強さと弱さ
王都は未だ復興中とはいえ、そこそこに活気を取り戻しつつあった。
元々多くの人間が王都の端へと避難していた上、勇者や傭兵が突如現れた魔物を殲滅していた結果、中心部で繰り広げられていた激戦の影響はあまり受けず死者もそこまで出ていなかったのだった。
故にこうして残った街道もかなりの人で埋め尽くされている。
勇者という一つの希望を失ったとは言えいつまでも悲観に暮れていては生活は成り立たない、そんな人間の心の強さを表しているようにも見える光景である。
決して忘れはしない、だがそれでも前を向く。
戦う力はなくとも、英雄が暮らしていた街の人間の強さは伊達ではないのだ。
———。
そんな街道は現在酷くざわついていた。
それもどうやら各々が好きなように世間話をしている結果というわけでもないようで、皆とある方向…人物を、まるで恐るように側から眺めていた。
人の海にはその人物を避けるようにしてまるでモーゼの海割りの如く綺麗な道が作られている。
「…」
そのど真ん中を件の人物———ハイネスは堂々と歩く。
その右手は気絶した男の襟をがっしりと掴み、ズルズルと引きずりながら目的地へと向かっている。
「すまない、ちょっといいか」
「あ、はい何で———って、組合の支部長ですか?」
「ああ、いきなりなんだがコイツを頼んでもいいか?これが資料だ」
「うぉ、っと…ッ!?」
ハイネスは引きずっていた男を詰所の奥へと放り投げると、持っていた証拠等をまとめた資料を衛兵へと手渡す。
「…はい、確かに」
「ならそのまま豚箱にぶち込んどいてくれ。拘束するならそれだけでも十分だろう…詳しい資料は後日送り込む」
「了解しました。お勤めご苦労様です」
衛兵はピシッと伸ばした手を額に当てる。
ハイネスは衛兵の了承を確認すると、そのまま背を向けてその場を後にする。
「———その人、捕まえたの?」
その時だった。
彼の背後から最近よく聞く声がした。
「…ああ、やっと尻尾を出しやがったんでな」
ハイネスは声のする方へと振り返る。
彼の視界にシルクのような純白が映り込む。
「
「…その通りだ」
その声のトーンは以前と変わらず明るい。
しかしそこに含まれた鋭さと、彼女の纏う剣呑な雰囲気をハイネスは見逃さない。
「なら調査も進められるんだよね」
「当然だ」
「だったら私が行くよ」
彼が肯定すれば、彼女は間髪入れずにそう断言する。
まるで自分の中では決まっていることのように。
「…ふぅ…詳しいことは向こうで話そう。どうせ支部に向かっていたんだろう」
ハイネスは少し誤魔化すようにそう提案する。
彼女もそのことには気がついているのか纏う威圧感が強まる。
立ち会う二人は、そうして睨み合う。
「…分かったよ」
アリアは彼の頑なな様子に渋々頷いた。
支部へと戻ってきたハイネスとアリアはいつもの執務室とは別の客室にてソファに座り向かい合う。
「それで…調査に向かいたいんだったか?」
「うん」
彼が尋ねれば、アリアは迷いなくそう答える。
「…結論を言えば、それは
「……どうしてか、聞いても良いかな?」
ハイネスの言葉により纏う雰囲気の鋭さが増すアリア。
彼はそんな彼女を嗜めるようにして付け加える。
「落ち着け。勿論いずれはそちらも本格的に動くつもりだ」
「…なら何で…」
「以前森を調査した段階で満足のいく結果は得られなかった…恐らくは、と言うより確実に森が相手の本拠地なんだろう」
「だが、あくまで手を伸ばしてきただけの王都こちらでは手掛かりを残していった…お前が持って来たコレみたいにな」
そう言って彼は懐からあの傭兵証を取り出す。
「…」
「…今は相手の目的も見えねぇ。そして、敵が確定した以上今まで以上に慎重に動く必要がある」
「…でも相手はそんなの待ってくれない。アレだって起きたのはいきなりだった」
