第10話 接敵
ラヴェナーレ卿とネレーロ皇子が、侍女を引き連れて食堂に現れる。で、この5人は各々、注文した食べ物を載せたトレイを持って、席に着く。
あちらでは当然、食事を運ぶのは侍女の仕事だが、それをレティシアが、
「おい! ここは自分の食い物は、自分で運ぶのがルールなんだ!」
「な、なんじゃ!? おい、るーるとはなんじゃ!?」
「決まりってことだ。自分の食いもんも運べねえ軟弱な野郎に、食わせるもんはねえんだよ」
などと昨夜に叫んだものだから、侍女も貴族も皇子もなく、自分で料理を選び、自身で運ぶ。
もっとも、本人達はそれでも楽しんでいる様子だ。ネレーロ皇子は普段、毒見役の承認が出るまで食事を口にすることができない生活を送っている。だから当然、冷めた料理しか口にできない。それがここでは自分の好きな料理を選べて、しかも暖かい料理を思う存分食べられる。
ラヴェナーレ卿にしても、ここは気になる食べ物ばかりで、新たな食べ物を口にしては、侍女と共に笑みを振りまいている。好奇心旺盛だからなぁ、ラヴェナーレ卿は。だが、今朝のトレイの上の朝食を見て、僕はやや戦慄を覚える。
納豆だ。納豆ご飯が、ラヴェナーレ卿のトレイの上に載っている。そういえば昨日、カテリーナが昨夜、納豆ご飯を美味しそうに食べているところを興味津々に眺めているラヴェナーレ卿を見たが、ついにあれを頼んでしまったのか。
いやあ、いくらなんでも、納豆は無理だろう。カテリーナは闘士時代に、毎日のように食べていた大麦豆蒸し料理に親しんでいたからあれに耐性があるのであって、古代ローマ時代に似たところに住む高貴な人物が親しめるような食材ではない。
そしてついに、その納豆ご飯に手を出すラヴェナーレ卿。顔の表情が、変わる。
「ん!」
ああーっ、やっぱりダメだったんだ。しかしどうしてあんな見た目でヤバそうな料理に手を出そうなどと……
「美味い!」
……あれ? 美味いの? 本当? それ、いわば腐った豆ですよ。しかも、帝国にはない米という穀物がベースの食べ物。どれをとっても、帝国の貴族に合う食材だとは思えないのだけどなぁ。
しかし、そういえば帝都にも臭いチーズがあったことを思い出した。いわゆるブルーチーズだ。しかも、臭いが強烈だ。5メートル離れていても臭う。
さて、そんな高貴な人物らと共に、同じテーブル、同じトレイに食事を載せて朝食を摂る3人の侍女。ネレーロ皇子の両脇に座るのは、ロレーナとロレッタという名で、ラヴェナーレ卿と食事を共にする1人は、レーナという。
おそらくこの名は、彼女らの本名ではなさそうだ。主人の名の末尾と韻を踏む名前ばかりの人物が、偶然侍女となるとはとても思えない。これは皇子と貴族の寵愛を受け、その証として賜った名前ではないかと推測する。
実際、冷静に見ればこの3人は、寵愛を受けるだけの美貌と性格を兼ね備えている人ばかりだ。献身的だし、愛想も良い。男ばかりのこの艦内で、乗員らは彼女らの姿に釘付けだ。
この侍女らは、自身のご主人の身の回りの世話をするためについてきている。おかげで昨日は危うく風呂場までついてくるところだった。駆逐艦の風呂場は当然、男女別だ。昨晩グエン准尉が、男性風呂に入ろうとする侍女らを慌てて引き留めたという報告を受けている。
だがここでは基本的に、侍女の出番はほとんどない。食事はセルフサービスが基本であるし、風呂は侍女ではなく、ロボットアームが身体を洗うことになっている。
航宙駆逐艦は宇宙船であるため、水が貴重だ。その水を極力無駄遣いさせないため、艦内の浴場では専用の備え付けのロボットアームで身体を洗うことになっている。最小限のお湯で、効率よく身体を洗うためだ。これは男女、階級、身分を問わず同じだ。
