愚者の解

 二色の領域がぶつかり合う傍らへ向け少女は腕を指揮する。

 すると発生した風が剣を構えるアリアと術式を構築するデュークを優しく、されど急速に巻き上げた。

 

 だがその両者の離脱を阻むように両左右から握り潰さんと黒ずんだ灰色の巨腕が迫り来る。

 

 小さく舌打ちをした少女はその一撃を結界で阻むと、風の流れを操作し二人を自身の側に着地させた。

 

 

「逃すわけがないだろう」

 

「…まあ、当然か———」

 

 

 ギーリークがそう鼻を鳴らすと、宙に描いた幾何学模様より召喚された巨腕が薙ぎ払うように振るわれる。

 

 誰のものとも分からないその腕は巨大さに見合わず空気を弾く程の速度で三者を襲う。

 

 デュークが上空へと飛翔しアリアがバックステップによってそれを翻そうとするも、間に合わないと判断し手を添えた少女が二人ごと覆うように結界を張り剛腕を弾こうと試みる。

 

 

「何を素材にしたのか…!」

 

 

 だが接触した瞬間に加わった負荷に瞠目し、結界の形状を操作し軌道を逸らすことで受け流す。

 

 不意に力のベクトルが変化したことで剛腕の一撃は在らぬ方向を薙ぐ。

 払われた木々は刈り取られるようにその幹を抉られ、一瞬にして半身を失った。

 

 

「…下手な魔術よりも余程脅威だな」

 

 

 唯の打撃が生んだ破壊力に息を飲んだデュークは冷や汗を流しそう呟いた。

 

 そうしてその一撃をまるで手足のように結界を操りやり過ごした少女へと目配せする。

 

 

「貴女は…味方ということで良いのだろうか?」

 

「ああ味方だとも。その為にここに来たのだから」

 

 

 少女はその眼をギーリークへと固定したまま横から飛んできた問いにさらりと答える。

 

 

「…色々と聞きたいところだが…感謝する———」

 

 

 デュークは少女が先ほど自身を《賢者》と名乗ったことに引っ掛かりを覚えるも、再び放たれた一撃を結界が往なす衝撃に諸々の疑問を呑み込んで目の前の戦闘へと意識を引き戻される。

 

 少女もまた狂ったように次々と放たれる巨腕の連打に不気味さを覚える。

 

 

「賢者殿、見たところアリアの白の魔力は奴に有効なようだ。どうにか利用できないか?」

 

「白の魔力…そうか、しっかりと受け継いだんだね」

 

 

 デュークの言葉に視線をアリアへと移した少女は彼女の持つ剣に宿る白い輝きを視界に収める。

 そうして小さく頬を緩めた。

 

 

「やっぱり、お父様を知って———ッ」

 

 

 まるで前の持ち主を知っているように話す少女にアリアが問おうとした瞬間、ガラスに罅が入るような不安を煽る音が耳を撫でる。

 

 見れば、張られている結界に亀裂が入っているではないか。

 

 

「すまない、今は戦いに集中しようか———《銀冰ノ巨人アス=アルグ=アースガル》」

 

 

 彼女がそう唱えると同時、剛腕の嵐の末結界が破壊され本命の一撃が彼らへ見舞われる。

 

 だがそれもその背後から現れる人間大はあるであろう巨大な拳によって防がれる。

 

 撃ち撃たれる拳戟はやがて激しさを増し、地鳴りが起こるほどに加速する。

 

 アリアとデュークは目の前で繰り広げられる神話の如き光景に思わず魅入ってしまう。

 

 

「巨人の死体か、それとも適当な組み合わせかッ———ソレッ!」

 

 

 少女は更に押し込むような挙動をすれば、最後とばかりに撃ち出された二つの拳が迎え撃つ巨腕を見事に破壊する。

 砕かれた巨腕はグズグズと腐り落ちるように崩れ始め、その形を失ってしまう。 

 

 奥に立つギーリークは顎に手を遣りその様を眺め、何かを思案していた。

 

 少女はその様子を警戒しつつ二人へと声をかける。

 

 

