迷いと解放

 彼———デュークは目の前で起きていることを暫く理解が出来なかった。

 

 彼は数刻前、「彼」に呼ばれこの場へとやって来た。

 

 彼が伝令用に使用したであろう鳥が置いて行ったこのマントを身につけ、姿を隠し抜け出して来た。

 

 

 

 全てはそう———力を手に入れる為に。

 

 

 

 己の守りたい者を守れるように。

 得たものを失わない様にする為に。

 もう彼 彼女・・が危険なところになど行かなくても良いように。

 もう彼女・・が戦わなくても良いように。

 

 彼はここへやって来た。

 

 あの御仁ならばきっと己を強くしてくれると、己に道を示してくれると、そう信じて。

 

 

 だが———

 

 

 

「…黒髪の男を、知らないか…?」

 

 

 

 目的の人物の姿が見えず、溢れる困惑を抑えつつそう尋ねるデューク。

 

 ギーリークと名乗る男は顎に手を遣り、答える。

 

 

「奴なら来ない」

 

 

 そうして、彼へとそんな残酷な事実を突きつけた。

 

 

「…来ない、だと?」

 

「ああそうだ」

 

「…何故そんなことが言える…」

 

 

 デュークはそんな、既に答えが出ているようなことを問うた。

 

 すると彼は一度大きくため息を吐く。

 

 

「何故、とは…そんなもの、俺が呼んだからに決まっているだろう」

 

 

 聞かなければまだ希望もあったかもしれない。

 

 だが、今目の前の男はハッキリと言った…言ってしまった。

 

 デュークはその答えに困惑も掻き消すような怒りが湧き出る。

 

 

「…彼を騙ったのか…ッ」

 

「まあ、結果的にはそうなるな」

 

 

 飛びかからんばかりの怒気を放つデュークに対し、ギーリークは酷く冷静であった。

 

 まるで淡々と確認作業をするようにデュークの質問に答えて行く。

 

 

「お前は彼のことを知っているのか?」

 

「知っているとも。余計なことしかしない奴ではあるが…偶には役に立つものだ」

 

 

 そう薄ら笑いを浮かべ、彼を嘲笑する。

 

 

「…彼とどういう関係だ」

 

「関係…か。特にこれと言って無いが…そうだな…奴は非常に興味深い存在だ。俺が一方的に興味を持っている、と言えばそれまでだ」

 

 

 男はまるで届いたプラモデルを開封する直前のような高揚感を醸し出し、楽しげにデュークへと語るギーリーク。

 

 

「…そうか」

 

 

 デュークはそこまで聞くとそう一言溢し、踵を返して身を翻す。

 

 

「帰るのかね?」

 

「当然だ」

 

 

 投げかけられたその声に、デュークは足を止めることも振り返ることもなく答える。

 

 

「オレは彼に会いに来たのだ。お前ではない」

 

 

 デュークは彼の言葉を求めてこの場に来たのだ。

 それが無いと分かれば残る理由もないだろう。

 

 彼は再び森の闇へと歩を進める。

 

 

「…ふむ」

 

 

 そんな彼の背中へ、何気ないように尋ねる。

 

 

「お前は、力が手に入ればそれで良いんだな?」

 

「…は?」

 

 

 含みのあるその言葉に思わず足を止めた。

 そうして肩越しに背後の男を見遣った。

 

 

「…何が言いたい」

 

 

 つい、その先が聴きたくなった。

 

 この男は、間違いなく関わってはいけない存在だ。

 それは視界に収めた時から気がついていた。

 

 ほぼ完全な感覚センスによって魔力を操るアリアとは違い、魔に対し深い理解を以て魔道を進む彼だからこそ感じた、この男から感じる違和感。

 あるいは、気色悪さとも言える嫌悪感。

 

 いっそ冒涜的なまでに歪な魔力は、知覚するだけで鳥肌が立つ。

 

 だがそれでも、もしかすれば———

 

 

 

 

「———俺ならば、お前に力を与えられるぞ?」

 

 

 

 

 ———己の期待する答えが返って来るかもしれない、と。

 

 

「お前が、俺にか?」

 

「ああ、その通りだ」

 

 

 その言葉に再度問い返す。

 答えは、ハッキリと返って来た。

 

 

