プレイ日記その7
しまりました。(八九寺真宵風)
今川家を滅ぼした後、大殿は武田家に攻め入る理由がないと、合戦をしようとしない。
それがしは城主になるまで、後5ヶ月はかかりそうなので、とんだ足踏みだ。
このロスを見逃してくれるような、甘いプレイヤーばかりじゃない。
資金集めと技能上げを少なくして、もっと早く仕官するべきだった。
残念だが商人時代に戻ってやり直すことにした。
再開
最初のうちは前とほとんど同じような進め方をしていたが、ふと疑問を感じた。
仕官する時期を早めるぐらいでランキング上位にはいれるだろうか?
かなりの接戦が予想される中、普通にやっていいわけがないよね。
突然とんでもない秘策を思いついた。
やはりここは茶器城主だ!
ただし、使うのは松平家ではなく、武田家なのだ。城をもらって与力4人をもらい全員首にして浪人ににして出奔すれば武田家は大打撃じゃないかい。
我ながら卑怯だと感じざるを得ません!(何が正々堂々は望むところだよ)
いやいや、拙者とて武士の端くれ、めったなことは致さぬが。
ランキング入りしてポイントのためなら、悪魔に魂を売り飛ばしてでもやらねばならぬ。けけ、うけけ。
一人悦に入っていたが、そうは問屋は降ろさなかった。城主になって初めてわかったのだが、もう出奔できないじゃアーリマセンカ、アーリマオンセン。
またまたやり直しせざるを得なかった。
再々開
今度こそ正々堂々、真っ向勝負といこうじゃないか。
実は仕官のタイミングはできるだけ早くして、太原雪斎から軍略を学びながら、すこしでも勲功を稼いだ方がいいと分かった。
後、織田家が弱すぎるので松平家に仕える前に織田家に一瞬だけ仕えて兵糧売却で、6万貫恵んでから出奔。
無駄遣いせずに松平家のために働くんだよ。
さて松平家に仕えてからは出世街道まっしぐら。ネコはいいか。 とはいかず、桶狭間まではひたすら技能をあげて、力を蓄えることにした。
無事、今川家から独立。ここからが真の勝負のはじまりだ。
1560年3月に武将、5月に過労、じゃなくて家老になった。
やっぱ、いかさまなしって気持ちがいい。(どの口が言うかね)
1559年11月まで戦を仕掛けられないから、これより早い出世は無理ポイ。
今川家の領地を奪いながら勲功を稼いでいく。一刻も早く城主にならなければ。
そういえば、城主になる前は座の仕事に名品が出なくなっていた。
これは吉兆といえましょうか。もしかして、あれとか出るんじゃないの?
あれってなにかって? 勿論、よだれもんじゃなくて、垂涎の的だよ。
行商人を見かけたら尻尾を振って駆け付けよう。
1559年11月になると各大名が動き出した。もちろん松平家も今川家吉田城に進軍を開始した。長篠城も落として三河統一が1560年3月1日。
この後、一向一揆も鎮圧して、東に向かう。
曳馬城、二俣城、高天神城を落として移転、浜松城改名。
駿府城、興国寺城を落として今川家滅亡が1561年3月。
同年5月に城主となった。武田家を一気に攻め滅ぼさねば。
1562年4月23日武田家滅亡。
1563年7月20日関東制覇で課題終了となった。
さてさてランキングの結果はどうだろうか。
楽しみでもあり、怖くもある。
いざ報告にいかん。
。
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