転覆

 アリアが剣を翻し構えた瞬間黒い獣が大地を蹴り飛ばし、とてもその巨大から生まれるとは思えない速度で三人へ肉迫する。

 

 水面に波紋が広がるが如く爆ぜた地面を視界に捉えた頃には、アリアの眼前にてその斧槍を後方へと引き絞った黒獣が現れていた。

 

 メキメキと亀裂が入る地面、遅れてやって来る突風。

 

 獣の構えに武は無く、されど人の子の身丈程はある凶悪な刃には途方も無い「破壊」が圧縮されている。

 

 

「《ドレイズ=ラジド———」

 

 

 メアリスの迅速な詠唱と共に、殺戮という一点に収束した邂逅一撃の「必殺」が今、振り抜かれる。

 

 

『———ッッ!!』

 

「———=レイジオン》」

 

 

 瞬間、顕現する黒雷雲と斧槍が衝突する。

 

 のた打つような衝撃波は荒ぶる雷雲と殺意の闘気によって増幅され、瞬く間に景色を掻き回す。

 

 暴風は大気を不落の城壁の如く頑強な殻へと変え、黒雲を駆け巡る稲妻は領域を侵さんとする狼藉者を撃ち落とすべく雷火を散らした。

 

 

「———」

 

 

 だが不遜なる獣の一振りはそれ等の押し除け、徐々に黒雲を斬り裂いてゆく。

 暴風を掻き分け、雷火を弾き、永遠にも思える嵐の層を突破しようとしていた。

 

 矛盾の成立しない、一方通行の絶対的な矛は災害の渦の中その核を潰すべく加速する。

 

 

「———セアァッ!!」

 

 

 しかし凶刃が完全に振り抜かれようとした時、黒獣の真横から白銀の一閃が叩き込まれる。

 

 夜空の星々を集結させたような光耀は、浴びた濃血が渇いたような黒の鎧を撃ち、月暈の如き波動を生む。

 

 黒獣は小さく崩れた巨体を地を踏み抜き支え、怒りを吐き出すような咆哮と共にバネのように跳ね返らせた脚を彼女へ向かって薙ぐ。

 

 

「《雷幕トル=ヴェイン》!」

 

 

 風も追いつかない程の蹴撃とそれを翻すべく身を屈めるアリア。

 掠れば手で弾いた砂山のように消し飛ぶソレが彼女の額を捉えようとした瞬間、デュークの声と共に両者の間に雷光耀く壁が現れる。

 

 壁は鎧が触れると同時に薄いガラスの如く砕け散るも、僅かに軌道をズラしたことでアリアは間一発回避を成功させる。

 

 

「フッ…!」

 

 

 息を吐き出し脱力し、潜り込むように前方へと突貫。

 

 巨体に対して小柄であることを活かし、スルリと入り込んだ懐から装甲が薄いであろう関節部を狙った横薙ぎを見舞う。

 

 

「ッ、速い———!」

 

 

 ———だがその一閃が脚を獲る寸前、獣は跳ね上がるように飛躍する。

 

 驚きに目を見開き見上げれば上空からこちらを見下ろす鈍い紅光と目が合う。

 

 自然とその一挙手一投足を捉えようと世界が減速する中、視界の上端から斧槍が飛び込んで来る。

 

 全霊を込めその一撃を受け止めんと剣を構えるアリア。

 

 

『———ッ!』

 

 

 次の瞬間、二つの刃が接触する。

 

 

「ッ…ゥグッ…!!」

 

 

 その時アリアを襲ったのは山でも降ってきたのかと錯覚する程の莫大な衝撃であった。

 元より受け流すつもりであったはずの彼女に逸らすことも許さない暴力が降りかかる。

 

 弾かれる間も無く膝を着き、瞬けば潰されてしまいそうな重圧に押される。

 

 そうして白銀の剣が彼女の額に触れようとした時、突如として鎧が黒雲に呑まれ横合いに吹き飛ばされた。

 

 同時にその傍を黄金が迸る。

 

 

「《雷柱トル=ヴェイン》!」

 

 

 駆け抜けるデュークがそう唱えれば、身を捻り体制を整えた黒獣の頭上に次々と雷光が瞬き柱となって降り注ぐ。

 

 雷柱はその一つ一つが直撃するも獣は此方を見据えるばかりで気にも留めない。

 

 だがデュークが構わず魔力を練り術式に乗せ続ければ、次第にその稲妻の雨は激しくなり始める。

 

 黒獣が異変を感じデュークへ向かって突進しようととすれば稲妻の勢いは増し、一瞬にして一本の巨大な塔へと変貌した。

 

 

「そのまま伏せていろ…ッ」

 

 

 デュークは稲妻の雨を降らせる傍ら、翻す手とは反対の手にて更なる魔術を行使する。

 

