第二部 完


「実家、大丈夫?」

「飲み会のあとにキリヤんち泊まるって言ったから、大丈夫。お父さんに」

「ずっる。お母さん、大丈夫じゃないでしょ」

「キリヤん家にいるってわかれば、平気」

郁美の話を聞いて、キリヤは自宅へと車を走らせた。思ったより酔ったのかと思ったが、車に乗り込んだ郁美は顔色も悪くなく、表情も変わりなかった。さっきのあれは完全に演技だったようだ。

どうしてあんな真似をしたのだろうか。従姉に会えて、嬉しそうだったのに。

嫉妬で苛立っていたキリヤは早く帰れて良かったが、突然の心変わりが不思議でならない。郁美は窓の外を見つめて口数も少なく、感情が読み取れなかった。

マンションに到着して助手席のドアを開けると、郁美の両腕が首に巻きついてきた。

「連れてって」

今日はもう歩く気がないらしい。仕方なく抱き上げると、思いの外強くしがみついてきた。

「やっぱ酔ってる?めちゃくちゃ甘えるじゃん、今日」

郁美から返事はない。否定されて、なんなら甘えてないと叩かれるかと思ったが反応がない。この無反応っぷりは一体何なのか。キリヤが舞と楽しく喋りすぎたせいだろうか。

(でも、話せっつったの本人だしなぁ)

めげない舞との応酬は中々楽しかった。しかし、そんなことで郁美が嫉妬するとは思えない。

たぶん、美幸が絡まなければキリヤは郁美に嫉妬されることはないだろう。

そこまで考えて、ふと気づいた。

眠いだけではないだろうか。

というか今、反応のないところを見ると、寝ているのではないだろうか。

前に飲んだときも4杯目の途中で歩けなくなって、タクシーの中で涎を垂らして寝ていた。アルコールにそんなに強くないらしい。寝顔を思い出して笑ってしまった。自由で自分勝手で、可愛くて仕方がない。

玄関で郁美の靴を放り投げ、ベッドに向かう。

「イタズラしていい?」

「いいよ」

郁美の耳に小声で話しかけると、眠っていると思った郁美から返事が返ってきた。郁美を寝かせようと屈んでいたキリヤは、強引に引き寄せられる。

「あっぶね」

バランスを崩したキリヤはギリギリのところで郁美を潰さずに体を支えた。キリヤの体の下で、郁美の瞳が真っ直ぐ見上げてくる。

「ご褒美、欲しいんでしょ?」

郁美が体を少し起こしてキリヤの下唇に吸い付いてきた。何度か音を立てて吸い付かれたあと、遠慮がちに伸びてきた舌を強く絡め取る。拙い口づけから、キリヤはご褒美の意味を悟った。

「やめてっつっても、やめないからね?」

郁美から誘ってくれたのが初めてで、嬉しさを隠しきれない。

郁美は一瞬体を震わせたが、首を振った。

「だめ。俺がやめてって言ったら、おしまい」

あくまで主導権は郁美にあるらしい。

「はいはい」

(約束はできないけど)

とりあえずここは返事をして、その先を続けることにした。




月曜日の夕方。キリヤは郁美に呼ばれて大学の中にいた。時間のせいなのか、歩く人もまばらで人が少ない。

『学校のベンチで待ってるから来て』『門入ったらすぐ見えるとこ』

今まで何度か大学まで送ってきたことはあったが、敷地内に入るのは初めてだった。本当は一緒に中までついていきたかったが、毎回追い返されていた。目立つから嫌なのだそうだ。

いつもは外で待ち合わせるのに、今日は郁美から迎えに来いとメッセージが飛んできた。

いくつか並ぶベンチの中に郁美と舞の姿があった。

「あっ、キリヤさ~ん!」

舞が気づいて立ち上がって手を振っている。近づいてみると、ベンチの郁美と舞の間にはお菓子が広げられていた。郁美は座ったまま、お菓子をつまみながら見上げてくる。

「二人で何してんの?」

「お菓子食べてた。舞ちゃんがお礼言いたいんだって、飲み会の」

舞は頷いて目を輝かせている。そのために呼ばれたのかと、キリヤは納得した。

「ごめんね、この前は先に帰っちゃって」

「いいえ!こちらこそ、ごちそうさまでしたぁ。次は、お酒を飲んでるキリヤさんも見たいです」 

舞は深々と頭を下げる。顔を上げた舞に上目遣いで見つめられて、キリヤは笑みを返した。好意を隠さず、堂々と向かってくる姿勢は感心する。

長く艶のある黒髪を緩く巻いて、年上の男に受けが良さそうな服を身に着けている。自分の武器を熟知している舞は、当然のように顔も可愛い。自分の顔に合った服装を選んでキャラを作っている。こういう子は引き際もわきまえているので、加減を間違えなければ遊ぶのに丁度いい。郁美と出会う前ならば間違いなく良いお友達になっていたはずだ。

「舞ちゃんお礼、できたよね?行こ」

郁美が立ち上がってキリヤの袖を引いた。舞が慌てて引き止めてくる。

「えぇ、待ってよぉ。キリヤさん、次の約束してほしいです。私、車で、どこかに連れて行ってほしくて、あの、二人で。だめですか?」

「だめ」

舞の潤んだ瞳に見上げられて、どう返そうかと考える間もなく郁美が口を挟んだ。腕に重みを感じて見ると、郁美がキリヤの腕にしがみついていた。

「俺の彼氏だから。キリヤも車も、貸してあげなーい」

郁美が笑う。一瞬舞がぽかんと口を開けて、すぐさま真っ赤になった。

「っ…はぁあ?!」

「バイバイ舞ちゃん。お菓子ごちそうさま」

郁美は舞に手を振って歩き出す。キリヤも腕を引かれるまま、郁美について歩く。

「人を、当て馬にしてんじゃねぇよ!」

舞の叫びが背後から聞こえてきた。

「舞ちゃんの顔、うける」

腕を絡めて歩く郁美は楽しそうに笑っている。無邪気な笑顔に、やっとキリヤの思考が働き出した。天然なのか計算なのか、可愛い顔をして性格が悪い。でもそこが癖になって抜けられなくなっている。

郁美の手を握り、体を寄せて問いかける。

「俺、彼氏でいいの?」

「俺のこと好きなんでしょ?」

「超好き、すげー好き。ぎゅーってしていい?」

「だめだよ、調子乗んな」

郁美が慌てて離れてしまった。それでも手は繋いだまま、二人は大学を出た。




END





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