凶眼の見る未来

 見たのはつい先日であるのに、何故だかひどく懐かしく感じる魔力、そして彼。

 

 開けた空間へと飛び出し、血塗れになって弱々しく膝を付く彼を見た瞬間、アリアは脳が沸騰したと錯覚する程に静かに激昂した。

 

 彼女は目の前の男へ一切の躊躇いなく斬り掛かる。

 迸る白の魔力は揺らめく炎のようにその剣身を包み勇猛なる奇跡を描いた。

 

 

「ハァッ!!」

 

 

 右に持つ《栄光の剣グラントリア》を流すように背後へと構え、ギーリークの懐へと踏み込むと同時に袈裟懸けに斬り上げる。

 避ける素振りすら見せない彼の脇腹から肩に掛けてを煌めく白光が駆け抜けた。

 

 焼け付くような輝きは赤い血肉を撫で、浄化するかのように照らす。

 

 

「速いな。その妙な魔力か?」

 

 

 だが男は己の胴を分たれたにも関わらず平然と問いかける。

 跳ねた自身の血をその頬に走らせながら無情の相を貫く様はまるで首と胴が全く別の生き物であるかのようにさえ思わせる。

 

 彼はその妙だと言う白の魔力へと視線を向け、その深部を探ろうと凶眼を開いた。

 

 しかしアリアはそれを遮るように彼の両眼を一閃する。

 

 

「気持ち悪い目を向けるな」

 

 

 彼女は更に追撃すべくその切先を人中へと突き立てる。

 血に染まることの無い剣身は容易く人体を貫き後頭部までを突き抜けた。

 そうして横合いに引き抜き、ついでとばかりにその耳を削ぎ落とす。

 更に後方へとバランスを崩すギーリークヘ飛び掛かりその顔面へ向けて三度剣を振り、最後に縦一文字を見舞い蹴り飛ばすようにして距離を取った。

 

 足蹴にされた彼は血と肉と脳漿の混じるゲル状の液体を宙に撒き散らしながら無抵抗に背後へと倒れる。

 

 重みのある、水面を叩くような音を立てながら地面へと投げ出された。

 

 だが明らかに死んだであろうその姿を前にするも、着地したアリアは油断無く彼を見据える。

 

 

「———アリア、何故こんなところへ来たんだ」

 

 

 そんな彼女へ、背後から困惑に満ちた声が聞こえてくる。

 その声の主は他の誰でもない、デュークであった。

 

 彼は戦意を失ったようにその場に肘をつき、その整った顔を小さく歪めそう尋ねる。

 

 死体へと目を向ける彼女は毅然とした様子で答えた。

 

 

「デュークが勝手にどっか行くからでしょ。心配したんだからね」

 

 

 その声には怒り、苛立ち、悲しみ…様々な感情が垣間見える声音であったが、何よりも心配の意が表れていた。

 

 一瞬ギーリークから視線を外したアリアはジトっとした咎めるような目で彼を見る。

 

 

「早くコイツぶっ飛ばして帰るよ」

 

 

 そうして彼女はそっぽを向くように正面を向く。

 

 

「…いや、お前は逃げろ」

 

 

 そんな彼女の背へ彼はいつもの澄ました顔のまま、しかし覇気の無い絞り出すような声でそう答える。

 

 

「奴にはこちらの攻撃も真面に通じはしない。オレ達では何をやっても無駄だ」

 

「ッ…じゃあ二人で逃げるよ」

 

 

 アリアは彼の弱気な発言に顔を顰めるも、振り向くと彼を手を取って走り出そうとする。

 

 だがデュークはその手を振り払った。

 

 

「…どうしたの、早くしないと———」

 

「———お前一人で行け」

 

 

 僅かな苛立ちと焦燥を募らせる彼女へ彼はそう言い放つ。

 

 

「…今は冗談なんて聞きたくないよ」

 

「冗談などではない。一人が囮になれば逃げ切れる可能性もある。」

 

 

 デュークはアリアに背を向ける。

 

 

「…何より、これはオレが身の丈に合わん力を求めた結果だ」

 