 描かれる術式は彼の魔力を多大に孕んだ黄金を放ち、彼の戦意に応えるように起動する。

 

 

「《神鳴トル=エルガーラ=ヴィレ=ゼルゼウス》ッ!!」

 

 

 翻していた腕を引き反転するように追撃の魔術を黒獣へと向ければ、極光と共に神の槍が放たれる。

 

 雷鳴を轟かせたった一度の明滅の間に黒獣へと到達した槍は、道を開けよとばかりに降り注ぐ雷柱に穴を開け黒曜の鎧を穿つべく飛来する。

 

 黒獣は槍が己を貫く寸前、眼下へと斧槍を突き立てそれを正面から受け止めた。

 

 接触した瞬間、その切先が突き刺さる地面が抉れ大きく後退する。

 

 だが一度受け止められた雷槍は勢いを殺され、徐々にその力を失い始めてしまう。

 

 

「《リド=クシャルウル=———ッ」

 

 

 そこへ完全な一撃を叩き込むべくメアリスが魔術を放とうと掌を向ける。

 

 しかしそれと同時、彼女は背後から溢れ出る、見る者に怖気を走らせる混沌を感じ取った。

 

 反射的に結界を展開した彼女が振り向いた先に見たのは、無数の術式陣から伸びる剣先の如く鋭い触腕と、その中央で更なる召喚陣を展開するギーリークの姿。

 

 一匹の魔獣が喰らいつくように一斉に放たれた触腕を結界で受け止めた彼女は、彼が描く召喚陣から大量の亡者が這い出るのを視界に捉える。

 

 

「面倒なイレギュラーはさっさと潰すに限る。予測のし難い変数は俺の計画には邪魔だ」

 

 

 ギーリークはそう呟くと両脚を骨肉が擦り潰れるような音を響かせながら骨格と筋繊維を束ね変形させる。

 

 そうして最適化した脚を折り、片手を地に着け身を屈め彼女を見据えた。

 

 

「———奴ら共々逝け」

 

 

 次の瞬間、人体の構造を超えた挙動で前方へと跳躍する。

 

 音を置き去りにし超速で景色が流れる中、それ以上に超常的な眼で対象を捕捉した彼はその人外の脚力を以て横薙ぎに結界へと撃ち込んだ。

 

 空気の壁を容易く突破した蹴撃は、しかし彼女の展開する結界に流れるように逸らされてしまう。

 

 

「…やはり、君は此処で殺すべきだ」

 

 

 メアリスは脚を振り抜いた姿勢の彼へと一歩詰め、その脚を掴むと脇腹手を添える。

 

 

「それが例え、君の正義エゴだとしても」

 

 

 そうして足を地につけたまま踏み込めば身体を支える足下は八卦に割れ、添えた掌の向こう側に風穴が開く。

 

 力の流れに沿って弾けた血が螺旋を描き宙を舞った。

 

 だが次の瞬間、舞い踊る血は虫の様な魔物へと姿を変えると主人の体に空いたトンネルを潜って仇敵であるメアリスへと高速で突進する。

 

 同時に召喚されていた亡者達が両傍から迫った。

 

 そんな中、メアリスはまるで瞑想するように瞳を閉じる。

 

 

「(…恐らく、あの獣は術者が死ねば唯の死体に戻るだろう)」

 

 

 彼女は遠方で獣と対峙する二人の子供へと意識身向けつつ、瞬時に魔術を構築すると術式陣へと魔力を注ぎ込む。

 送り込まれる金緑の魔力は刻まれた魔術を廻し始める。

 

 

 

「(———ならば、迷うべくもない)」

 

 

 

 そうしてとある確信を得て眼を見開いた彼女は、どこまでも透き通る、世界に訴えかけるような声を静かに響かせる。

 

 

 

 

「———《解天真界エメティア》」

 

 

 

 

 ———彼女の目の前に広がる亡者の軍が消滅する。

 

 両者を包み込む世界は無限に連なる虚空が続き、立体感さえ失われた無の領域へと変転した。

 

 胴に穴を開けられたまま吹き飛ばされたギーリークが散らす血さえ白の向こう側へと溶けて行く。

 

 放り出された彼は今までと同様に肉片を結集させ肉体の修復を試みる。

 

 

「っ」

 

 

 だが、そこで彼は無貌の如き顔に明確な驚愕を浮かべた。

 

 

「…ナル程な…」

 

 

 抉られた肺から込み上げる血塊を盛大に吐き出し、彼は何かを納得した様子を見せる。

 

 液体と個体の中間のような粘液状の血を垂らす彼はゆらりと立ち上がった。

 

 

「…やはり、その生命力は錬金術による修復とは別なんだね」

 

「…当然だ、ゴボ…ッ…コレは、俺の現時点での最高傑作でもある」

 

 