「…そうか」

 

 

 そこで、デュークは振り返り男に向き直った。

 

 それはすなわち、男の話に耳を傾けているという事だ。

 少しでも可能性があるのなら…と。

 

 

「…あの動乱の時、人を生贄に生み出した魔物を解き放ったのはお前だろう?」

 

 

 答えを返す前に、デュークは一つ男に尋ねる。

 

 あの時、アリアとの御前試合の際に突如現れたあの魔物を生み出した存在。

 デュークはそれが目の前の男であると確信していた。

 

 

「ご名答だ。何だ、その文句でも言いたいのか」

 

「ああ、勿論だ。力を手に入れれば真っ先にお前を殺してやる…!」

 

「ほぉ、それは…怖いな」

 

 

 まるで過去の事のように語る男にデュークは歯が砕けるばかりに食いしばる。

 

 

「…だが、オレが聴きたいのはそれじゃない。オレが聴きたいのは———」

 

 

 しかしその怒りも抑え込み、彼は本当に聞きたいことを口に出した。

 

 

「———オレもああ・・なるのか?」

 

 

 思い出すのはまるで風船のようにブクブクと膨れ上がり一瞬にして変貌した肉の怪物。

 

 元の面影など血の色と貼り付けられたような顔面のみ。

 その顔すら…恐らくは死に際の苦痛に塗れたおどろおどろしいものだった。

 

 ギーリークから力を得る。

 その末路が自身の人間性の消失であるというのならば…

 

 

 ギーリークは彼の問いに首を捻りながら答える。

 

 

「上手く噛み合えば分からんが…完全な融合というのは俺のを以てしてもそう容易ではない。…まあ、アレ・・は適当に継ぎ接ぎしたものを放り込んだだけだからな、少々・・歪だったが。」

 

 

 つまり、不可能ではないという事らしい。

 

 彼の語る犠牲者への所業に腑が煮え繰り返るが、デュークは情報を引き出す為何とか鎮める。

 

 

「さあ、答えを聞こうか」

 

 

 そう言ってギーリークは手を差し出す。

 その手を取れと言わんばかりに。

 

 

「…ッ」

 

 

 そうして己の中に浮かぶ天秤に掛けた。

 

 力を得て最悪化け物へと変貌するか、それとも今ここで引き返すか。

 

 化け物になれば…きっと己の居場所など無くなるのだろう。

 

 当然だ。

 誰が力欲しさに人間を捨てた馬鹿を受け入れるというのだろうか。

 あのお人好しな幼馴染でさえも剣を振るって払う事だろう。

 

 

「…オレは」

 

 

 …それに、意味などあるのだろうか。

 

 そもそも彼は、幼馴染を守る為に力を求めたのだ。

 その本人に拒絶されては本末転倒ではないか。

 

 

「オレは…」

 

 

 答えを出したデュークは差し出された悪魔の手の向こうにある混沌を真っ直ぐと睨みつける。

 

 

「人間で在り———」

 

「———人で在ることがそんなに重要かね?」

 

 

 そうして意を決したようにその拒絶ことばを発そうとした彼に、ギーリークはまるでわかっていたと言わんばかりに先んじて問うた。

 

 

「…何———」

 

「———守るだけ・・・・ならば、人で在る必要などないだろう」

 

 

 そう、さも当たり前のことのように宣う。

 

 何を言っているんだと、そんなわけないだろうと、普段の彼ならばきっと反論したことだろう。

 

 だが———

 

 

「…」

 

 

 ———守るだけならば人で在る必要はない。

 

 

 その言葉に、納得してしまった自分が居た。

 

 心の隅で貪欲に強さを求めんとする、既に人を捨てたような己が叫んでいる。

 

 何を己の身まで守ろうとしているのか。

 贅沢にも居場所まで求めようとしているのか。

 

 お前己は———守れればそれで良いのだろう。

 

 

「…もう一度聞こう———俺の手を取るか、デューク・クラディアス」

 

 

 その目の前までやって来た手が、まるで己を包み込む程に、逃げ場など無いと言うほどに巨大に見えた。

 

 それは果たして彼方が己を逃さんとしているのか、それとも己が奥底でその手に手を伸ばしているのか。


 彼は何処か怯えるような表情を見せる。

 

