1-3 『××』が眠る大地

 ハーべの幻惑魔法でリースたちを出し抜いたソフィアたち。二人は息を切らせながら、足を必死に回して森の奥へと逃げている。


「はぁ、はぁ……! ありがとうハーべ……! 貴女がいなかったら確実にやられていたわ……! 本当なら、レストアーデ家の王女として本物の炎が出せれば良かったんだけれど……!」

「出来ないことを言っても仕方ありません! それに、感謝はありがたいですけどまだ早いです! わたしの魔法の効果はほんの僅か! 危機的状況は変わってませんし、むしろここからが正念場です!」

「……ッ! そうね、ごめんなさい……! 今はグラウンド・ゼロを無事に抜けられることを祈るわ……!」


 気合いを入れ直し、力強い眼で前を見ると木々が途切れて空気の流れが一気に押し寄せてくる。

 そこに足を踏み入れると、遮蔽も何もない枯れた平野が二人の目に飛び込んできた。


 ——グラウンド・ゼロ。それは、先史文明時代——『魔王』を生み出し【機械仕掛けの恢戦エクスハード】のきっかけとなったレストアーデが背負った贖罪の大地

 【機械仕掛けの恢戦エクスハード】の魔王の力によって破滅へと導かれたその地は、生物が一切住めない荒野の地として世界地図に名を連ね、徐々にその範囲を広げている。

 最初は数メートルの範囲しか枯れていなかったのに、二百年以上経った今では直径一㎞まで侵食され今でもなお拡大中。周りに生い茂っている木もいずれはそれに飲み込まれる。

 だからこそ、世界に残されたこの『毒』のような地を初代レストアーデ王が引き受け、そしてレストアーデ王に、世界の憎悪は人に向けられていたことだろう。

 砂の様な地質が雨を吸ってぬかるんだ泥となり、二人の足取りを強制的に重くさせていく。

 隠れることが全くできないこの場所でリースたちに追いつかれたら一巻の終わり。この最難関を抜けなければステラ領に辿り着けないからこそ、ここが一番の鬼門だった。


「見えた……! あそこを抜けたら……!」


 泥を跳ね上げながら懸命に走り続けたことで見えたグラウンド・ゼロの終わり。視線の先には木々が生い茂る森が再びあり、そこに入りさえすれば身を隠すには十分。

 ハーべの認識阻害を使えば、確実に逃げられるだろう。

 けれど


「ざんねぇ〜ん! そうは問屋が卸しませんってな!! ——『告げる派遣の使者。祖は許さぬ千の怒り。罪禍の磔。鎖状の頸木が四肢を獲る』【荊棘の鉤ブラッドソーン】』!!」


 嬉々とした詠唱が背後から聞こえてくると、地面からソフィアたちを囲うように巨大な『杭』が何十・何百と現れた。


「ソフィア様!!」

「きゃっ!!」


 ハーべがソフィアを押し倒す。その瞬間、眼前に現れたのは二人を磔にせんばかりの巨大な杭。そのうちの一つがハーべの背中を掠め、服が血に染まっていく。


「ハーべッ!?」

「わ、わたしは大丈夫です……。それよりも……お逃げください……。まだ終わってませんよ……」

「逃げろって言われても……!」


 脂汗を滲ませながら、後方を睨むハーべ。

 急死に一生の場面ではあったが、危機は去っていない。

 巨大な杭はそのまま『壁』として二人の行手を阻む。

 逃げ場はどこにもなかった。


「良くやったアルバ。このことはちゃんと上に報告してやろう。上司を立てられる良い部下がいる——とな」

「ありがとうございます、リース副長オプティオ! では、トドメおまかせしますね!」

「あぁ……。このオレをコケにしたこと、命で贖え! 不審者共!!」


 帝国に伝わる空を飛ぶ魔法を使って、制空権を握ったリースが、ソフィアたちに絶対の力を見せつける。


「『荒野の轍。苦難の道を辿るは、我が使命。されど、我が道、阻む者がいるのなら排除せよ! 【無窮の礫リトスペトラ】』!!」

「そん……な……」


 ソフィアの碧い双眸が絶望に見開かれる。

 限界を超えているのか、眼を血走らせているリースのさらに頭上には巨大な岩が一つ。

 それはさながら『隕石』の様で、逃げ場のない二人にその攻撃は死そのものだった。


「こ、こんなのあり得ません……! 帝国式とはいえ、これのどこが汎用魔法なのですか……!」

「たかが副長オプティオクラスでこれ……。帝国はこんなにも遠いの……?」


 絶対的な力の差に心が折れそうになる。

 ひとえに魔法といってもあり方は国々よって異なる。

 王国は、血筋が元になる固有の【継統魔法】が主流。

 料理や灯りに使うような簡単な生活用ワンアクション魔法ならともかく、戦闘や医療など特別な現場での運用は個々人の血筋と特殊な才能が大きく作用し、自分以外の魔法はまともに使えない。


