出動

 王国第二王子。

 彼の失踪の報告が王城を駆け巡ったのは、月が天頂を過ぎた頃であった。

 

 夜鳥が静かに鳴き虫の音が心地よく響く中、王城では誰もが足を鳴らして走り回っている。

 

 そこでは円卓にて各首脳部が集結し会議が執り行われていた。

 

 

「陛下、殿下が失踪なされたと言うのは誠にございますか…?」

 

「…余も伝令によりつい先程耳に入れたところだ」

 

 

 答えたのは国王ヘリウス・クラディアス。

 

 彼は椅子に腰を深く沈ませ目を伏せたまま、その声を重く響かせる。

 

 王国第二王子、という立場である以前に自身の息子が突如として姿を消したのだ。

 本来であれば焦燥を露わにしても不思議でない事態でも彼は王として常に冷静で居なくてはならない。

 

 

「何故こんな時に…」

 

 

 そう嘆くのは財務大臣である。

 

 現在の王都は急速な復興により持ち直しているとは言えお世辞にも経済が安定しているとは言えはない。

 

 そんな王国の中枢人物が居なくなっては更なる混乱を招く可能性はかなり大きい。

 

 彼としてはこれ以上王国の懐を揺るがす様な事態は御免である。

 

 周りを見れば皆が皆深刻な顔で虚空を睨む。

 

 各々が各々の理由で頭を悩ませていた。

 

 

「失礼致します!アルブレイズ家より、アリア様がご到着致しました!」

 

 

 そんな中、ここにいるべきもう一人の人物が到着したという報告が入る。

 

 

「通せ」

 

 

 衛兵へと鋭い目を向け、入室の許し…命令を飛ばすヘリウス王。

 

 衛兵は額に手を当て、直ちに引き返そうと踵を返す。

 

 

「はっ、ただいま———」

 

「———陛下ッ!」

 

 

 同時に会議室に見合わない幼い声が響き渡る。

 

 白の髪を振り乱し汗と共に顔に張り付けた様子からは、門からここまで一心不乱に駆けてきたことが容易に想像できた。

 

 その後ろからは侍るように執事服を着た老人が入って来る。

 

 

「アリア、落ち着け」

 

 

 心中穏やかでない彼女をヘリウス王が宥める。

 

 きっとこの場にいる誰もが彼女のように感情を思い切り曝け出したいと考えている事だろう。

 しかし一人の混乱は全体の混乱へと繋がるのが非常事態というものである。

 状況を正しく理解しているからこそ、まずは落ち着く必要がある。

 

 アリアはヘリウス王の言葉に閉口し、息を切らしながらも促されるままに着席する。

 

 そうして会議が再開される中、一人の大臣が愚痴をため息混じりに溢す。

 

 

「…ユラ殿、貴女が居ながらこの様な事態になるとは…一体何をなされていたのですかな?」

 

 

 向けられたのはデュークの付き人であるユラ。

 

 しかし近衛兵の役割も担う彼女が居ながら主人の失踪を許すなど、責められたとて文句は言えないだろう。

 

 

「大変申し訳ございません。この罰は如何様にでも…」

 

 

 純粋な呆れと失望を含む言葉にユラはその顔を小さく歪め、深々と頭を下げる。

 

 他の者達は彼女の頭部を見下ろし、アリアは複雑な表情を浮かべる。

 

 ヘリウス王の側に控える宰相シグルドはそう彼へと進言する。

 

 

「陛下、手がかりがない以上手当たり次第に王都内を捜索する以外に手はございません」

 

 

 城内がこれほど混沌としているのはデュークが姿を消す際一切の前触れが無かったことも関係している。

 

 現在彼の行方に関しての手がかりは何一つ無く、最早目と手足の数を以て無作為に王都内を捜索するしか手は無いと彼は言う。

 

 

「…やはり、そうか…うむ、兵を惜しむ必要などあるまい」

 

 

 彼の言葉にヘリウス王も納得する。

 周囲の者達も他に案が無いと判断したのか否定するものは誰一人としていなかった。

 

 他国からの攻撃にしては急撃も過ぎる。

 

 恐らくは王子の独断行動、或いは個人組織の攻撃であると辺りを付ける首脳部。

 

 

「陛下、一つ宜しいでしょうか」

 

 

