第7話 教会の存在理由

 東の教会、そうオリビアが呼ぶ建物は、セルバンテスていからおよそに位置していた。そう呼び始めたのはソウウルプスの街の人々だったらしい。ソウウルプスの中心からはちょうど東に建築されていた。


 ゴシック調の再来らしいデザインの尖塔せんとうが特徴的な教会。教会の名前を知ろうとしたが、チャーチサインの文字が風化してつぶれてしまっていた。

 白い漆喰しっくいの壁は触れるだけでボロボロと崩れてしまうし、くすんだステンドグラスをつたおおっていて、到底とうてい素敵な教会とは言えない。


 アルカが全体重をかけて手押し奮闘ふんとうしている両開きの扉を、エドワードは片手で引いた。外開きだ。


「やっぱり暗いですね」


 もちろん灯りがついているはずもなく、エドワードはランプをかかげた。室内なので、森を歩いた時よりは比較的明るく見える。

 ランプに照らされた信者席や祭壇は外装と同じく白い塗装がなされていた。ところどころげてしまってはいるが統一感がある。


「すごい。彫刻ちょうこくがたくさんあります」

「本当ですわ」


 遅れて入ってきたオリビアがいつの間にかエドワードの後ろに立っていた。オリビアの横顔は入口左の聖母のような彫像を見上げている。

 エドワードはその彫像ちょうぞうの対称に位置する像へ光を当てた。入口右は立派なひげをたくわえた老人だ。


 教会内を少し進み、正面、正面右、正面左の像へと目を向ける。順に、髪の長い少女、本を片手に胸を張る庶民しょみん風の賢者けんじゃ、そして少女に似たおそらく母親のように見える女性。


 エドワードは目元をかすめた光に片眼を閉じた。祭壇さいだmm奥、ステンドグラスを背にした少女に覚えた違和感に近づいて目をらすと、少女の像の目がランプの光に反射した。よく見ると宝石が埋め込まれている。経年劣化でくすんでいるが、碧色へきしょくのそれは両目に鎮座ちんざしていた。


「どうかされましたの?」

「オリビアさん。この彫像たち、気になりませんか?」


 彫刻に張り付いているエドワードにオリビアは声をかけた。オリビアは眉をひそめて首をかしげる。


「……えっと、わたくしには素晴らしいとしか」

「技術的な問題です。例えばこの薄く透けたような布の表現──ドレーパリーと言いますが、この表現方法が編み出されたのは隣国にておよそ九十年前のことです。そして大理石の状態からしてこの彫像らが作成されたのは少なくとも百年以上前。もしかしたら四百年は経っているかもしれません」


「世間に知られていなかっただけで、進んだ技術の芸術家がいたということは?」

「可能性は限りなく少ないですね」


「どうしてですの?」

「基本、大理石像の制作は複数人で行われます。まずゲネシス王国で芸術家として仕事を受けるには、その国が発足している芸術げいじゅつ作成さくせい協会きょうかいに芸術家として認めてもらう必要があります。そしてそこに所属する人々は新しい技法や表現法を編み出したら、協会へ報告の義務があるんです。高め合おうという精神ですね」


 オリビアはなるほど、とうなずく。


「物理学で言う工学こうがく技術ぎじゅつ協会みたいなものが芸術界にもありますのね」

「はい。……けれど、例外があります」


 エドワードは手を伸ばして台座のプレートのほこりぬぐった。


かねは力ですから。ゲネシス一帯は芸術家を国宝の一部のように扱っていますが、そういった価値あるものを金で独り占めする人はどこにでもいるでしょう。一部の芸術家は、国から芸術家として認められて外から仕事を受けなくてもいいほどのパトロンがいるんです」


 エドワードは台座のプレートに指をわせて文字を読む。古語で作品名が刻まれていた。


「『冥府めいふの女神』。最高神だから正面にいらっしゃるわけですか」

「思ったよりも幼く見えますわね」


 技術力に気を取られていたが、オリビアの意見にエドワードは同意した。像の女神はおおよそ初等教育を終えたくらいの印象を受ける。表情も比較的柔らかく、伝承の恐ろしい印象からは程遠い。


