★ 七月
★ 七月
おはよう諸君。人によってはこんにちは諸君。こんばんは諸君。もしくは初めまして、諸君。
人は季節によって、食べたくなる物が変わる。私の場合、今日この頃のような夏だと当たり前だが冷たい飲み物やアイスクリームが美味しく感じられ、ゼリーのような甘いけれども味がしつこくない物を好んで食べることが多い。逆に寒い時期だと、鍋や肉まんのような温かい食べ物はもちろん、同じ甘い食べ物でもチョコレートやショートケーキのような甘さの濃い物が食べたくなる。私の誕生月は六月なのだが一旦八月だと仮定して、子供の時分に母親から誕生日ケーキを買ってきてもらったという状況で例えてみると、日中汗だくになった後では甘さたっぷりの濃厚ホールケーキではなく、キンキンに冷えたスポーツドリンクやお茶の方が圧倒的に美味しく感じるだろう。逆にクリスマスの時期になると、ホールのケーキは最高である。日中は足の指先まで冷え切った寒さを耐えた後で、暖かい部屋で食べる濃い甘さは至極の一時である。生き返るといった意味では夏の暑さからの回復は何物にも代えがたいが、満足感といった意味では、冬の寒さからの充足は全くもって引けを取らない。
そう考えると食欲の秋という言葉があるが、私に言わせると食欲が最も湧くのは厳しい寒さを乗り越えたからこその冬であり、秋はただでさえ食に頼らなくたって過ごしやすい季節であるのだから、そこまで魅力を欲そうとするのは
だが結局のところ、人は過酷な環境から復活したり満足に至ったりすることで、全てが報われるような絶頂に達するきっかけを得るのだろう。なんとなく口に何かを入れたくなって飲む一口の水と、真夏に限界まで喉が渇き切った後に飲む大量の水の味は違う。おやつをたくさん食べてしまった後の夕食と、放課後に部活をやり終えて空腹のまま帰宅した後の夕食の味は、やっぱり違う。
それは客観的な話ではなく、主観的な要素が大きい。価値観や満足感というものは本人の経験を基に体に染み付いていて、そうやって人は人それぞれの好き嫌いを造り上げていく。オリンピックで金メダルを取るのと、アカデミー賞で最優秀作品賞を取るのと、巨大企業のCEOになって資産が一〇〇〇億円に達するのと、SNSでフォロワーが一〇〇万人に達するのと、そして、虎藤虎太郎というなんでもないただの男を探し出すのでは、ある程度の常識が刷り込まれた「見え方」は同じでも、好き嫌いを基準にした「評価」の仕方は、やはり人によって違うのだ。
私のしていることは、おそらく他人の「見え方」においても、「評価」においても、
しかし、それでは絶頂は得られない。他人には理解されなくてもいい、なんていう言葉は内心に承認欲求を隠し持っていることが見え見えなだけで、本当の絶頂まで行き着きたい人間にとっては言うに忍びない言葉である。私だって他人に理解されるのであれば理解されたいし、その
私にとって虎藤虎太郎を探し出すということは、
それでもいいという考え方は無論ある。満足が人生を豊かにするのは間違いなく、それは私にとって探している過程の段階でも充分に当て嵌まる。おそらく教育が過程を重視しているのも、人生にとって基準となるのは満足だという立場があるのだろう。満足になれば人は物を申さなくなるし、満足になれば人はその基準を愛するようになる。結果、人はその基準を与えてくれた親を愛するようになるのだ。
しかし、思想は絶頂を追求する。満足に尊敬を添えて、人の上に立つという潜在的な理想を与える。思想を持った人間はその理想を果たすようにして、満足の価値を高めようと奮闘する。その行動は、社会で生きていく上で避けては通れない他の存在を強く意識している。人生を豊かにする満足を得るか、それとも他を圧倒する絶頂を求めるかについて、どちらが良いか悪いかを判断する基準はやはり、「評価」が関わってくるだろう。だがその裏には、まだ私には姿の見えない「個性」が潜んでいる。何が良くて、何が悪いか──、人間はきっと、考えても考えても答えの出ない問いを、個性という二文字に置き換えて永遠に葛藤する使命を与えられているのだ。
果たして私は虎藤虎太郎を探し出すという満足を得たいのか、それとも虎藤虎太郎を探し出した上に、確固たる他の評価によって生まれる絶頂を得たいのか、私にはまだわからない。満足は私の人生においては充分過ぎるほどのご褒美であるし、さらに言えば、絶頂には犠牲が伴う。他を巻き込むということは、それだけ苦労して得た満足に水を差される恐れが
それでも絶頂を求めるというのなら──人生に訪れたたった一度の機会に、全てを懸けたいというのなら──、虎藤虎太郎を探し出した末に、自分は何をしたいのかという答えを出さなければならない。虎藤虎太郎は、もう手の届くところにいるのだ。時間はあるようで限られている。こうして自分で自分に問いかけている時間も、たくさんあるようで確実に消費しているのだ。
私は虎藤虎太郎と共に、自分の答えを探す。そうして出した答えが、たとえ満足すら壊してしまうほどの産物だったとしても。
それでは、また会う日まで。
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