虚実の暗鬼

 金緑の少女は眩い光の円へ飛翔し、外の世界へと脱する。

 空気の澱みは幾許かマシになり肺への負担が軽くなった故か、つい深呼吸をしてしまう。

 

 体内を洗浄するように大きく息を吐いた彼女は、様子の変わった周囲を見回した。

 

 

「これはまた…荒れたね」

 

 

 数刻前に見た景色と比べ、ただでさえ朽ちた四方は裂傷や破壊跡で装飾が為されており、まるで訪れる者へのメッセージが如く彼方此方に戦闘の名残が見受けられる。

 かなり激しい戦闘であったのか、建物の一部は地に沈むように傾いていた。

 

 魔力の残穢も所々に漂っており、メアリスが探知できる限りで三人。突入前に目にした強襲者二人とジークのもので間違いないだろう。

 更なる奇襲も危惧していたが、どうやら杞憂であったようだ。

 

 地下への入り口を開けたままその場を離れたメアリスは廃墟の屋根へと飛び乗る。

 少し離れた場所から聞こえてくる微かに賑わしい声は中心街のものだろう。

 すぐ側で勃発しなかったのが不幸中の幸いだろうか。

 

 メアリスは今もどこからともなく聞こえてくる戦闘音へと耳を傾けつつ、相手の戦力の把握に努める。

 半身を失ったとはいえ、その研ぎ澄まされた感覚までもが鈍る所以は無い。

 

 彼女は胡座を描き、目を瞑る。

 戦場の最中で場違いな程静まり返った彼女は、居眠りでもしそうな様子でさえあった。

 

 

「荒事なんて、子供の喧嘩くらいで良いんだがねぇ…」

 

 

 ぼそりと悲嘆な呟きを残し、手中に魔力を生む。

 腹を満たすように気流を巻き込む金緑の魔力は、一瞬にして小さな竜巻へと昇華する。

 

 

「世知辛いものだよ」

 

 

 そうして生み出した力動の塊を放るように真横へと向けて解き放つ。

 空間を削る螺旋は廃墟の一部を抉り取り、廃材を巻き上げながら暴龍の如く直進する。

 

 

「……」

 

 

 次第に大気の龍はその身を細め、纏う力を減衰させる。

 呑まれた廃材は放り出されるように落下し、再び散りばめられる塵の一部と化した。

 

 メアリスは静かに瞼を持ち上げる。

 

 

「最近ではかくれんぼが得意な子が増えているのかな」

 

 

 翡翠が一点を見つめる。

 今も尚そこには何も存在せず、彼女の瞳にも映されていない。

 

 だが彼女は己へと注がれる穏やかならざる気配を感じ取っていた。

 

 

「———流石にこの距離では難しいですか」

 

 

 嘆息混じりの声が虚空より響く。

 冷淡な声音は既知感を催すものでありながら、しかし気のせいと振り払ってしまう、そんな抽象的な印象を受けた。

 

 

「命を狙われることには慣れてるんだ。自慢ではないけどね」

 

 

 メアリスがそう答えると、腰を据える位置から数歩離れた平面上でぼやけた人影がまるで水面に墨が浸透するように実態を曝す。

 

 足元から彩を得るように鮮明になってゆく輪郭と共に、存在感を示すような冷気が漏れ出し、地を薄氷が侵し始める。

 

 

「実に見事な隠密だ。最近は掻い潜られることも多くてね。自信を無くしそうで困る」

 

「良いではありませんか。それ程研鑽を積む志高き者が多いということですよ」

 

「…その志が真っ当なら嬉しいんだがねぇ」

 

 

 大自然の魔力に守られる柔らかな髪が冷気に靡き、凍える様子のない彼女の吐息に白が混じる。

 

 全貌を顕にする男より溢れ出す冷気は魔力そのものであり、這い寄る魔物の如く一帯を己の領域として征服する。

 

 

「異変の夜、ユラ君と戦ったのはキミだね?」

 

