1‐2 抜けた先に待つものは

「『——荒野の轍。苦難の道を辿るは、我が使命。されど、我が道、阻む者がいるのなら排除せよ! 【無窮の礫リトスペトラ】!』」


 森の中で響く帝国兵の詠唱。数多の礫が浮かび上がり、逃げるソフィアたちに襲いかかる。


「『我が仇敵を阻め! 【静寂の壁バリエース】』」


 クルルが礫に向かって手を翳して詠唱。その先に見えない壁が形成されると、轟音と共に礫の勢いが止まる。


「帝国式汎用魔法の中でも低級と聞いていたんですがね……! 一般兵でこの威力とは……! 前へ出ます!」

「クルル!!」


 一つ一つが必殺の礫。障壁で防げてはいるがあまりの衝撃にいつまで保つかは分からない。

 故に、クルルは剣を抜いてこの先にいる帝国兵に斬りかかりに向かう。


「ソフィア! ここはクルルさんに任せましょう! わたし達は先へ進みますよ!」

「で、でも……いくらクルルでも一人で四人以上を相手にするのは厳しいわよ……! 他の帝国兵もどこにいるのか分からないのに……!」

「だからです! こっちの予想以上に帝国兵が多い! ここでクルルさんが暴れて引きつけないと三人まとめてあの世行きですよ!」

「ッ……! 分かったわ……、行きましょう……!」


 まだ何も始まっていないのに、大切な臣下仲間を失ってしまうかもしれない恐怖。忸怩たる思いを抱きながら、手を引っ張るハーべにソフィアはついて行く。

 そんな不安そうな表情のソフィアに、『友達のフリ』をやめたハーべは微笑みかける。


「大丈夫ですよソフィア様。接近戦でクルル様に敵う兵士なんてそうそういません。魔法の威力は予想外でしたが、『蕾』相手ならすぐに合流しますよ」


 オスカリアス帝国の黒を基調とした軍服。心臓部には象徴たる稲妻の紋様が刻み込まれている。それを蕾のついた蔓が囲んでいる。

 その蕾に花弁が一つずつ開き始めたら階級持ちとなるのだが、先程見かけた兵士にその花弁はついていない。

 そのことを思い出し、ソフィアは不安と一緒に深く息を吐き出して落ち着きを取り戻す。 


「そうよね……。ごめんハーベ。予想外のこととはいえ驚きすぎたわ。クルルのことを信じましょう」

「はい! わたし達がやるべきことはまずステラ領に向かうこと! そこにさえ辿り着けば今はわたし達の勝ちです!」


 手を離し、二人は走る速度を上げる。

 当たり前というべきか、その先にも帝国兵が現れたのだが——


「『心を惑わす霧の息吹。覆い隠し、視線を逸らせ。【幻惑光ハルネシオン】』。——今ッ!」

「王国流短剣術……『壱薙ひとなぎ』!」


 ハーべが帝国兵に一瞬だけ認識阻害をかけた隙に、迫ったソフィアが短剣を抜いて首を切り裂く。

 血飛沫が濡れた地面をさらに濡らした。


「確かに、この程度が相手ならクルルは大丈夫そうね。このまま進めば——」

「ッ、止まってください!」


 逼迫したハーベの声に足を止め、ソフィアは即座に二本目の短剣を抜く。

 いつの間にか目の前にいたのは、二人の帝国兵たち。

 彼らは仲間が死んだことも厭わず、まるで狩りを楽しむかのようにニタニタと笑ってソフィアたちを見ていた。


「——ったくよぉ、こんなにポンポン殺してくれちゃったら困るんだよな。部隊の再編が面倒じゃねぇか」

「まぁまぁ、リース副長オプティオ。不審者ごときにやられる足手纏いなんているだけ邪魔なんですし、むしろ都合が良いと考えましょうよ」

「確かに、それもそうか」


 茶髪の若い兵士に、リース副長オプティオと呼ばれた金髪の中年兵士。雄々しい顔立ちからは野心がこれでもかと溢れている様に見え、胸の稲妻紋様には一枚の花弁が咲いていた。


「それにしても、このご時世に関所を無視して外から入ろうとする愚か者が存在するなんてなぁ」

「愚か者だから常識に気付かないんでしょう。ボクとしては、自分たちから不審者を名乗ってくれたのでありがたい存在ですけどね。自然に中に入られたらそれはそれで面倒ですし」