 一方、帝国は攻撃特化の【継統魔法】を持つ人材を取り入れ、人知れず徹底的に研究したことで汎用化に成功。

 それによって才能のある帝国民なら誰でも魔法が使える様になったのだが、汎用化にあたって細分化されたことで、威力は元のモノより激減。

 言うなれば『質』の王国式に『数』の帝国式。それがこの世界の常識だった。

 それなのに、リース——そしてクルルタリスが相対していた帝国兵も、その魔法は質の面でも遥かに王国式を上回っていた。

 下級兵士でコレだ。上は一体どれほどの高みにいるのか。

 恐怖に駆られ、血を失いすぎたハーべが気を失う。


「くたばれカス共!! オレたちに楯突いたことを、地獄の果てで一生後悔してな!」


 巨大な岩が、加速しながら降りてくる。

 死まであと数秒だ。


「——ソフィア様!!」


 その時、ソフィアたちを押し潰そうとする岩の間にクルルタリスが割り込んできた。


「クルル!?」

「……ソフィア様。貴女様は唯一残された希望なのです。そんな貴女が絶望していては民は導けませんよ? ここは老兵を盾にしてでも生き延びてください」

「そんなッ……! クルルッ……!」

「儂の背から決して離れないでくださいませ!!」

「『我が仇敵を阻め! 【静寂の壁バリエース】』!!」


 岩に向かって手を翳し、障壁を張って受け止める。

 それでも、威力が圧倒的に上回っているのか衝撃がクルルタリスごと地面を揺らした。

 身が砕けそうなほどの破壊の一撃。受け止められたことが奇跡に近い。

 それが功を奏したのか、奇跡が二度起きる。


「ッ!?」


 ドゴンッと、重々しく鈍い音が起きるとソフィアたちの体が宙に浮く。

 魔法を使ったわけじゃない。

 ——


「きゃああああああ!!」


 雨の影響とグラウンド・ゼロの枯れた地質に、衝撃が絶えられなかったのだろう。

 意識を失った臣下二人とともに、ソフィアは暗く闇に染まった底へと落ちていった。


⭐︎

 

「う、うぅ……」


 土煙の中、ソフィアの呻き声が『穴』の中で反響する。

 底が柔らかかったおかげで、かろうじて生きていたが叩きつけられた衝撃がソフィアの自由を奪っていた。

 頭からは血を流し、身体中が打撲。右脚に至っては折れている。出来ることは体勢を変えて、横たわるハーべとクルルタリスを見ることだけだった。


「ク、クルル……。ハーべ……」


 二人はピクリとも動かない。その事実に再び心に絶望が訪れそうになるも、小さく上下する胸を見てそれは去っていく。

 二人は生きている。

 けれど、それも時間の問題だ。重体であることに変わりはない。このまま放置すれば三人とも死ぬだけ。


「はぁ……はぁ……。とにかく……、生きてはいるのよ私……。クルルも言ってたじゃない……、諦めるなーー」


 と思い直すものの、ソフィアに立て直すじかんは与えられない。

 からゆっくりと無傷のリースたちが降りてくるのが見えたからだ。


「くっ……! また、なの……!?」


 ーーあの日と同じ、手を伸ばすことしか出来ない自分に腹が立つ。

 帝国にだけ許されている絶対的制空権。空を飛ぶ兵がソフィアの記憶トラウマを否応なしに抉ってくる。


「違う……! あの時と同じ結末にしない為にここまで来たんでしょう……! 何度、同じことを繰り返すつもりよ……!」


 諦めそうになる自分への怒りを糧に、前を向く。

 その時、雲の切れ端から漏れた陽の光が穴に落ちて『ソレ』を照らした。


「————」


 ソレを見た時、ソフィアは痛みも忘れて息を呑んだ。

 土の中に埋められていたソレの様なモノ。

 黄金比のごとく整い、無垢な白を見せるその中性的な顔は、身の毛もよだつほどに『完璧』だ。差してくる陽光も相まってまるで神様のようだった。

 すると、さながらここは神殿か。

 そう思えるほどに、目の前の光景は美しく思えた。


「これ……は……」


 黒く骨だけになった様な右腕が、ぶら下がる様に土の壁に埋まり瞳は閉じられている。

 胸には拳大の『穴』が空いており、そこからは金属の『糸』が無数に零れ出て土壁と同化していた。

 その姿は草木が栄養を得る為に地中を巡らせている『根っこ』のよう。

 リースたちが迫っているのも忘れ、這いつくばりながらソフィアは『ソレ』へと手を伸ばす。


「これは……糸? それに左腕と脚もない…。人……じゃないわよね? 血も出ていないし……」


 それにしても、彼女の目は『ソレ』を捉えて離さない。

 通常の感性なら、部位が欠損した『ソレ』は不気味でしかないのだが、彼女にとって『ソレ』は蠱惑的に感じられ心の底から魅了されていた。


 そう、それはまるで深い眠りにつく王子様を見たお姫様の様に——


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