「おっしゃる通りです」

 

「何故彼女を殺さなかったんだい?キミならば止めだってさせただろうに」

 

「必要のない殺生は好まない質でして…まあ、戦闘不能となればそれで良かったのです」

 

 

 平然とそう宣う男は陽に煌めく糸を伸ばし、手足の如く自在に操る。

 魔力の存在に呼応し舞う数本の刃は、胡座を描くメアリスの周囲を取り囲み滑らかな球を形造った。

 

 

「私の殺生は必要かい?」

 

「さあ、どうでしょう」

 

「……」

 

 

 そう曖昧に答える彼は指揮を司る手を胸の前に構え、空を切り裂くように水平に振るった。

 

 男の言葉無き号令に従い、銀刃の檻が囚われた存在を亡き者にせんと収束する。

 それは大蛇が獲物を絞め殺すように、巨人が掌の小人を握り潰すように十方より牙を剥く。

 一帯を満たす冷気が圧縮され、極寒を彷彿とさせる寒波が中心にて盛大に爆ぜた。

 

 

「今は殺生など忘れ、俺と踊ろうではありませんか」

 

 

 逃げ道を得た野鼠の如く爆心地から男の傍をすり抜けて行く冷気。

 彼は己の外装の裾に霜を浮かせながらその中心へと歩み寄る。

 

 一歩、一歩と踏み込むたびに薄氷が悲鳴を上げ、上書きするように凍てつく。

 やがて陽に照らされるようにしてキラキラと輝く氷粒が宙を舞い、氷室の中に幻想的な光景を生み出す。

 

 

「———『俺』だろう?」

 

 

 だがそれも一瞬のこと。

 

 視界を妨げる冷気や氷粒、糸をも半ばから断ち、全てを地へと叩き伏せるダウンバーストが突発する。

 白の世界へと瞬く間に幕を下ろした破壊的な気流は彼らの足場となる家屋をも圧壊させ、地面の一部へと変えてしまう。

 

 消え去った白の幕の奥から姿を現すのは無傷の森人。

 

 足場を失った男は地面へと足を着け、彼女を見た。

 そこで初めて二人の視線が交差する。

 

 彼女は少し小馬鹿にするように笑うと、数多ある蔦を蠢かせる。

 そうして完成した擬似的な腕を模造するや否や、明後日の方へと手を翳した。

 

 緑の隙間を伝うように浸透する魔力は掌へ募り、峰の如き巨岩の鏃を創り出す。

 次第に鍛錬するように送り込まれる魔力は冷気をも灼く熱を帯び、重厚なる鏃が視界を弾ける雷火を帯びる。

 

 

「仲間外れはいけないよ」

 

 

 ———耳を劈く豪雷が轟く。

 

 地平に聳える山々のみを映す方角へと放たれたそれは、極度の熱量とエネルギーを置き去りにする速度によって尾を引き、止まることのない電雷棚引く魔弾となって空を駆けた。

 

 しかし次の瞬間、平野の空で何かに衝突したように潰え、瓦礫と火の粉を散らし消滅してしまう。

 

 

「…ダメだね。私では当てられる気がしないよ」

 

 

 メアリスは残念そうに言い、沈黙を貫く彼へと視線を移した。

 

 

「………ふぅ」

 

 

 ため息を吐き、肩を落とす。

 メアリスの目には、その瞬間のみ彼が酷く人間らしく映った。

 

 

「…全く」

 

 

 彼は顔を上げると外套を翻すように大きくはためかせる。

 

 

「裏方には———」

 

 

 そうして隙間から放つ糸を袈裟に薙ぎ払い———姿を消す。

 

 メアリスは眼を瞠り結界を発動する。

 

 

「———英雄の相手は荷が重い」

 

 

 彼女の背後に彼が現れたのは、その直後のことであった。

 

 数十の斬撃と背後からの貫手が同時に突き刺さり、メアリスの強固な結界に傷を付ける。 

 

 

「だが」

 

 

