第10話

 リーダーのゾウは立派な牙を備える巨大な体躯の持ち主だった。その前足を持ち上げ、キオスの上に下ろされるだけで、この小さな動物はぺしゃんこになるだろう──杞憂にすぎないとわかってはいるが。

「あら、どうしたの? 眠れないの?」リーダーは、とても穏やかな表情と口ぶりでキオスに話しかけてきた。

「あの、リーダー……ぼく、元いた星からお迎えが来たので、帰ります」

「まあ」リーダーは目を丸く見開いた。「そうなのね……でもよかったわね。寂しくなるけれど、またいつか会えると嬉しいわ。気をつけてね」そう言い、長い鼻を持ち上げてキオスにそっと触れる。

 レイヴンはいくらか緊張したが、キオスにはまったく怖れる素振りも見られず、静かに撫でられるままになっていた。

「仲間に入れてくれて、ありがとうございました」キオスはお礼を言った。「ぼくは一人にならずにすんで、本当に助かりました。いつかまた、会えたらぼくも嬉しいです。きっといつか、また」

 リーダーは鼻を動かしながら静かに頷き、そしてキオスから鼻を離した。「元気でね。さようなら」

「はい。さようなら」

 そうしてキオスはリーダーに背を向け歩き出した。

「行くのかい、牙のない子」別のゾウが声をかけてきた。

「あ──」

 キオスはその方を見たが、その時再び彼が悲しみの分子を放出させるのをレイヴンは感知した。

「あのう、ごめんなさい、ぼくは」

「いいさ」そのゾウはキオスの言葉を遮った。「気をつけて行くんだよ」

「──」キオスは泣き出すのを堪えているようだった。「あなたのこと、忘れません」声を震わせながら彼は言った。「あなたが教えてくれたこと、牙の話、宗教のこと、この群れのこと、葉っぱや草のこと、全部」そしてやっぱり彼は泣き出した。「忘れません」

「うん」このゾウもまた鼻を揺らめかしてキオスの頭に触れた。「いい子だ。私もずっと覚えているよ。元気でな」

 そしてキオスはそのゾウに、そして群れに背を向け歩き出した。

 大きなネコ科の目が光るのを感知したたところで、レイヴンは彼を収容籠に取り込み、保護した。


          ◇◆◇


 ここまで、考えようによっては空恐ろしいほどに仕事は順調に進んだ。

 空恐ろしいほどに。そう。

 なにしろ地球時間で三日と明けず、三頭中二頭までの動物を保護することができたのだ。コス、そしてキオス。残るはオリュクスだけだ。

 そしてレイヴンには、今地平線から登ってこようとするたった一つの太陽よりも明らかに見えている真実があった。無論、オリュクスを見つけるのは人生最大の難関の一つになるだろうことだ。

 オリュクスの居場所をどうやって探す? 彼の好みそうな場所──彼の大きさ──地球産の動物で彼に似た形態のもの──レイヴンは浮揚推進しながら考えを巡らせた。

 コスもキオスも、オリュクスの居場所について心当たりはないという。それはそうだろう、何しろ彼らはここへ、一緒に連れ立ってやって来たわけではないのだろうから。

 それは彼らにとって大変に不運なことで、誰かわからないが狡猾で悪辣なやり方でこの純粋な動物たちを連れ去り、宇宙を渡り、気まぐれにこの星へ降り立ち『捨てて』行ったのだ。一体そんな行いに何の意味があるのだろう。あるいは何のメリットが? 

 そう、レイヴンは幾度も問う。何のために? 何が目的で? そして幾度問うても回答はない。

 コスもキオスも、自分が元いた所から連れ去られた時のことをよく覚えていないという。なぜならその時彼らは、まだ成長しきっていない子どもだったからだ。楽しく遊びながら自分の生まれた環境における生存方法を学んでいる最中、突然さらわれたのだ。

 ギルド。

 レイヴンの脳裡にその名が浮かぶ。

 カンジダは、たった一つの月が半月になる頃、奴らがやって来ると言った。タイム・クルセイダーズだったか? 御大層な名前だ。まるで彼らが、動物たちの救世主みたいに聞こえるじゃないか。

 しかし彼らがコスやキオスらをさらったという確証はない。彼らに好んで遭いたくはないのだが、それでも会って、問い質すべきだろうか──

 たった一つの太陽が完全に姿を現した。

 レイヴンは一旦地上に降り立った。周囲に、虎視眈々たる食肉目の存在は感知されない。

 ふう、と息をつき、改めて考えを巡らせる。オリュクスのいそうな場所──


「こっちよ」


 突然鋭く叫ぶ声が響き、大勢の走る足音が続いた。

 レイヴンが浮揚すると同時に、鋭い歯がかちっと噛み合わされる音がし、そしてその歯が砂の表面に現れた。

 危ない! 喰われるところだった!

 レイヴンはぞっとするやらほっとするやらだったが、収容籠の無事を真っ先に確認することだけは反射的に済ませていた。

「いなくなったわ」

「何だったの」

「根っこ?」

「違う根っこじゃない」

「なに、豆みたいなやつ?」

「たぶんそうだと思ったんだけど」

「どこに行ったの」

「わかんない」

「じゃ行きましょ」

「なんだったの」

「わかんない」

 大勢の声が一斉に喋ったかと思うと、歯が見えた箇所から小さな砂煙が上がり、そしてまた突然静寂が訪れた。

「何だったんだ」レイヴンはやっと言葉を発した。「って、こっちが言いたいよ」

「ハダカデバネズミだね」収容籠の中からキオスが言う。

「うん。ハダカデバネネズミのワーカーたちだ」コスも続く。

「ハダカデバネズミ?」レイヴンは復唱した。「地下に棲んでいる?」訊き返しながら地上に戻る。

「うん」キオスが頷く。

「餌を探してるんじゃないかな」コスも続く。

「餌──まさかぼくたちを食べようと?」レイヴンは再びぞっとした。先日ライオンに喰われたばかりだが、今度はハダカデバネズミの餌食になるところだったのか!

「彼女たちは植物しか食べないよ」キオスが肩をすくめる。

「でもネズミは雑食だし、シロアリなんかも食べるから、もしかしたら」コスが首を振る。

「こっちよ」その時再び鋭い叫び声が聞こえた。

「ちょっ」レイヴンは慌てて再び浮揚し、同時に再び二本の歯が現れた。「す、すいません」レイヴンは再び彼女らが引っ込まない内に──というか再び彼女らの喧噪が始まらない内に、声をかけた。「ぼくたちは怪しい者ではありません」

「なに、芋茎?」

「豆みたいなの?」

「あら果物じゃなくて?」にも関わらず喧噪は始まった。

「あの、ぼくたちは仲間を探しているんです」レイヴンは声を限りに叫んだ。

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