なお、洗濯も調理も全てロボットアームが行なっている。トイレも当然、男女別だから、侍女がついていくなど不可能。ここでは侍女など不要だ。
ただし、就寝時だけはそれぞれの侍女を連れて部屋に入る。結局、彼女らの仕事は夜のお相手だけ、ということか。
というわけで、夜以外はただご主人に随行するだけの侍女だが、食事の時は普段の愛想笑いではなく、本当の笑みが見られる。それだけ、ここの食事が気に入ったのだろう。頬を押さえながらハンバーグやパスタを口にする侍女の姿は、まさに僕の目の前にいる元戦闘奴隷と同じだ。
そして、そのカテリーナの今日の食事は、納豆茶漬けだ。
「お前、納豆が大好きだな。そんなに気に入ったのか?」
「この豆、とても美味しい!」
ちょっと片言気味なカテリーナが、精一杯、納豆ご飯が気に入ったことをレティシアにアピールしている。我が故郷の東方にあるミトの人々が、彼女のこの言葉を聞いたならば、きっと泣いて喜ぶことだろう。
そんな人々を乗せて航行する300隻の艦隊だが、そこに一隻の船が接近する。
「距離4万キロ、あと15分ほどで接触します」
「光学観測、艦色視認! 明灰白色! 友軍です!」
それは、
このまま我が艦隊と合流し、戦艦ノースカロライナに寄港、そのままネレーロ皇子とラヴェナーレ卿を引き取り、彼らの相手をしてくれるという。
と、いうことで、あの3人の美人侍女とも、戦艦ノースカロライナに到着し次第、お別れだ。といっても、帝都にいればネレーロ皇子ともラヴェナーレ卿ともいやでも顔を合わせるから、今後も会う機会はあるだろうが。
「
「了解、直ちに返信。合流を許可する。我が0001号艦の側面1200メートルの位置につき、入港まで我が戦列に加われ、と」
「了解!」
やがて従来型駆逐艦が、我が艦隊の旗艦であるこの艦の左隣、1200メートルの位置につく。そして発光信号により、我が艦隊の指揮下に一時入ることを宣言する。
さて、300と1隻は、目的地に続くワームホール帯へと接近する。艦橋内は慌ただしくなる。
「艦橋より砲撃管制。ワープ時の接敵の可能性に備え、砲撃戦用意」
『砲撃管制室より艦橋! 了解、砲撃戦用意!』
「ワームホール帯まで、あと1万キロ!残り2分!」
艦橋には、ネレーロ皇子とラヴェナーレ卿の御一行が窓際に立って、今か今かと待っている。初めてのワープだ、一気に10光年ほどをジャンプする。そんな体験、帝都ではもちろんできようがない。
「ワープすると、星の配置が変わるそうじゃ」
「なんですと? ですが、星というものは、アポローンの従者であるポーロスが天の壁面に描いたものではないのですか? 壁に描かれた絵がそうそう簡単に変わるなど……」
これまでも彼らにはこの宇宙の真の姿について、様々な説明がなされたのであろうが、ところどころ古い知識が垣間見える。世界観というものは、なかなか変えられないものらしい。
そういえば、カテリーナは今、砲撃管制室にいるはずだ。見習いとはいえ、彼女は
だがあまり緊張が続くと、今度は砲撃長のヨウ大尉に抱きつかないか心配だな。砲撃長は既婚者らしいし、妙な噂が立つと迷惑だろう。それは僕自身、身をもって知っている。
「ワームホール帯に到達!」
「超空間ドライブ作動!ワープ開始!」
星空が消えて、超空間に入ったことを知る。ここは宇宙の裏側、物理法則の異なる世界。星はなく、大きさも定かではない。
そんな空間をわずか数秒間でくぐり抜ける。すると、もう一端のワームホール帯から再び、通常空間に飛び出す。
星空が戻る。さっきよりも、星々の密度が高く見える。ワープの結果、単に天の川銀河の星々が集まる方向に艦首が向いただけのことだが、それを見たあの貴族と皇族は、また騒ぎ始める。
「ほれ、言うた通りであろう! 星の配置が変わったぞ!」