 しかし、尚も健在な防壁を砕くにはあと数手至らない。

 

 突き立てられた左の籠手が弾かれる。

 立て続けに後方へと放たれた熱線のカウンターが彼の胴を狙う。

 

 心臓を焼き切る白熱した一閃が彼の背を穿ち、遥か天へと駆け抜けた。

 

 

「…貴方達は彼等ほど恐ろしくもない」

 

 

 故にこそ、依然変わりない声にメアリスは眉を顰めた。

 彼を吹き飛ばすようにして突風を起こし距離を取る。

 

 怪訝そうな目で彼を見遣るメアリスは彼の意味深な発言を頭の隅に置きつつ、観察するようにして術式を構築する。

 

 彼の苦痛を伴わない声音は不気味な者だが、その姿を見ればその印象も加速することだろう。

 

 

「(…防がれた?)」

 

 

 男の胸には穴など空いていなかった。

 

 間違い無く捉えた上、聖魔術など使われたつもりなどなかっただけに一層不可解に感じられる。

 

 

「(あるいはギーリークのような体質なのか…)」

 

 

 メアリスが男と遭遇してからこの短時間で意表を突かれたのは二度である。

 

 一つは今の状況。

 

 そしてもう一つは男が己の背後に回る直前、完全に気配を絶ったことであった。

 

 視界に姿を収めて尚見失うなど彼女にとって遭ったこともない経験。

 思わず守勢への転換が遅れるほどの驚愕を見せたのもそれに起因する。

 

 

「(…未知は歓迎だがこういう形では勘弁してほしい———)」

 

 

 そう鬱々とした思考をするのも束の間、水を刺すように迫り来る魔力の塊を捉える。

 

 彼女の意識がそちらへと一気に引き寄せられた。

 

 第二の敵たる存在の射る矢は東の空で分裂すると、更なる数十もの矢となって飛来する。

 

 

「《———大風刹リド=グラン=ドラク》」

 

 

 組み上がる風の大刹。

 メアリスを取り囲むように顕現した要塞は矢の雨を接触すると同時、風圧によって破裂音と共に矢を砕く。

 

 矢は一本一本が相応の火力を有しているのか、迎撃する毎に要塞の壁に確かな傷をつける。

 本来の姿は風そのものである大刹は波のように広がる衝撃に陽炎の如く揺らぎ、その外層に波紋を立てた。

 

 

「次から次へと…あまり派手な技は使いたくないんだけど———」

 

 

 彼女は射手の厄介さに辟易としつつ、その背後へと掌を向け赤熱した五本の指を立てる。

 

 

「———ね!!」

 

 

 勢い良く拳を握り込む。

 瞬間、五つの閃熱が放たれ、如何なる方法か風の要塞を突破し背後にまで迫っていた男を襲った。

 

 彼は五本の光束を液体と見紛うような挙動で翻すと、彼女の左へと回り込み銃撃と錯覚する轟音と共に蹴りを放つ。

 

 メアリスは掌を添え、合気に構えた。

 

 

「———ッ!!」

 

 

 ———その瞬間、またも男の姿が消失する。

 

 常時であれば僅かな間———それこそ、一つ呼吸を置くような間さえあれば再びその気配を捉えることができたのだろう。

 だがこの一瞬、彼女には未知に対する思考の空隙が生まれた。

 

 

「———ガ…ッ!!」

 

 

 攻城兵器による突撃を思わせる重く鋭い強撃が少女の頸部に直撃する。

 時を飛ばしたような加速とそれに伴う質量の相乗する一撃が軽い身体を最も容易く弾き飛ばした。

 

 直線上に並ぶ廃屋を突き破り、伽藍堂の空間に穴を開ける。軽い廃材は捲れ上がり、土埃が煙幕のように舞い上がった。

 

 そうして一際大きな廃墟を薙倒したところで、轟音がピタリと止む。

 

 

「…………いえ、あと一撃で援護はもう結構です。ネタバレはアウトなので」

 