 

 その声は酷く悔しそうで、血でも滲みそうな程に食いしばる姿は己を引き裂かんとする怒りを抑え込もうとしているようでもあった。

 

 

「…オレは、これ以上お前に戦ってほしくなかった。また誰かを失えば、お前はきっと自分を責めるから」

 

「だからもうお前が戦わなくてもいいよう…お前を守れるよう力を求めた…」

 

「その結果がこれだ…」

 

 

 己を嘲る彼はそう吐き捨てる。

 

 自身は彼女の側にいなくてはならない。

 つい先程そう気がついたばかりであると言うのに、今こうして失うかもしれない恐怖を目の前にすると突き放すことしかできない。

 

 

「こんな馬鹿についてくる必要は無い…」

 

 

 己の決意も声高らかに宣言できない己が滑稽で仕方がなかった。

 

 そうして彼はアリアを背後に、離れるように踏み出す。

 

 

「…守るとか、そんなの要らないよ…ッ」

 

 

 そんな彼の耳へ、彼女の震えるような声が届く。

 

 踏み出そうとした足を止める。

 

 

「ボクはもう、君に守られないといけないくらい弱くなんかない…ッ!」

 

 

 背後で土を踏み締める音が近づいて来る。

 それはゆっくりとした足取りながらまるで鎧を着た騎士が踏み抜くように力強く、怒りの籠った重い音だった。

 

 

「ボクの為に強くなるって言うなら———」

 

 

 そうして、少女の手が彼の腕を掴み、思い切り弾くように背後へと向かせる。

 

 

「———一緒に戦ってよッ!!」

 

「何も言わずに居なくならないでよッ!!」

 

 

 心からそう叫んだ。

 号哭にも似た声が森に木霊する。

 

 デュークの視界には今にも泣きそうなほどに目尻に涙を溜めた、しかし確かな怒りを露わにする幼馴染の金色の瞳が揺れている。

 

 

「ボクだって…君を守りたいんだ…ッ」

 

 

 金色は翡翠を捉えて離さない。

 

 

「アリ、ア…」

 

 

 縋り付く彼女の嘆きはデュークの摩耗した心の奥底を大きく揺さぶった。

 

 ずっと、彼女は失うのを恐れているのだとばかり思っていた。

 だから力をつけ、強くなり、弱き者達を背後に前へ進んでいるのだと、そう思っていた。

 

 彼に取ってその姿は酷く傷ましく、あまりに見ていられなかった。

 昼間に会った時も以前の明るさを取り戻してはいたが戦場に出れば元に戻ってしまうのでは無いか、そう恐れた彼は己が強くなれば———彼女を守ることができるようになればずっと笑っていてくれると、そう信じていた。

 

 だがそれは違ったとつい先刻になって気がついた———そんなつもりでいた。

 

 

「(オレは…知らぬ間にアリアを下に見ていたのか…)」

 

 

 彼女は己の隣で戦って欲しいと言った。

 

 だが自身は彼女を守るべき者として———弱き者として見ていたのだ。

 

 

「(何が『守る』だ…)」

 

 

 剣を取り上げ、彼女の求める道を断ち、檻の中に閉じ込めておくことが己の言う『守る』だとでも言うのか。

 

 それがどれほど傲慢で、どれほど残酷なことなのか、幼い頃より彼女を見てきた己であれば気づけるはずであった。

 

 彼は今になってようやく己の愚行を自覚する。

 勝手に慮り、勝手に突っ走り、挙句泣かせてしまった。

 

 一国の王子がこの為体とはなんと情けないことであろうか。

 

 デュークは呆けたように開いた口を一文字に引き締めると、己の手を取る彼女を手を両手で包み、その場に跪く。

 

 

「…アリア、すまなかった」

 

 

 まるで神に祈るように、あるいは懺悔するように、敬虔な信徒の如く誠意を込めたその言葉は静かに森をさざめかせる。

 

 

「こんな情けないオレではあるが、どうしようもないオレだが…今度こそ誓わせてくれ———」

 

 

