【完結】乙女ゲームの悪役令嬢は断罪回避したらイケメン半魔騎士に執着されました

白猫ケイ

第1話 ロシュ

「会いたかったーーロシュ……!」


 一瞬何が起きたか理解が遅れる。

 新聞に載るような噂の騎士に抱きすくめられる様をみた、周囲の人がざわめく。


「わっ! ちょっと待って!! 人目がーー! すみませーん、受付け変わってくださいっ」


 私より高くなった背をかがめ、肩に頭を擦り付けてくる彼を引きずるように応接室へ連れ込んだ。



ーーーーーーーーーーーー



 徹夜続きの仕事明け、誰もいない自室へ帰宅してビールを飲んで寝たはずが……目が覚めたら「ドキめき☆イケメンストーリー」の悪役令嬢になっていた。

 仕事の休憩時間、お昼に癒しを求めてプレイしていたドキ☆スト。魔法学園を舞台に異世界から召喚された聖女がヒロインで、王太子含む7人のイケメンルートを選べる人気のゲームだ。

 その、どのルートにおいても悪役令嬢として立ち塞がるのが、この私ルイーズ・ジョアンヴィ。

 気の強そうな赤い髪にセンターパートの前髪、父親譲りの紫色の瞳、公爵令嬢といういかにも“悪役令嬢”という外見と、ヒロインのライバルに相応しいハイスペックに能力、美貌の持ち主だ。ルイーズの婚約者である王太子に気に入られるヒロインに嫉妬し、数々の嫌がらせ、暗殺未遂、魔法バトルの挙句どのルートでもバッドエンドを迎える典型的な悪役。

 そんな悪役令嬢の“子供時代”に転生したのである。


 身体の記憶によると、継母に階段から突き落とされ生死の境を彷徨っていたルイーズ。1週間ぶりに目を覚ましたところから私の転生人生はスタートした。

 目が覚めた時、メイドが呼んだ名前を聞いてすぐに、自分がドキ☆ストの悪役令嬢だと悟った。

「なんでこんなことにぃ〜〜!」


 ゲームプレイ中はさぞかし甘やかされて育ったと思っていた“ルイーズ”だったが、実態は違っていた。

 身体の記憶によればルイーズを産んで母親は亡くなり、その死を悲しんだ公爵は金は与えるがルイーズへ一切関与しないまま使用人に任せきり、彼女が3歳の時に身重の後妻を迎える。いや、妻の死を嘆いたにしては後妻とお腹の子供は早すぎじゃないかと突っ込まずにはいられない。

 継母には連れ子がいて、ルイーズには義姉、更には再婚間も無くして腹違いの弟が産まれる。後にこの弟“ノア“はドキ☆ストの攻略対象になる。

 幼少期のルイーズはお金と権力だけありつつ義姉に嫌がらせを受け継母に命を狙われる、放置子だったのだ。


「それで王太子に執着したり、みんなから愛されるヒロインを害したのね……」



 転生して最初の頃は、継母に気に入られようとしたり同じ歳の義姉と仲良くなろうと努力し、父親である公爵の愛情を得ようともしてみた。でも5歳にして中身は大人、手応えがないことを悟り、メインストーリーにも関わりたくなくお家同士の決め事で王太子と婚約することになっていたが、その婚約式を前に家出を決意した。

 弟は1歳を過ぎ……半分しか血の繋がりはないが、お揃いの赤い髪に義母譲りのピンク色の大きな瞳は愛嬌に溢れている。さすが攻略対象なだけはあって弟は可愛かったなーー。

 でもそんな弟にまで、

「姉さん、本当に軽蔑するよ。消えてくれる?」

 等と将来断罪されるなんて耐えられないーー。



 お金は毎月のお小遣いがたくさんあったので、素性を隠し闇ギルドに依頼して用意した新しい名前で口座開設し、魔力識別でしか開かない銀行に預けておいた。

 手持ちは怪しまれないように金貨から銀貨へと換金、家出直前に染め粉で髪を染め道具は証拠隠滅。

 この世界では、街に行けば魔法のヘアサロンで気軽に髪色を変えられる設定があったはずだから家出後もバッチリだ。



 さぁどこに行こう。いや、この1年で目星はつけてある。それは王国の外れセセの町にある小さな孤児院。情報によれば、孤児院は基本劣悪な環境が多い中、そこだけは心優しい院長がいるのだという。

