最強のお守り精霊は悪縁(という名の邪魔者)をぶった切る
火稀こはる
1章 異世界転移とお守り精霊
第1話
深夜、残業終わりの重たい足取りで橋を渡る。もう少しで家に着く。
ふと、橋の欄干に手をおいて立ち止まった。
見上げれば、満月。
私はそれを、もう何度目かのため息をつきながら呆然と見ていた。
遡ること数時間前…
私、
「はぁー?有給休暇だぁ?ダメダメ、んな急に言われても無理〜」
グィと申請用紙を突っ返される。
「え…でも、一ヶ月前ですし、この間の…中野さんは受理されてますよね?」
(この休みだけは取らないと!ここで引き下がる訳には…)
私は、上司のバカでかい声と強めの語気に挫けそうになる心を奮い立たせて食らいついた。すると、上司は面倒臭そうに舌打ちしてこちらを睨んできた。
「あのさ~、人の事は関係ないでしょ?」
「はい…」
「だいたい、その中野が言ってたぞ?「石動は先輩なのに仕事が出来ないし遅い」って」
「は…?」
中野さんとは、私が教育係を担当している後輩で、なんというか良く言えば「社交的で世渡りの上手い」悪く言えば「我が儘でずる賢い」女子社員だ。まぁ、確かに派手でキレイな印象はある。あまり好きではないけど。
上司の発言に耳を疑った。中野さんは自分の仕事を「わからない」「できない」と言って私に丸投げ。彼女の教育係の私が尻拭いをしてあげているのに、あたかも私が仕事を分担せず独占し、挙げ句に終わらせていないなんて言いふらしているのか。上司のバカでかい声は事務室に響き渡り、それまで聞き耳をたてていた事務員達からの嘲笑が聴こえた。
目眩がする。
「中野はちゃーんと自分の仕事をやってる。だから有給を貰う権利がある。でもお前にはない。なんでかは、わかるよな?って事で有給は却下。」
「………………」
思い出しただけで腹が立つ。のに…
「はぁ…」
みるみるうちに満月が歪んで割れて、溢れていく。空気がうまく吸えなくて苦しい。鼻の奥がツンとして…
ぼたぼたと涙が溢れて止まらない。
「うぅぅ…」
(友達になんて言おう…)
グィと手の甲で乱暴に涙を拭うと、瞼に硬い感触があたった。それは手首に付けているブレスレット。
就職を機に実家を出る際、父がくれたお守りのパワーストーンブレスレット。黒水晶と呼ばれる小ぶりの黒い石が連なった数珠状のヤツだ。真っ黒でゴツい見た目だけど私のお気に入りで、着けられるときはなるべく着けている。
右手でそれを手首の上から握りしめた。こうすると少し落ち着く気がする。いつもはそうやって嫌な事を我慢して飲み込んできた。
でも、もう疲れてしまった。
「…どっか行っちゃいたいな…」
川からのひんやりとした風が涙で濡れた頬を撫でていく。ふと視線を上げると、満月が水面に反射して黄金色の道のように見えた。
「キレイ…」
あの道を行けば楽になれるのかもしれない。欄干に手をおいて身を乗り出した。
その時、
「じゃあ、行きますか。」
突然、耳元で甘めのイケボが聴こえた。経験したことの無い距離感で放たれた美声に状況がわからずへたり込んで固まる私の視界に入ったのは、月の光と街灯を受けて微笑むめっっちゃ美形の男性。
「え…?」
いやいやいやいや、おかしい!こんな美しい人が存在する訳が無い!万が一存在したとして、この人の様な天上人が私如き社会のゴミみたいなのに用なんて…( ゚д゚)ハッ!
「アッ、あ~わかりました!ちょっと待ってくださいね…」
そう言うと、少しずつ彼と距離を取りながら鞄の中から財布を取り出した。
「えっと…あんまり持ってないんですけど…いくら必要ですか?」
「え?」
「お、お金ですよね…?」
こんなきらめいてる人と目を合わせたら、灰になって死ぬかもしれない。
できるだけ目を合わせないように、震える手で紙幣を差し出す。すると美形さんは小さくため息をついた。
(ヒィィ!ごめんなさい、ごめんなさい!生きててごめんなさい!!)
なんで、こんな思いばっかりしなきゃいけないんだろう。さっき引っ込んだ涙がまた溢れてきそうで、奥歯を噛んで堪えた。
「チアキ様」
美形さんは、そっと私の手を両手で包み、慈しむ様に擦った。
「えっ?!な…」
急に名前を呼ばれ、驚いて顔を上げると美形さんの体がグッと近付いてきた。そして、強く抱き締められてしまった。
「!?」
(なになになに?!新手のドッキリ?!)
頭を抱える様に抱き締められて、苦しいやら恥ずかしいやらで硬直する私に構わず彼は労るように私の背中を撫でる。
「チアキ様、今までよく頑張りましたね。でも、もう大丈夫、これからはずっと俺が守ってあげますから。」
「は…?な、何…」
もがいても中々放してくれない。
待って、待ってくれ…彼氏いない歴=年齢のエリート喪女には刺激が強すぎる。こんな事されたら爆発して死ぬ…!
「ちょ、ちょっといい加減放して…」
腕を突っ張って強めに彼の胸を押す。すると、名残惜しそうに解放してくれた。
「恥ずかしいですか?可愛いですね。」
そして、愛おしそうに目を細めて、蕩けそうな声で囁く。
バクバクと爆音で鳴る鼓動と、糖分と眩しさの過剰摂取でどうにかなりそうなんだが…?
私は、腰が抜けて立ち上がれず、橋の欄干にしがみつきながらどうにか体制を立て直そうと模索していた。
(美形…怖い…!私、いよいよ頭おかしくなったかもしれん…)
すると、美形さんが再び接近して、あっと言う間に私を抱えた。サラッと、ヒョイッと。
「ー〜〜?!(声にならない叫び)」
「それでは、そろそろ行きましょう。急がないと道が閉じてしまうので。」
私をお姫様抱っこしたまま、美形さんは軽々と欄干に飛び乗った。川からの風が私の髪を舞い上げる。
「え…」
(まさか…)
この後に起こり得る事態を想像してサァッと血の気が引く。すると、私の視線に気付いた彼は、嬉しそうに笑った。
艷やかな黒水晶みたいな瞳が、潤んだようにきらめいて目が離せなくなる。
「…やっと、あなたと一緒に居られる…」
そして彼は、満月へと続く水面の道に飛び込んだ。
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