罪には罰を

 ロングレア邸へと顔を出し、挨拶を済ませた一行は現在街へと繰り出していた。

 

 本来であれば別荘にて昼食を取ることも出来たわけであるが、「折角だから街の料理を食べて見たい」と言うアリアの要望により外食が決定した。

 

 同じ国内とは言え、王都と比べて上流階級の人間の人口比率の小さいロングレアでは高級飲食店というのはそう見かけない。

 しかしその代わりと言うべきか、王都以上に一般の料亭が多く見られるようで、市民に易しい市場となっている。

 

 

「凄い良い匂いがする〜!」

 

「うむ、良い景色だね。法国の頭の硬い研究者にも見せてやりたいくらいだよ」

 

 

 食とは人の営みを代表するコンテンツである。

 

 

 

「らっしゃーせー!」

 

 

 彼女達が何処に入ろうかと逡巡していると、ズラリと並ぶ店の入り口で一つ、何とも気合の入った呼び込みが聞こえてくる。

 

 

 

「美味いよ安いよ早いよ!」

 

「すみませーん。三人なんですけど入れま———」

 

 

 因みに今の三人は先程までの様な礼服ではなくお忍び用の質素な服装を纏っている。

 一般の料亭に貴族然とした集団が来ても浮いてしまうのは当然である。

 

 それに伴って、本来であれば卓を共にすることのない従者たるジークも同席するよう伝え———ようとした時であった。

 

 アリアは溌剌とした声を張り上げる店員の顔を見て硬直する。

 

 

「らっしゃーせィ!三席ちょうど空いてるよィ!」

 

「…お兄さん、こんなところで何してるの?」

 

 

 其処には見紛うはずもない顔———アインスの姿があった。

 

 頭に巻いた布の隙間から覗く濡羽色の髪に夜空のような黒目は出会った時から印象的なままだ。

 何より腹から放り出すその声は今朝聞いたばかりである。

 

 

「お兄さんここの店員さんだったの?」

 

「…お客さん、俺はお兄さんなんて名前じゃあねぇぜ。『かどまちや』の下働き、アイ…アインでさぁ」

 

「やっぱりお兄さんじゃん!」

 

「せめてもう少し捻りたまえよ…」

 

 

 店員は一行の目を以てしても捉えきれない速さで目元を布で覆いそう嘯く。

 顔半分が完全に布で覆われた姿は控えめに言って滑稽であった。

 

 意味のわからない誤魔化し方に目を剥くアリアとどうしようもない奴を見るような目を向けるメアリス。

 

 

「随分と気合が入って居られますね。アインス様」

 

「そりゃ皿を割っちゃっ———一店員として気合が入ってねぇなんざお客様に顔向け出来ねぇだろうよィ」

 

「皿割ったのか…」

 

 

 どうやら彼は皿を割ってしまった償いとしてタダ働きしているようだ。

 メアリスはどうしようもない奴が更に救いようがないことを知り、底冷えするような視線を向ける。

 

 

「…注文して美味しく完食するとこまでは良かったんだけどね。お礼に皿回しでもして盛り上げようとしたら見事に割れちゃったよね」

 

「あ、もう辞めるんだ」

 

「馬鹿か君は」

 

「ホッホ、アインス様らしいですな」

 

 

 観念したように鉢巻を解きながら事情を話す彼に、三者三様の反応が返ってくる。

 聞けば聞くほど情けなく生産性の無い話にアリアは苦笑するしかなかった。

 

 

『おォい!!すぐ戻って来い!!』

 

「———おっす!!今行きます!!…取り敢えず入って右奥の空いてる席に座っててよ。それじゃごゆっくり———」

 

 

 そう言ってアリアに伝票を渡すと同時、一瞬にして厨房の奥へと消えて行くアインス。

 

 瞬間移動と見紛う無駄な高速移動は無駄に無駄が無く、塵一つ動かぬ間に姿を消した。

 

 

「素晴らしい身の熟しですな」

 

「ホントだよね。どうやったらあんな動きできるだろう?」

 

「こんな所で披露してほしくなかったと思うのは私だけか…?」

 

 

 アインスの事となると途端に色々と節穴になるアリアにそこはかとない危機感を覚えるメアリス。

 

 冷静に考えてタダ働きで目の当たりにする術理にしては神技が過ぎる。

 

 

「取り敢えず…彼も案内していたように座ろうか」

 

「うん!楽しみだね!」

 

「お気に召しましたら今後のメニューへの導入も検討いたしましょうか」

 

 

 店内へと入店した三人が見渡せば、彼が言っていたように殆どの席が埋まっており、壁際の席まで人だらけとなっていた。

 