 そうしてその意を表明すべく、風の刃によって心に刻み込むように深く息を吸い———その口を開く。

 

 

 

 

「———もう、何処にも行ったりはしない。だから、どうか一緒に戦わせてくれないか」

 

 

 

 

 そうしてゆっくりと上げた顔は、いつか見た皆が見上げる王者に相応き覇気が宿っていた。

 

 優しく包み込む手は決して離れない、離さないと言うようにしかと握り込み彼女の手を掴んでいる。

 

 アリアにはほんの一瞬、彼の頭に黄金の冠を幻視する。

 

 

「…うんッ、絶対だからね!」

 

 

 怒りも悲しみも、燻る負の感情その尽くを吹き飛ばすような喜色を全面に、輝く笑顔を浮かべるアリア。

 

 同時に、彼女の持つ剣の輝きも一層増したように見えた。

 

 デュークは割れ物でも扱うようにそっと手を離すと、膝に手を遣り持ち上げるように腰を上げる。

 

 

「…生きてるんだろう、ギーリーク」

 

 

 黙りこくる惨死体へ向けてそう問いかける。

 

 気でも触れたかと、そう思わせる光景も目の前の男の異常性を知ればそんな疑問も晴れることだろう。

 

 彼の声に呼応するように男の肉体に魔力が流れる。

 

 その瞬間、不自然な挙動で肉体が起き上がると血肉が渦を巻くように肉体の欠損部へと吸収され瞬く間に再生してゆく。

 

 

「———気を遣って黙っていたのだが…もう、いいか?」

 

 

 血肉の渦より現れたギーリークは最後に再生させた眼球をギョロリと動かすと今度こそ彼女の持つ剣が纏う白の魔力をその視界に収めた。

 

 

「ふむ、痛いな。尋常でない…と言うわけではないが、異質な感覚だ」

 

 

 そうしてその視線を滑らせるようにアリア自身へと向ける。

 

 

「つまりその魔力こそがお前の父親も持っていた、《勇者》の血統の証というわけか」

 

 

 己が斬られた———もう既に傷一つない胸を摩りながら彼は興味深そうにそう呟く。

 

 

「アリア・アルブレイズ。以前お前には期待はしていないと言ったが、撤回しよう———オレと共に来い、共に世界を変えようではないか」

 

 

 掌を天に、ギーリークはデュークにそうしたように手を差し出す。

 

 それを見たアリアは肩を揺らし剣を片手に一歩ずつ彼へと近づいた。

 

 そして———数度剣を閃かせ、その手を切り刻む。

 

 

「行くわけないだろ、生まれ変わって出直して来い」

 

 

 全てを照らすような笑顔から一転、表情を殺した彼女はそう告げる。

 

 ギーリークはバラバラと崩れ落ちる己の手を眺めながら反対の手を顎にやり、首を捻る。

 

 彼が魔力を込めれば手は超速で再生された。

 

 

「…やはり、傷の治りが遅い」

 

 

 そう呟く。

 彼が自身の手を深奥まで覗くも、そこにあるのは変わらぬ構造体のみである。

 

 彼は己の手を破裂させると、自然と再生する様を眺める。

 

 

「原因はその剣か…あるいは魔力か…どちらにしても、面白い」

 

 

 面白い。

 そんな一言で致命的な事実を一蹴し、彼は口角を小さく上げていた。

 己の命よりも真理を求む姿勢はデュークの言うように正しく同じ人間とは思えない程に狂っている。

 

 彼は散らされた掌で斬り裂かれた感触を思い返すように握り込むと、その空っぽな凶眼を二人に向ける。

 

 

「———時に勇者と王家の血よ。果たしてこの世界は進んでいると思うか?」

 

「…何?」

 

 

 突然そんなことを問うて来るギーリークヘアリアは眉を顰め剣を向ける。

 デュークもまた警戒を露わに術式を構築していた。

 

 だが、果たしてこの男が言葉による油断などと言う回りくどいことをするかという疑問もまた生じる。

 

 二人は情報を聞き出すためにもと、一時彼の言葉に傾聴することを選んだ。

 

 