「それでデュークの提案だが…アリア君、君はその力を十全に扱えるのかい?」

 

 

 そう問う声音は柔らかくはあるものの、まるで審判を受けているかのような鋭さがあった。

 横目でアリアを見る視線が彼女のものと重なる。

 

 

「ま、まだ…完全じゃない…と、思う」

 

 

 僅かに視線を落とし、自信無さげにそう答える彼女。

 

 彼女がこの力を開花させたのは今回で二度目である。

 一度目は父を目の前で殺したあの黒の男への憎しみから。

 そして二度目である今回は血に濡れたデュークを目にした怒りから。

 いずれも彼女の感情の爆発に合わせて解放されたものであり、決して彼女の意思によって発動されたものではなかった。

 

 父が見せてくれた輝きには程遠く、いつ起こりいつ鎮まるのかも分からないようなものは制御できているとは言えないだろう。

 

 

「よし、なら良いだろう。君の力を借りよう」

 

「え?」

 

 

 少女はそんな彼女の居た堪れないような様子から視線を外し魔術を行使しようと手を翻す。

 

 

「ちょっと待ってくれ。オレから言い出したものだが、本当に良いのか?」

 

「ああ、勿論サポートはするよ。君の言うように、奴を殺すのならばこの場では彼女の力が一番有効だろうしね」

 

 

 この場で最も有効。

 もし彼女が自称するように正真正銘の賢者であると言うのであれば、それはすなわちアリアの持つ力が伝承の英雄を凌ぐ力を持つと言うことだ。

 

 アリアへ確かな信頼を寄せているデュークではあるが、その言葉には流石に疑うように眉を顰めた。

 

 

「疑うのもわかるが本当さ。私も似ようなことはできるが、ただの一振りが必殺となるのが《栄光の剣グラントリア》の本来の姿だからね」

 

 

 そう語りながら少女は描き掛けの術式陣を完成させ、魔術を発動すべく魔力を廻す。

 

 

「手に待って僅かでそこまで引き出せるなら十分さ———本当なら確実に仕留めるために時間稼ぎをして欲しいところなんだが…それは難しそうだ———ッ」

 

 

 ———《聖哥万唱サラ=シャントゥス=アーレ

 

 

 瞬間、二人の身体が青白い光に包まれる。

 それと同時、まるで全身に括り付けられた枷が外されたように軽くなったような錯覚を覚える。

 内を巡る魔力は熱を感じる程に勢いを増し、言葉も無く応援するかのように湧き立つ。

 全能感にも似た自信と共に自然と気分が高揚し始めた。

 

 

「な、何…?」

 

「聖魔術…」

 

「君達は彼の首を取ることだけを考えれば良い。援護は任せなさい」

 

 

 そう言って少女は全身に巡らせる魔力を傍に開いた手の内に収束させる。

 

 

「…あまり手の内を晒したくはないんだけど、そうも言ってられないね」

 

 

 そうして募る魔力は色を獲得し、質量を得ると幾重にも重なる蔦へと変貌し始めた。

 

 

「《秩序の大樹ルディネドラク》」

 

 

 蔦は互いに絡み合いひしめき合い、やがて一つの杖としてそこへ顕現する。

 

 

「それ、って…」

 

「…英雄の宝具か…ならば、本当に…」

 

 

 神聖な魔力を放ちながら姿を現した杖に二人は目を見開く。

 

 

「改めて…《賢者》メアリス・デア・ウェリタヴェーレだ。よろしく頼むよ、二人とも」

 

 

 言葉を失う程の驚愕を露わにする二人へそう名乗った少女———メアリスはその小さな体躯を上回る杖を握りしめ、幾多の戦場を駆け抜けた老兵を思わせる鋭く煌めく眼光を思考に浸る男へと飛ばす。

 

 虚を眺めながら顎を摩るギーリークはその威殺すような視線に引き寄せられるように、その意識を現実へと戻す。

 何かが潜んでいると不安感を煽るような先の見えない洞穴の如き双眸がその視線の矢を吸い込んだ。

 

 

