第7話 教会の存在理由
東の教会、そうオリビアが呼ぶ建物は、セルバンテス
ゴシック調の再来らしいデザインの
白い
アルカが全体重をかけて手押し
「やっぱり暗いですね」
もちろん灯りがついているはずもなく、エドワードはランプを
ランプに照らされた信者席や祭壇は外装と同じく白い塗装がなされていた。ところどころ
「すごい。
「本当ですわ」
遅れて入ってきたオリビアがいつの間にかエドワードの後ろに立っていた。オリビアの横顔は入口左の聖母のような彫像を見上げている。
エドワードはその
教会内を少し進み、正面、正面右、正面左の像へと目を向ける。順に、髪の長い少女、本を片手に胸を張る
エドワードは目元を
「どうかされましたの?」
「オリビアさん。この彫像たち、気になりませんか?」
彫刻に張り付いているエドワードにオリビアは声をかけた。オリビアは眉をひそめて首をかしげる。
「……えっと、わたくしには素晴らしいとしか」
「技術的な問題です。例えばこの薄く透けたような布の表現──ドレーパリーと言いますが、この表現方法が編み出されたのは隣国にておよそ九十年前のことです。そして大理石の状態からしてこの彫像らが作成されたのは少なくとも百年以上前。もしかしたら四百年は経っているかもしれません」
「世間に知られていなかっただけで、進んだ技術の芸術家がいたということは?」
「可能性は限りなく少ないですね」
「どうしてですの?」
「基本、大理石像の制作は複数人で行われます。まずゲネシス王国で芸術家として仕事を受けるには、その国が発足している
オリビアはなるほど、と
「物理学で言う
「はい。……けれど、例外があります」
エドワードは手を伸ばして台座のプレートの
「
エドワードは台座のプレートに指を
「『
「思ったよりも幼く見えますわね」
技術力に気を取られていたが、オリビアの意見にエドワードは同意した。像の女神はおおよそ初等教育を終えたくらいの印象を受ける。表情も比較的柔らかく、伝承の恐ろしい印象からは程遠い。
「エドワードさまは芸術にお詳しい方ですのね」
「……自慢ではありませんが、芸術一家の出自です」
「そうでしたのね」
「この像どこかで──」
エドワードがはっとしながら口を開いたとき、教会の奥からアルカがエドワードとオリビアを呼んだ。何か、見つけたらしい。
「二人そろって……彫刻に
「すみません」
「それより、これを見てほしい」
アルカは手の中にある
紙面の右上には決まって年と日付、それから書いた者の名前が記されている。これは誰かの日記のようだ。
たどたどしく読み進めていると、エドワードは衝撃的な一文を認めた。
「これってどういうことですか?」
「興味深いだろう。ボクたちはずっと
オリビアだけが話について来ることができずに、あたふたしている。きっとオリビアは古語が読めないのだ。
「これは歴代の祭司が一週間ごとにつけた日記帳だ。このページからわかるのは、これが書かれたのはA.N.二一〇年の九月上旬だということ、それから太陽が昇らなくなってすでに数日が経過しているということ」
「お待ちください。A.N.二一〇年って、今は一八八年ですのよ? 未来の話じゃありませんか」
そう。この日記帳は明らかにおかしいのだ。どうして未来の日付が記されているのか。
「『冥府の女神と命の光』。あれは実際に起きたことを記している。おそらく、太陽が昇らない問題が解決しないと、長い冬がやってきてソウウルプスから人が消える。そして文明が崩壊するんだ。しばらくしてソウウルプスに帰ってきた人々が、新しく元年から始め直してもおかしな話じゃない」
「つまりこの、A.N.二一〇年は今から一八八年以上前の、二一〇年ということですの?」
「そうだろうな。元年を何度やり直しているか定かじゃないが、少なくともA.N.──南暦は約四〇〇年以上の歴史があるというわけだ」
ただ──。アルカは
「ただこの祭司、最後だけ
アルカは下から二行目に指を添わせて声にあげて読み進める。
「『一見不必要として省かれてきた儀式には、本当はきちんと意味があったものがある。どれだけ創始者が素晴らしい頭を
この祭司はおそらくソウウルプスに戻ってこなかっただろう。いや、戻ってこれなかったのかもしれない。厳しい冬の
何か、かつてあった儀式の一部を省いたせいで厳しい冬に見舞われた。
「……
オリビアは