 どのルートエピソードでもその孤児院は出てこなかったし、大丈夫だよね。



「さようなら……お父様……私の可愛い弟」

 敷地外壁、抜け穴の手前でポツリと呟くと、赤い髪を茶色く染め平民の服を纏った幼い少女は、夜の公爵邸を立ち去ったーー


 ジョアンヴィ公爵邸から歩き街中にたどり着くと、冒険者ギルドで王国外れの町2つ前までの護衛を雇った。馬車に乗って移動するが、小さい子供一人だと馬車だって見ぐるみ剥がされて置き去りにされかねない。

 護衛の女性剣士のおかげで一か月以上かけて、馬車を乗り継ぎ乗り継ぎ、外れの町2つ手前まで移動後、ギルドで手続きをすると女剣士にギルドに預けておいた報酬が支払われる。

 銀貨で用意してあった金貨数枚分に及ぶ報酬は、親の遺産ということにして、遠く離れた血縁の家に向かっているという設定にしておいた。


 ここまで来れば、子供一人でも大丈夫。馬車で2つ先のセセの町まで乗せてもらい、途中魔法ヘアサロンで髪を染め直してもらうことも忘れず、無事マダムグレースの孤児院にたどり着いた。

 ドアを叩くと、白髪混じりの髪に優しいシワの入り方をした女性が出てきた。


「夕刻にすみません。ここに来れば、ご飯と寝るところがもらえると聞いて……。私を、ここに置いてもらえませんかーー?」


 「まぁ……よくきたわね。さぁ、お入りなさい」


 そうして私はルイーズ・ジョアンヴィの名を捨て、茶髪に紫の瞳の孤児ロシュとして暮らすこととなった。


 マダムグレースの孤児院では自給自足していて、足りない食材は町に買いに行った。お金は領主様から支給されたものをグレースが適切に使用したり、大人になって孤児院を巣立って行った子供達が寄付をしたりで、裕福ではないが贅沢をしなければ充分に暮らしていけるだけあった。

 ここでなら、独り立ちできるまで庶民の暮らしを学びつつ生活していけそうだ。

 あまり貧しかったら銀行からお金を下ろして、匿名で寄付しようかと思ってたんだよね……


 子供は私を入れて12人。炊事、洗濯、畑、掃除や繕い物等の裁縫、小さい子たちのお世話と年齢別に分かれて無理のない程度に作業し、味見が出来る炊事やグレースと一緒に行く買い出しは人気のため2人ずつローテーションだ。



ーーーーーーーーー

 孤児院で5年を過ごしたある日、グレースと年下のマルセルと一緒に町で食べ物の調達をしていると、露店通りの奥、建物の暗がりにうずくまる子供が見えた。


「グ、グレースさん! あそこっ」

「あら! 大変っ」


 駆け寄って声をかける。


「どうしたの、具合が悪いの?」

 しかしグレースの問いかけに子供は答えず、膝を抱えてぐったりしている。


「どうしよう、グレースさん」

「私とマルセルがついているから、ロシュは荷台を借りてきて……!」

 

 野菜や果物を運ぶ時の手押し車を借りてくると、グレースと二人で子供を乗せ孤児院まで運んだ。




「あ、起きそう。リゼーー、グレースさんを呼んできてーー!」


 連れ帰って大部屋の簡素なベッドに寝ていた子供の瞼がピクピクと動き出すと、やがて目を覚ました。


「あーー、ここ、は……?」


「気がついた? ここは町はずれの孤児院だよ。あなた、二日前露店通りの奥でうずくまってたの」


 上からニュッと覗き込むと、起きあがろうとする子供の背中を支えた。

 ゴツゴツ骨ばった背中は10歳の私より幼そうだ。水を差し出すと一気に飲み干した。


「ロシューー、その子目が覚めたのね」

「グレースさん! 今水を飲んだところです。この人が、ここの院長のマダムグレースさんだよ」


 おっとりした様子でやってきたグレースの手にはスープの乗ったトレーが。


「お腹は空いてるかしら? さぁ、食べられる?」


 トレーごとスープを膝の上に置かれると子供は目を丸くしてグレースを見上げた。


「こんなに具沢山のスープ……食べていいんですか?」


「まぁまぁ……普段食べるような簡素なスープだけど、よ〜く煮てあるから消化はいいはずよ。あたたかいうちに、おあがりなさい」


 それを聞くと、子供はありがとうございます、ありがとうございます、と泣きながらスープをすくって食べた。角切りのお肉と野菜がよく煮込まれてホロホロになった、孤児院では定番のスープだ。