「…いかんな。疑問が沸くと周囲が見えなくなるのはよくない癖だ」

 

「どうせならそのままでいてくれてもよかったんだけどね」

 

 

 ギーリークは額に手を当て、相手に態勢を整える隙まで与える己に呆れるように首を振る。

 

 それがわざとなのか、はたまたただ此方を侮っている故の油断なのかはアリアには分からなかった。

 だが宝具を手にした古い英雄を前にして尚、その表情の一切を変えないのはどうしようもなく気味が悪い。

 

 そんな彼女の頬を伝う冷や汗にも構うことなく、ギーリークは泥色の魔力を垂れ流し口を開く。

 

 

「聞かせてくれ《賢者》。何故お前は変化を認めない。お前は人類の栄光を知っているのだろう」

 

「その輝きをもう一度見たいとは思わないのか?」

 

 

 そうして仕切り直すように正面を見据えれば、垂れ流す魔力が両脇に術式陣を描き溢れるように歪な怪物達が生み出された。

 

 虫の頭を縫い付けられた人型。

 まるで葡萄のように人の頭部が密集した不気味な蠢く柱。

 何体もの獣を無理矢理融合し粘土の如くこねくり回したような四つ脚の怪獣。

 

 

「少なくともそこにいる二人はそれを成す特異点足り得る存在だ。現実を知れば理解だってしてくれるだろう」

 

 

 次々と現れるソレ等はいずれもが嫌悪感から顔を歪めてしまうような姿をし、あるモノはその眼球を忙しなく巡らせ、あるモノは低い呻き声を漏らす。

 

 冥界と現世が繋がったのではと錯覚するようなその光景は、それだけで膝を折ってしまいそうな絶望感を思わせる。

 

 

「そこを退け森人族。古きを愛し、新しきを認めれない者など生きる屍と同義。次代を掲げる英雄は彼等なのだ」

 

 

 人の姿をした、しかし彼等以上に人に能わない怪物が告げる。

 

 そうしてソレを合図に、生を奪い、肉を奪い、自我を奪い、死体を冒し、継ぎ接ぎ、苦しみの末新たに与えられた身体を必死に震わせる亡者達が一斉に動き始める。

 

 

「———何が栄光だ。お前のソレはただの独善と欲望で世界を歪めてるだけだろうッ。そんな言葉で積み上がった犠牲を正当化するな…ッ!」

 

 

 ギーリークの言葉にデュークはそう静かに叫び、亡者の群の上空へと飛翔する。

 彼の所業を顧みれば、その未来に広がる世界がいかなるものかなど考えるまでもない。

 

 少なくとも、今この視界に映る景色とそう変わらないのだろう。

 

 彼はその手中より黄金の雷火を弾けさせ、襲いくる亡者を薙ぎ払った。

 

 それと同時、その傍から白い影が飛び出す。

 

 

「———」

 

 

 デュークがこじ開けた道を駆け抜け、割れた海が埋まるが如くなだれ込んでくる魑魅魍魎を白き刃によって切り払う。

 

 視界を埋める怪物達のその苦悶の声と死に際の絶望に彩られた表情は、アリアにとっては脳裏に濃く、深く刻み込まれた忘れられない、きっと忘れてはならない光景と同じであった。

 

 自分が救うことのできなかった、救えたかも知れない者達と。

 

 

「ハアァァァ———ッ!」

 

 

 蒼白の力動が白の輝きを後押しし、目を焼くような極光を生み出す。

 ソレを手の内に収めるアリアは滑らかな流線を描き舞が如く剣を踊らせる。

 

 その輝きが鬱陶しいのか、はたまたその光の奥に何かを見たのか、ギーリークは眼をスッと細める。

 

 その瞬間、デュークは彼の意識が目に宿ったことを悟り、幾度と経験した背筋を走る悪寒を感じ取る。

 

 

「アリ———」

 

「———それっ」

 

 

 デュークがアリアへ警告しようとすると同時、その背後で軽い調子の掛け声と共にメアリスが指を振るう。

 

 

「…ほう」

 

 

