妄執の棺
成野淳司
前編
冬の夜。
街はざわめきながら、静かに降る雪を迎え入れていた。
そんな街角に、一店のレストランが静かに営業していた。
店内を流れるゆったりとした甘いメロディー、木の香りで自然の中に誘い込まれるようなテーブル。落ち着き払い、優雅なムードにさせてくれるこの店は恋人たちに大好評だった。そんな店の中で、
直樹は由美が来る前に注文をするわけにはいかないと思って、水を少しずつ飲んでいた。
「お客様、ご注文はお決まりでしょうか?」
「いえ、もう少し」
何度目だろうか。店員には相当迷惑な客に思われているかもしれない。
それにしても遅いなと直樹は思っていた。もう待ち合わせの時間から二十分も遅れている。由美は今まで待ち合わせに遅れたことなどなかったから、直樹はよりいっそう心配していた。しかし、先程から由美の携帯電話に連絡はつかず、直樹はただ待つことしかできなかった。
コト——ッン——。
何かが落ちた音がした。直樹は席の下を見てみる。
何も落ちてはいない。ひょっとしたらポケットから指輪が落ちたかと思ったが、その心配はなかった。確かにポケットに入っている。
直樹は今日、由美にプロポーズをする予定だった。付き合い始めて六年以上の月日が経ち、仕事の収入も安定してきたこともあり、そろそろ一緒になろうと決意をしたのだった。
直樹は水を少し口に含むと、六年前のことを思い出していた。
冬の冷たい風が暖かくなり始めていた、高校の卒業式の日。
式が終わり、後は校内を出れば、後輩たちが群がっているアプローチ(昇降口から校門までの間)を抜けて帰るだけだった。
直樹はといえば、自分の教室で名残惜しそうに話をしていた。
「赤村、そろそろ行こうぜ」
「そうだな」
友人である
「あっ、赤村。ちょっと待っててよ」
その時、女友達の
「あんたは帰っていいよ。っていうか出てって」
「なんだよ会津、俺という男がありながら赤村に手を出すのかぁ?」
これは冗談だ。そもそもこの二人は付き合っていない。
「さっさと出ていって」
「はいはい。赤村、外で待ってるから」
直樹は手を上げて合図をした。確認を済ませた吉村は教室を出ていった。
「いいのか?」
「えっ?」
会津と吉村は幼なじみだった。吉村は知らなかったが、会津は恋心を自覚した中学生のころからずっと吉村のことが好きだった。会津は高校に入ってから、吉村に名字で呼ばれるようになったことが何よりのショックだったが、吉村への気持ちが変わることはなかった。
そのことを知っていた直樹は、会津に「このままでいいのか」という思いで尋ねた。
「大丈夫。伊達に幼なじみをずっとやってるわけじゃないよ。今日にでもあいつの家に行って、告白してみるよ」
不意に告白という言葉が出て驚いたが、教室を見渡すともう直樹と会津以外の生徒はいなかった。会津もそのあたりは把握して話しているのだろう。
そんな会津は、無理に作ったような笑顔であったが、その瞳には決意の光が宿っているように感じた。
うまくいくといいな。会津。
「そうか。それで、俺に何の用事?」
今日は吉村の家で、たった二人の卒業パーティーなるものをやるはずだった。会津は告白のために、そのパーティーをキャンセルしてほしいのではないか。直樹はそう予想していた。それならば、もう答えは出ている。友人の恋路を邪魔する気はさらさらない。
「用事があるのは私じゃないの。ちょっと待ってて。邪魔者は消えるから」
そう言って、会津は出ていった。どうやら違ったらしい。
会津が出ていったことで、直樹は教室に一人取り残された。
外ではがやがやと声が聞こえるが、教室、更に校内はもう静寂そのものに思えた。
「あのっ」
気がつくと、一人の女の子が直樹の教室に入ってきていた。
「はい」
直樹は空返事をした。他のクラスの女子だった。
「もう、みんな外に出てるよ」
直樹は、彼女が何らかの理由で出遅れてしまい、他の人たちの動向を聞きに来たのだと思い、そう言った。
「あ、あの、そうじゃなくて」
どうやら違ったらしい。勘が外れる日だなと、直樹は苦笑いを浮かべた。
次に彼女の口から出た言葉に、直樹は驚いた。
「私、赤村くんのこと、ずっと好きだったの。で、さ、付き合ってくれる気とかあるかなって」
「お客様、ご注文はお決まりでしょうか」
直樹ははっと我に帰った。店員が注文を取りにきていた。
「コーヒーを」
さすがにこれ以上注文しないのもどうかと思ったので、直樹はとりあえず軽いものを注文した。
六年前のあの日、直樹は告白を受け入れた。その相手こそ、今日会うはずの青崎由美だったのである。
「お待たせいたしました」
店員が注文したコーヒーを持ってきた。
置いた後で一礼した店員がテーブルから去っていくと、直樹はコーヒーをすすり始めた。
時計に目をやると、もう待ち合わせの時間から四十分もの時間が過ぎていた。直樹は携帯電話を取り出し、再度電話をかけてみることにした。
……駄目だ。繋がらない。
直樹は携帯電話をしまうと、コーヒーをほんのわずかに口に含んだ。
「いらっしゃいませー」
誰か新しい客が来たようだ。客の足は直樹の方へ向かってくる。そういえば、前の席が空いていた。そこに座る気なのだろう。
客が直樹の席を通ろうとした時、足が止まった。何か落としたのだろうか。
「あっ、赤村」
直樹は名前を呼ばれて、客の方を向いた。客の正体は会津だった。会津は随分と変わっていて、気がつくのに少し時間がかかったが、間違いなくあの会津であった。
「会津」
「どうしたの? こんなところに一人で」
「お前こそ一人じゃないか」
「これからデートなの」
「そうか。ちゃんと吹っ切ったんだな」
会津は卒業式の下校後、吉村に想いを打ち明けた。しかし、吉村は会津のことを幼なじみとしか見ることはできなかった。二人が結ばれることはなかったのだ。
「ははは。あれから六年だよ。そりゃあそうだよ。でね、今付き合ってる人、すごくいい人なんだ。赤村はどんな人と?」
会津がこれ以上ないような笑顔で言う。どうやら幸せみたいで、直樹は安心した。
一方で、直樹は会津が変なことを言うなと思った。知らないはずはないだろうに。
「由美に決まってるだろ」
「えっ?」
会津は変な顔をした。
「なんだ? もう終わってるとでも思ってたのか?」
「赤村……」
急に会津が泣き出した。
どうしたというのだろうか。
会津は涙を拭うと、静かにその口を開いた。
「○○病院、由美はそこにいるよ」
病院と聞いて、直樹は青ざめた。
由美が事故に遭ったとでもいうのか。
「事故か?」
「行けば分かるよ」
直樹はすぐに会計を済ませて、店を素早く出ていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます