2階建てのコンビニで、白狐様に見初められました

束出晶大

第1話 白いキツネの王子さま



 1



 コンビニエンスストアとは便利さを売りにした店のことである。店に商品がたくさんあって客へのサービスが充実した日本のコンビニは、海外からやって来た外国人旅行客が観光スポットとしておとずれるほどだ。



 澄村止水すみむらしすいはそんなコンビニのオーナーの子として生まれた。店の名前は「イツデモイマデモ」。父・友高ともたかがはじめた店であり、日本のコンビニの三大大手(トレジャーマーケット、オールドブリッジ、ちゃこ~るストア)のように全国各地にあるわけではない。イツデモイマデモは世界に一店舗だけの店だ。



 店は商品を売る店が集まっている地区にある。日本では平屋のコンビニが多い中、イツデモイマデモは二階建てだ。一階に商品とレジがあり、二階はイートインスペースと呼ばれる、店で買ったものが飲み食いできる空間となっている。



 止水は学校が終わると、まっすぐ家には帰らず、父親の店に寄った。



「今日はなにを飲もうかなあ」



 現在、小学五年生の彼女。放課後は店の一階で飲み物を買って、二階でそれを飲みながら宿題をするのが日課だ。



 止水は紙パックのりんごジュースを買うと、階段を使って二階へとあがった。そこには十名ほどの人間が利用できるだけのテーブルとイスがある。電子レンジや電気ポットなど、食べたり飲んだりするのに必要な電気製品もそろっていた。ウォーターサーバーは冷たい水とお湯が出る。ここで買った弁当をあたためたり、カップラーメンを作ることだってできるというわけだ。



 二階は止水以外にだれもいなかった。一ヶ月前はいつ来ても他の客がこのイートインスペースにいるのが当たり前だったけれど、今ではいないのが当たり前となっている。



「うちのお店、つぶれちゃうのかなあ……」



 小学生としても、ここのところ父親の店の経営状況がよくないのはわかっていた。うちの家はどうなるのだろう、家族三人は生活していけるのだろうか、と止水は子どもながらに一家の将来を心配する。



 ふと、壁に貼ってあるポスターの、右上の角がめくれていることに気がつく。



「あっ、ポスターがはがれそう」



 止水は立ち上がり、ポスターまで近づいた。めくれているところだけもういちど壁にぴたっとくっつけようとした時、壁に穴があいていることが見て取れる。



 ポスターを取ってみると、穴は思ったよりも大きかった。小学生の止水なら余裕で入ることができる大きさだ。



「なによ、これ?」



 止水は客が壁を壊して、それをポスターで隠したのでは、と思った。でも、このポスターを貼ったのは父の友高のはずだ。客がポスターをはがした後、うっかりかいたずらで壁を壊した?止水はあれこれ考える。



 穴はどこか不気味だった。壁の厚さには限りがあるはずなのに、どこまでも先が見えないような感じだ。そもそも壁は白色なのだがら、穴をあけても黒くはならないはず。穴があいているのなら、外の景色が見えるはずだ。



 穴の中はがやがやとしていた。



「ここが、人間界へと続く道なのだな?」



「ええ、間違いありません」



 そこからふたりの人間の声がする。どちらも男の声だ。



 すぐに中から人が出てくる。先に出てきたのは少年だった。年齢は十歳の止水と同じくらい。目鼻立ちのととのった顔をしている。同じ学校にこの少年がいたら、恋愛に夢中な女子の間で騒ぎになることだろう。



 しかし、そんなことは止水に関係なかった。



「どこから入ってきたのよ! この、ドロボー!」



 穴から出てきた人間が美しくてもそうでなくとも、不審者は不審者だ。止水はいそいで用具入れからモップを取り出すと、柄の部分で少年の体をおもいっきりたたいた。



 店の壁に穴をあけて、穴から侵入して、店の商品をこっそり盗もうとしている、と考えた。二階へははしごからのぼってきたのだろう。



 止水が今度は少年の肩をモップで打とうとした時だった。突如、少年の両目が青白くなる。



「うっ……!」



 それと同時に止水の体に異変が起こった。モップを持っている止水の手がまったく動かないのだ。手だけでなく、体そのものが動かせない。そして、自分の意思とは反対に、体が少年の方へと引き寄せられる。



「美しい――」



 少年が止水を見てつぶやいた。こっちははげしく攻撃したというのに、まるで敵意を感じられない。うっとりとした目で止水を見つめている。



「えっ?」



 少年は止水のあごを指ではさみ、ぐいと上げる。身長は止水より少年の方が十センチメートルほど高かった。止水が現在百四十四センチメートルだから、少年は百五十四センチメートルくらいだろう。



「お主のような気高い女を、余は求めていた」



「お主? 余?」



 止水はぽかんとする。「余」とは「私」や「僕」のような一人称であるのだが、日常では聞かないのでつゆ知らずだ。少年のしゃべり方は古風に感じる。着ているのが和服というのも違和感があった。



「申し遅れた。我が名は閑田東温かんだとうおん。閑田家の次期当主だ」



 少年あらため東温は、自分の家はだれもが知る家、という風な口ぶりだ。そう言われてもだれかわからないわよ、と止水は心で思った。



「なんと! 時空ずい道がこのような建物に通じていたとは!」



 穴にいたもうひとりの人間が出てくる。老夫、年老いた男だ。顔は細長く、丸いメガネをかけている。気弱そうなおじいさん、と止水は思った。「ずい道」というふだん聞きなれない言葉は、トンネルを意味している。



「止水! やけにさわがしいけれど、なにかあった?」



 ちょうど、友高が二階へと上がってきた。体重が九十七キログラムの彼は、早足で階段をあがるだけでもハア、ハアと息を切らす。口のまわりをかこうヒゲにも汗をかいたようで、口もとを太い手でぬぐう。



「ん? わが家の畑をしょっちゅう荒らすイノシシに似ているな。人間界のイノシシは立ってしゃべるのか?」



 東温が友高を見て言う。



「悪かったわね、イノシシに似ていて。この人は私のお父さんよ」



 止水は言い返した。あろうことか、ひとめぼれした少女の親を悪く言ってしまった、と東温の色白の顔が青ざめる。



「なーにが『お主のような気高い女を、余は求めていた』よ。そのイノシシから生まれたのが私よ」



「これは、これは――大変失礼した!」



 東温は床に頭をつけて、土下座した。



「わたくしからも、止水さまの父上殿、どうぞお許しくださいませ!」



 老夫も土下座し、一緒になって謝る。ふたりは孫と祖父、という関係ではなさそうだ。そして、老夫は東温よりずっと年上だけれど、立場は東温より下のようである。



「いいよ。痩せようとは思っているんだけれどねえ、なにせ不規則な生活で」



 友高はこれっぽっちも怒らない。気の弱すぎるところがたまにキズだが、やさしい心の持ち主だ。



 そして、本人が言うように、友高はコンビニのオーナーという立場から、働く時間が毎日同じではない。店の営業時間は朝の六時から深夜の一時まで。朝早くから働く日もあれば夜遅くまで働く日もあったりと、ばらばらだ。