 

 蹴り出した姿勢から足を下す彼は、彼女の消えた方向を見ながらそう呟く。

 

 

「……出力の半減。術式の制限。半身でも知覚能力は健在…といったところか」

 

 

 左手に携えた籠手を付け直し、冷気を孕む魔力を纏う。

 辛うじて生き残っていた雑草達が芯まで凍てつき、微風に吹かれるだけで儚く崩れ去る。

 

 展開される絶無の世界に矮小な生命は存在さえ許されず、無慈悲にも散ることを強制される。

 

 男は氷粒混じりの深い息を吐く。

 

 

「フゥゥゥ………サブクエで死んで堪るか…っと」

 

 

 それをトリガーとするように、前方で崩れ落ちた廃墟の瓦礫が巻き上がる風域が発生する。

 

 彼が陰鬱とした嘆息を溢して間も無く、拡散した風域が集い、家屋程の巨体を誇る野猪が創造される。

 

 

 ———《風雲ノ化身リド=ヴァハナ=ヴァスターラ

 

 

 暴風の権化は担い手より解き放たれ、荒廃した文明の跡を消し飛ばす。

 魔術の模る凶猛なる野性が獲物へ定め、遺骸すら屠らんと牙を剥いた。

 

 男は幾重にも束ねた糸を螺旋状に展開し、長大な大槍ランスを巨獣の鼻先へ目掛け放ち、真正面から衝突する。

 自然の息吹は吹き荒れ、傲慢にも行手を阻む鋒を喰らわんと奮い立つ。

 

 だが勝負は僅かな拮抗を経て大槍が獣を貫くという形で喫することとなった。

 

 頭頂から穿たれた巨獣は尾までをも風穴に破られ、大気の一部として霧散し、溶けていく。

 

 開けた空間に両者が向かい合った。

 

 

「…そんなに派手に壊しても良いので?」

 

「辺りに人がいないのはわかっているし、居住区は既に結界を敷いてある。それに最後には直すさ……廃区域が思ったよりも広くて助かった」

 

 

 伯爵には悪いがね、と。

 そうぼやきながら獣道と化した廃屋跡の中、廃材を踏み分け男と相見えるメアリス。

 

 頚椎を砕かれ、喉を潰された彼女の吐いていた吐瀉物の如きドス黒い血は、聖なる光に焼かれ蒸発する。

 首の調子を確かめるように抑え、芸術品のような麗美なる尊顔で彼を睨め付ける。

 

 

「———やはり、『魔法』かな」

 

 

 男の不明瞭なる能力の正体を断定する。

 

 緊張感、警戒心を露わにした声振は、誰よりも『魔法』の無法たる所以を熟知している故だろう。

 

 男は彼女の問答に答えるつもりはないのか、特に反応を見せることはなかった。

 だがその代わりと言うように徐に顔を伏せると、その仮面に手を掛ける。

 

 

「…現実は知性が為している」

 

 

 それは問いの無い答えのようなもの。

 彼の行為に、予想外であったのか硬直を見せるメアリス。

 

 彼はゆっくりと外し、その全貌を曝す。

 

 

 

「見えていないものは存在せず、見えているものさえ疑わしい」

 

 

 

 ———……そこに、貌は無かった。

 

 否、見えているが認識できない・・・・・・、という方が正しいだろうか。

 

 仮面フィルターを付けている時とは違いその輪郭も声も魔力も貌も見えているというのに、まるでその存在が意識からスルリと通り抜けるかのように記憶から零れ落ちる。

 似て非なる奇妙な感覚にメアリスは気味の悪さを覚えた。

 

 男は顔を上げ、無限の回廊を隔てるような靄に包まれる。

 

 

 

 

「《総て疑念は帰結せず コギト=エルゴ=スム 》———現実は真実イデア足り得ないのですよ、賢者様」

 

 

 

 

 人間原理に潜む虚実の暗鬼、其の青の瞳が翡翠を射抜いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る