彼女の言うアレとは街を襲った魔物こと、隕石のこと、そして…黒い男のことである。
何処か必死ささえ感じるアリアにハイネスは落ち着いた様子で返す。
「…待ってくれないからと突っ込んで、上手く行くと思っているのか?」
「ッ…なら、慎重にすれば上手くいくの?」
「少なくとも下らねぇ失敗は減るはずだ」
噛み付くアリアを諭すハイネス。
もうすでに彼女はその場を飛び出していきそうな勢いさえあった。
「…ならまた———!」
「———だが…今回は黙って見てろなんて言わねぇ」
また何も出来ないのか。させてくれないのか。
そう言おうとしたのであろう彼女に、彼は先手を打つようにして言う。
「先日…あの事件が起こる直前あたりから同じような依頼が来ている」
「依頼…?」
「そうだ…それがこれだ」
彼は用意しておいた資料———依頼書を取り出す。
そして目の前の机へ、彼女へ向けて置いた。
アリアはそのうちの一枚を手に取る。
「…捜索、依頼…?」
「ああ」
彼が彼女へ渡したのは幾つかの捜索以来だった。
年齢や性別は様々であり対象に共通点は無い。
「聞けば、一般人だけでなく衛兵まで一人行方不明らしい」
「場所は…」
「分からん。分からんが、目撃証言から可能性が高いのは路地裏…スラム街付近だ。」
それを聞いたアリアは小さく顔を歪める。
スラム街は無法者の跋扈する、王都でも一際危険と言える領域である。
以前から彼女もどうにか出来ないかと考えていたが、此処で起きた事件となると中々に解決が難しい。
「時間帯は…夜の方が可能性は高いだろう。非常に危険だと言えるが…頼めるか?」
「……勿論だよ」
難しい顔をする彼女へハイネスがそう問い掛ければ、彼女は強い眼差しで答える。
そうして資料を手に、腰を上げ出て行こうとする彼女。
恐らくはそのまま依頼へと直行するつもりなのだろう。
「待て、アリア」
そんな彼女にハイネスは制止をかける。
「…何?」
アリアは足を止めるが振り返ることは無い。
「言い忘れていたが、依頼にはもう一人誰か連れて行け」
「…何で?」
ハイネスには彼女の表情は伺えない。
だがその声とその落ち着きの無さから彼女の確かな苛立ちを捉えていた。
「お前一人じゃ不安だからな。枷って訳じゃねぇが…協力者ぐらいはいても良いだろ」
「要らないよ、そんなの。」
「いや、要る」
彼は彼女の怒気を孕んだ言葉をそう端的に否定する。
「何でそんなこと分かるの?」
「…俺がどんだけお前に振り回されたと思ってんだ…?」
実際、彼女は無断で依頼に介入することも数度あり、その度にハイネスは頭を悩ませていた。
「それにな———」
そして、彼は少し躊躇いながらも核心をつくように問う。
「———もし接敵した時、お前一人で勝てんのか?」
「ッ!!」
その瞬間、彼の喉元へ銀が閃く。
「———ボクはッ!もう負けたりなんかしないッッ!」
その号哭にも似た叫び声に、しかしハイネスは酷く冷静だった。
「口だけなら何とでも言える———」
その言葉と同時にハイネスの姿が消え、アリアの頭部が地面に叩きつけられる。
「ぐっ…ッ!」
いっそ叩き割るようなその力にアリアの口から呻き声が漏れる。
「これが…負け以外の何なんだ?」
彼女を見下ろす彼のその声は冷たいものだった。
「ぅ…ぁあッ!!」
アリアは側に立つ彼へ跳ね上がるようにして剣を振るう。
しかしその一閃も虚しく空を切る。
「ハァァアッ!!」
アリアはそれでも我武者羅に剣を薙ぐ。
まるで駄々を捏ねる子供のようなその姿に、剣技などというものはありはしない。
「———オラッ!」
その剣は当然のようにハイネスに当たることはなく、代わりと言わんばかりに正面から腹へ蹴りを打ち込む。
「ガ、ァ…ッ!」
蹴られた勢いのままに背後の壁へと叩きつけられるアリア。