「エドワードさまは芸術にお詳しい方ですのね」

「……自慢ではありませんが、芸術一家の出自です」

「そうでしたのね」

「この像どこかで──」


 エドワードがはっとしながら口を開いたとき、教会の奥からアルカがエドワードとオリビアを呼んだ。何か、見つけたらしい。


「二人そろって……彫刻にかれる気持ちもわかるが、参考となりそうな書物を探してくれ」

「すみません」

「それより、これを見てほしい」


 アルカは手の中にある土埃つちぼこりにまみれた書を開く。埃が舞い立ち、エドワードは目を細めながらも内容に目を通す。

 紙面の右上には決まって年と日付、それから書いた者の名前が記されている。これは誰かの日記のようだ。

 たどたどしく読み進めていると、エドワードは衝撃的な一文を認めた。


「これってどういうことですか?」

「興味深いだろう。ボクたちはずっとだまされていたんだ。そして教会でやっと真実を知った。神話はやはり実体験を基にした教訓だったわけだ」


 オリビアだけが話について来ることができずに、あたふたしている。きっとオリビアは古語が読めないのだ。


「これは歴代の祭司が一週間ごとにつけた日記帳だ。このページからわかるのは、これが書かれたのはA.N.二一〇年の九月上旬だということ、それから太陽が昇らなくなってすでに数日が経過しているということ」

「お待ちください。A.N.二一〇年って、今は一八八年ですのよ? 未来の話じゃありませんか」


 そう。この日記帳は明らかにおかしいのだ。どうして未来の日付が記されているのか。


「『冥府の女神と命の光』。あれは実際に起きたことを記している。おそらく、太陽が昇らない問題が解決しないと、長い冬がやってきてソウウルプスから人が消える。そして文明が崩壊するんだ。しばらくしてソウウルプスに帰ってきた人々が、新しく元年から始め直してもおかしな話じゃない」

「つまりこの、A.N.二一〇年は今から一八八年以上前の、二一〇年ということですの?」

「そうだろうな。元年を何度やり直しているか定かじゃないが、少なくともA.N.──南暦は約四〇〇年以上の歴史があるというわけだ」


 ただ──。アルカはあごに手を添えて言葉を続ける。


「ただこの祭司、最後だけ曖昧あいまいなことを言い残しているんだ」


 アルカは下から二行目に指を添わせて声にあげて読み進める。


「『一見不必要として省かれてきた儀式には、本当はきちんと意味があったものがある。どれだけ創始者が素晴らしい頭をひねったとしても、後に続く人間が愚者ぐしゃであれば余計な作業として省いてしまう。私はその愚者の一人だ。ソウウルプスの外で春を待つしかない』」


 この祭司はおそらくソウウルプスに戻ってこなかっただろう。いや、戻ってこれなかったのかもしれない。厳しい冬の到来とうらいに、責任を感じているような口ぶりはエドワードの頭を悩ませた。

 何か、かつてあった儀式の一部を省いたせいで厳しい冬に見舞われた。


「……うなる金属、ってご存じですか?」


 オリビアは唐突とうとつに、アルカとエドワードにたずね聞く。

 話の腰を折るような一言にアルカは瞬きを繰り返した。


「……いや、知らないな。なんだそれは」

「唸る金属は、ソウウルプスにあるいくつかの財産の一つです。街をつくる樹木、夜道を照らすキノコ、それから唸る金属。木とキノコが神話に関わりあるなら、唸る金属も関係しているんじゃないかと思いまして」


「待て、これって『唸る金属』なのか。てっきり『硬くなる髄質ずいしつ』だと思って、何を言ってるのかさっぱりわからなかったが。いやどちらにせよ、よくわからなかったか」


 アルカは日記調のページをぱらぱらとめくって、とあるページで指を止めた。

 別の人が書いた、A.N.元年の記述。


「ここに『唸る金属が女神による畏怖いふの力を弱める』ってある。これか?」


 エドワードものぞき込むと、続けて『冥府の女神には揺れるネックレスがふさわしい。金属の音は女神の訪問』と書かれている。


 ランプを掲げて『冥府の女神』の彫像に駆け寄ると、首にまるで首輪のような金属でできたネックレスがつけられていた。金属は酷くびついていてもろくなっているが、そのネックレスからまっすぐチェーンが伸びている。チェーンにはどういった意図なのか、ちょうど木の枝分かれのように小さなチェーンが無数につながっている。ただ、この細いチェーンが『唸る』という言葉にふさわしくは思えなかった。


「オリビア。その『唸る金属』は何に使うんだ?」

「それがよくわからないのです。発掘の度に山に埋まったかね形に加工された『唸る金属』が発見されて、それを同じく『唸る金属』で叩くと、唸るような低い音と強い振動がソウウルプスの端から端まで響くということぐらいしか。おそらく合金でしょうが、その鐘が何のために作られたものなのかはわからないのです」