「違ぇねぇ」


 身分を少しでも隠すため、危険を承知でソフィアがハーベの前に立つ。


「……すみません。なにぶん南の田舎育ちでして、お国の事情に詳しくないのです。俗世に馴染むためにこうして旅をしているんですが、いかんせんまだ疎く。話に聞いた元王国のままのイメージで来てしまったのです。なので、あそこにいたのが兵士さんたちとは気付きませんでした」

「この軍服を見て兵士と気づかなかったと?」


 この世界で黒を基調とした軍服はオスカリアス帝国のみ。その主張は通らないと、リースが自分の地位と所属を誇示するように胸を指した。

 それでも、ソフィアは動じない。


「はい。なにせ、通ろうとしたら物言わせぬ勢いで「中身を見せろ」と言われましたから。経験上、そんなこと言う乱暴な人は『盗賊』と決まっていまして——」

「貴様! 我らを盗賊呼ばわりするつもりか!」


 剣を抜き、アルバが斬りかかろうとするのをリースが止める。


「まぁ待てアルバ。あながち嘘とは言い難いぞ」

「リース副長オプティオ? それはどういう……」

「奴らの着ている服装を見てみろ」

 

 くいっとリースは顎で視線を促す。


「薄汚い格好だが装備は一級品。戦闘経験もあることから、旅人というのは嘘ではないのだろう。そして、恫喝紛いのことをオレたちの兵がしたのなら落ち度の天秤はこちらに傾く。身を護るのは大事だからな」


 納得がいった様に何度もリースは頷く。

 なんとかやり過ごせそうだ——と、内心胸を撫でおろしたその時。


「——ッ!」


 激しい金属音が、閑静な森に響き渡る。眼前に飛び散る火花。

 一瞬で間合いを詰めたリースから振り下ろされた直剣を、ソフィアが二本の短剣で咄嗟に防御した音だ。


「ほう、その細腕でよくオレの剣を受け止めたな」

「な、なんで……!」

「ただ、もうそんなのは関係ない。お前達は既に我らの同胞を殺している。きっかけがなんであれ、オスカリアス帝国の属国内で兵士を殺したのなら裁かれるのはお前達だけだ。だから——執行開始だ」


 リースの凄惨な笑みが、磨かれた剣によく映る。

 それを見て、ソフィアの眼にも怒りと困惑が宿った。


「なんで……どうしてこんなに私たちを執拗に追いかけ回すの……!? 不審者を相手にするって言ったって、たった数人を相手に部隊を投入するなんておかしいでしょう……!」

「んなこと、オレらに言われても知るかよ。オレらはただ、あの完璧主義者の領主サマの命に従ってるだけだ。『帝国を脅かす不穏分子は徹底的に排除しろ』ってな。だからそう、その相手がたとえうら若き少女でも何やしてもいいのさ。だって俺らは軍人だからよ」

「まぁでも、ボクたちからすれば、不審者が現れてくれて助かりましたけどね」


 ニマニマと、いやらしい笑みを浮かべたアルバがリースの感情を追述する。


「そうだな。せっかくの軍だってのに、戦争が終わったせいで昇格の機会は激減。それも全部、ザコすぎる王国のせいだ。今となっちゃ、敗残兵の搾りカス。レジスタンス共を取り締まるしか、まともな出世の機会がないときた」


 国のことよりも自分のことが最優先。逃げた不審者を見つけ出すという面倒な任務をこなすのも地位を得るため。

 帝国において一部隊の『副長』を務めるその証をリースは嫌っていた。


「だから、不審者が現れてくれて助かったのよ。ここでお前らを捕まえたらオレたちの評価は確実に上がる。おまけに、お前らが仲間を殺してくれたおかげで脅威度が増すから評価は鰻登り。そうなれば、オレもマントを得られて百人動かす『大隊長プリムス』に昇進だ」