 金髪、と言うには少し柔らかい色合いの巻き毛を胸上まで伸ばした子供は、6歳くらいだろうか。長い前髪の隙間から黒い瞳が見え、転生前の世界を思い出して懐かしい。


「ひっ!! ぐ、グレースさん、ロシュ、その子から離れてーー目が、黒いよ! 」


 部屋に入ってきたリゼがぶるぶる震えながら子供を指差しそういうと、スープを食べていた手がピタッと止まる。


「こらっ! リゼ、目が黒いから何だっていうの!?」


 思わず声を荒げると、グレースさんまでもがやや怯え気味に驚いた。


「ま、まぁ……ロシュは知らないのね。黒い瞳は魔族の特徴だと言われているのよ」

「魔族ーー?」


 このゲームにそんな設定あっただろうかと記憶を辿ると……あ、あった。

 恋愛色が強くてすっかり忘れていたが、そもそも聖女であるヒロインが召喚された理由が“世界を脅かす魔族を滅ぼすため”だったか。学園での恋愛がほとんどだったからすっかり忘れていた。

 でもーー


「この子、行き倒れてたよ? こんなに弱い魔族がいるーー?」


「ーーそれに、この目の色、私好きだよーー」


 転生前の世界では普通だった、懐かしい色だ。


「ーーぞくじゃ、ありません」


 スープにぽたぽたと涙が落ちる。


「まっ、魔族じゃ、ありません。い……行くとこがなくてっ」


「まぁまぁ……怖がってしまってごめんなさいね。こんなにか弱い魔族なんて、いるわけがないわよね。ここは孤児院だから。独り立ちするまで、ここにいていいのよ?」


 リゼも謝りなさい、とグレースにうながされて謝ると、子供はまたひとしきり泣いた後、スープを2杯おかわりした。



「じゃあロシュ、その子を洗うのは任せていいかしら」


「はーい! こっちに来て!体を清潔にして着替えましょ」


 食事が終わると、グレースに言われて洗い場まで手を引いていく。え、あの……と恥ずかしいのか軽く抵抗されるが力は弱い。


「心配しないで! 私、水魔法と火魔法がすこーしだけ得意なの!」


 ーー嘘だ。本当は光魔法以外全部いける。

 これは悪役令嬢定番、ハイスペックの恩恵である。本来のストーリーで公爵がルイーズを手元に置いていたのも、王太子との婚約も、それが理由だろう。しかしそんなことを暴露したら即身元が特定されてしまうため、孤児院では水と火魔法が少しだけ使えるとして、生活に便利なお湯係りになっていた。沢山練習して、温度調整も自由自在である。


