畏怖

「殿下」

 

 

 舞台を降りたユラはデュークの下へと向かい、戦った手応えと共に否応を伝える。

 

 

「…今回は問題ないかと」

 

 

 デュークに対する殺意や害意があるわけでもなければ何か策を要している様子も無い。

 

 そもそももし彼がデュークを暗殺せんとやって来たというのならば、間違いなく彼の存在に気がつくこともなく殺されていたことだろう。

 

 非常に奇妙なことだが、どうやら本当にただ彼に助言しに来ただけだということらしい。

 

 

「しかしどうか、くれぐれも心を溶かすことの無きようお願いいたします」

 

 

 だがそれも次・は分からない。

 

 彼が何を考えているのかは全く分からないが、間違いなく何かに誘導しようとしていることは確かである。

 

 少なくともユラはそう考えている。

 

 デュークが彼と接触してしまっている以上今回は仕方無いと言える。

 しかし二度目は無いように努めねばならない。

 

 

「そうか」

 

 

 デュークは普段彼女の見せない鋭い圧に当てられながらもそう相槌を打つ。

 

 だが心ここに在らずといった様子の彼の目が捉えているのは、円庭の中心に立つ彼であった。

 

 今デュークの脳裏に浮かんでいるのはあの美麗なる魔力の流動。

 

 あれこそ正に至高の魔操術。

 それだけで一つの魔術が成されていると錯覚する程に完成された魔と人の調和。

 

 一体、どれ程の修練を積めばあれ程の領域に至れるのか、彼にはまるで想像もできない。

 

 

「…では、行ってくる」

 

「お気をつけて」

 

 

 ユラは深々と一礼をし主人を送り出す。

 

 デュークはそれを尻目に、階段へと脚を掛け登ってゆく。

 まるで、新たなる次元へと向かわんとするように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっ、とうとう来たね」

 

「ああ、よろしく頼む」

 

 

 そうして結界内へと足を踏み入れたデュークは男と相対する。

 

 相変わらず友人に接する…どころか久しぶり会う親戚の子供に接すかの如く砕けた様子で話す彼は、デュークにとってはかなり新鮮な人種である。

 

 ある程度彼と関係の薄い周囲の大人は皆彼に畏まった態度しか取らない。

 

 決してそれが孤独を感じるだとか寂しいなどとは感じる訳ではないが、幼馴染以外でここまでフランクに会話をする人間などそういない。

 

 そういった意味でも、デュークは彼に対しある種の特別性を見出していると言えるかもしれない。

 

 

「じゃあ始めよっか…って言っても、さっき言ったみたいに感覚の話だからやりながら覚えるか、見て真似するかくらいしかないんだけどね」

 

 

 魔力の最適解。

 量や質、それに対する密度や移動速度、肉体や術式の経由やリズム。

 

 彼は、それら全てが噛み合って初めて魔力の奔流は完成するのだという。

 

 

「とりあえずなんか魔術撃ってみてよ」

 

 

 魔術師に対して気軽に魔術をぶち込んでくれなどと言う狂人は後にも先にも彼くらいなのではないだろうか。

 

 どこまでも常識では測れない御仁だと、そう思うも言われたと通りに術式を構築するデューク。

 

 

「…《雷矢トル=ボーグ》」

 

 

 彼が行使したのは雷魔術の基本であった。

 

 打ち出された稲妻はまっすぐに男へと向かいその身を焼かんと空を駆ける。

 

 

「…ふむ」

 

 

 …それを、男はまるで服についた糸屑を払うかのように軽く指で弾いて打ち消してしまう。

 

 魔力さえ纏っていないままで稲妻へと触れた指先は、しかし焦げ目一つできていなかった。

 

 

「っ…」

 

 

 分かってはいたが、本当に同じ人間なのかどうか疑いたくなる程異常な肉体をしている。

 

 英雄の血族や超級傭兵ならばあるいは同じような芸当が出来るであろうか。

 

 

「…悪くないんだけどねぇ…ちょっと失礼…」

 

 

 そう一言断りを入れると、男はデュークへ近づきその肩に軽く触れるように手を置く。

 

 外で監視していたユラが目を細めるも、男はお構いなしに続ける。

 

 

「そのままもう一度やってごらん」

 

「あ、ああ…」

 

 

 言われるがままに再度同じ魔術を構築し、魔力を流す。

 

 その瞬間、己の中を流れる魔術の動きが急速に変化する。 

 

 目を焼くような極光に周囲の光がやられ、一瞬の闇が訪れた。

 

 

「な…!?」

 

 

 流れる魔力のままに放たれた魔術は、先のものとは比べ物にならない程の代物へと昇華する。

 

 それは宛ら天より落ちる落雷が真横へと駆けるかの如き巨大な霆いかづちそのものであった。

 

 次第に闇は晴れ、日が地を照らす昼に戻る。

 

 

「…今のは…」

 

 

 呆然とするデュークは何とかそう声を絞り出す。

 

 

「俺が君の魔力の流れを弄った」

 

 

 「は…?」と、そんな間抜けな声が漏れてしまう程に、デュークにとって彼の一言は現実味の無いものであった。

 

 放たれた魔術のように本人の手から離れたものどころか、本人の肉体に内在する、完全な支配下にあるはずの魔力を乗っ取ったと言ったのか。

 

 

「何だ…それは…」

 

 

 そんなもの、もはや魔術師にとっては自身の心臓が常に掌握されているようなものではないか。

 

 絶句するデュークの様子を知ってか知らずか、男は彼から離れ再び正面へと移動する。

 

 