そんな様子に構わずカツカツと彼は近づき彼女の首を掴み、持ち上げる。
アリアの足が宙に浮く。
「…そんな剣で何が斬れんだよ」
「ァ…ぐ…ッ」
「そんな為体で一人で突っ走って、勇者でも勝てなかった奴に勝てんのか…ッ!」
殺しそうな程の剣幕でそう迫るハイネス。
「っ!」
すると次第に彼の手に熱いような、冷たいような何かが滴る。
「英雄、に…なるって、決めたから!」
「この剣を、握った…から!」
「もうボクはッ!負けるわけには、いかない、んだッ!」
そう、ボロボロと涙を流しながら喘ぐように想いの丈を吐き出すアリア。
「なら…もっと周りを頼れ…ッ!」
何処か哀しそうに、頼み込むように彼は言う。
「前ばっかり見るななんて言わねぇ、後ろの奴らを守るのも良い…でもな、隣の奴らもちゃんと見てやれ…ッ!」
「お前が今まで会って来た奴らは…お前の親父が守って来たこの国は、町は、そんな冷てぇのかッ!?」
ハイネスは彼女から手を離す。
途端にアリアは苦しそうに咳き込む。
彼はそんな彼女を見下ろしながら、一度深く息を吐ついた。
「…悪かったな…だが、誰か一人でも着いて行かないなら受理できない」
「ゴホッ、ゴホ…ッ………っ」
彼女は壁に手を付きながらヨロヨロと立ち上がる。
「……ごめん、ハイネスさん」
そう一言呟くと壁伝いに扉の方へと向かってゆく。
「アリア」
そのあまりに弱々しい背中に、彼は思わず声をかける。
アリアからの返事は…無い。
「焦る気持ちも必死になる気持ちも分かる。だが生き急いでも必ず結果が着いてくるわけじゃない」
「お前は剣を持ったその日から今のように振れたわけじゃねぇだろ」
「ただ突っ走るだけじゃ見つかるもんも見つからねぇ」
「だから…助けるばっかじゃなくて、偶には助けを求めろ…独りで戦うのが英雄ってわけじゃねぇ」
その声には先程の様な激情はなく、しかし確かに彼女への心配の意が込められていた。
「…」
アリアは答えない。
だが、足を止め、彼の声に耳を傾けていたのは確かだった。
彼女が出て行った扉を、ハイネスはただ黙って眺めていた。
すると、その扉が開かれる。
現れたのは…金髪の青年。
「———良かったんですか?」
「何がだ…」
ヴィルックはため息でも吐きそうな呆れ顔でそう尋ねる。
「一人で行くべきではないって言ったのは私ですが…あそこまで言わなくても良かったのでは?」
傷心中のアリアにとって、あそこまで真正面から言葉を叩きつけるのは傷口に塩を塗る様なものと言えるだろう。
今の彼女にとって己の弱さとは、ある種のコンプレックスのようなものなのだ。
「…良いんだよ」
「嫌われちゃいますよ?」
「それこそ別に構わねぇよ…」
彼は頬杖をついて思い返すように虚空を見つめながら口を開く。
「ああいう目ぇした奴は大抵すぐ死ぬもんだ」
「目、ですか…」
いまいち理解していない彼にハイネスは続ける。
「ただ生き急ぐんじゃなく一つの目的に囚われてるような奴は、見えてもいねぇゴールに手伸ばして、結局足元を掬われるんだよ」
「それが死に直結するかどうかは分かんねぇけどな」
まるでそれを見て来たように、経験して来たかのように語る彼は何処か哀愁が漂っていた。
ヴィルックはそんな彼を眺めた後、顎に手をやりぼうっ、とした様子で思考に耽る。
「…目、ねぇ…」
「どうかしたか?」
「………いえ、何でもありません」
そう言う彼は、やはり何か引っかかるような顔をしていた。
しかしすぐにいつも通りの表情へと戻る。
「兎に角、彼女が一人で行こうとすれば止めれば良いんですね」
「ああ、よろしく頼む」
「了解しました」
そうして目を伏せた彼は、入って来た時と同じように正面のドアから出て行った。
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