「リース副長、ボクにも残しといてくださいよー?」

「さぁ、どうしようかなぁ」

「ちょっと、それ酷くありません!? 誰がこの分断策を思いついたと思ってるんですか!?」

「ウソウソ、お前にはコイツの後ろにいる奴を任せるわ。ちなみに死んだっていいぞ」

「誰が死ぬか! 手柄の独り占めはさせませんよ!」


 アルバがハーベに向かってゆっくりと近づいていく。

 仲間の死を厭うわけでもなく、自己利益の為だけに動く帝国兵。浅ましく、倫理観も道徳も彼らはカケラひとつも持ち合わせていなかった。


「まるで野蛮人ね……。あなた達みたいな人はここで始末しておかないと」


 現状は帝国側の勝ち戦。そのうえ自分の得しか考えていないのなら、命を奪われる覚悟は薄いだろう。

 ならば、帝国軍人であろうと隙は大きいはずーーと、ソフィアはそこに勝機を見出す。

 ただ——


「ハッ、何様のつもりだ! 女にしては力が強い程度のくせに、粋がるんじゃない!」

「ぐっ……!」


 鍔迫り合う剣に重みが増す。

 腐った心とはいえ、訓練してきている以上武力はあちらが確実に上。ましてや相手は『副長オプティオ』だ。

 習った短剣術を駆使しても、実戦経験は遥かに劣るうえにまともに食事も睡眠も取れていない弱った身体だ。殺せる道筋はどこにもない。

 けれども——、勝てる道筋はあった。


「力が弱くても……、知恵を振り絞ればどうにでもなるのよ……! ——ハーベ、合わせて!」

「ハイッ!」


 力を振り絞り、腕を跳ね上げて剣を弾く。そこで生まれた重心の変化を利用し、後方へ宙返りで移動。ハーベの視界を塞がぬように、しゃがんだ姿勢で短剣を前に構えた。

 同時にハーベの右腕が帝国兵二人に翳される。

 

「『心を惑わす霧の息吹。覆い隠し、視線を逸らせ。【幻惑光ハルネシオン】』」

「魔法ッ——!?」

「こんな奴らが……!?」


 驚く帝国兵をよそに、ハーベの詠唱が終わる。

 すると、ソフィアの短剣から猛々しい炎が吹き溢れた。


「んなっ……! なんて炎……!? ヤバいっすよリース副長オプティオ! コイツ等、ボクらどころか森を燃やす覚悟っすよ!?」

「分かってる……! まさかこんな隠し玉をもってるとはな……!」


 全てを燃やし尽くさんとする炎の刃。否、それはまるで炎の柱だ。

 身を焦がさんとする熱波と命を賭した覚悟が、死ぬ覚悟を持っていない帝国兵に心の隙を生み出した。


「今よ!!」

「ハイッ!」


 ほんの僅か。後退りした瞬間を見逃さず、ソフィアが駆け出して後ろにハーベが続く。

 その隙をついた全面攻勢に、出遅れたリース達は咄嗟に剣で急所を守る。


「これでッ!!」


 活気の声。燃え盛る二本の炎の刃が、リースたちの視界を真っ赤に染める。

 回避不能。防御は無意味。剣ごと首を焼き断つその勢いは——しかし。


「は……?」

「どういう……?」


 リース達の手には剣がぶつかる衝撃も、焦げた跡もない。全くの無感触。

 ほどなくして炎が消えると、そこにソフィアたちの姿はなく、目で追った先は遠くなった二つの背中があった。

 勢いに騙されたことに、アルバが怒る


「……ッ! アイツ等……! 小癪なマネしやがって!」

「チッ、幻覚か。まさか、あそこまで本物に近い感覚を植え付けられるとはな」

「感心してる場合じゃないっすよ! このままじゃせっかくの獲物がステラ領まで逃げちゃうじゃないっすか!」

「黙れアルバ」


 たった一言。リースはアルバを睨み黙らせる。睨むその瞳は怒りで煮えたぎっていた。


「オレが怒ってないと思っているのか?」

「——ッ!」

「未来の大隊長プリムスのオレをコケにした代償はデカいぞ、女ども……! 絶対に心と身体潰してやる……!」

「リース副長オプティオ……」


 それこそ炎のごとくリースが怒りに震える。それを抑える様に、剣を鞘へと戻しソフィアたちの背を追い始める。


「どうせこの先は『グラウンド・ゼロ』だ。奴らに逃げ道なんぞない。ほんの数刻、寿命が伸びただけ。とっとと追いついて犯し殺すぞ——」

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