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藤龱37

 

嘘のはじまり

プロローグ

 三次元に生きている僕達が立体的でないはずはない。果実とて、外側が青く苦くても内側は黄色く甘いものだ。空や海だって、本当は無色透明なのに様々な光の散らばりが青色に見せているだけ。けれどそれは大体の人にとって当たり前すぎて、忘れられている。あるいは平面的に塗られた虚構うそこそが本物しんじつだと思っているのかもしれない。


 黒板は雑に消され、スクリーンも巻かれている。窓の外から運動部の威勢の良い掛け声が聞こえた。西日の差し込む教室。制服を着崩した女の子が、木の机に腰掛けて足をぶらつかせている。


「優しい止まりっていうか〜」

「──何の話? あとスマホ取りたいんだけど、いいかな」


 青年が話しかけると、すぐに「ごめんごめん」とあっさりどいてくれたクラスメイトの横を通り、自分の机に置いてあるスマートフォンをポケットへと回収する。香水だろうか、花のような良い匂いのする女の子達は、スカートのひだを手で軽く伸ばし、再度青年の机に座り直した。


「ちょっと。せめて椅子に座ってよ」

「いーじゃんいーじゃん!」

「……また先生に見つかって怒られないよう祈っておくね」

「え〜、さっすが三沢! 今話してたんよね。あんたがカノジョいないのって、優しすぎるからだよね〜って」


 囃し立てているのとは別に、「うい〜」「あたしがなったげよっか?」「でも付き合ってもつまんなそーだよね〜」と好き勝手に肩でぶつかってくる女子達を躱し、三沢柚希みさわゆずきはポースの溜息をついた。やや笑みを描いている唇が軽やかに開く。


「別にいいよ。カノジョいなくても割と楽しく生きてるしさ」

「そういうとこ直したらすぐ女捕まえてそうなんだけどなぁ」

「どういう意味? もう、僕帰るからね」

「はーい」


 当たり障りのないことを言い、教室を出る。男女の屯する廊下を一歩二歩と歩いて、階段、その踊り場で突然立ち止まった。きょろきょろと周囲を伺う。今のところ、柚希の周りに生徒はいない。


「……っはーーーー」


 でかすぎる溜息である。ただでさえ垂れ目気味の目尻は情けなく下がって、片側の泣きぼくろの辺りには涙まで滲んでいる。人目がなくなったことで、緊張しきって固くなっていた身体は少しだけ弛緩し、だらけて猫背を作っていた。

 三沢柚希。十七歳、高校二年生。人見知り。最近の悩みは、軟弱そうな顔立ちと振る舞いのせいで女子にナメられていること。彼は、日和見な性格が祟って、本当は人と喋るのにいちいち身構えてしまっていることをひた隠し、ただの優しそうないちクラスメイトとしての表面的なキャラクターを被って逃げている、いわゆるキョロ充であった。

 女子の言う通り、“丨無駄に優しい《そういう》とこ”を直して相手に踏み込むことができたなら、カノジョくらいできただろう。柚希は自分に対して極端な過小評価をしていないので、そのように思っている。かといって容姿の加点はない。年頃の男らしく眉を整えたり無駄毛を剃ったりしているが、それでも全体的に地味な顔立ちで、スタイルにも目立つところがない。まあ逆に言えば欠点らしい欠点もない。つまり、この頃の若者のコンプレックスとなりがちな容姿という項目は、柚希にとって、性格よりもマシな問題であった。

 しかし、柚希が「カノジョいなくても割と楽しく生きてる」と言ったのは本心だ。なぜなら柚希には趣味があるから。

 下足箱の横で爪先を叩き、てってと歩いて校門を出て信号待ちしながら、ちらりと手元のスマートフォンの画面を覗き見る。そこに映っているのは二次元の可愛くて格好いい美少女達だった。柚希の嫁である。美少女ゲー厶というと忌避感のある非ヲタもいるかもしれないが、柚希の世代では割とよくある光景だ。教室で長乳ソーシャルゲームの話をする生徒を見かけるのも珍しくない。シナリオが重厚だったりキャラクターのビジュアルが極めて良かったりすると、男性だけでなく女性までもが夢中になる、それが美少女ゲー厶というオアシスなのだ。なお、長乳とは、付け根から乳首にかけてが一際長い巨乳のことである。そう、柚希は巨乳派だった。

 信号機が青に変わる。柚希が歩き出そうとしたとき、視界の端できらりと光るものが見えた。チャリンという音も。振り返って小走りに自販機の側に近づいて、小銭を拾う。「落としましたよ」と歩道の少し遠いところに行ってしまった男性に声を掛けると、スーツの男は肩越しに振り返り、「ああ」と眉を上げた。


「何かジュースでも」


 小銭を手渡すと、男性はそう申し出てくれた。柚希は丁重に断って横断歩道を渡ろうとし、赤信号で足を止めた。若干目を細めてムッとする。柚希はいつもより家路を急いでいた。贔屓の美少女ゲームの、今日から始まるという春イベントを楽しみにしていたのだ。そのために早く“寄り道”を終わらせて家に帰るつもりだったのだが……。まだ見ぬえちえちスチルを夢見てじりじりと前を睨む柚希の背中を、スーツの男が「よくできた子だ……」と微笑んで見つめていた。

 これはどこにでもある理想と現実の話である。


*

 まだ寒さの残る麗らかな空。雲が視界の端から端に移動した頃。柚希に続いて学校を出てきた彼のクラスメイトの女の子達は、黄色になりかけの横断歩道をキャッキャと走って、その先の交差点に差し掛かっていた。片手の数ほどの彼女達が全員で両腕を伸ばしても横幅に足りないほど巨大な街頭モニターがパッと場面を転換させる。

 そこに映ったのは、ファンタジーに出てきそうな迫力あるエフェクトに包まれる三次元の少女。女の子達は何かに惹き付けられるようにして彼女を見上げ、うっとりとする。その少女は黒い瞳に東洋風の顔立ちでありながら、黄水晶のように輝く金髪を持ち、その中に数本、瑠璃色のメッシュの束がある。それらは人工的に染められた色でも遺伝子的に刻まれた色でもない。もっと超常的で、異質で、魅力的な雰囲気を醸し出している。

 やがて画面はウエストサイズに映された少女が一本のボトルを抱きしめているものに変わった。澄んだ声音がシャンプーの名前を告げ、会社のロゴが現れる。そこで映像は終わった。


「ラッキーすぎ。これ、ルチカの新CMじゃん」

「あの子がJKってガチかな?」

「ウソウソ。あんな大人っぽいんだよ? ありえないって」

「雲の上ってカンジだよね〜」

「迷宮系の人ってみんなそういう雰囲気しない? ほら、迷宮工学の人とか」

「あれはもうそういうキャラじゃーん。でも、一番はやっぱルチカっしょ!」


 堰を切ったように口々に話す女の子達は、誰も彼もメイクの上からでも見えるほど頬を赤らめ、胸を高鳴らせている。


「…………会ってみたいなぁ……」


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