 タライに手からお湯をじゃーっと出すとタオル代わりの布の切れ端をひたし、庶民用の少し脂臭い石鹸をよく泡立てていく。

「さ、洗うから脱いで! 服は他のを用意するから、今着てるのはボロボロだし……捨ててもいいかな?」


「えっ!!!? あ、ちょっと!」


 そう言って元々の色なのか汚れなのか灰色で所々茶色くなった、袋に首と腕の穴を開けただけのようなワンピース状のものを脱がせる。

 すると、足の付け根より少しだけ長いズボンも履いていて、しゃがんで勢いよく下げた。


「ーーーー○△#?×!?」


 子供が声にならない声をあげると、あら、目の前にーーーー


「えっ!!? ごめんっ! 男の子だったのね! 」


 てっきり女の子だと思っていた。小さい子たちに使っているタオルを取ると、手早く腰に巻く。


「孤児院に来てからと言うもの、小さい子たちの身体洗いも手伝っているから……み、見慣れてるから気にしないで! お姉さんに任せて! 洗っちゃうね〜〜」


 耳まで真っ赤にして手で顔を覆い子鹿のようにプルプル震える彼を、上から下まで洗うと、魔法でタライにお湯を入れてはかけ流していく。

 うん。ごめん恥ずかしかったよね。

 頭もわしゃわしゃと2度3度洗い流しを繰り返し、ようやく綺麗になった。

 髪を後ろでまとめてよく絞ると、少し日に焼けた綺麗な顔立ちが見えた。少し痩せこけているがゆで卵のような輪郭に、色素の薄く長い睫毛に縁取られる零れ落ちそうな黒い瞳。

「わ! キミかわいいね! 絶対前髪分けた方がいいよ」


「そ、そうですか? それより、早く服着たいです」


 ごもっともだった。服を着せて髪をよく拭いていると、戸口から他の子供達が覗いてきてヒソヒソ話している。


『本当に黒い目だ』

『でもとっても弱そうだよ』

『うんうん、見て。ロシュにされるがままだよ』

『マゾクなら、今頃ロシュが食べられちゃってるよ』

『そうだね。それに魔族って、ツノとシッポがあるんでしょ』


「ほらーー、こっちおいで! 新しい仲間のーー、そう言えばお名前は?」


「……ィミリオン」


「ミリオン! これからよろしくね」





 夕食の支度が整うと、グレースがミリオンをみんなに紹介した。伸びっぱなしの前髪を分け巻き髪と一緒に後ろで一つ結びにしたミリオンは、目元もよく見え……私以外は遠巻き気味だ。

 夜はグレースと乳幼児以外、大部屋の簡素なベッドで寝る。ミリオンは私の隣のベッドになった。

 夜中に、喉が渇いて目が覚めると、隣から小さくしゃくりあげる声が聞こえる。


『どうしたのーー? 眠れない? 』


 月明かりがほのかに入る部屋で、ポンと手で触れると布団がビクッと震え、濡れた黒い瞳が布団から出てきた。


『水飲みに行くんだけど、一緒に行く? それともトイレ? 』


 こくりと頷くミリオンの手を引いてトイレの外で待ち、食堂で一緒にミルクを飲んだ。


「ちょっとだけなら大丈夫。よく、ここに初めて来た子は夜寝付けなくて……こうして夜中にミルクを飲むんだ」

「ーーロシュ、は、ここに来て長いの?」


「5年くらい経ったかな? グレースさんは優しいし、他の孤児院みたいに運営費の横領もしない、良いところだよここは」


「そっかーーロシュもきっと色々あったんだね。お……ぼく、こんな見た目だから、どこへ行っても、長く置いてもらえたことがなくてーー」

「この目を見て、好きだって言ってくれたのはロシュが初めてだよ……」


 そう言うとミリオンは顔を赤くし、もじもじと手元のカップを見つめた。


「うんーーミリオンの目、懐かしい感じがするんだぁ……あ! 魔族と繋がってるとか、そんなんじゃ全然ないけどさ」

「ロシュも、やっぱり魔族は怖いーー?」

「んーー、どうだろうね。会った事もないし。本当に人間を食べちゃうなら、怖い存在なのかなぁ?」


 ドキ☆ストは7ルート周回済みだが、魔族について多く語られていない。学園恋愛ものだから、当然と言えば当然なのかもしれないけれど、愛され聖女はどのルートでも悪役令嬢を断罪し、魔族から世界を救いみんなから祝福されてハッピーエンドだ。

 ーー嫌なことを思い出した。記憶を振り払うように頭の横で手をパッパッと振る。


 大部屋へ戻りベッドへ入ると、みんなの寝息が聞こえてすぐにでも寝れそうだ。


『ね、ねぇロシュ』

『なぁに』

『一緒に寝てもいい? その……心細くって』

 少し考えた後、まぁ6歳だし無理もないかと結論を出す。

『いいよ。こっちおいで』


 枕を持っていそいそと、ベッドに入ってきた。

『狭いから、これで我慢してね……ふあぁーーもう、限界……』


 そう言って、仰向けで寝転んだミリオンを横から抱き枕のように抱えて睡魔に襲われる。

『あったかい……おやすみ、ロシュ』

『……ゃすみぃ……』



 それからしばらく、ミリオンは孤児院の子供達に仲間はずれにされたり、嫌がらせを受ける日々が続いた。叱っても叱っても、キリがない。

 長かった髪を、束ねた部分ごと襟足でざっくり切られた時は、思わず犯人のヘンリーにゲンコツ、身体洗いの時お湯を出してやらない等してしまった。

 ミリオンは何をされてもポロポロ泣くばかりで、あまりに弱々しく泣くから“泣き虫ミリオン”と呼ばれるようになり、次第に“危険な魔族とは全然違う”とわかったヘンリー率いるいじめっ子達と和解していった。