 ぴたり、とアルカは動きを止めた。


「その鐘にはどんな模様があった?」

「模様があることをご存じなのですか? ええ、あります。外側には上から見て時計回りにらせん状のくぼみ、内側には肋骨ろっこつしたようなへこみが」


 アルカは目を見開くと、出口の方へと駆け出した。オリビアとエドワードは驚いてアルカの後を追いかける。アルカはそのまま教会を出て、裏へと回った。裏に小さな塔があるのには気づけなかった。アルカはその塔へと一直線にけていく。


「オリビアさん、あの塔は?」

「地図には塔としか書いていませんでしたわ。ただの見張り台かなにかだと思っていましたが……」


 アルカは塔の下にある木の扉のかんぬきを放り投げると、壁に沿うように上へ伸びるらせん階段を上ってゆく。ようやっと塔の入口に追いついたエドワードとオリビアも続いて登ろうとするが、アルカがちょっと待て、と頭上から指示を出した。


「どうかしましたか?」

「そこの穴に鐘がある!」


 エドワードが井戸のように見えた中央の浅い穴をのぞき込むと、そこにはびついた鐘のようなものが置かれていた。ちょうど時計回りにらせん状の模様が彫られている。本物の井戸のように鐘にくくりつけられたロープが穴から伸びていて、ロープの先はアルカが手にしていた。今はたるんでいるが、アルカがあと少し階段を上ればロープはぴんと張り詰めることになる。


「エドワードとオリビアは協力して、その鐘を持って上がってきてくれ!」


 二人は顔を見合わせると、その巨大な鐘を持ちあげた。オリビアは、思いもよらない重さだったのか驚いて声を上げる。


「こ……これを上まで、ですの?」

「軽く建物四階分はありますね」


 重労働に耐えているうちに、いつの間にか寒さは忘れてしまっていた。むしろ汗をかいていて、体が冷えてしまわないか心配なくらいだった。

 呼吸が不規則になって、喉が冷たい空気でかすれてきたころ、すっと顔を掠める細い風に片目を閉じた。


 うっすらと目を開けて見た頂上は素晴らしい景色だった。山の上ということもあって、もともと見晴らしがよかったが、より高いところに上ってソウウルプスが一望できる。

 ただ、今見えるのはぽつぽつとした小さな灯りだけ。


 景色に立ち尽くしているとアルカがエドワードを急かした。


「ロープを天井に引っ掛けてくれ」

「これ、落ちませんか? ロープも劣化しているんじゃあ」

「大丈夫だろう。割としっかりしているように見える」


 エドワードは言われたとおりに、手を伸ばして天井にあるフックにロープを引っ掛けた。そして鐘を三人がかりで持ち上げる。何とかつるし終えると、アルカはオリビアを鐘のすぐ隣に立たせた。


「非常に低い音っていうのは、人間の耳には聞こえなくなる。そして、人間はその振動だけを感知するんだ。振動という形で物に影響を与える。わかるな、オリビア」

「はい」


 アルカはソウウルプスが見渡せる塔の端に立った。風が少ないおかげでアルカの小さい体は吹き飛ばされることはない。スカートが小さくはためくくらいだった。


「先人の知恵とは偉大だな」


 アルカはオリビアに鐘の中のクラッパーから伸びるひもを握らせる。オリビアはひもを握りしめると深呼吸に合わせて力いっぱいに腕を振った。


 クラッパーは鐘の中で雄大ゆうだいに揺れ、鐘の内側を打ち鳴らした。空気が揺らぎ、低いうなりが鼓膜を震わせる。

 三人はびりびりと骨から揺るがす振動に、塔の柱にしがみついた。


 音は、振動は、ソウウルプスの空気を伝播でんぱした。


「すごいですわ……」


 オリビアは高ぶりを抑えるように胸に手を当てた。


 雲間くもまかられるように、光が空から街をぽつぽつと照らす。寒くこおり付いた街に太陽の温度が差してゆく。


 オリビアはもう一度、ひもを揺らして鐘を鳴らした。オリビアの表情は光差す街に比例して明るくほころんでゆく。


「太陽だ」


 アルカが手をひさしに、青い空の中央で輝く太陽を見上げて、見た目相応そうおうらしく笑う。


 ソウウルプスに、久々の朝がやってきた。











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