第三羽 友達?

 目を覚まし、真っ白なカーテン越しに外を眺めれば、水縹なる空色が俺を迎えた。


 つぶさな雨音が数多の雑音を吸い込んで、清濁な雫でぼやけた窓を静かに叩いている。


 静寂とは程遠いけれど、煩わしい喧騒に、そっと耳を塞いでくれるような不思議な感覚だ。


 彼女は今頃、どうしているのだろう。


 今日も、あの場所に行くのだろうか。


 うつらうつらとした意識と微睡んだ眼を、切り払らうかのように醒まして駆り出した。


 梅雨時の部屋の四隅みたいな場所へと。


 


 雑多な喧騒が賑わう校舎に踏み込んで、怒号が飛び交い、哄笑が行き交う廊下を俯きに進んでいく。


 すると、またしても阻まれた。


 見上げて確認するまでもなく明確に、同じ上履きの同じ足幅の同じ男が、俺の眼前に佇んでいる。


 早々に憂鬱の元凶たる者の現れに、俺の胸が静かに警鐘を鳴らし始めていた。


「よお」


「あぁ、おはよう」


 スッと針に糸を通すかのように、彼の真横をすり抜けて行こうとするが、当然のことながら、障壁となって禦いできてしまった。


「何か用?」


「昨日の話がまだ終わってねぇだろうが」

   

「あぁ。そういえば、そうだった」


「忘れてたのか?ハァ、お前なぁ」


「……もう忘れてもらっていいよ」


「は?」


「どうせ、役に立たないだろうし」


 朝から元気な相川を雑にあしらい、教室へと踏み出さんとした瞬間。


 疾くに屈強な膂力で胸ぐらを掴み上げて、軽々と俺を持ち上げた。


「ちゃんと、目ェ見て話せや」


 二つの意味で足が地に着かない。

 

 猛禽たる眼差しでじっと凝視し、鬼気迫る形相を浮かべる様は、鷹さながらであった。


 徐に一瞥すれば、武者震いかの如く、今正に振り上げんと拳を小刻みに震わせていた。


「お前に頼んだ俺が間違ってたんだ、ごめん」


「……。チッ」


 数発の殴打を覚悟に、辟易した想いを赤裸々に漏らしたが、斯くも呆気なく握りしめた拳を解き、固めた掌をそっと手放した。


「役に立つ立たないは、言ってからでも遅くないだろう」


「過去に縋ってる奴は当てに何ないんだよ」


「……。随分とよく喋るじゃねえか」


「昨日も今日も気分が優れないんだ。もしかしたら、傷の痛みが原因かもしれないな」


「今日のお前は一々、癇に障るな」


「普段は大人しくしているつもりだけどさ。流石にお前の言動に疲れてきてんだよ」


 こいつに時間を費やしている場合じゃない。こっちは、色々とやらないといけないことがあるんだよ。


「っ! んだと、こっちは心配し……」

「心配してる割には関わってこないな?そんなに罪滅ぼしがしたいのかよ」


「お前……ッッ!」


 周囲の視線が、俺たちに注がれていく。


 様々な言動が四方八方から飛び交っていたが、それは段々と一つの的に絞られる。


 それを気取った相川は、俺を強引に連れてゆき、人気のない階段裏へと足を運ばせた。


「やっぱ殴るのか。やるんなら、さっさと済ませてくれ」


「くだらねえこと言ってんじゃねえよ」

 

「お前に構ってる暇ないんだよ、俺は」


「それはお互い様だろ。それよりも、そんなに忙しないのは、やっぱ昨日の事と関係あるのか?」


「あぁ。どうせだから、訊いておこうかな」


 彼女の所在を、その有無を問いただそうと、言葉を並べ立てんとしたとき、俺は…。


「ハッ。はは。何やってんだよ俺は」


 己の浅はかさを思い知った。


「あ?どうした?」


「いいや、何でもない。……。整った顔立ちで眠たげな目に、身長は俺よりも若干低めの、ちょっと暗めな感じの女の子なんだけど…」


「犯人の特徴みたいな覚え方だな。他は?」


「多分同級生なんだけど……」


「なら、あいつじゃないか?」


 解んのかよ。


「いつも教室の隅っこで本ばっか読んでる、暗そうな奴だから、大方あってるだろ」


「同じクラスか?」


「いや、隣の3組だ」


 相川の背に続いてゆき、他クラスへと歩みを進めていた。前まではそう変わらない身長で競り合っていたのに、いつの間にか……。


「お前、背伸びたな」


「生きてんだから、そりゃ伸びるだろ」


「……」


「……」


 目的地まで数分と掛からない筈なのに、妙に延々として、重苦しいのは何故だろうか。


「お前、あいつみたいなのがタイプなのか?」


「は?そんな訳で無いだろ」


「なら、何で訊くんだよ?」


「……。ちょっと、ね」


 相川は静かに一瞥する。


「お前、今日暇か?」


「は?」


 突然の誘引に白眼視を向けるとともに、引き摺るように一歩を後ずさる。


「今日も部活あるだろ」


「あんなの暇つぶしに決まってんだろ」


 その哀愁漂わせる一言が、相川とのキャッチボールを走馬灯のように振り返らせた。


「そっか。そういえばお前って、野球好きだったよな……」


 こいつの山なりな上に大暴投な返球に、いつも無理やり付き合わされていたっけな。


「まぁ、いいよ。少しだけなら」


「ありがとよ……」

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