 その中で壁際で一つだけ空いているテーブルが目に付く。

 

 一行はテーブルへ向かうとアリアとメアリス隣同士で席に着き、二人が腰を下ろすのを見届けた後にジークが向かいに座った。

 

 アリアはワクワクした様子でメニュー表を手に取り、子供がオモチャ箱でも解放するように開く。

 

 

「この店は麺類が中心のようですな」

 

「うわぁ、ボクあんまり食べた事ないかも!」

 

 

 側から見れば孫娘二人と祖父が席を同じくしてメニュー表を覗きあっているという微笑ましい光景である。

 

 見ていた周囲の幾人かも思わず頬が緩む。

 

 そうして三人は各々料理を選択すると、店員を呼びジークが注文を済ませた。

 

 店員は聞き届けた注文をササッとメモするや否や「かしこまりィ!」という威勢の良い声と共に厨房へと飛んで行った。

 

 因みに注文を取りに来たのはアインスである。

 

 

「…ふぅ。何と言うか…ゆっくり食べに来たはずなんだが疲れたような気がするよ」

 

「お兄さん居ると楽しくなっちゃうもんね」

 

「原因は間違いなく彼なんだけどね…」

 

 

 まさか料理を運んで来るのも彼なのかと思えば少しばかり憂鬱になる。

 時間を共にしているとそのあまりの奇行に気が抜けてしまうと言う点では同意するところではあるが。

 

 

「(…本当に…何者なんだろうね)」

 

 

 メアリスは脱力するようにテーブルへと突っ伏すも、隙間から覗き込むように厨房に居る彼へと観察するような視線を飛ばす。

 

 初めて出会った時の気配遮断能力。

 馬車の中で見せた異常なまでの身体強度。

 そして先程目の当たりにした驚異的な身体操作。

 

 どれを取っても無名である事が不自然極まりない所業ばかりであった。

 

 

 

『———いつだって物語の最期は大団円であるべきだからね』

 

 

 

 去り際に彼が残した意味深な言葉が彼女の心中に妙なしこりを生む。

 

 

「(敵か味方か…或いは———)」

 

 

 メアリスは人知れず思考を巡らせる。

 

 するとその視線の先、件の人物は厨房から飛び出すと、三つの器を携えて此方へと向かってくる。

 

 どうやらメアリスの嫌な予感は当たっていたらしい。

 

 

「七番テーブルのお客様、お待ちどう———」

 

 

 その時、アインスの体が何かにつまづいた様に硬直する。

 

 

「あ———」

 

 

 慣性の法則に従ってまるで自らの意思で飛び立つが如く投げ出される器達。

 

 何が起こっているのか理解しているのか、或いは受け入れ難いのか、確とその目で軌道を捉えながらも呆然と眺めることしかできない彼。

 

 幸いにも直線上には誰も居らず、ただ彼が面白おかしい姿を披露しているに止まっていた。

 

 そうして、無情にも羽ばたいた料理達は放物線を描き、地面へと激突する。

 

 

「…」

 

「…」

 

 

 無惨な姿となった器と料理を前に、膝を突いて放心するアインス。

 それを椅子の上から感情の読み取れない視線で眺めるメアリス。

 

 数瞬時間が経ち、漸く状況を把握したのか、アインスは片膝を立て、口元へと手を添えて厨房の方へと声を張り上げる。

 

 

 

 

 

 

「………店長ォ!!皿が投身自殺を!!」

 

『ふざけんなテメェ!!今日一日中働いてろこの野郎!!』

 

「…おいたわしや、アインス様」

 

「お兄さん大丈夫!?」

 

 

 喧騒絶えぬ店内で一つの事件が幕を下ろす。

 

 その一部始終を我関せずと眺めていたメアリスは、先程までの思考を投げ捨てて死んだ目で呟く。

 

 

「…うん…あまり気にしなくても良いかもしれないね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前は…何でこんな事してるんだ」

 

 

 少年の口から発せられたそれは純粋なる疑問であった。

 警戒が含まれていないと言えば嘘になるが、どうにも男は、少なくともこの瞬間は自分を殺すつもりはないらしい。

 

 少年は未だ物言わぬ妹を腕に抱き、人の手の離れた地下水道に跋扈した魔物を蹂躙する男を眺める。

 

 決して気が触れたわけでない…はずだ。

 

 少年は『死』に慣れすぎていた。ただ、それだけであった。

 人はきっとそれを気狂いだと言うのであろうが。

 

 

「いくらでも居ただろ、俺みたいな奴。お前がいたとこになんざ」

 

 

