海上都市の邪神伝説

いちやおないと

プロローグ

 現代科学の最先端が集まる海上都市。

 世界的な巨大企業MUKAUMIグループによって運営される、この都市を構成するいくつかの人工島のうち、歓楽区とも呼ばれる第5セクターの北区の歓楽街は他の島からの仕事終わりのサラリーマンや観光客をターゲットとした飲食店や居酒屋、大人のお店が多く立ち並んでおり、その日の夜も賑わいを見せていた。


 しかし、大通りから一歩路地裏に足を踏み入れると、夜の世界には付き物なのだろう。ガラの悪い輩が闊歩するアングラな世界へと様変わりする。

 客引きの声やLEDの電飾に彩られた大通りから、路地裏をいくらか進んだ場所の袋小路あるその空き地も例外ではなく、社会に不満を持った非行少年達のたまり場になっていた。

 運悪く彼らに目をつけられたサラリーマンや観光客は、その場所に追い込まれ、不良たちの集団に暴行を受けたうえで身包みを剝がされることになるだろう。


 その夜も不運な一人の観光客の青年が、5人の不良少年たちに追い立てられ雑居ビルに囲まれたその袋小路に逃げ込んだ。


 普段の日常を忘れて、非日常を楽しむための旅行は確かに青年に非日常をもたらした。しかし、その非日常が青年にとって喜ばしいものかどうかは語るまでもないだろう。


 そして、その非日常は不良少年たちにとっては日常だった。

 少年たちの中でも特に体格の大きい男が慣れた様子で懐からナイフを取り出す。


「もう、逃げられないな、お兄さんよ。ほら、持っているもの全部おいていけ。そしたら、痛い目に合わせるのは勘弁してやるから、な?」

「先輩は優しいっすね!」

「ハッハッハ、そうだろう。」

「おい、手前!先輩が優しくしているうちにさっさと金を出すんだよ!」


 少年たちはゲラゲラ笑いながら青年を脅しつける。

 青年は怯えた目でおずおずと鞄を持ち上げた。


「そうそう、素直に金を出しとけばいいんだよ。」


 さて、もし旅行に行った先でカツアゲに出会ってしまったらどうするべきだろうか?

 旅行雑誌やインターネットで調べると大体の書籍やサイトにはさっさと財布なりの金目の物を渡してしまった方がよいと書いてある。

 当然、青年も数年前まで日本の中でも最も治安の悪いといわれていたここ海上都市に旅行に来ているのだ。そのようなことは百も承知だろう。

 しかし、いざそのような状況に置かれて冷静な判断ができるのか?

 少なくともその青年は最初に逃走を選択した。

 そして、今、何を思ったのか青年は鞄を抱え込むようにその場に蹲った。


 青年が素直に金を渡すと思っていたのか、突然、その場で鞄を持ったまま頭を押さえて丸くなる青年を見て少年たちは呆然とする。しかし、それも一瞬のこと。すぐにその顔を怒気に染め上げた。