 己の伽藍堂な胸に手を当て何処か誇らしげに語るギーリークがフッ、と不敵に嗤う。

 

 

「魔力を…奪ったのか…」

 

「ああ、私の奥の手の一つでもある。本当は見せたくなかったんだがね」

 

 

 ———《解天真界エメティア》。

 それは他の誰でもない、《賢者》メアリス・デア・ウェリタヴェーレのみが使うことを許された魔の真髄が一つ。

 

 空間を断絶する程の超越的な結界による異界の生成。

 

 

「あの子達が近くにいると巻き込んでしまうからね…不謹慎だが、都合が良かったと言えるかもしれない」

 

 

 ———神秘の消失。

 

 それこそがこの異界に刻まれた理である。

 

 その領域に在る存在は、支配者であるメアリスを除いて凡ゆる神秘を最底辺にまで、あるいは完全に抑制される。

 

 それは個の絶対的な魔術領域である肉体でさえ例外ではない。

 

 体内で練る魔力でさえ、この領域の中では自由を許されない。

 

 メアリスはその小さな歩をゆっくりと彼へと進め、声に出すこともなく術式を組み上げた。

 

 送り込まれる金緑の魔力は刻まれた魔術に影響され赤熱し、白熱する。

 

 ゴォッ!と火山地帯のような熱気が周囲を包み、澄んだ空気が燃え尽きる。

 

 生まれる熱気は急激な温度の変化から大気を舞い上げ、真両面へと迫ったギーリークの肌を焼いた。

 

 メアリスはその魔術を握り込み手の内に収めると、その抑えに抑えた噴火の引き金を引いた。

 

 

「———《無元炎ヴォル=ソルギヴル=アル=ゾロア》」

 

 

 ギーリークはその視界に埋め尽くされる程の熱源を捉える。

 

 同時に熱か風圧か衝撃か、あるいはその全てを内包した莫大なエネルギーが解放され瞬く瞼ごと領域全土を焼き払う。

 

 怒れる巨龍の息吹が如き一撃は、瞬間的に白を紅く染め上げた。

 

 ギーリークは文字通りの消し炭となり、ボロボロとなってその場に散らばって行く。

 

 

「…凄い身体だね」

 

 

 炭化した肉片は収束することを諦めたのか、その内の一際大きな塊が内側から再生し徐々に元の姿を取り戻そうとする。

 

 

「———だからこそ、確実に滅さねばならない」

 

 

 メアリスはその世にも悍ましい光景を眼下に、己の掌を斬るとそのまま血が吹き出す程に握り込み額に押し当てる。

 

 そうして何かを口ずさもうとした、その時。

 

 

「———小サキ…神秘の、欠片…ガ…ァ、神秘無キ…理、を…大いなる…力へ、と…変エル、コト、が…アる」

 

 

 未だ再生を続ける肉片が顎を形造り、鼻を造り———眼球を産む。

 

 剥き出しになったその眼球は瑞々しい音を立てギョロリと内側を向いた。

 

 メアリスは続く言を抑え込み、異界を解き離脱を図る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———ワれ等ハ、神秘無き理それヲ知っテイる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———虚空は、真の無へと回帰した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 異界は消え、木々の騒めく暗い森が姿を現す。

 

 周囲には黒々とした炭が散らばり、その中央には弱々しく再生を繰り返す男の上半身が転がっていた。

 

 再生の完了を優先するためかその姿は虫や鳥に集られたかのように惨たらしく、とても生きているようには思えない死に体であった。

 

 ギーリークは辛うじて人の形にまで再生すると、伏せた眼をゆっくりと正面へと向ける。

 

 

「…辛そうだな———賢者」

 

 

 彼が向ける視線の先。

 

 其処には地に膝をつき、杖で身を支える———半身を失った血みどろの少女が居た。

 

 

「形勢逆転、といったところか」

 

「…君も、随分、と…醜くなった、ね」

 

「…肉体を失っても口は減らんな」

 

 

 ギーリークは凶眼を通して少女を見遣る。

 

 渦巻く魔力は弱々しく、乱れに乱れ、操作し練る度に虚しく霧散する。

 

 それでも尚「綻び」だけは介入できない程度に補強しているのだから計り知れない。

 

 

「無駄だ。お前が失った肉体領域は既に法則が崩壊している。暫くは回復出来んだろう」

 

 

 ギーリークは身を引き摺るようにして少女に近づくと、彼女の眼前に立ち見下ろした。

 

 

「…まあ、俺とて帰って来れるかも分からん諸刃の剣だったが…お前が完全な異界を創ってくれたお陰で此方の世界への影響を最小限にまで抑えることが出来た」

 

 

 その腕を異形へと変化させる。

 

 そうして、頭上高くに振り上げ———

 

 

「…存外、呆気ないものだ———」

 

 

 ———唯真っ直ぐに、撃ち下ろした。

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