勇気と逃避

 執務室を後にしたアリアが向かっていたのは、組合支部の中に常設されている修練場だった。

 

 

「———ハッ!ヤァ…!」

 

 

 袈裟、横薙ぎ、縦一文字に刺突。

 

 用意された訓練用ゴーレムが次々と彼女に切り裂かれてゆく。

 

 安価でかつ修復がしやすいとは言えはいえここまで立て続けにお釈迦になっては組合の経理も真っ青である。

 

 元より手続きを済ませた時点で覚悟していた事ではあるが。

 

 

「ハァァァア!」

 

 

 そうして最後の一体が斬り飛ばされる。

 

 二つに分たれたゴーレムの上半身は弾かれたように宙を舞った。

 

 

「ハァ…ハァ…」

 

 

 あれ程気迫に満ちた声を上げながら剣を振り続ければ、息も上がるというもの。

 

 余分な力みも多く、無駄な体力の消耗が目立っていた。

 

 彼女は剣を鞘にしまい、呼吸を整える事もなく修練場を後にしようとする。

 

 

「———荒れてるね〜」

 

 

 聞き馴染みのある声が響く。

 

 

「…カローナさん」

 

 

 振り向けば桃色の髪と翡翠の瞳が映り込む。

 見れば、友人が手を振りながらこちらへ向かって来ていた。

 

 

「あんなに落ち込んでたのにここに入った途端凄い声が聞こえて来たんだもん。びっくりしたよ」

 

 

 執務室から出て来た彼女の様相はそれはそれは酷いものだった。

 

 死人よりも正気の無い顔は、下手すればそのまま何処かで自刃でもするのではないかと周囲が心配する程であった。

 

 事実、アリアがこれ程我武者羅になっているのは、先のどうしようもない暗い感情を紛らわす為だった。

 

 

「ごめん…」

 

「いやだからなんで謝るの…はぁ、私はいつもの明るいアリアが見たいなぁ〜…なんて…」

 

「…」

 

「あー…」

 

 

 以前も同じようなやりとりをしたなぁ、とやりづらそうにするカローナ。

 

 いつか見た光景よりも遥かに沈んだその様子は、いかに友人といえども一言二言程度でどうこうできるものでもないようだ。

 

 しかし事情を知っている者ならば誰も責めはしないだろう。

 

 

「とりあえず、休憩所でも行く?」

 

「うん…」

 

 

 二人は修練場に付属する休憩所にて腰を下ろす。

 

 

「それで?またハイネスさんと喧嘩したの?」

 

「…喧嘩じゃないよ。ボクが我儘だっただけで…」

 

「なんかすごい音聞こえて来てたけど…」

 

 

 二人のやり取りの詳細はわからない。

 

 しかし少なくとも受付前が騒めき出す程には凄まじい音が聞こえて来ていたことは事実である。

 

 

「また依頼勝手に行こうとしたの?」

 

「勝手には行って、ないよ…ただ…一人で行っちゃダメだって…」

 

「それで喧嘩になっちゃった訳だ」

 

「だから喧嘩じゃ…」

 

 

 カローナは何やら勝手に納得した様子でうんうんと頷いていた。

 

 

「…でも、私もハイネスさんの言いたいこと分かるなぁ〜」

 

「え…」

 

 

 まさか友人にまで言われると思わなかったのか、顔を歪めたアリアの手に力が籠る。

 

 

「だって、今のアリアすぐ死んじゃいそうだもん」

 

「!…カローナさんまで、そんなこと言うの…!?」

 

 

 思わずキッ、と彼女を睨みつける。

 しかし当の本人はどこ吹く風である。

 

 

「じゃあさ、それこそあんな隕石降らせるような奴がまた攻めて来たらどうするの?」

 

「…ボクは、もう…!」

 

「はいはい落ち着いて〜」

 

 

 無意識のうちに剣の柄を握っていた彼女の手をカローナは優しく抑える。

 

 アリアは今しがた気がついたようにハッとすると顔を青くして謝り出す。

 

 

「ご、ごめん…!ボク…!」

 

「別に気にしないで」

 

「でも、今…!」

 

「良いから良いから。今の貴女を煽った私も悪いよ」

 

 

 もはや青を通り越していっそ灰のように顔色を悪くするアリアをカローナが宥める。

 

 今のアリアは誰が見ても正常な情緒とは言えないだろう。

 

 暫くして彼女が落ち着いたことを確認するとカローナはまるで割れ物でも扱うかのようにゆっくりと話し始める。

 

 

「けどさ、前までのアリアだったらそんな風に無理やり押し通す様なやり方はしなかったでしょ?」

 

「…そう、だった…と思う」

 

 

 カローナの言う通り、以前までの彼女であれば不満はあれど事情も聞かず己の意見を強要するようなことはしなかったはずである。

 

 しかし今の彼女は一時の感情に任せて体が動いてしまっている。

 

 かなり不安定な状態であると言えるだろう。

 

 

「後先考えずに突っ込んじゃう傭兵が生き残れないっていうのは分かるでしょ?超級とかじゃないんだから」

 

