覚悟
それから◾️◾️は傭兵としての仕事に勤しんだ。
どうやら己は以前から魔術が使えていたらしく、何となく体に染みついた戦闘スタイルと、幾度も修練したのであろう魔術を以て魔物を狩ることが出来た。
そうしてそんな生活を数年続けていた時だった。
◾️◾️はいつものように組合支部へと脚を運び、とうに馴染んだ傭兵仲間との会話を楽しんでいた。
そしてそろそろ仕事の一つでも受けようと腰を上げた瞬間、もはや壊すような勢いで正面の扉が開かれる。
『組合って此処で合ってるかな!?』
———◾️◾️は己の奥底の疼きと共に、運命に出会ったことを確信した。
無数に飛び交う火炎の砲撃を躱し、銀に輝く斬撃を弾く。
地面より突出する岩の槍を剣を這わせる事で往なし、降り注ぐ雷の矢の隙間を縫うように駆け抜ける。
カローナの動きは既に魔物を相手にする時のような軽快なものへと変化しており、アリアを翻弄するようにして四方より色鮮やかな魔術を放つ。
だがそれでもやはり、その顔だけは苦々しいもののままであった。
「…くっ」
そうしてアリアが応戦する中、旋回するカローナは突然無理矢理勢いを殺すように地面を踏み締めると、決死の形相で己の腕を掴み、押さえつけるようにして力を込める。
まるで別の生き物を鎮圧せんと奮闘するようなその奇妙な様子にアリアも只事ではないということは察せられる。
「カローナさん…っ!」
アリアは先程から続く異常な光景に剣を魔力で覆い警戒を見せつつ彼女へと接近する。
「ッ、…っ!」
瞬間、再び彼女の掌から火球が放たれる。
翻す事なく手に持つ剣で弾くアリア。
視界に映るカローナの全身には魔力が流れ始めており、既に次なる魔術を構築し始めている。
流れる魔力の出力は三節詠唱並。
これ以上は無抵抗ではいられないだろう。
「(何が起きてるんだ…っ?)」
アリアはカローナを見据える。
今アリアの思考を埋めるもの、それははいきなり攻撃してきた彼女に対する失望やショック…だけではない。
むしろそのほとんどを占めるのは困惑であった。
彼女に対する信頼が由来したことで純粋に裏切られたという結論に至らないことも大きいだろう。
———間違い無く何か異常が起きている。
アリアは今の彼女を平静ではないと捉えた。
以前までの彼女であればきっと「カローナから攻撃された」という事実のみに目を向け、今のように冷静ではいられなかった事だろう。
緊急時において広い視野を持つ。
それは彼女の確かな成長と言えた。
「———アリア…ッ!」
そんな中、カローナから思考の隙間に差し込むような声が掛かる。
「ッ…どうしたの…?」
アリアは二つの意味を込めて問う。
彼女にとって心底不本意ではあるものの、カローナからの追撃に身構えつつカローナの返答を待つ。
警戒心と心配を宿した瞳で見詰めるアリアへ、カローナはいつも通りに軽い声で、しかしその額に脂汗を浮かべながら告げる。
「———私の手足、斬り落としてくれない?」
そんな一言を。
「……は?」
アリアの口から空気と共に漏れたような声が零れ落ちる。
「な、何言って———」
己の手足を切り落とせなどと狂言を吐く彼女にアリアは更なる異常が起きたのかと恐怖さえ孕んだ表情を見せる。
だが当の本人であるカローナは疲弊した様子を見せながらもまるで何でも無いように、変わらぬ調子で言葉を紡ぐ。
「このまんまだと邪魔に、なっちゃいそう、だし…流石に手も足も、無きゃ大丈夫だと、思う。魔力の主導権も…ある程度は、こっち側にある」
そう語る彼女は口を動かしながらも必死に体を抑えようと奮闘していることが見て取れる。
巡る魔力はチグハグで、一人の人間が操作しているような統一性は感じられない。
「…それは、誰かに操られてるって…こと?」
「多分、ね。原理は、分かんないけど…」
人間を操る魔術。
そんなものは聞いたことが無い。
いや、正確には生きた人間の意識をそのまま・・・・・・・・・・・・・に肉体のみを操る魔術は、アリアの記憶の中には存在しなかった。
魔術界において肉体とは自己の絶対的な領域の一つである。
洗脳することにより意識を混濁させ、結果的に肉体を支配する魔術は存在するが、今のカローナは自己の意識がはっきりとしている。
「だから、さ。こっからは、足手纏いに…なっちゃうし」
「だ、だからって…」
確かに彼女の言う通り、本当に操られアリアにこれ以上攻撃を仕掛けると言うのであれば足手纏いどころか壁となって立ちはだかることとなるだろう。
だが、それでも友を斬れなどという所業はあまりに酷であった。
何よりこれが理性を失い殴りかかって来るならば兎も角、友が友として己に語りかけていることがその手を止める。
「魔術は分からない、けど…近くに居るのは分かるよ。多分、殿下と一緒に居る」
「ッ!」
一瞬、アリアの意識が森の奥へと向かう。
彼女の言葉が意味するのはすなわち…デュークが敵と対峙しているということである。
この洗脳じみた攻撃もその妨害なのだろう。
「私は…まあ、どうにかして後で追うから」
引き攣ったような笑みを浮かべそう言うカローナにアリアは瞳を揺らす。
またあの時と同じように、まるで己の意思の揺らぎを表すように持ち上げる剣先が震える。
このまま彼女を斬り捨て、奥へ向かえば一人の友を助けることができるかもしれない。
むしろ今こうして迷いに駆られている間も刻一刻と最悪は近づいている。
だが、それならば彼女はどうなる。