 腕を振るえば肉が裂け、拳を放てば骨を穿つ。

 

 全身を凶器として魔物を駆逐するその光景は、如何なる理が働いているのか彼には理解できなかった。

 

 何を今更、と言う男に、少年は当時を思い出しながら言い返す。

 

 

「アイツらは…お前とは違った。皆…苦しそうだった。オレ達を殺さないと自分が死ぬって…そんな、感じだった」

 

 

 少年にとって、彼処の住人たちは人ではない———獣だ。

 自分の生存圏を侵すものは全て敵。

 己を殺せる者からは逃げ、利用できるなら巻かれる。

 そして自分より弱ければただの獲物、餌に成り下がる。

 

 どいつもこいつもそうだった。

 自分だってそうだった。

 

 ———そうせざるを得なかった。

 

 だが目の前の男は人間らしい嬉々とした表情を浮かべているように見える。

 

 男は粗方を始末し死体の山を築き上げたのを一瞥すると少年へと向き直り、暫し口を噤んだ。

 

 

「…そうだなぁ。例えばだが、王様がお前に言うんだよ。『自由に生きろ。じゃなきゃ死ね』ってな」

 

 

 そうやって彼が出した答えは、何とも頓珍漢なものであった。

 

 一体どこにそんなことを言う暴君がいると言うのだろうか。

 例えにしたって滑稽極まる内容である。

 

 

「お偉いさんに言われちゃあ逆らえねぇだろ?」

 

「…ならお前は、こうしなきゃ殺されるってことか?」

 

「まあ、間違いではねぇな」

 

「………そうか」

 

 

 ———なら、仕方ないか。

 

 男の答えを耳にした彼の脳の隅に、そんな言葉が過ぎる。

 感情でも理屈を以てしても許せるはずがないと言うのに、今までを生きてきた過去の己がそう呟く。

 

 “死にたくないから他を犠牲に”

 

 それは自分がここに辿り着くまで繰り返してきたことである。

 愚か者には然るべき罰があると言うが、今回は自分達がその番だっただけの話だったのかもしれない。

 

 少年の目に映る世界は、その幼さに反して諦観に満ちていた。

 

 

「…じゃあ、コレがお前のしたいことなのか?」

 

 

 少年は問う。

 

 男の例えが本当ならば、己を拘束し、妹を殺し、魔物を蹂躙することが彼が悦楽を得る方法だと言うことになる。

 

 事実、先の彼は楽しげに口角を歪めていたではないか。

 

 すると男は端的に答える。

 

 

「———いいや・・・?」

 

 

 帰って来たのは———否定。

 

 幼い彼は、ならば殺されるのではないか、と問い返す。

 

 少年の無足な疑念に彼は再度、しかしその真意を希薄に孕んだ答えを返す。

 

 

「俺の目標ゴールはもっとだ———」

 

 

 ———直後、男の背後、その奥から人の成り損ないのような醜悪な風貌をした魔物が現れる。

 

 少年は反射的に妹を強く抱き込み、背後で眠る子供達を守るように身を引いた。

 

 

「———ただ今じゃねぇってだけでよ」

 

 

 魔物が継ぎ接ぎしたような歪な腕を振り上げる。

 

 発狂か勝鬨か、雄叫びを上げる魔物は肥大化した肢に歪曲した爪を生み、男へと狙いを定めた。

 

 

「《他解自在 たげじざい 不還ふげん———》」

 

 

 そうして魔物が凶刃を弾き出すと同時、男はゆったりと腕を掲げる。

 

 

 

「《———沙末那 さまな オウ》」 

 

 

 

 接触———刹那、魔物の爪が砕け、腕が破裂する。

 

 魔物は驚愕したのか、その咆哮が途切れ巨体が大きくのけ反る。

 

 男は肩越しに魔物を見遣ると、軽く腰を落として少年が数度目にした構えを取った。

 

 

「《———吽鼻ごうびカン》」

 

 

 胴を回し、下段から放った拳が魔物の丹田付近を捉える。

 

 ———瞬間、半身を分つように魔物の肉体が抉られ、突風が駆け抜けた。

 

 離れて見ていた少年の前髪を風が持ち上げ、その景色を目の当たりにさせる。

 

 

「…」

 

 

 離別した魔物の上半身は支えを失いその場に崩れ落ち、下半身は石像のようにその場に固まる。

 

 吹き飛ばされた肉片が地へと降り注ぎ、天井にまで届いた穢れた血が滴り落ちる。

 

 

 

「まあアレだ。テメェも、自分の死装束くらい考えとけよ」

 

 

 

 男は不快そうに手を振るって汚れを落としながら、振り向きざまに言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る