 だがデュークの手は動き、その手最悪を掴———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『デュークは、何処かに行ったりしない…よね…?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———ッ!!」

 

 

 弾けるように手を退かせるデューク。

 

 掴むとばかり思っていたギーリークは心底不思議そうに首を傾け、目を細める。

 

 

「…どうした、俺の手を取れ」

 

 

 泥色の魔力を滲ませながら威圧するようにそう命令する。

 

 だがデュークの中ではそんなことも入り込む隙間もない思考が渦巻いていた。

 

 

「(———本当にそうか…?)」

 

 

 『守るだけ』。

 

 それが正しいのか。

 己は、大切な何かを見落としているのではないか。

 

 

 デュークは膨れ上がったその存在感に顔を歪ませながらも確かな己の意思を、持つべき信念を探る。

 

 

「(…守るだけで…アイツは笑うのか…?)」

 

 

 彼女が失った光に代わり、己が彼女を照らさなければならない。

 

 そう思い、強く在ろうとした。

 

 

「(…オレは…アイツの側に居ないといけないんじゃないのか…ッ?)」

 

 

 彼女が二度と独りにならないよう、誰も失わないよう強くなると決めた。

 

 己はその為に力を求めたはずだ。

 

 だと言うのに、自身が真っ先にいなくなってどうすると言うのか。

 

 

 

『目下にある宝を見落とすな』

 

 

 

 そう言ったのは自分だったはずだ。

 

 今己が見失ってはならない宝とは何だ。

 蔑ろにしているものとは何だ。

 

 

「(オレが本当に守りたいのは———)」

 

 

 そう、彼が一つの答えを導き出そうとした時だった。

 

 

 

「———まあ、お前が来ないのならばそれでも良いがな」

 

 

 

 ギーリークがそう呟いた。

 

 デュークは不思議と耳に入って来た、耳が逃さんと掴んだその言葉にくらい何かを感じ取った。

 

 

「…どう言うつもりだ」

 

 

 まるで己に絡みつく蛇のような視線がいくらか収まる。

 代わりに漠然とした不安を誘うような感覚が身を包む。

 

 

「…この世界には、案外安定した胎生の種族というものは多くない」

 

 

 ギーリークは彼の射殺すような視線も呑み込む暗闇を瞳に宿し、世間話でもするように話し出した。

 

 全く関係の無いようにも聞こえる、そんな話だ。

 

 

「ゴブリンが何故人間種を襲うのか。それは自然界において人間種の胎盤程安定して成長できる環境が無いからだ」

 

「人間種程多様性に特化した遺伝子を持つ種族はいないからだ」

 

 

 魔物とは、その起源は知られていない。

 

 だが、魔物によっては通常の生物と同じように有性生殖や無性生殖によって繁殖する種も一定数存在する。

 

 そして、より長く種として生き残る為の構造として胎生と言うものは非常に画期的であった。

 

 その中でも、この世界の人間種とは古来より他種族よりも安全な環境でより安定して胎内で成長させることができた。

 

 そのようにして進化した。

 

 

「実験においてもそれは変わらない。生物を培養するのならばフラスコの中よりも、本来あるべき環境で形作られる方がより良い結果が得られる」

 

 

 ギーリークによって紡がれる言葉一つ一つが、やがてデュークの中に燻る澱んだ感情を溢れされる。

 

 

「アレそのものには今のところ何の興味も無いが———」

 

 

 

 

 そうして、ギーリークはそこで初めて感情を込めた表情を———純粋な好奇心を露わにし、その一言を告げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———母体に流れる血はさぞ優秀だろうな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、稲妻が走りギーリークの半身が消し飛ぶ。

 

 空間を引き裂かんとするような轟音が森を駆け巡った。

 

 野鳥は飛び立ち、獣は足早に逃げ出す。

 

 一瞬にして、森は静寂が訪れる。

 

 

 

「…良い魔力だな」

 

 

 

 煙と土埃が晴れた先には、失った半身を既に再生させたギーリークが心底面白そうに嗤っていた。

 

 デュークは己の迷いも、不安も、何もかもを焼き払う程の怒りを黄金の稲妻と共に激らせる。

 

 そうしてたった一言、無表情の内側を染める感情を吐き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———殺す」

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