「こいつ、それで金を守ってる気か?もう怒ったわ。お前らこいつをボコボコにしてやれ!」

「あ~あ、先輩を怒らせちゃったな。もうお前は終わりだよ!オラッ!」


 頭を抱えてうずくまる青年を囲った不良たちは思い切り蹴りつける。

 そして、そのたびに青年はうめき声を上げた。


「さっさとその鞄をこっちに渡すんだよ!」

「抵抗すんじゃねぇ!この豚野郎が!」


「痛っ、や、やめ、」


 非日常というものは日常の中に突然やってくることがある。

 何となく回した商店街のくじ引きで有名な観光地の旅行チケットが当たるようなうれしい出来事から、信号待ち中に突然、車に轢かれるような悲しい出来事も。

 そう、少年たちにとってそれは車に轢かれたようなものだった。


「おら、さっさと金を出せよ!」

「うぐっ…」


 不良少年の靴が脇腹に突き刺さり、青年がうめき声をあげる。その瞬間、青年から黒い霧のようなものが吹き出し――不良たちが吹き飛んだ。


「クソッ、な、なんなんだ?」


 吹き飛ばされた少年たちが地面や壁とぶつけた場所を擦りながら立ち上がり青年のいた場所に目を向ける。


 黒い霧は既に晴れていた。青年の姿はどこにもない。

 代わりにあるのは、2メートルもあるような巨大な人影。

 全身を覆うまっすぐ伸びたこげ茶色の毛。

 飛び出た腹。しかし、贅肉を感じさせず相撲取りのような筋肉の塊を思わせる。両手には、巨大な槌のような蹄。

 頭部に目を向けるとまずは口の端から目の高さ近くまで飛び出た鋭い牙が目に入る。次に不細工に上を向いた鼻。最後に理性を感じさせない鋭い獣の目。


「ブォオ...」


 その風貌はファンタジーに出てくるオークそのものだった。

 あまりに非現実的なその姿に少年たちは呆然としていた。しかし、次に少年たちの顔に浮かんだのは先ほどの怒気とは違い怯え、恐怖だった。


「な、なんだ!このバケモンは!」

「も、もしかして、エーテルの怪物じゃ...」

「馬鹿言うな!あれは、都市伝説だろ!」


 先ほどまでの威勢が嘘のように不良少年たちの間に動揺が広がる。

 少年たちが思い出したのは『エーテルの怪物』だった。

 ここ、海上都市で使用される莫大なエネルギーをすべて賄っている新エネルギー資源であり、海上都市の建設されるきっかけにもなった新物質エーテル。

 しかしその詳細はMUKAUMIグループによって秘匿されており、優秀なエネルギー源だという情報以外は誰も知らなかった。

 そうすると、噂好きの民衆はエーテルについて様々な噂を作り出す。


 ーーーエーテルは人間の魂からできているんだぜ。生きた人間から魂を抽出したものがエーテルなんだ。

 ーーーいやいや、エーテルなんてもんは本当は存在しなくて、MUKAUMIは核融合炉の開発に成功したんだよ。

 ーーーエーテルは劇毒で万が一流出したら海上都市に住んでいる生き物はみんな死んじゃうんだって。

 ーーーエーテルはどんな病気や怪我でも治してしまう万能薬さ。摂取し続ければそれこそ不老不死にだってなれるのさ。


『エーテルの怪物』もそんな噂話の一つだった。一度に大量のエーテルを吸い込むと怪物になってしまい自我を失った獣として周囲に破壊をまき散らすというものだ。

 しかし、それはあくまで噂。いくつもの矛盾した説が乱立する都市伝説の一つでしかないはずだった。


 二人、袋小路の入口側に立っていた少年たちが怪物から距離をとるようにそろり、そろりと後退る。


「て、手前ら、俺らを置いて逃げる気か!」


 入口側に立っていたことをいいことにこっそり逃げ出そうとする仲間を目ざとく見つけた大柄な不良少年が叫ぶ。

 その声に釣られるように怪物は自身の後ろに目を向けた。


「クソッ、余計なことを言いやがって!」


 二人の少年は、全速力で走りだす。

 しかし、命の危険を前に不良少年たちの友情のなんと脆いことか。

 二人の少年のうち後ろを走っていた少年が前を行く少年の首元を掴むとそのまま引き倒した。


「うわっ!」

「へへ、悪いな、俺が逃げる時間稼ぎを頼むわ!」

「てめぇ!ふざけるな!」


 引き倒された少年は自分が他の仲間を見捨てて逃げようとしたことを棚に上げて、自分を引き倒した少年に対する怨嗟の声を上げた。


 倒れこんだ少年の上に影が差す。

 その正体を確かめるために少年は顔を上に向けた。


「へ?」


 ブォンと少年の戸惑いの声をかき消すように響く風切り音。

 ぐちゃりと肉がつぶれる生々しい音。


 先ほどまで少年が倒れこんでいた場所に叩きつけられた蹄がゆっくりと、赤い雫をぽたぽたと滴らせながら持ち上げられる。


 怪物の背中越しにその光景を見ていた残りの3人の不良たちのうち小柄な少年がポツリと呟く。


「ゆ、夢だよな?こんなの現実じゃないよな?」


 大柄な少年は苦虫をかみつぶしたような目で、もう一人の少年は顔を真っ青にして吐き気をこらえながら、振り返る怪物を見ていた。

 そして、どちらも小柄な少年の疑問に答えることはなかった。


 小柄な少年はまるで自己暗示をかけるように思考を巡らせる。そうだ、これは夢だ。きっと悪い夢なんだ。最近、エーテルの怪物なんて都市伝説を仲間が話していたから、それが夢に出てきたんだ。

 少年の思考は廻る。悪夢は死ぬ瞬間に目覚めるなんて言うけど、死ぬのは嫌だな。 そうだ、悪夢の原因はあの怪物なんだから、だったらあの怪物をーーー それは少年にとっては天才的な発想で、


「倒せば、殺せば、夢から覚める。」

「え、お前何をするつもりだ?」


 小柄な少年の呟きを拾った大柄な少年は怪物から目をそらさずに問いかける。だから、気付かなかった。少年が懐からナイフを取り出したことに。彼の思考が現実の住人にとってはあまりに無謀な発想に至ったことに。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」


 小柄な少年は雄たけびを開けながら、ナイフを構えて怪物に向かって駆け出した。


「おい、やめろ!」


 大柄な少年が慌てて彼を止めようと手を伸ばした。しかし、数瞬遅く、その手は宙を切った。


「死ね!」


 怪物のもとまで走り切った少年は両手で構えたナイフを突き出す。

 そのナイフは確かに怪物に突き立てられた。


「えっ?」


 しかし、そのナイフは怪物の全身に生えた剛毛によっていともたやすく止められた。

 少年の顔に困惑が浮かぶ。

 怪物の前でナイフを持ったまま立ち尽くす少年を怪物が見逃すはずもなく。

 少年をすくい上げるように怪物は腕を振り上げた。


「がはっ」


 少年は血反吐を吐きながら宙を飛んだ。

 残された二人の仲間は宙を舞う小柄な少年を見ていることしかできなかった。少年の躰はありえないほど高く、高く。雑居ビルすら超えて。ビルの上に落ちたのだろうか? そのまま少年の躰が空き地に落ちてくることはなかった。


 その後、残された二人の少年がどうなったのかは語るまでもないだろう。不良少年たちの最期の叫びは歓楽区の賑やかな騒がしさの中にかき消されていった。

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