「答えは否だ。お前達の発明した戦式魔術は三百年前より姿を変えず、古の魔術は廃れ、種族は増えず、文明も大きく発展したとは言えない」

 

「その上魔物が討伐されるが故、生物の多様性は収束し始めている」

 

 

 魔物とはもとより魔力を得た別の生物が進化した姿とも魔力から自然と発生したとも言われ、詳しい発生は解明されていない。

 

 だが確かに彼の言うように一定の生態系を構築していたこともまた事実であり、善悪は別としてその多様性は収束しつつあることは否定できないだろう。

 

 ギーリークは人類文明の滞りを説き、その強い意志を魔力に乗せ放出する。

 

 

「ぅ…ッ」

 

「っ…」

 

 

 味も匂いも、直接的に五感を刺激する筈のない泥色の魔力からは、しかし死臭や腐臭が漂っていると錯覚させる程に恐怖心や忌避感を引き摺り出す。

 

 

「断言しよう…この世界は停滞している」

 

 

 そう断ずる彼の表情は人間性を削ぎ落としたような冷徹なものでありながら何処か哀しみや憐れみを孕んだようにも見えた。

 

 

「世界が動いたのは…真の英雄が在った魔王の時代が最後だ」

 

 

 魔王の時代。

 つまりは三百年前の災厄の時代のことを指す。

 

 確かにこの世界で、人類史において英雄を挙げるならば間違いなく彼の災厄を祓った初代英雄達のことを想起することだろう。

 

 良くも悪くも激動の時代であったことは間違いない。

 

 

「…それがなんだ」

 

 

 デュークは冷や汗を滲ませながらもそう問うた。

 一体何がこの怪物を突き動かすのか、そんな小さな好奇心があったことも確かであった。

 

 ギーリークはよくぞ聞いてくれたとばかりに答える。

 

 

 

「———我々がその歩を進めるのだ」

 

 

 

 そんな世界を巻き込む宣言を。

 

 

「王国に多様な生態系を作り出そう。聖国に新たなる神の観念を植え付けよう。帝国を修羅の国に変えよう。法国で禁術を解禁しよう———」

 

 

 羅列する所業はどれもこれもが想像するだけで怖しく、世界の秩序を崩壊させかねない。

 

 だがギーリークはその貼り付けたような無表情に静かな熱を宿し喉を震わせる。

 

 

「いずれもが今の世界の可能性を広げるファクターとなり得る。きっと今よりも遥かに高次の世界を見ることができるだろう」

 

 

 空間を埋める泥色の魔力が世界を塗り替えるように圧迫する。

 突如現れた強大なる存在に首を垂れるように草花は萎れ、澱んだような空気が広がった。

 

 

「そうしてそれが次代を綴る歴史の一ページとなるのだ」

 

 

 己の言葉に一片の間違いもありはしない。

 覆ることのない確信と、底なし沼のような執念を宿した地鳴りを錯覚する低い声が一帯に響く。

 

 ギーリークは嘗て無い程の激情を込めた凶眼を見開きその歩をアリアへと向け進める。

 

 

「どうだ、素晴らしいだろう———それでもお前は俺と来ないと言うのか、世界を想う英雄よ」

 

 

 デュークのような闇を切り開くような気迫に満ちた覇気とは違う、阻む者全てを呑み込み押しつぶすような暴力的な闇がアリアの二つの金色に絡み付く。

 

 吹き抜けのようなその両眼は、逸らそうにもまるで魔術でも掛けられたかのように吸い込まれ、固定される。

 

 

「———アリアッ!」

 

 

 視界の端を雷光が閃く。

 恐らくはデュークの放つ魔術である。

 

 

「———邪魔をするな」

 

 

 だが凶眼に捉えられたが最後、駆け抜ける雷火は一瞬にして宙へ散る。

 同時にデュークの四肢が弾け飛んだ。

 

 再びその闇がアリアを捉える。

 

 

「俺はお前のその力があれば世界を変えられると確信している」

 

 

