、私の息子のバンドも出場するのよ。高校生なんだけどね」
私は思わず息を呑んだ。まさか?
「へえ、それは楽しみですね」
「そうなのよー。前まで、ギターがいないって言ってたのに、丁度見つかったみたい」
「へぇー。偶然ってあるんですね」
平静を装いながら答える。中村さんの運命の糸に、知っている糸がやんわり絡んでいた。本当、人って何処で繋がるかわかったもんじゃない。
その夜、健太が珍しく興奮した様子で帰ってきた。
「姉ちゃん!田中、出場が決まったよ!」
私は思わず笑顔が溢れる。
「よかったね!」
健太の目が輝いている。こんな表情、久しぶりに見た。いつの間にか健太と田中くんは仲良くなっているようだ。
そしてイベント当日。会場は若者たちの熱気で溢れていた。ステージの袖には、緊張した面持ちの田中くんの姿があった。それと中村さんの…あまりギターが上手くない息子。
「頑張ってね」
心の中でそっと声をかけた。彼の目には、かすかな光を感じる。そして、彼らの番が来た。
出だしは少し硬さが残っていたが、徐々に音が溶け合っていく。田中くんのギターが、バンドを引っ張っていた。そして、中村さんの息子が想像以上に良い声だった。プロじゃん。
「ギターやらなくて良かったよ」
私の声は、客席からの大きな拍手に消された。
演奏が終わりステージを降りてきた彼らの顔は、充実感に満ちていた。
田中くんが、いつの間にか居た健太に話しかけている。本当に仲良くなったもんだ。一応、田中くんの運命の糸を見てみる。驚くほど強く輝いていた。彼は大物になるかもしれない。
イベント自体も大成功に終わって、私は家に帰りベッドに横たわる。今日の出来事を思い返した。
多少運命を動かしたけれど、結果は彼ら自身の力で掴み取ったのだ。私は、そのきっかけを作っただけ。
目を閉じると、金色の糸が見える。母親の糸、田中くんの糸、健太の糸、そして...僅かに中村さんの糸。それらが美しいハーモニーを奏でるように、しずしずと絡み合っていた。
「これで良かったのよね...」
そう呟きながら、私は眠りについた。
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