己の意思と関係なく攻撃を仕掛け、あまつさえ友に斬られるなど…
彼女の言い方からは、恐らく彼女が使えると言う聖魔術も行使するつもりはないのだろう。
だとすればその血はたれながしにするとでも言うのだろうか。
「そん、なの…」
背後の友か、目の前の友か。
残酷な二択がまるで彼女を追い立てるように鬩ぎ合う。
焦燥を見せながらも平静を保っていた思考は徐々に混乱し始め、戦いの意志を宿す剣を覆う魔力は霞み出す。
『信念を貫け』
眼前の友がかけてくれた言葉が、背中を押してくれたはずの言葉が、今己の足を縛る。
「…全くもう…しょうがないなぁ…」
景色が見えているようで見えていない、そんな彼女を前にしたカローナは抗い合う魔力に身を任せ、一つの術式を構築する。
突如動きを見せた魔力に反応したアリアは手元の定まらないまま咄嗟に構えた。
そうして、集う魔力はその魔術を発動させ———
———カローナの脚を切り裂いた。
「———ぇ」
バランスを大きく崩したカローナがその場に片膝をつくように座り込む。
その光景をアリアは一瞬、理解することができなかった。
突然のことに震えていた体も剣もピタリとその動きを止めてしまう。
今目の前で起きた出来事を理解しようとその神経を働かせる。
そうして、それが余計に彼女の思考を混濁とさせた。
「カ、カローナさん…すぐ治して———」
「———駄目だよ、止まっちゃ」
状況を把握し切れず、何とか絞り出したアリアの言葉を遮るように、いっそ拒絶する程に強くそう言うカローナ。
右脚の膝から下を失い蹲る彼女は、しかし苦しんでいる様子は無く、未だ内側を侵す別の意思に抗わんとしている。
「殿下を助けるんでしょ?お父さんの仇を討つんでしょ?…なら、こんな所で迷ってちゃ駄目だって———ッ」
「ッ、止め———」
そう諭しながら彼女は更にもう一本、その左腕を切り落とす。
だがそうしながらも彼女は呆然と立ち竦むアリアへ向けて厳しく、そして優しさを孕んだ声で語り掛ける。
「ほら、血だって出てないでしょ?」
「…ッ」
とても正気とは思えない、まともに見れたものでは無い光景。
気狂いと称されても反論出来ない彼女のその行動は、抉る程にアリアの背中を突き放す。
カローナは脚と腕を一本ずつ失ったその身体を木の幹へと預ける。
どうやら彼女を操るべく働きかける力は、弱った肉体を無理やり動かす程の作用は無いらしい。
「これなら…魔力の流れだって、多少は乱れるし、抑え込める…だから、邪魔にはならないと思う」
ニコッ、と平気だと言わんばかりの柔らかい笑みをアリアへと見せるカローナ。
しかし、吹けば散ってしまいそうな程に儚い、消耗した彼女のその姿はあまりに悲惨であった。
「うぅ…ッ」
アリアは胸に剣を突き立てられたかのような苦痛を錯覚する。
ぐちゃぐちゃになった思考の中にはどちらかを切り離す事しか出来ない己を罵る声や、友を捨てた未来の己へ恨み言を連ねる声が響く。
「アリア…もし、自分のせいで私が死ぬだなんて考えてるなら、それは違うよ。」
そんな彼女へ、カローナは叱りつけるように言う。
「コレは私の選択…私の為にやったことで、コレが最善だと思っただけ」
「コレが私の…覚悟なんだから」
———貴女は其れを無碍にするのか。
そう問うような言葉は、まるであの自室での決意そのものを問うようなものに聞こえた。
失う未来ばかりを見るのではなく、失う意味を考える。
そうしなければ立ち止まってるのと変わらない。
そう心に刻んだはずだ。
「頼むよ、アリア」
片腕が無いまま、両手を合わせ祈りそうな程に強く懇願するカローナ。
アリアは意思を固めたように剣を柄を握り直し、出発した時のような決意に満ちた表情を彼女へと向ける。
「———ホントに、死なないんだよね?」
「…死なない死なない。伊達にここまで傭兵として生き残ってないよ」
カローナは左手をヒラヒラと揺らす。
その軽い調子はアリアを安心させようとしているようにも見えた。
「…なら、行くよ」
「うん」
「…絶対に、助けるから……ッ」
そうして無力な己に歯を食い縛り、カローナへと背を向けて駆けて行くアリア。
「待ってるね〜」
そんな彼女を見送りながらカローナは満身創痍で微笑むのだった。
「………行ったかな」
アリアが森の奥へと消えたのを見送ると、カローナは既にある程度取り返した主導権を以てその魔力を操る。
そしてその場に描いた術式を発動した。
「…嘘付いちゃったな…」
これから先彼女と関わろうがそうでなかろうが、きっと自分は今回のように己の意思と関係なく彼女を襲うかもしれない。
いや、間違いなくそうなる。
何故ならば彼女は自身でも知らない己が存在していると知っているから。
だから自分はもうここで終わるべきだ。
これ以上友人を害するなどたまったものでは無い。
「ホント…何で私って生まれて来たんだろ」
彼女の目の前に一本の岩の槍が生成される。
それには今まで見たどんな魔術よりも鋭く、そして殺意が込められている。
そしてその切先が指すのは…己の胸。
「アリア…コレも私の選択だから…だから、背負わないでね」
此処に居ない友人に向けたその言葉は、彼女への気遣いのようにも懺悔のようにも聞こえる。
カローナは息を吐くと最期になるであろう暗い緑をその眼に写し、目を閉じる。
「———じゃあね」
そうして、槍は彼女の胸を———
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