第030話 頼み

 春野家は日高家のすぐ近くにある。

 歩いて1分もしない所に家屋が建っており、春野と日高は幼い頃から互いの家を行き来していた。

 居を構えた時期が近いこともあって両家は家族ぐるみですぐ仲良くなり、今でも時々娘同士、母同士で遊びに行く関係が続いている。


 黒山・春野の誕生日祝いの翌日も春野は日高家に来ていた。

 その日、普段と違ったのは春野の用事が遊びではなく日高へ頼みがあったことだ。

 春野の頼みを聞いた日高は耳を疑った。

「ほ、本気?」

「うん」

 頼みを聞き終えた後、日高が最初にしたのはそんな確認だった。


 日高にとって、春野の頼みを聞いたときは衝撃的だった。

 あの春野がそのようなことをみずから目指すなんて夢にも思わなかった。

 一方で、納得する部分もあった。

 これまでの春野を見ていると、春野が目指す以外の展開は考えられなかった。

 さらに、春野の頼みは自分の望みでもあった。

 そのために今まであれこれと手を打ったものの効果は今一つだった。

 これからは春野本人が積極的に動くことになる。

 日高にとっては正直願ってもない展開だった。

 今更春野の協力を惜しむ理由など日高にあるはずがなかった。


 身体の中から沸々と生み出される熱に浮かされるままに、日高はさっそく春野の頼みに向けて動きだした。

 まずは黒山と二人だけで遊ぶことが何より大事だと日高は考えた。

 そして黒山の性格を思うに、春野が普通に誘っても断るあるいは怪しむ可能性が高いと踏んだ日高は一計を案じた。


 黒山・春野がデートする場所――最終的に植物園で決定――のチケットを買い、それを他人から譲り受けたものと偽る。

 自分が黒山・春野を呼んで遊んでくるよう促し、春野がそれに乗っかる。

 日高が黒山に適当な名目を付けて一押しする。

 安達・加賀見にも同じく適当な名目を説明し、黒山・春野が二人きりで出掛けるよう日高が計らう旨を伝えておく。

 日高・春野は話し合った末その方針で行くことにした。

 余談ながらチケットの代金は当初日高が奢るつもりでいたのだが春野が剛情に自分で負担すると申し出たため、黒山にあげた分も含めて春野が立て替えている。


 次にデート当日における春野の服を新調することにした。

 今までのイメージから一新した姿を見せて春野に垢抜けた印象を持ってもらおう、との論で春野はとりあえず日高に服を見繕ってもらった。

「これ、何か落ち着かない……」

「すっごく可愛いじゃん! これにしなって!」

 試着した春野の姿を見た日高が目を見開いた。

 春野はいつもより脚を露出したスカートの裾を手で掴み、内股で佇んでいた。

 着ていくのを躊躇していた春野だったが、熱心に勧めてくる日高に春野が折れる形で新しい服が決まった。


 デート決行の少し前に、日高は当日の外出にあたってアドバイスを春野に授けた。

「もうちょっと親密な感じで接してみよーよ!」

「例えば?」

「間接キスとか手を繋ぐとかさ」

「え⁉」

 春野も最初は遠慮したが、

「このままだと黒山は何も変わんないよ」

 という日高の論に押された春野は恥ずかしいのを承知で作戦とやらに乗っかることに決めた。

 このときの日高が終始ニヤニヤしているのに思うところは多々あったが、とりあえず臨むことにした。



 植物園でのデート後、春野は自室にて日高を迎え入れていた。

「いやー、ゴメンね。疲れてるだろうけど、どうしても今直接聞きたかったからさー」

「まあ、皐月には協力してもらったからね」

 日高からメッセージが入り、春野が帰宅していることを知ると「今からお邪魔していい?」と頼まれたのだ。

 疲れもあるので明日にしようかとも思ったのだが、どうにも今日はこのまま横になって休める気がせず、気分転換に日高と話そうと思い承諾した。


「いやー、それにしてもホント魅力的だよねそのカッコ」

「そうかな」

「いやホント。二人で選んだ甲斐あったなー」

 春野が頬をく。気温がだいぶ上がったとはいえ、普段より丈の短いスカートを身に着けている間は脚の方を空気がスースーと通って落ち着かなかった。

「黒山はそのカッコについてコメントなかったの?」

「うーん……そういう服着るの初めて見た、みたいなことは言ってた」

「え、もっと綺麗だな、とか可愛いな、とかなかった?」

「いや別に」

「……黒山が凛華に見惚れてたりは?」

「……そんな様子なかったかな」

 日高が口を閉じる。少しして、あることを思い出した。


「あ、ところであの作戦、やってくれた⁉」

「あー、あれね……」

 春野が日高から部屋にある自分の学習机に視線を移す。黒山に分けてもらったカレーの味やデートの途中から握った黒山の左手の感触がつい思い出される。

「やったよ。やった。で、すっごく恥ずかしかった」

 春野が頬も耳も赤らめるのを見て、日高は笑いそうになるのをこらえた。

「黒山もいい感じに反応してくれたんじゃないのー?」

「いい感じってどういうのかわかんないけど、私の見た感じ普段通りだったよ」

「え」

「私と手を握ったときはまさしくいつもの雰囲気。で、私が黒山君の頼んだ料理を食べたときは呆れた感じだったかな」


 春野がここでフッと微笑ほほえむ。日高には春野が何に笑ったのかわからなかった。

「ま、でもまだ始めたばかりだし、じっくり行きたいなー」

 春野が両腕を真上に掲げて伸びをした。その姿が何となく大空へ羽ばたこうとする鳥を連想させた。

「ある程度は予想してたけど、長い道のりになりそー……」

「ゴメン皐月。でも付き合ってもらっていいかな?」

「もちろん。私だってこれで終わらす気はないよ」

 二人がいる部屋の方へ車の重低音が響く。家のすぐ前を大きなトラックが走り過ぎたらしかった。

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