 そうして方針が固まる中、アリアがおずおずと手を挙げる。

 

 その場にいた者達の視線が一斉に彼女を襲う。

 

 

「申してみよ」

 

 

 アリアは責められている様な錯覚を覚えながら緊張と共に口を開く。

 

 

「その…捜索ならば、傭兵組合に依頼を出した方が良いと思います」

 

「…傭兵組合、か」

 

 

 王は顎に手をやり考える仕草を見せる。

 

 そこでシグルドはアリアの考えを代弁する様に呟く。

 

 

「…もしや、先日の動乱の事でしょうか?」

 

「はい」

 

 

 彼女が主張するのは正に先日王都を動乱の渦に巻き込んだ事変についてである。

 王都で起きた直近の事件といえば真っ先に思い浮かぶだろう。

 

 傭兵組合からは近年問題となっている森の異変との関連性も報告されている。

 

 シグルドはアリアの指摘を受け数秒思考を巡らせた。

 

 

「では陛下、王都の各区画に数名ずつの兵を配置致しましょう。捜索範囲を北の森まで拡大し、襲撃に備え城内には一大隊を残すのは如何でしょうか」

 

「…いや、捜索は組合に任せるべきだ。森林地形での活動は傭兵の方が上の筈だろう」

 

「承知いたしました。軍務、問題はあるか?」

 

「いえ、直ちに出動可能でございます」

 

「捜索部隊に関してはこちらで組合支部に連絡致します」

 

「うむ、任せた」

 

 

 彼らの間で淡々と方針が決められて行く。

 恐らくは彼らの中では既に終結までの複数の展望が描かれているのだろう。

 

 アリアは何とかついて行こうと彼らの言葉を一言一句逃さぬ様耳を傾ける。

 

 

「アリア様」

 

「え、あ、はい!」

 

 

 突如名を呼ばれたことに動揺し、思わず驚き混じりの声が出てしまう。

 

 シグルドはその様子に気にした様子も無く続ける。

 

 

「貴女には傭兵達と共に森の探索に参加していただきたいのですが、可能でしょうか」

 

「分かりました!」

 

「ありがとうございます」

 

 

 森の探索、と聞いてアリアは息を呑む。

 

 今アリアの脳裏に浮かんでいるのはスラム街で出会ったあの男である。

 

 途方も無い負の感情が入り混じる泥のような魔力を纏うこの世の者とも思えぬ何か。

 

 

『これなら、あの王子の方がまだ良い』

『彼は非常に優秀な肉体を持っている』

 

 

 あの日からアリアの思考にこびりついて離れない呪いのようなあの言葉が彼女の不安を煽る。

 

 もしあの存在と森で出会ったなら自分は…

 

 

「(っ、大丈夫…私はもう一人じゃない…!)」

 

 

 そこまで考えてかき消すように頭を振るう。

 

 そうだ、もう自分は一人ではないのだ。

 勝てなければ誰かに助けを求めれば良い。

 それでも駄目ならデュークを連れて逃げればいい。

 

 今は、勝つ必要なんてありはしない。

 

 例え仇に近づくことが出来るとしても、今はその時ではない。

 

 

「…では、各自配置に付いてください。事態は一刻を争います」

 

 

 そうして、シグルドの号令により王子救出作戦が開始された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハイネスさん!」

 

 

 開始の合図を受けたアリアは真っ直ぐに組合へと向かった。

 

 なお、ジークには屋敷と使用人達の守護を命じアルブレイズ家の敷地内にて待機させている。

 

 アリアの到着に事態を把握しているハイネスはすぐさま執務室へと案内する。

 

 

「…今起きている事、そして要件は聞いている」

 

「なら…」

 

「ああ、お前がいる以上必ずこちらを頼るだろうとは思っていたからな。既に編成は組んでいる。ただ…」

 

 

 ハイネスはすこし躊躇うようにして告げる。

 

 

「…参加するのは特級未満だ…今王都には特級以上はいねぇ」

 

「…そ、っか」

 

 

 そう、小さな落胆を見せるアリア。

 当然特級以上にもなれば凄まじい戦力となる以上、期待するのは仕方がないと言えるだろう。

 

 しかし現在の王都支部には特級や超級は所属していない。

 その原因は近年まで王都周辺の魔物の発生率が低かったためである。

 

 傭兵の生業の殆どが魔物の狩猟である事を考えれば、魔物の被害が多数報告されている帝国側に流れて行くのは必然と言えるだろう。

 

 アリアはその現状を悔やむもすぐに切り替え彼の組んだと言う編成に目を向ける。

 

 

「時間帯もあるからな、人数はそこまで集まってはいねぇが…現場が森林であることと戦闘を加味すれば、下手に頭数ばっか増やすよりは効率がいい筈だ」

 

 

 彼が提示した傭兵部隊の規模は一小隊にも満たない程である。

 しかし、元より彼らは探索に特化した傭兵達であり、パーティでない以上各々の能力が高水準である方が安全性は高いだろう。

 

 しかし、変異種の際にはこれでもかなりの規模で被害が出ているため犠牲は免れないのではないか、とハイネスは考えているようだが…恐らくはこれが彼の言うように規模が大きくなるならその被害は拡大するばかりだろう。

 

 

「お前にはここに参加してもらう」

 

「うん、任せて」

 

 

 強く頷くアリア。

 

 

「…よし、なら動くのは早い方が良い———」

 

「———申し訳ございません、少し宜しいでしょうか」

 

 

 そう善は急げとばかりに部隊を出動させようとしたハイネスに一つの声が掛かる。

 

 彼は呼ばるままに声の主へと視線を向ける。

 

 アリアも同様に聞き覚えのある声に顔を向けた。

 

 

「…ユラさん?」

 

「話の最中、失礼致します」

 

 

 扉の前に立って居たのは執事服をかっちりと着こなしたデュークの付き人———ユラであった。

 

 背中に鉄板でも仕込んでいるのではと思う程に背筋を伸ばす彼女は、こちらが反応するや否や口を開く。

 

 

「どうか、私にもその部隊へ参加させて頂けませんか」

 

 

 そう言って真っ直ぐと頭を下げる。

 

 

「…理由を、聞かせてもらおうか」

 

「…今このようになっているのは私の不手際です。現在の森は以前にも増して危険だと伺っております。…どうか、その補助をさせて頂きたい」

 

 

 己の不注意によって主を危険に晒してしまったことを自覚し、感情を抑えるように言葉を紡ぐユラ。

 

 ハイネスはそんな彼女の言葉に目を細める。

 

 

「あんたなら…一等級以上の働きができるってことか?」

 

 

 試すようなその視線にユラは冷静に、しかし叩きつけるような自信と覇気を込めた眼で見返す。

 

 

「はい、間違い無く」

 

 

 傭兵の統括者である者を前に堂々と言い切るユラ。

 

 ある種傲慢とも言えるその答えに、場は沈黙に包まれる。

 

 

「……そうかよ。なら、頼もうじゃねぇか」

 

「感謝致します」

 

「いや、こっちも不安だったもんでな。助かる」

 

 

 ハイネスは彼女の同行を許可した。

 

 アリアはユラの心中をある程度察することができ、また共感もできる為、一人静かに安堵する。

 

 

「良かったね、ユラさん」

 

「…はい、喜ぶべきことではあります。ですが、私が目を離しさえしなければ…」

 

 

 自責の念に駆られる彼女。

 

 アリアはそんな彼女の様子に何かを思い出したのか顔色を暗くした。

 

 

「…多分、デュークが居なくなったのはユラさんのせいじゃないんじゃないかな」

 

「…どう言うことでしょうか」

 

 

 ユラは眉を顰めてそう尋ねた。

 

 

「昨日、デュークに森の調査に参加するって伝えたのは知ってるよね?」

 

「はい、私もその場に居りましたから」

 

「…そのことを伝えてね、別れる時…何だかデュークがどっかに行っちゃうように見えたんだ」

 

「…」

 

 

 ユラはアリアの言葉からその日のその光景を思い出す。

 

 彼女の言葉に、まるで打ちのめされたように絶句していた彼。

 鬼気迫る表情で彼女に危険性を説いていた彼。

 

 そして、幽鬼のように立ち上がり、力無い足取りで去って行く彼。

 

 きっとアリアとは見えた景色は違ったのだろう。

 

 だが、思い返せば何処か霞んで消えてしまいそうな程に弱々しかった彼が遠のいて行く様子は、彼女からすれば「何処かへ消える」と錯覚するのも不思議ではないのかもしれない。

 

 