「さぁ、さっきの感覚を覚えよう。大丈夫、君ならできるさ」

 

 

 現実から意識が追放されたように惚けていたデュークは、その彼の呼び声で引き戻される。

 

 そうして、言われた通りに全神経を自身の内側へと集中させる。 

 

 思い起こし、模倣するのは先程の全能感さえ与えるような黄金の魔導。

 

 術式を構築する。

 

 生み出す術式は《雷矢トル=ボーグ》———ではない。

 

 

「(…もっとだ、更に先へ…今の魔力の循転なら…いける…!)」

 

「…!」

 

 

 目の前に立つ男も彼の内側の変化に気がつく。

 

 組み上げた二節を崩し、音節を書き加える。

 

 生まれるのは雷魔術第三節———《雷鳴神殿トル=ディアークス=マグナ》。

 

 

「(———足りない…まだだ…!)」

 

 

 しかし彼はそれさえも崩し、更なる高みに手を伸ばす。

 

 そこからは、もはや完全な別次元。

 

 零から音節を書き換え、魔力の通り道を構築する。

 

 彼の言う魔道を、リズムを整えて行く。

 

 徐々に、しかし確実にその魔術は組み上げられて行く。

 

 

 

「(…来た!)」

 

 

 

 とうとうその魔術は完成する。

 

 彼は掌を天へと向け、模倣する黄金の魔導を術式へと巡らせる。

 

 彼が高らかに宣言するは四つの音節。

 

 各魔術において最奥へと位置づけられる、ある種の奥義。

 

 

 

 そうして、紡ぐ———

 

 

 

「《トル=エルガーラ=———」

 

 

 

 しかし———

 

 

 

 ———ッ

 

 

 

 その時、ガラスが砕けたような音がする。 

 

 周囲に変化は訪れず、完成したはずの魔術が放たれることはなかった。

 

 

「…駄目、か」

 

 

 デュークは己の魔術が失敗したことを悟る。

 

 同時に、今の自分ではその領域へと届かないことを理解した。

 

 

「いやぁ〜驚いた。まさかあそこまで出来るなんて思わなかったよ」

 

 

 だがそんな落ち込む彼とは対照的に、男はパチパチと手を叩きながら彼を称賛する。

 

 

「いや、失敗したんだが…」

 

「何言ってるんだ。俺が言ってるのは魔術じゃなくて魔力だよ」

 

 

 何が違うのか、と困惑するデューク。

 

 

「魔術は初めてだったんだから失敗して当たり前だろう。でも魔力の流れは間違いなく良くなってたよ。きっと行使可能な魔術なら格段に威力も増しているさ」

 

 

 男は心底嬉しそうにそう語る。

 

 デュークはそれを聞き、彼の言うように音節を数段階下げた魔術を行使してみる。

 

 

「《雷矢トル=ボーグ》」

 

 

 彼が唱えると同時、放たれた稲妻は先ほどに比べれば数段劣るものの、確かに目に見えて強力なものとなっていた。

 

 

「…」

 

 

 デュークはたった数刻の間にこれだけ自身が成長したことが未だに信じられないでいた。

 

 この男は彼の数ヶ月、あるいは数年間をほんの一瞬に圧縮して見せたのだ。

 

 

「本当に…驚いてばかりだな」

 

「それを言うなら俺は君の成長速度に驚きだ。普通あんなすぐに真似なんて出来ないよ」

 

 

 苦笑しながらそう言う男は、何処か呆れさえ含んでいるように見えた。

 

 そうして男は「ふぅ」と区切りをつけるように一息吐くと、デュークへと向き直る。

 

 

「兎に角、これで魔力操作のコツは掴んだかな?」

 

「ああ、貴殿のお陰だ」

 

「ハハッ、なら良かったよ」

 

 

 軽く言ってはいるが、本当ならば魔術指導の顧問として大枚を叩き、今すぐにでも雇ってしまいたいところであった。

 

 しかし名前すら明かせないと会うのだから、きっと無理なのだろうと言う諦めがあるのも確かである。

 

 

「なら、俺の用事はこれで終わりかな?」

 

「…本当に教えに来ただけなのか?」

 

「まあ、観光ついでというかね…」

 

 

 何の気無しにそんなことを宣う男。

 

 デュークからすればとんだ幸運であった。

 叩いた棚から落ちてきたのは餅などではなく、黄金をも遥かに上回る大宝であったらしい。

 

 

「じゃ、俺はもう帰ろうかな」

 

「…お茶の一つでも振る舞おうか?」

 

「有難いけど遠慮しておくよ。これでも忙しい身でね」

 

 

 観光と称して王城へと侵入し、挙句ついでと言ってその国の王子に指導を行うような人間が忙しいとはこれいかに。

 

 デュークは内心思うも、余計なことは言うものではないとあえて口には出さなかった。

 

 

「分かった。ではこれまでとしよう」

 

「うん、いろいろ大変だろうけど頑張ってね」

 

「…ああ、感謝する」

 

 

 それだけ言って、男はその場から忽然と姿を消してしまう。

 

 目の前にいたはずの男がまるで世界にかき消されたかのように姿を消す光景は一瞬の怪奇現象にさえ映る。

 

 

「…行ってしまったな」

 

「そうですね」

 

 

 デュークはこれからの己の未来に耽るように、ユラは訪れる未来を警戒するように、各々が虚空を見つめる。

 

 しかしそんなかけ違いのような二人の心中に重なる感情が生まれていた。

 

 

 

 

 愉快な、不気味な、そんな彼は正しく——————畏怖すべき存在である、と。

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