「…うん」

 

 

 力無く頷くアリア。

 

 彼女自身も頭では理解しているのだろう。

 だが、募る焦燥に駆られてしまうのだ。

 

 

「ハイネスさんもそれを心配してるんだと思うよ」

 

「そう、なの…かな…」

 

「そうだよ。ハイネスさん、いろんな人見て来てるし、きっと今のアリアみたいな人もいっぱいいたんだよ」

 

「…」

 

 

 確かに思い返せば、彼はただ言うことを聞かない自分を制圧していただけのようには見えなかった。

 

 彼は知っているのだ。

 自分のような情動で突き動かされるだけの人間の末路を。

 

 故にああやって無理矢理にでも止めようとしたのだろう。

 

 

「まあ、だからって女の子に手あげるのはどうかと思うけどね」

 

 

 場の雰囲気を和ませようとしているのか、彼女は冗談っぽく言う。

 

 

「…カローナさん」

 

 

 そうな彼女に、アリアは何かを決心したようにして口を開く。

 

 

「ん、何?」

 

「この依頼、一緒に来てくれないかな?」

 

 

 そう、お願いをした。

 

 ポカンとする彼女を見るアリアの目は先程とは打って変わって確かな冷静さを取り戻している。

 

 

「あー、うん、いいよ。どのみちアリアは放って置けないしね」

 

「…ありがとう」

 

「もう、そうしおらしくしなくていいから、もっと元気でいようよ」

 

 

 少し強く、励ますようにアリアの背を叩きながらカローナは立ち上がる。

 

 

「行くの?」

 

「…アリアは一晩くらい頭冷やしたほうがいいと思うよ?」

 

 

 そう提案する彼女にアリアは酷く困惑する。

 

 

「え?で、でも捜索は早い方が…」

 

「…うーん…あんまり意味ないんじゃないかなぁ…」

 

 

 カローナはアリアへ申し訳なさそうに答える。

 

 

「な、なんで…」

 

 

 捜索は早ければ早いほど生存確率は上がるものだろう。

 ならば、今すぐ出発するべきではないのだろうか。

 

 そんな戸惑いを見せる彼女に、カローナは暫し悩むような仕草をするとアリアへ向き直る。

 

 

「…本当は言いたくなかったんだけど…。いい?アリア…落ち着いて聞いてね」

 

「う、うん…」

 

 

 そんな前置きをする彼女に、アリアの中に小さな不安が燻る。

 

 

「依頼書見せてもらったけど、この依頼者たちは一度衛兵に連絡をしてて、そこで見つからなかったからここに来たの」

 

「その捜索だけで既に数日が経ってるし、早いものじゃもう7日以上経ってる」

 

「消えたのはスラム街の辺りなんだよね?…なら…今から行くのも明日行くのも変わらないと思うな…」

 

 

 カローナは言いづらそうなしながらもそう語った。

 

 

「…そ、そんな…いや、でも…!」

 

 

 アリアはその話を何処か別の世界の話のように聞いていた。

 

 乗り出すようにしてカローナへ詰め寄る。

 

 

「アリア」

 

 

 しかしそんな彼女の両肩に手を置き、制止するようにしてカローナは告げる。

 

 

「…こういう依頼ではね、別に珍しいことじゃないの」

 

「昼に居なくなって夕方から捜査を開始するならまだ分かるけど…これはもう…」

 

 

 彼女はアリアから目を逸らしながら話す。

 

 それがアリアには事実を物語っているように映った。

 

 

「アリア、受理してない今なら別に止めることもできるよ」

 

 

「…それでも、行くの?」

 

 

 そうして最後に、真意を、覚悟を問うようにしてそう尋ねる。

 

 

「…」

 

 

 もう手遅れかもしれない。

 

 期待などするだけ無駄なのかもしれない。

 

 そこで、目の前で事実を目の当たりにするかもしれない。

 

 

 それでもなお、お前は向かう意思はあるのか。

 

 

 そう問う彼女にアリアは顔を伏せて沈黙する。

 

 

 

「……それ、でも…」

 

 

 

 アリアは絞り出すように、怖気を孕んだような声で言う。

 

 

 

「それでも、可能性があるなら…ボクは行きたい」

 

「たとえ何があっても…目を逸らしたくない」

 

 

 

 そう、迎え撃つような眼差しで言い切った。

 

 

「…そっか」

 

 

 カローナは目尻を下げて頷いた。

 

 

「わかった、それなら私も付いて行くから…頑張ろうね」

 

「うん…!」

 

 

 アリアは覚悟を決める。

 

 普段優しげな雰囲気を纏う彼女があれ程真剣な表情で訴えかけていたのだ。

 

 きっと己の望む光景はそこにはないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも、アリアは逃げなかった。

 

 たとえ真実がどれほど残酷だとしても、その先にある未来を勝ち取るために。

 

 

 

 

 それは果たして勇気故か、執念故か、それとも恐怖故か

 

 ———彼女にも分からない。

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