「…アリア様、殿下は以前より強さと言うものに取り憑かれたように執着しておりました」

 

「強さ…?」

 

「はい、それは全て……いえ、私にも理由は分かりません」

 

 

 ユラは何かを言おうとして口を継ぐんだ。

 

 それを口にすれば、きっと目の前の少女はまた何かを失ってしまうだろうから。

 

 アリアはその話に、以前の自分を幻視する。

 

 

「もしかすれば、それが関係しているのでは…と」

 

「…そっか、なら…そんな必要無いって教えてあげないとね」

 

 

 アリアは知っている。

 ある日を境に強さを求める者とは、大抵の場合何かを失うことを恐れているものだと。

 

 何故ならば自分がそうだったのだから。

 強い自分が想像出来ず、無力感に、劣等感に苛まれ、いつか訪れる何かを失う未来を極端に恐れるのだ。

 

 違うなら別に良い。

 勝手にどこかへ行ったことをぶん殴って謝らせるだけである。

 

 だがもしも、もしもそうであると言うのならば———共に戦ってほしいと、手を取って欲しいと言いたい。

 

 

「もう良いか?準備が出来たならもう出せるぞ」

 

 

 ハイネスの呼びかけに意識が現実に引き戻される。

 

 アリアは立ち上がりその腰に携えた剣の具合を確かめた。

 

 

「うん、大丈夫」

 

「私もいつでも問題ございません」

 

 

 二人はハイネスへと視線を寄越した。

 

 

「…なら、頼んだ」

 

「任せて!」

 

 

 手を胸に当て力強く答えるアリアとただ静かに頭を下げ、感謝と了解の意を表すユラ。

 

 そうして森を探索すべく、傭兵部隊が出動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 木々はザワザワと揺れ、獣の遠吠えがどこからも無く聞こえて来る。

 

 月が浮かんでいるはずの夜空は最早深々とした暗緑色に覆われ、ほんの少しの、針のような光が所々に差し込んでいるだけだ。

 

 一寸先は闇。

 それを思わせる夜の森は人が立ち入るべからざる領域だと誰もが言うだろう。

 

 

 ———。

 

 

 獣のものとは違う、一定のリズムで地面を踏み締める音が森の一角で遠吠えに混じる。

 

 金色の短い髪を揺らしながら、闇に溶け入るマントに身を包み移動する影が木々の隙間に垣間見える。

 

 

「…」

 

 

 言語を失ったようにただ黙って獣道を歩む。

 

 その道は決して整えられているわけでも、況してや舗装されているわけでもない。

 

 周囲は茂みに囲まれている。

 いつ魔物が飛びかかってきてもおかしくはない、そんな環境だ。

 

 だが、今の彼の周りには獣の姿どころか生命の息吹さえ感じられない。

 

 ただ遠くからそれらしい声が聞こえてくるだけだった。

 

 

「…!」

 

 

 そうして歩を進めていれば次第に視界が開けてくる。

 

 まるで用意されたかのように、誰かの手が加えられたかのようにぽっかりと空いた空間は、自然豊かな森の中では酷く異質で、それでいて奇妙であった。

 

 

「…ここか」

 

 

 一言、そう呟いた。

 

 どうやら彼は目的の場所へとやって来たらしい。

 

 家があるわけでもなければ人っこ一人いない。

 そんな異境こそが、今宵の彼の目的地だった。

 

 しかし辿り着いた彼は何をするわけでも無く、だただそこで立ち尽くすだけだ。

 

 

 

 

 まるで———誰かを待つように。

 

 

 ———。

 

 

「!…来た、か…」

 

 

 彼の正面から砂利を踏み締める音が鳴る。

 

 どうやら彼の待ち人が現れたらしい。

 

 

「…っ」

 

 

 段々と近づいて来る足音が大きくなるたび、彼は全身に血が巡るような錯覚を覚える。

 

 それ程までに、今の彼は興奮していた。

 今よりも遥かに高みへと昇った未来の己を幻視して。

 

 

 ———。

 

 

 土が鳴る、草が擦れる。

 そんな音がもう己の目の前まで来ていた。

 

 とうとう影が見える。



 ———。


 

 そうして、その影は月明かりに照らされ———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———ご機嫌よう、王国第二王子デューク・クラディアス」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私はギーリーク…まあ、しがない研究者だ」

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