「余が他人に土下座したのはこれが初めてだ。止水、お主は余を翻弄し、狂わせる――すばらしい」



 東温が立ち上がる。止水を名前で呼んでいるが、止水は自分から名乗っていない。お父さんの話から私の名前をおぼえたのね、と止水は思った。



「きみは止水のクラスメートかい?」



 友高が東温にたずねる。



「ここからはかわりにわたくしの口から説明させてください!」



 老夫が友高と東温のあいだに入ってしゃべった。



「わたくし、東温坊ちゃまの使用人の近江屋沖豊おうみやおきとよと申します」



 老夫、あらため沖豊はたたずまいに気品と礼儀ただしさを感じる。坊ちゃま呼びされ、使用人がいるとは、東温は金持ちの息子なのか、と止水は思った。



「まず、われわれはあなたさまたちとは違って、人間ではありません」



「ええっ!!」



 止水は声に出しておどろく。東温と沖豊は、その姿かたちはどう見ても人間である。



 でも、さきほど、東温は「人間界のイノシシ」と言っていた。人間であるならば、こんなセリフを言うわけがない。



「その証拠を見せよう」



 東温が言う。すると、その目はたちまち青白く光る。少しして、止水が買った飲み物やモップが宙に浮く。二階にあるテーブルやイスもすべて空中に浮かんだ。



「どういうことなの……?」



 目の前の超常現象に、澄村親子は腰を抜かした。



「われわれはあやかしと呼ばれる種族であり、東温坊ちゃまは白狐なのでございます」



「白狐?」



 止水は沖豊に聞き返す。



「白い狐と書いて白狐。キツネの妖怪です」



「余のべつの姿を見せよう」



 東温は目を閉じて人差し指を立てると、一瞬にして、大きくて真っ白なキツネの姿となった。毛並みはなでたくなるほどきれいでととのっている。人間の姿の時とは違った美しさがあり、神々しくもあった。



「白狐には目で見たものを自由自在に操ることができる、特別な能力があります。その強さはあやかしの中でも最強と言っても過言ではありません」



 沖豊が話す。



「その能力を使うときは目が青白く光るのね?」



 止水は聞いて確認した。



「そうでございます。ちなみに、わたくしは化けだぬきでございます」



 沖豊の姿は瞬時にしてタヌキに変わる。



「わっ!」



「わたくしも東温坊ちゃまほどではありませんが、どんな姿にもなれるという能力があります」



 沖豊は続けて友高に化けた。娘の止水でもどちらが本当の友高なのかわからないくらい、うりふたつだ。



 止水は沖豊の能力をうらやましく思った。でも、お父さんに化けたところでなにもすることがない、とすぐさま冷静になる。



「閑田家は先祖代々由緒正しき家であり、他国と同盟を結ぶことで栄えてきました」



 沖豊が老夫の姿に戻って、話を続けた。



「他国と同盟、ね。日本も昔はそんな感じだったんだろうけれど、現代の日本にいるぼくたちとは、まるで住む世界が違うね」



 友高はその話に聞き入っている。



「閑田家の長男は十五歳で結婚するのが決まりです。それは東温坊ちゃまとて例外でなく、東温坊ちゃまには幼い頃から許嫁がおりました」



「許嫁?」



 止水はたずねた。



「結婚の約束をした相手のことです。東温坊ちゃまの意思とは関係なく、あちらの親とこちらの親のあいだで決められました」



「東温は何歳なの?」



「余を『東温』と呼んでくれるのか。うれしいぞ、止水」



 東温はささいなことでよろこんでいる。



「十歳です。今年で十一歳になります」



 沖豊が止水の質問に答えた。



「じゃあ、私と同い年だね」



 止水は自分と同じ年齢の少年に結婚相手がいることにおどろく。小学生の止水はだれかと結婚したいと思ったどころか、恋をした経験すらいない。



「けれども、東温坊ちゃまはそれがいやだと言って聞かなくて。結婚相手は自分で選びたいと」



「家のために親が決めた人と結婚させられるなんて、かわいそうな話だね」



 世利果せりか、止水の母と大学時代に出会い、お互いに相手が好きで結婚した友高としては、そのさだめられた運命に同情する。



「それで、東温坊ちゃまは花嫁探しの旅に出ました。そして、人間界へと続く道がこの店とつながっていたというわけです」



「わっ!! あんなに大きな穴が!!」



 この店のオーナーである友高は壁を見て気を失いそうになる。あれを修理するとなればかなりの費用がかかるのではないか、と。



「父上殿、安心してください。壁が損壊しているわけではないので、気にする必要はございません」



「ふだんはポスターで隠しておこう」



 止水は言った。



「人間界は、あやかしのように特別な能力を持った者はおらぬが、われわれの世界よりもずっと発展していると聞いた」



 東温が二階の窓から見える景色を見ながらしゃべる。そこからはいろんな建物や通行人の姿が見える。



「今のあやかしの世界は、人間の歴史でいう江戸時代くらい、と想像してください」



 沖豊が東温の言葉につけ足すように言う。止水は江戸時代くらいと聞いて、本で読んだ知識をもとに、城や殿を想像した。東温や沖豊の服もその時代らしい。あやかしの世界に車やパソコンはなさそうだ。ましてやコンビニも。



「人間になら、余をわくわくとさせるおもしろい女がいると思った。来てみて正解だったよ、止水」



 止水のことがすっかりと気に入った東温は、止水に熱い視線を送る。



「悪いけれど、うちは今それどころじゃないのよ」



 止水は近くのイスに座った。



「どういうことだ?」



「近頃、この店の売り上げが落ちていて、経営がうまくいっていないの」



「うう……」



 娘に痛いところをつかれ、友高はへこんだ。



「店がつぶれると、この建物も取り壊さなきゃいけないだろうから、なくなるかもしれないわね。そうなると、あの穴もなくなるんじゃない?」



 止水は壁に向かって指をさす。



「止水に会えなくなると考えると、胸が張り裂ける思いだ」



 東温が胸のあたりを押さえる。



「つまり、この店を繁盛させればよいのだな?」



「簡単に言えばそういうことだけれど、ひとすじ縄じゃいかないわ。最近この近くにできたお店が手強いから」



「お店?」



 百聞は一見にしかずということで、四人は階段をおりて、店の外に出た。



「あそこに建物があるでしょう? むらさき色の看板の。あのお店よ」



 止水ははす向かいにある店を指をさす。大手コンビニチェーン店のトレジャーマーケット。袖崎花本そでさきはなもと店は一ヶ月前にオープンしたばかりだ。



「この『イツデモイマデモ』はお父さんがはじめたお店だから、世界に一店舗しかないの」



 止水の説明を聞き、東温は友高の店を見た。



「でも、あのトレジャーマーケットは日本のコンビニ業界でナンバーワンの店舗なのよ。店は全国各地にある。コンビニと言えばトレジャーマーケット、と答える人も多いくらいにね」



 あやかしの東温にコンビニと言ってもわからなそうだが、なんとなく理解できているようだ。



「あの店ができる前は、父上殿の店へ買いに来ていた客も多かったのだろう? そいつらはどうした?」



「結構な数の人があっちのお店に移っちゃった。うちのお店のお弁当やおにぎりは全品手作りで、おいしいと評判だけれど、品数を多く作れないのが難点なの。だけど、あの店は色んな商品が置いてあって、サービスも充実しているから、うちのお店より買い物がしやすいみたい」



 イツデモイマデモは少しでも商品の価格をおさえるために、ポイントカードがなかったり、現金払いのみとしている。商品を安く買えるのならそれでよいと言う客がいる反面、時代に合っていないと、不便に感じる人もいる。そうした背景もライバル店に客をうばわれた要因だろう。



「人間とは薄情なのだな」



 東温がぼそっと言った。



「しょうがないわ。いつの世も、時代についていけないものは淘汰されゆくものよ」



「淘汰、か。止水も、むずかしい言葉を知っているんだね」



 友高が娘をほめる。感心しているどころじゃない、と止水は娘として思った。



「父上殿の店が危機的状況なことは理解した。要はあの建物を消せばよいのだな?」



 東温の両目が青白く光る。



「ちょ、ちょっと! それはやめて! そんなことをすれば犯罪よ!」



 止水はそれを大あわてで止めた。



「東温坊ちゃま、今日のところはこのへんでおいとましましょう。東温坊ちゃまの帰りが遅いようだと、閑田家は大さわぎとなってしまいます」



 沖豊が進言する。人間界に行ったことが家の者に知られるとまずいようだ。



「そうだな、帰るとするか。父上殿の店については、余なりに考えておく。また会おう、止水」



 東温は片方の口角を上げて、止水に手を振る。



 こっちはべつにあなたとまた会いたいわけじゃないんだけれど、と止水は心で思う。でも、お父さんの店を救ってもらえるならなんでもいいか、と考える。

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