 次の瞬間、アリアを捉えていたギーリークの眉がピクリと動いた。

 デュークも一向に起こらないアリアの異変に自身の直感が外れたかと安堵と戸惑いを露にする。

 

 

「キミの言葉には同意しよう。確かに私はもう終わった存在だ。だが別に変化を否定するわけではないよ。意思を持つ存在が跋扈するこの世界、変転が無いなどあり得ないだろう」

 

 

 メアリスは振った指をそのままに、流れるように魔術を発動する。

 

 

「でもね———せめて犠牲となる者達の自由意志を慮ることだ」

 

 

 地獄から這い出た侵略者達を前に英雄は杖を打ち鳴らし数体の銀の巨人を生み出した。

 

 

「失われたモノ、であるならば仕方ないだろう。何かを得るには犠牲は付きものだ。だが、キミの言う革新によって消えゆく者はキミが奪った命だろう」

 

 

 進軍する銀の壁はその頑強な四肢を振るい迫り来る尽くを正面から叩き潰す。

 

 猛威を振るう巨人はアリアを援護するようにその歩を進める。

 

 

「自ら動かぬ者に自由も意思もない。世界の足枷でしかない者は切って然るべきだ」

 

「———違うッ!!」

 

 

 メアリスの言葉を切って捨てるギーリークに、亡者の波を捌き眼前まで迫ったアリアが吼える。

 

 彼の眼下で煌めく白は、気づけば彼女の身を鎧のように淡い光で覆っていた。

 

 

「皆が皆世界を救えるわけじゃない!お前が何かを求めるように、誰かのために、何かのために、皆今日を必死に生きてるんだッ!」

 

「それを否定する資格なんて誰にも無いッ!」

 

 

 弾かれるように加速した白光がギーリークの脇腹へ迫る。

 万華鏡の如く美しく輝く刃は半円の軌跡を描くその一閃を、ギーリークは翻さんと背後へ退く。

 

 

「むっ…」

 

 

 だが完全に回避することはできず浅い傷が脇腹から胸にかけて一直線に刻み込まれた。

 跳ねる血が魔力に灼かれ、一瞬の内に気化する。

 

 アリアは身を捻り独楽の如く一回転し、続け様に首を狙って斬り掛かる。

 

 

「ッ」

 

 

 だが首に肉迫した刃は突如現れた獣の爪によって防がれてしまう。

 視線を動かせば、そこには肩から先が明らかに人のモノでは無い肉の塊へと変貌したギーリークの腕があった。

 

 

「な———」

 

 

 それを視界に入れた途端、剣が弾かれ湾曲した爪が加速する。

 そうしてアリアの剣速に並ぶ、あるいは上回るほどの速度で彼女の左腕に喰らい付かんと閃く。

 

 

 ———《火炎灼ヴォル=ファウ=ディエス

 

 

 瞬間、爪が腕ごと撃ち抜かれる。

 焦げる暇もなく刹那の間に焼き払われた腕は火の粉となり瞬く間に通り過ぎた緋の光線に巻き込まれる。

 

 その隙を突き、アリアは大きく距離を取る。

 

 ギーリークは撃ち抜かれた腕を再生させつつ、詰めるように前方へと術式を描いた。

 仄光る幾何学体からは鳥肌が立つほど夥しい数の腕が何かを求め喘ぐように湧き出す。

 

 一つ一つが意思を持った生き物の如く一斉に伸びたそれらはアリアを捕まえんと飢えた獣の口のようにその手を開く。

 

 

「《極炎界ヴォル=ロ=テラ》」

 

「《破砕流ガラ=ルジオ=ガリア》!」

 

 

 迫り来る亡者の腕を戒めるように大地が燃え上がり、更に捲れ上がる土砂が景色を覆う。

 炎上する土砂の幕は一瞬にして津波のように広場の半分を呑み込んだ。

 

 伸びる千手は灼かれ砕かれ、すり潰す土砂と自らの血に埋もれる。

 

 

「———ッ」

 

 

 その景色を前に地に足を着けたアリアは地を抉るような脚力で蹴り抜き、追い討ちを掛けるべく飛び込む。

 

 