「ロシュ、いつも庇ってくれてありがとう」


 あの夜からミリオンは毎晩私のベットで一緒に寝た。“泣き虫ミリオン”だからか孤児院のみんなから公認である。


「お姉ちゃんって、いたらこんな感じなのかなーー」


 そんなことを寝る間際に言われたからか、久しぶりに幼い弟の夢を見たーー。

 ノア。やっとヨチヨチ歩きをするようになった、可愛いノア。あの家で温かかったのは、あどけなく“ネーネ”と呼ぶノアだけだったーー。大好きだったノア。会いたいけどもう会えないーー幸せになって。


「むにゃ……ノア……大好きーー幸せになって……」


 偶然そんな寝言をミリオンは聞いていた。




ーーーーーー


 ミリオンが来て2年が過ぎたある日、14歳のリズが独り立ちする日がやってきた。

 最も、リズは隣町の年上男性と恋に落ち来年には結婚するそうだ。


「ロシュ……独り立ちって?」

 8歳になったミリオンは出会った頃と変わらない程に身体が小さく、年下の子にも背を抜かされていた。


「そっか、ミリオンは初めてだったわね。14歳になったら、この孤児院を出て外で暮らすの! その位になれば雇ってくれるお店も増えるし、住むところも借りられるから。冒険者になった子もいたかなぁ。私もそろそろ、2年後のこと考えなくっちゃーー」


 とは言ったものの、ルイーズ時代に銀行へ預けたお金は、庶民なら家が買えるし一生遊んで暮らせるだけはある。14歳になると、メインストーリーも始まるし、いっそ国外へ出るのも手かもしれない。


「そんな……! ロシュと離れるなんてーーぼく嫌だよ! 」


 突然大きな声をあげ、リズのお祝いムードだったみんなもポカンとした後、大きく笑った。


「あははっ! じゃあミリオンも、リズみたいに結婚するしかねーな! ロシュと」

「そうだよーミリオン。いつまでも“泣き虫ミリオン”のままじゃあロシュは捕まえておけないわよぉ。結婚するには愛と甲斐性が必要なんだからーー」

「ちょ、ちょっとからかわないでよーー。ミリオンは可愛い弟みたいなものなんだからっ」


 冗談めかしてリズ、ヘンリーに笑われたミリオンの黒い瞳が、赤黒く輝いたことに誰も気づかなかった。



ーーーーーー

 あっと言うまに2年の月日が流れる。

 14になった私の独り立ちの日がやってきた。

「9年間……ありがとうございました、グレースさん」


「晴れの日に、こんな格好で許してねぇ。あれから9年も経つのね。利発そうなロシュが初めて来た日の事、今でも鮮明に思い出せるのに……私も歳をとったわ」


 髪がすっかり真っ白になったグレースは、院長室のベッドに横たわっていた。最近、体調が優れない日も多いのだ。

「やっぱり私、ここに残った方がーー」


「いいのよ、ロシュ。その気持ちだけで充分よ。あなたずっと、準備をしていたでしょう? 世の中を見てきなさい、ロシュ」


 私に何かあれば領主様がきっと、良い後任を送ってくださるわ、とグレースは優しい笑みを深くした。

 弱っているグレースを置いていくのは心配だが、もうすぐメインストーリーが始まる。万が一、物語の補正力が働いてみんなを巻き込んでしまったりしたらーー。

 そう考えるとゾッとした。それだけは避けなければ。


「ーーこれっ、少しですが先に寄付させてください。中は、私がここを出て一日してから開けてくださいね。ヘンリーにでも買い物に行かせて、好きなものを食べてください」


 かさばらないように金貨を20枚程入れた皮袋をベッドに置き、力のないグレースの手を添えさせると目尻がじわっと熱くなった。


 院長室を後にすると、孤児院のホールでみんなが待っていた。赤ちゃんだった子達もすっかり子供らしくなり……


「ロシュ……」

「ミリオン」


 小さく幼かったミリオンは、私と同じくらいまで背が伸びていた。身体を鍛えているらしく、頼りなかった腕にはほんのり筋肉がつき、薄金色の巻き毛をセンターで分け、肩につかないよう整えられている。最も、最後にミリオンの髪を切ったのは私だ。