 瞳を通じて己の奥底を覗き込む凶眼が、その視線が深淵に眠る何かを撫でる。

 まるで鳥肌が立つように最奥が震え、吐き気と強烈な不快感が肉体と精神を支配する。

 

 

「さあ、答えを聞こう———お前は世界を救うのか、それとも捨てるのか」

 

 

 さらに深くまでを侵食したソレが己の何かを握り潰さんと掌握したのを感じる。

 

 やがて視界が暗い靄のようなものに覆われ始めた。

 

 少しずつ意識が遠のいて行く。

 

 

「ぁ…ぐ…ぼ、くは———」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『———人はそれを余計なお世話と言うのだよ』

 

 

 瞬間、弾かれるように上空を見上げたギーリークが手を翻し迎撃の姿勢を取った。

 

 それとほぼ同時、彼の真上より隕石の如き金緑の極光が落下し衝突する。

 

 

「ぅわッ…!」

 

 

 森全体を揺らすほどの振動と鳴り響く轟音に思わず守るように腕を交差させるアリア。

 

 

「あ、れ…?」

 

 

 だが、一向に襲来しない衝撃の波に違和感を覚えた彼女はその腕を解き正面を見据える。

 

 彼女の視界に飛び込んできたのは、莫大な魔力を込めた腕を上方へと翻すギーリークと、その上から片足で踏みつける金緑の光を纏う少女というあまりに突飛な光景であった。

 

 そうして、アリアはその光景を目にしてようやく自身がいつの間にか薄い結界に覆われていることに気がつく。

 

 結界の向こう側でギーリークが腕を薙ぎ、金緑の少女を弾き飛ばす。

 

 投げ出された少女は宙を舞い、まるで水に沈むようにゆったりとした挙動で着地した。

 

 攻防を繰り広げた者は睨み合い、それを眺めていた者は呆然とする。

 

 

「…次から次へと鬱陶しいな」

 

 

 沈黙を切り開くように口を開いたギーリークが心底面倒そうに呟く。

 見れば、彼の片腕は捩じ切った鉄パイプのようにひしゃげていた。

 

 彼の視線の先に立つ少女はその草原に吹く微風のような髪を靡かせる。

 

 

「随分と荒らされているね…」

 

 

 聖堂の鐘を思わせる重い、裁定者の如き厳正な声が森を震わせる。

 

 少女が一歩踏み出せば、その足先を中心に生気を失った草花が一斉に面を上げ開花した。

 

 

「わぁ…っ」

 

 

 そのあまりに幻想的かつ神秘的な光景に感嘆の声を漏らすアリア。

 先程までの奈落にとらわれたかのような恐怖も極光に照らされたように吹き飛んだ。

 

 

「君がグラムの子、アリア君で間違いないかな?」

 

「ぅえ…っ!?は、はい…!」

 

 

 突然名を呼ばれ上擦ったような声で返事をしてしまう。

 

 

「ふむふむ、そうかいそうかい成程ね。確かにあの子そっくりだ」

 

 

 うんうんと納得したように頷く彼女の声は打って変わって柔らかく優しげである。

 

 アリアは何故だか心中に安堵を覚えた。

 

 

「そちらの君はデューク・クラディアス君だね?」

 

「あ、ああ…」

 

「うむ、良い顔立ちだね。将来が楽しみだ」

 

 

 デュークも戸惑った様子で反射的に答える。

 

 少女はその様子だけを確認すると「さてと」と一泊置き、ギーリークヘと向き直る。

 

 

「———死ぬ準備は出来ているかな?」

 

 

 そうして凍えるような吹雪の如き殺意を宿した瞳を向け、少女は問うた。

 

 ギーリークはその視線を虚空を映す眼で迎え撃つ。

 

 

「邪魔をするつもりか?」

 

「当然さ。君を野放しにはしておけないよ」

 

 

 少女は視界に収める秩序を唾棄したような混沌極まる魔力を眺め告げる。

 

 

「内に悪魔を飼う者が、人の肉体まで捨てているならばそれはもうただの凶悪な魔物と変わりはしない」

 

「どいつもこいつも失礼な奴だ。俺は紛れもない人間だぞ」

 

 