「———待ちなさい」

 

 

 だが、跳躍した瞬間目の前に現れた水の結界にその突進が阻まれる。

 

 そうしてそれと同時、濁った魔力の波動が炸裂し、未だ魔力に還元されていない炎上する土砂が破裂するように消滅する。

 

 

「くッ」

 

 

 結界に守られていて尚反射的に防御の姿勢を取るアリア。

 濃密な泥色の魔力を浴びた結界が外側から剥がされるように崩れて行く。

 

 それを目にし危険と判断した彼女は再度後衛まで飛び退いた。

 

 

「結界が…!」

 

「…やはり、彼の眼は随分と厄介なモノまで見えるようだね」

 

 

 すぐ側まで後退したアリアと瞠目するデュークを横目に、険しい顔付きでそう呟くメアリス。

 

 そこでデュークは彼女らがやってくる前にギーリークが己に語った特異な力について思い出す。

 

 

「そういえば、奴はあの眼で目にした存在の構造を視認することができると言っていた…」

 

「眼…?…確かにあの眼は不気味だけど…」

 

 

 よく分からないとばかりに首を捻るアリアにメアリスが答える。

 

 

「『綻び』だよ」

 

「綻び…」

 

「そう、彼は視認した存在の更に深奥にある構造体、あるいは情報体を捉え、そのほんの小さな綻びをごく僅かな魔力で揺さぶることで崩壊させているんだ。…まあ、魔法か、それに類いする力だね」

 

 

 彼の持つ眼、《淵眼バロール》。

 彼女の言うその信じられない力は正しくその眼の真価の一つでもあった。

 

 アリアとデュークはその脅威的な能力に戦慄する。

 

 それは、言ってしまえば《淵眼バロール》という魔法から更なる魔法が生まれたようなモノである。

 

 

「逆に言えば干渉できるのはその程度の魔力だ。少なくとも人体という領域であれば対処はそう難しくはない」

 

「だが言ってはなんだが、まだ君達ではあの魔力の揺らぎは捉えられないだろう。だから私が護るよ」

 

 

 メアリスはそう言って二人を包み込む魔力を更に活性化させ、瞳を閉じる。

 

 

「———《ヴェリト》」

 

 

 そう唱えると渦巻く魔力が彼女と二人の頭頂へと集中し、術式陣にも似た一つの極彩色の幾何学模様が浮かび上がる。

 

 

「こ、これは…」

 

「まあ、言うなれば外付けの思考回路だね。意思を受け取り、当人が思考する間も無くその答えを出す演算魔術さ」

 

 

 この戦いだけはあまり術式構築に思考を割く必要は無いよ、などと当然のように告げる彼女に二人は絶句するしかなかった。

 

 

「さて、向こうも準備が整ったらしいし、死なないよう気を引き締めて行こう」

 

 

 そんな物騒な彼女の言葉に二人は意識を敵へと向けると共に、魔力の蠢きを捉えた。

 

 消え去った土砂の中、何度も見た肉の嵐が荒れ狂い人型へと収束する。

 

 

「…厄介な魔力だ…だが、だからこそ魅力がある」

 

 

 収まる嵐の中から姿を現すギーリークは、未だ修復しきっていない脇腹から胸にかけての傷をなぞる。

 傷口の表面をぬらりと覆う血が指に付着し、濃蜜な紅が糸を引く。

 月明かりに照らせば、その残酷さとは裏腹に、まるで生命の輝きを想わせるような光沢を見せた。

 

 彼はその糸が重力に従って切れるのを見届けると、その視線を三人へと移した。

 

 

「コレがお前達の答え、と言うわけだな」

 

 

 その問いに三人は答えない。

 だがそれは答えあぐねているわけではなく、だた言うまでもないというだけである。

 

 沈黙は是———無言の肯定だ。

 彼の胸に刻まれた拒絶の傷こそが答えであった。

 

 そんな淡白な反応にギーリークは嘲笑するように鼻を鳴らした。

 

 

「悲しいことだ。無知は時として罪にもなり得るぞ」

 