「なんということですか……まさかあの短い時間で、ポーロスが絵を描き変えたというのですか……?」
古い観念での解釈を試みようとして、混乱するラヴェナーレ卿。好奇心が強く、様々な知識を持つ貴族だが、その知識ゆえに、目の前の事象を理解できないようだ。
だが、混乱するのは彼らだけではない。次の報告が、艦内の緊張度を一気に引き上げる。
「レーダーに感! 1時方向、距離32万キロ! 数、およそ300!」
なんだ? まさかいきなり、敵艦隊との遭遇か?だが、そういうことは滅多にあるものじゃないし、ついこの間、それをやったばかりじゃ……
「光学観測!艦色視認、赤褐色!」
この一言で、現れたのが敵艦隊だと確定する。数は互角。ならばと、僕は全艦に命令を下す。
「全艦に下令! 砲撃開始!」
「了解、全艦、砲撃開始!」
まあ、こういう時に備えて砲撃戦の準備をしてワープをすることになっている。しかも、敵艦隊はギリギリ射程外。我々のアウトレンジ砲撃が可能な位置だ。この有利さを活かし、敵を圧倒する。これが
ところがである。砲撃管制室から、まったく思いもよらぬ報告が入る。
『砲撃管制室より艦橋! 砲撃不能!』
これを聞いて、背筋が凍るような感覚を覚える。なんだと? 砲撃不能? どういうことだ。
「艦橋より砲撃管制! 故障か!?」
『いえ、砲撃手不在のため、砲撃が開始できません!』
「何だと!? どういうことだ!」
で、聞けば、
「他に人員はいないのか!?」
『カテリーナ二等兵がおります。が、シミュレーター経験しかなく、実弾砲撃も未経験で……』
ああ、そうだ。カテリーナがいた。僕は艦長に指示する。
「このまま攻撃不能では、せっかくの好機を活かせない上に、旗艦としても示しがつかない。ですから、カテリーナ二等兵への砲撃許可を、お願いします」
すでに他の艦は、砲撃を開始している。ここでまだ砲撃を行っていないのはこの艦と、まだ射程外の従来型駆逐艦である
「……了解しました。カテリーナ二等兵に撃たせます。艦橋より砲撃管制室! カテリーナ二等兵を
『砲撃管制室、了解!』
図らずも、カテリーナが砲撃を担当することとなってしまった。彼女にとっては、予想外の初陣だ。しかも駆逐艦での砲撃経験は皆無。
『砲撃管制室より艦橋! 砲撃準備完了!』
「艦橋より砲撃管制室! 砲撃開始、撃ちーかた始め!」
『砲撃開始! 撃ちーかた始め!』
主砲の装填音が、響き渡る。キィーンという甲高い音が、艦橋内に響く。
そういえば、あの2人のことをすっかり忘れていた。どこで何をしているのやら……と、辺りを見回すと、窓際で不安げに見回している。
そんな貴族、皇族などに構うことなく、我が艦はついにその真の力を解放する。
ドドーンという、大きな雷鳴のような砲撃音が鳴り響く。窓の外は青白い光で覆われて、まったく見えなくなる。
ネレーロ皇子もラヴェナーレ卿も、そして一緒にいる侍女らもこのいきなり始まった砲撃に驚き、その場に座り込む。互いに抱き合い、恐怖に震えている。
だがこれを放ったのは、同じ帝都から来た元戦闘奴隷だ。彼女も緊張と恐怖と戦いながらも、立派に任務をこなしている。たとえ経験の低い新兵だと言っても、覚悟の違いではこの高貴な連中以上だ。
しかし、その直後にもたらされた初弾の弾着報告が、彼ら以外の乗員をも驚愕させることになろうとは、この瞬間まで思いもよらなかった。
「初弾、命中! ただし、目標艦はバリア展開し、健在!」
命中。つまり、一発目でいきなり当たったというのか?撃沈こそ逃したものの、いきなり命中だ。これは偶然か、それとも……
この戦いで僕は、いや我が艦隊は、カテリーナの真の能力を知ることになる。
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