 少女はギーリークの言を鼻で嗤い捨てる。

 彼が人間だなどということをまるで信じていない様子であった。

 

 

「…戯言にしたってつまらないね。それとも、それが君にとっての革新した光景の一つだとでも言いたいのかな?」

 

「正確には途上だな。この体は完成しているとは言えない」

 

「…だから余計なお世話と言っているんだよ。それ以上なんて、ただの悍ましい怪物が出来上がるだけだろう」

 

 

 少女は心底不快とばかりに、想像することも憚られる未来に美しい顔を歪める。

 

 しかし理解ができない様子で眉を顰めているのは向かい合う男も同様であった。

 

 ギーリークは不思議そうに首を捻る。

 

 

「…余計なお世話か…これは俺が、俺達が望む未来だぞ?お前達の未来などどうでもいい。我等が望むは我等の桃源郷だ」

 

「故に、協力しないのであればお前達が気にする必要などない」

 

 

 そう堂々と告げた。

 

 少女は冷えた感情をさらに昏くし、呆然とした様子で聞いていたアリアやデュークは瞠目する。

 

 

「ふざけるなッ!此処は生きた人間や生き物が、一つ一つの命が暮らす世界だッ!お前が自分勝手に変えて良い物なんかじゃないッ!」

 

 

 あまりに身勝手な語りにアリアは吠える。

 あの凶眼がまた己を映すことに恐怖を感じるも、それでもその怒りを抑え込むことはできなかった。

 

 その脳裏に焼き付いているのは変わり果てた王都や恐怖に混乱する民、そして———目の前で消えた己の父。

 

 それら全てがそんな思想の下奪われたと知れば、やるせないなどというものではないだろう。

 

 ギーリークが肩越しにアリアを覗く。

 

 

「人類、妖精、神、魔物…全てはこの世界を構成する一素材に過ぎん」

 

「少なくとも俺には…この世界がただのフラスコの中で溶け合う濁った薬品にしか見えんな」

 

 

 まるで見えない結界でも張られているかのように、彼女の叫びも彼には意味を成さない。

 

 アリアは言葉を交わせば交わす程、少女の言うように彼が人の皮を被っただけの悪魔や魔物に思えてならなかった。

 

 

「成程…つまり君は…いや、君達はどうしようもない屑で…世界の敵というわけだ」

 

 

 少女が魔力を練る。

 

 その瞬間、静かな憤怒を表すような金緑の暴風が吹き荒れ始めた。

 

 

「徒党を組み大地を侵略した上、社会構造を構築する自然を蝕むだけの寄生虫共を世界と称するとはな」

 

 

 ギーリークは肌を殴りつける目障りな風に目を細め、嘲るように言う。

 

 

「自然の守護者である森人族われわれは彼等を迎え入れよう」

 

「自称だろうに…心底傲慢な種だ…全く」

 

「遥古代より自然を守って来たのは事実さ」

 

 

 彼女が腕を振るえば金緑の暴風は泥色の混沌を吹き飛ばさんと膨れ上がる。

 

 

「悪党よ、世界に挑むということがどういう事か…この《賢者》が教えてやろう。その身を以て知ると良い」

 

「ああ、期待しないでおこう…まあだが、そちらが名乗るのであればこちらも名乗るべきか…では、そうだな———」

 

 

 ギーリークは顎に手を遣り、「ふむ」と一瞬逡巡した後ゆっくりと口を開く。

 

 

「———『開闢の門』。それこそが我等新世界の先駆者達の名であり、俺はそこで研究者をしているギーリークと言う」

 

「さぁ、その人類の力とやらを…賢者の叡智をご教授願おう」

 

 

 押し寄せる金緑を呑み込まんと混沌が渦巻く。

 アリアとデュークもまたその全身に魔力を激らせ何とか立ち上がり、再び臨戦体制へと入った。

 

 

「言われなくとも魂に焼き付けてやるさ…愚者よ…あまり、今の人類を舐めるなよ?」

 

 

 変革を謳う侵略者と秩序の守護者。

 

 揺るぎなき悪と正義が衝突した。

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