「…確かに、お前の言う通り変えなきゃいけない現実もあるかもしれない」

 

 

 そんな彼にアリアはポツリと溢す。

 

 

「けど、やっぱり命を奪ってまで無理やり変えるのは間違ってる。誰にだって生き方を決める権利はあるッ」

 

 

 握り締める剣に再び魔力が宿る。

 淡い白は純白へ、廻る魔力は彼女を護るようにその身を包み込む。

 

 その変化は彼女の才覚か友との誓い故か、あるいは賢者の助力あっての賜物か。

 

 

「たとえお前のやり方で本当に、本当にそんな未来があったとしても———」

 

「———ボクは…今を生きる人達の英雄で在りたい…ッ!」

 

 

 そうして纏う魔力が輝きを増し、純白は眩さを感じる白銀へと至った。

 太陽が反射する雪原の如く、穢れの一切を祓う光耀は彼女の秘める信念を表すように闇夜を照らす。

 

 

「万人を救う英雄など居ない。お前達の語る理想は所詮理想だ。手も届かず取り零すだろう」

 

 

 そう冷たく吐き捨てるギーリークの凶眼をアリアは曇りなき宝石のような瞳で見返す。

 

 

「理想で構わない。その理想を、万人と己の願いを叶えた、成し遂げた英雄ひとは居た!」

 

「万人を救えなくても、ずっと王国を護ってきた勇者ひとをボクは側で見ていた!」

 

英雄譚ものがたりの始まりは、いつだって誰かの理想と信念が生むんだッ!」

 

「だから、ボクは———この道を選んだッ!」

 

 

 ただ独り、自室で刻んだ静かな決意とは違う。

 大切な人と共に、脅威を前に、己が何に挑むのかを理解した先にある本当の答え。

 

 その決意を天に届けるように掲げ、そのまま両断するが如くその切先をギーリークへと突きつければ、白銀が熱気さえ感じる程に燃え上がる。

 

 世界を塗り潰す泥色を洗い流すように、その魔力は優しく周囲を包み込んだ。

 

 ギーリークは己の魔力を灼かれるような錯覚を覚え、不快そうに顔を顰める。

 

 

「そうか。それは…残念だ———」

 

 

 彼はその言葉とは裏腹に哀しみの欠片も無い無表情を浮かべ、一つの術式陣を描く。

 

 それは彼が今まで描いていたモノとは桁違いに大きく複雑な幾何学模様が並び———何よりも不穏な魔力を滲ませていた。

 

 触れれば腐り落ちてしまいそうな程におどろおどろしいその魔力は、描かれた術式が犇めく度に苦痛を訴えるように呻き、蠢く。

 

 

「ならば非常に惜しくはあるが…不穏分子は間引かねばならない」

 

 

 ぽっかりと空いた深淵のような術式陣からドス黒い泥の噴出と共に硬質な光沢を纏う黒曜の如き腕が這い出る。

 

 腕は縁へと叩きつけるように手をかけ、ズルりと引き上げるようにして身体を引き上げ徐々にその全貌を露わにした。

 

 そうして、ギーリークは現界する怪物へと呪文を唱えるように呼びかける。

 

 

 

「———《黒獣ガーレイ》」

 

 

 

 ソレは巨大な黒の鎧であった。

 ソレは獣のように唸り、ドス黒い泥を滴らせていた。

 

 片手には同じく黒の斧槍ハルバードを持ち肩に担ぎ、もう片方を地に這わせている。

 全身を覆う鎧は禍々しい程の闘気を放ち、殺気と興奮が溢れていた。

 

 

「…悪趣味だねぇ」

 

 

 憂と嘲りを孕んだ声音でメアリスがそう呟く。

 

 黒獣と呼ばれたソレは得物の石突を地面に突き立てるとゆっくりとその身を起こし、甲冑の奥に広がる虚空から三人へ飢えた視線を放った。

 

 

「お前の好きな戦争だ、存分に喰らえ」

 

 

 ———ッッッ!!!

 

 

 爆発するような咆哮が森に轟く。

 

 それを合図に、飼い主の許しを得た黒き獣が解放された。

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