話の腰を折るような一言にアルカは瞬きを繰り返した。
「……いや、知らないな。なんだそれは」
「唸る金属は、ソウウルプスにあるいくつかの財産の一つです。街をつくる樹木、夜道を照らすキノコ、それから唸る金属。木とキノコが神話に関わりあるなら、唸る金属も関係しているんじゃないかと思いまして」
「待て、これって『唸る金属』なのか。てっきり『硬くなる
アルカは日記調のページをぱらぱらとめくって、とあるページで指を止めた。
別の人が書いた、A.N.元年の記述。
「ここに『唸る金属が女神による
エドワードものぞき込むと、続けて『冥府の女神には揺れるネックレスがふさわしい。金属の音は女神の訪問』と書かれている。
ランプを掲げて『冥府の女神』の彫像に駆け寄ると、首にまるで首輪のような金属でできたネックレスがつけられていた。金属は酷く
「オリビア。その『唸る金属』は何に使うんだ?」
「それがよくわからないのです。発掘の度に山に埋まった
ぴたり、とアルカは動きを止めた。
「その鐘にはどんな模様があった?」
「模様があることをご存じなのですか? ええ、あります。外側には上から見て時計回りにらせん状のくぼみ、内側には
アルカは目を見開くと、出口の方へと駆け出した。オリビアとエドワードは驚いてアルカの後を追いかける。アルカはそのまま教会を出て、裏へと回った。裏に小さな塔があるのには気づけなかった。アルカはその塔へと一直線に
「オリビアさん、あの塔は?」
「地図には塔としか書いていませんでしたわ。ただの見張り台かなにかだと思っていましたが……」
アルカは塔の下にある木の扉のかんぬきを放り投げると、壁に沿うように上へ伸びるらせん階段を上ってゆく。ようやっと塔の入口に追いついたエドワードとオリビアも続いて登ろうとするが、アルカがちょっと待て、と頭上から指示を出した。
「どうかしましたか?」
「そこの穴に鐘がある!」
エドワードが井戸のように見えた中央の浅い穴をのぞき込むと、そこには
「エドワードとオリビアは協力して、その鐘を持って上がってきてくれ!」
二人は顔を見合わせると、その巨大な鐘を持ちあげた。オリビアは、思いもよらない重さだったのか驚いて声を上げる。
「こ……これを上まで、ですの?」
「軽く建物四階分はありますね」
重労働に耐えているうちに、いつの間にか寒さは忘れてしまっていた。むしろ汗をかいていて、体が冷えてしまわないか心配なくらいだった。
呼吸が不規則になって、喉が冷たい空気で
うっすらと目を開けて見た頂上は素晴らしい景色だった。山の上ということもあって、もともと見晴らしがよかったが、より高いところに上ってソウウルプスが一望できる。
ただ、今見えるのはぽつぽつとした小さな灯りだけ。
景色に立ち尽くしているとアルカがエドワードを急かした。
「ロープを天井に引っ掛けてくれ」
「これ、落ちませんか? ロープも劣化しているんじゃあ」
「大丈夫だろう。割としっかりしているように見える」
エドワードは言われたとおりに、手を伸ばして天井にあるフックにロープを引っ掛けた。そして鐘を三人がかりで持ち上げる。何とかつるし終えると、アルカはオリビアを鐘のすぐ隣に立たせた。
「非常に低い音っていうのは、人間の耳には聞こえなくなる。そして、人間はその振動だけを感知するんだ。振動という形で物に影響を与える。わかるな、オリビア」
「はい」
アルカはソウウルプスが見渡せる塔の端に立った。風が少ないおかげでアルカの小さい体は吹き飛ばされることはない。スカートが小さくはためくくらいだった。
「先人の知恵とは偉大だな」
アルカはオリビアに鐘の中のクラッパーから伸びるひもを握らせる。オリビアはひもを握りしめると深呼吸に合わせて力いっぱいに腕を振った。
クラッパーは鐘の中で
三人はびりびりと骨から揺るがす振動に、塔の柱にしがみついた。
音は、振動は、ソウウルプスの空気を
「すごいですわ……」
オリビアは高ぶりを抑えるように胸に手を当てた。
オリビアはもう一度、ひもを揺らして鐘を鳴らした。オリビアの表情は光差す街に比例して明るく
「太陽だ」
アルカが手をひさしに、青い空の中央で輝く太陽を見上げて、見た目
ソウウルプスに、久々の朝がやってきた。
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