 我ながらよくできてる、そう思ってクスリと笑った。


「本当に行っちゃうんだね、ロシュ……行き先は、教えてくれないの?」

「……うん。訳があってーー。落ち着き先が決まったら絶対、手紙を出すからーー!」

「……」

「……わかった」


 ミリオンにはこの2年間、何度も一緒に連れて行って欲しいと言われた。でもーーもしシナリオの強制力などがあって屋敷に連れ戻されることがあるといけないからーー

 それは叶えてあげることができない。メインストーリーが終わるまで、いつだって断罪の危険はある。

 仲の良い、孤児院のメンバーの中でも一際仲の良い、もう一人の私の弟。

 ミリオンにだけは、独り立ちの時に役立てるように、普段は隠しておくようにと金貨を手渡した。

 幸せになってね、ミリオン。


 みんなに別れを告げると、露店通りを歩き馴染みの店に挨拶をする。銀行からお金はおろしておいた。ギルドは他国共通だけど、銀行はそうは行かない。もうすぐメインストーリーが始まるーー

 意を決して、隣国行きの乗合馬車を拾うと、産まれ育った国を後にしたーー。




ーーーーーーーーーー


「行っちゃったねロシューー」

「あーあ、ヘンリーが最年長なんてね」


 ロシュが去った孤児院は、幼い子供も含めて11人になっていた。

「みんな……これを見て」


 院長室から杖をついて出てきたグレースは、重そうな革の袋をドサリと食卓へ落とした。

「えーー、なんだよこれ、すげぇ」

「金貨っ!? 金貨なんて初めて見た!」

「こんなに沢山ーー、好きなものを食べてって、あの子が置いていったのよーー」

「これだけあれば、グレースさんも含めて12人全員、上等なお肉も食べられるんじゃーー」

「何言っているの、ヘンリー。ロシュが旅立った今、この孤児院には11人しかいないわよ?」

「えーー、グレースさん、しっかりしてよ。なぁミリオンーーあれ? ミリオンはどこ行ったんだ?」


「ヘンリーこそどうしたのー? ミリオンって誰?」

 そう、年下の子供に言われるとーー

 あれ? 誰だったかな。弱っちくて、泣き虫で、俺が薄金色の髪を切り落としたーー

 確かにそんな子供が、つい先程までここにいたような気がした。

 しかし思い出せない。

 あれ?そんなやついたっけ?


「さぁ、ヘンリー、悪いけどちょっと買い出しを頼めるかしら? 今夜はご馳走にしましょう」


 そう、グレースが声をかけると、11人になった孤児院は寂しさを忘れるかのように賑やかさを取り戻した。

 ロシュにいつもくっついていた“泣き虫”のことも忘れてーー



ーーーーーーーー



 海風が気持ちいいーー

 私は海のある国、ここシーサイド国で暮らしていた。ドキストのメインストーリーに巻き込まれることもなく、新聞では

“隣国の地で異世界より召喚された聖女が王太子と婚約ーー”

や、

“聖女一行が魔族を壊滅まで追い込んだーー”

“王太子と聖女の結婚”

など見出しが踊った。


 ゲームの強制力はなく、どうやら無事私の悪役令嬢ルートも、断罪も回避できたことを知る。モノクロの新聞にはしばしば絵が使われていて、王太子の際側近騎士は平民出身なんだとか。魔族討伐に貢献し、男爵位をもらったと話題になっていて、そのシルエットが、連絡のつかないミリオンに似ている気がしたーー。

 そういえばドキストの王太子ルートでも、見たことがある気がする。目元に黒い布を巻いた、巻き髪の最強騎士。王太子に忠誠を誓った彼は、ストーリー終盤で騎士団を率いて残りの魔族を討伐に各国を行脚するんだったか。


