第2話

温かい教室で、郁美は午後の講義を受けていた。お昼を食べたあとの講義は眠気を誘う。郁美はぼんやりと黒板を見つめていた。

昨日はレポートを終えたあと、中々寝かせてもらえなかった。

(最近、しつこいっていうか、ねちっこいんだよなぁ)

郁美は昨日のキリヤを思い出しながら、ウトウトと微睡む。

「ねぇねぇ。寝たらヤバくない?」

郁美が眠りに落ちる前に、横から声をかけられた。見覚えのない少女が隣に座っている。

「寝てると目、つけられちゃうよ?妖精ちゃん」

ただでさえ目立つんだから、と彼女は笑った。郁美はまだはっきりしない頭で考える。

「ヨウセイ?」

「あ、終わったらお話しよ?」

彼女は前に向き直る。郁美も若干覚めた頭で講義を受けた。

声をかけてきた少女は舞と名乗った。同い年で同期らしいが、大学の生徒たちとほとんど交流がない郁美はまったくピンと来ない。

「あのね、聞きたかったんだけど。最近車で学校来てるじゃない?あの人誰?お兄さん?」

誰、と聞かれると、郁美は返答に困ってしまう。美幸の隣人で、断片的な情報以外は何者なのか郁美にもわからない。

(そういえばあの人、俺の何?)

最近は学校や自宅以外ずっと一緒にいるのに、郁美にとって彼がどんな存在なのか答えることが難しかった。

郁美は散々悩んで舞に答える。

「………友、達?」

「そうなんだぁ。イケメン兄弟なんだと思ってた~みんなもそう言ってたんだよ?あのね、実はね、お願いがあるんだけどぉ」

舞は両手を合わせて郁美を見上げた。



「舞って子が、キリヤとご飯食べたいんだって」

大学からの帰り道。途中で寄ったファストフード店のポテトを頬張りながら、運転中のキリヤに話しかける。

「誰それ。友達?俺も腹減ってんだけど。めっちゃ食うじゃん」

「知らない。初めて喋った。食べる?」

赤信号で止まったところを見計らい、キリヤの口元に持っていくと指まで食べられてしまった。指を舐められて、くすぐったさに笑いながら郁美は手を引いた。

「やめろよ、きもいし汚いなぁ。ティッシュどの袋?」

「ひどくね?泣くよ?」

「なんかね、すごいイケメンって言ってた。女子がみんな噂してるんだって」

郁美はナプキンを取るついでにナゲットを頬張る。以前は美幸に止められていたジャンクフードだが、解禁してみたらあまりの美味しさに感動してしまった。最近はこうしてちょくちょく食べている。

「へー。で、郁美はどう思ってんの?」

「すごい変態なのになーって思ってる。行く?舞ちゃんとご飯」

「傷つくわぁ。店、こっちで決めていいならいいよ。あとは郁美と舞ちゃんの都合に合わせる」

早くハンバーガーに食らいつきたい郁美は、紙袋から顔を上げた。

「俺の?なんで?俺も行くの?」

「当たり前でしょ。郁美が行かないなら、俺も行かない」

マンションの駐車場に到着した。面倒なことになってしまった、と郁美は後悔していた。

面倒だから、このまま舞には黙っていよう。と、郁美は決意して車を降りた。




次の金曜日。キリヤと二人、店の中で舞を待った。ここは前に一度来たことがある。ミルクベースの甘いお酒が美味しい、個室の店だった。

あれから大学で見つかるたびにどうだったかとしつこい舞に、郁美は早々に降参した。キリヤの承諾を伝えるととても喜んでいた。しかし郁美も一緒であることを伝えると、あからさまにガッカリしていた。

『俺がいないと恥ずかしいから嫌なんだって』

『えぇーなにそれ可愛い~じゃあ、こっちも一人連れてくね!』

張り切る舞に、より面倒くさいことになったと郁美は頭を抱えた。知らない人間との食事なんて、ただの罰ゲームだ。どうしてこんなことになったのか。

何度めかのため息をつくと、隣のキリヤが嬉しそうに笑う。

「この前から暗いじゃん」

「知らない人くるの、すごい嫌だ。ニヤニヤしてるキリヤがもっと嫌」

「店予約して予定合わして車だして、俺頑張ったわぁ。飲めないの辛いなぁ。ご褒美何かなぁ」

キリヤが独り言と見せかけてたたみかけてくる。人の嫌がる顔を見て喜ぶなんて本当に性格が悪い。しかし、終わり次第すぐ帰りたいからと車も出してもらった手前、これ以上の文句も言いづらい。

舞の話をしなければ良かったと郁美が深く後悔した時、個室の扉が開いた。

「ごめんなさい、お待たせしましたぁ。ちょっと迷っちゃって」

ふわふわのブラウスとスカートと、いつも以上に華やかな格好の舞が入ってきた。しかし郁美は舞よりも、後ろの人物に目が釘付けになった。

「郁美?」

「み、美幸ちゃん?」

思わず郁美は立ち上がってしまった。もうしばらく会うことはないだろうと思っていたのに、思わぬ形で再会してしまった。

「あ、やっぱり知り合いでした?名字同じだし、なんか似てるな~って。でも美幸さん、一人っ子ですよね?あ、キリヤさんはじめまして。こちらがバイト先の社員さんの美幸さんで、私が舞ですぅ」

喋りながら舞は美幸を郁美の前に座らせ、自分はキリヤの前に腰掛ける。

美幸はあの時から大分体調が回復したようだ。以前のような、美しい美幸がそこにいた。

「従兄弟よ。久しぶりね、郁美。座ったら?相変わらず、二人でいるのね」

美幸がちらりと郁美の隣を見る。美幸に気を取られていた郁美は、キリヤの表情は伺えなかった。美幸に促されて、郁美は椅子に腰掛けた。

「いいなぁ、いとこが可愛くて。キリヤさん、何飲みます?私、オススメのカクテルにしようかな~」

「アルコール入ってないやつならなんでも。郁美は、この前のやつでいい?」

「へ?あ、うん」

「へぇ。この前、の…私も舞と同じでいいわ」

キリヤとの会話を聞いて、郁美の返事に美幸が食い気味に反応した。目を細める美幸に、郁美は思わず背筋を伸ばした。

美幸の好きな男と、今も遊び歩いていると知られてしまった。

いっそ知らない人間が来たほうが良かった。

郁美は嫌な緊張感に包まれる。

「えーっキリヤさん、飲まないんですかぁ?」

「誰かさんが車で帰るって駄々こねるから。ねー?」

キリヤに話を振られて、郁美の体はびくっと反応してしまった。余計なこと言うなと叩きたかったが、そんなことをしてはますます美幸を怒らせる気がする。郁美は固まったまま動かなかった。

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