 シーサイド国で湯屋を営み始めた私は、商売が軌道にのると真っ先に孤児院へ手紙を出したーー。しかしどういう訳か、誰も“ミリオン”のことを覚えていないという。

 ミリオンが独り立ちする年に冒険者ギルドへも依頼したが、ミリオンと言う14歳の少年は見つかることがなかった。

 孤児院で鍛えた湯技は、大盛況だった。転生前でいう銭湯を、ローマ風の装飾を凝らし得意の水と火魔法で湯を張りーー。まだ練習中だが雷魔法でマッサージも出来ないかと試している。雷魔法は威力が強すぎて、中々弱く調節するのが難しい。

 転生してからずっと、掛け流しはあるのに入浴文化のないこの世界が不思議だった。

 お風呂が恋しかったのである。


 銀行から持ち出した資金を元手に、石鹸も安価で香りの良いものを作り、シャンプー、トリートメントも作った。これらは最初こそ手作りしていたものの、その香りと髪の質感がグンと良くなることから評判を呼び、注文に製造が追いつかなくなり職人を雇って製造方法を共有し、今では楽をさせてもらっている。


 そんなある日、隣国の騎士団が宿を求めて歩いていた。

「隊長ーー! ウィン隊長! ここ!この辺りで評判の湯屋だそうですよ。なんでも“お湯に浸かると一日の疲れが取れる”んだとか」

「“ここの湯に浸かると老若男女に好かれる“って噂もありますよーー! 寄っていきましょうよーー」

「お湯ーー?」



「失礼しますーー。十名程の剣士たちなのですが、こちらの“湯屋”を体験してみることは叶いますかーー? 」


 そう、俯き加減で声をかけてきたのは、新聞で見た黒い目隠しを後頭部で結んだ、巻き髪の騎士だったーー。

 王太子の最側近がなんでこんなところにーー!?

 

 こちらが衝撃を受け驚いていると、向こうも顔を上げるなり固まってーー

「ーーロシュ?」

「ーーえ?」


「ウィン団長ーー! 許可はもらえましたかー?」

 部下らしい剣士が、店の扉を開け元気よく入ってきた。


「は、はい、剣士10名さまですね! ご案内します。 当湯屋は男女別の大浴場となっておりましてーー」


 湯屋の説明をした後、おすすめの宿を教えて欲しいと言われ紹介すると、一度荷物を置いて入りに来ると騎士団は去っていったーー団長を残して。


「あのーーウィン騎士団長様? 私共に何かーー?」


 いくらメインストーリーが完結したとはいえ、私の人生はまだ続く。できることなら王太子関係とは関わりたくない。


「……ロシュ、わからないの?」


 そう言って、ウィン団長は黒い目隠しを魔法なのか霧散させるとーー


「ミリオンーー?」


 懐かしい黒い目がそこにはあった。


「そうーーミリオンだよ。会いたかったーーロシュ……!」


 一瞬何が起きたか理解が遅れる。

 新聞に載るような噂の騎士に抱きすくめられる様をみた、周囲の人がざわめく。


「わっ! ちょっと待って!! 人目がーー! すみませーん、受付け変わってくださいっ」


 私より高くなった背をかがめ、肩に頭を擦り付けてくる彼を引きずるように応接室へ連れ込んだ。


ーーパタン。


「ミリオンーー! 大きくなったねぇ! 全然連絡がつかなくて、心配したよぉ」


「そういうロシュは、変わらないね。いや、すごく綺麗になったかな……それに、いい匂い」


 すんすんっと抱きしめられたまま首筋をかがれると、一気に顔が熱くなった。


「ちょ! ちょっと、やめてよぉ! もう大人でしょ、子供みたいなことしないのっ」


 叱ればキューンと、怒られた犬のように肩を落とした。


「それにしてもーーミリオンが、あの有名なウィン卿だなんてーー。孤児院に手紙を送ってもみんなミリオンのことは覚えていないって言うし……一体どういうこと? 」


「話すと長いんだけど……まず、ぼくの本当の名前はウィミリオンって言うんだ。みんな略してウィンって呼ぶから、いつの間にかそちらの方が有名になっちゃったけどーー」


 そしてミリオン……ウィミリオンが事の経緯を話し始めたーー。 


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