小さな希望

道化美言-dokebigen

小さな希望

 姫さまのためにわたしの命が役立つなら、わたしは自分を誇れる気がした。

 日が昇る前に起きて、顔を洗って、パンを一口かじり、銀の髪を一つに結ぶ。最後に青のカラーコンタクトでエメラルドの瞳を隠して。

 足を揃え、糸で釣られる傀儡のようにピンと背を伸ばす。

 シワ一つないメイド服。くもりのない鏡に映ったわたしの姿は、今日も姫さまの目に触れて恥ずかしくない格好をしている。

 これが「レディーレ」という個体名であり、役職である名を授かったわたしの昔から変わらない一日の始まり。

 わたしに温もりを分けてくれた、優しい姫さま。彼女を支えるため、今日も表向きの仕事へ向かう準備を整えていく。

 もうすぐやってくる終わりの日に、後悔しないように。



「レディーレ、あんたもうすぐ誕生日でしょ! あたしが何かプレゼントしたげる! ねっ、何がいい? 何が欲しい? 言ってみなさい!」

 鏡台の前に腰掛ける姫さまの金糸のような煌めく髪をハーフアップに結っていると、ふと、溌剌としつつも砂糖菓子のように柔く甘い声をかけられた。顔を上げれば、鏡の中に映る王族の証である、吸い込まれそうなほど深いエメラルドの双眸と目が合う。

「そうですね……」

 以前、この姫さまは齢七歳にして『後悔しないように生きたい』と言った。その言葉を聞いてから、ずっと思っていたことがある。でも、それを口に出して良いものなのか、望んでも良いものなのか分からなかった。

「なになに! 今年は何か思いついたわけ?」

 冷たい目をした姫さまの実の父親、現王と同じ瞳の色。それなのに温かさと輝きがある双眸に見つめられ、自然と口を開いていた。

「セシリアさま。よろしければ、その日一日。わたしとお忍びで城外に出ていただけませんか?」

「城の外……どこか行きたいところがあるの?」

 こてん、と小首を傾げた姫さまに頷く。

「姫さまがまだ七つのときでした。もう十年も前ですね。あのとき、一緒に行った小さな丘に行きたいです」

 わたしが、幼い姫さまに温もりを分けていただいた思い出の場所を思い浮かべる。

 小ぶりな灰紫の花が咲き乱れ、夕焼けが辺りを染めながら地平線にとぷりと溶けるのを特等席で見れる場所。

「ふふ、いいわ。連れてってあげる! 今まで十三回聞いて『何もない』の一点張りだし……」

 腕を組み、勢いよく振り返った姫さまと、鏡越しではなくずっと近い距離で目が合う。振り返った際にするりと指の間を抜けてしまった髪を目で追えば、白く、すらりと長い手に両頬を挟まれた。

「ひめさま?」

「んっふふ、レディーレったら変な顔! まっ、ひと月後ね。楽しみにしてなさいよ!」

 得意げに笑った姫さまはどことなく嬉しそうにしていた。

「ありがとうございます。……姫さま、そろそろ離していただけませんか? 御髪を整えないと」

「ふふ、いいじゃない、ゆっくりやったって。どうせ今日もこの部屋で過ごすんでしょ? 相変わらずお父様あいつはあたしに無関心だし。ね、今日は何する? レディーレ」

 小悪魔のようにウインクをしながら、べ、と小さな舌を出して意地悪げに笑った姫さま。その姿を見ていると、なぜかぎゅっと胸が締め付けられた。



 固いベッドに投げ出した体が燃えているみたいに暑くて、苦しかった。肺が水でいっぱいになったように息ができなくて、終わりの日が近いのだと。ただ冷静に判断した。


 夢を見た。王族の忌み子、わたしがお世話をすることになった二十三人目の姫さまに、誕生日に何が欲しいかと聞かれた日の夢。

 あってないような誕生日。誰かに何かを頼んだのは初めてだった。今まで、何かを欲しと思ったことなんてなかったから。

 夢の中で音がする。姫さまの声のように甘く弾む音が。

 からん、ころん。と心臓が鳴く。空っぽなわたしの心に、何かが落とされたみたいだった。

 でも、あまり多くの感情を知らないわたしの心にはそれが何か分からなくて。

 転がり続ける何かから、ただ目を背けてしまった。



 あたしがレディーレの誕生日に何が欲しいか聞いて、ひと月が経った。

 約束をした日は、今日。それなのに、レディーレは高熱を出してもう一週間は部屋にこもってる。

 大嫌いな国王陛下おとうさまに呼ばれて、レディーレを置き去りに別館から父の元へと向かった。

「で? あたしに用ってなんなの。お父様?」

 着飾った薄黄色のドレスのまま大股で立ち、不機嫌さを隠すことなく王座に座る冷たい目をした父を睨む。

「お前を正式に王室の者だと公表する。教育はしてあるだろう。住居もこちらへ移す。次期女王として務めを果たせ」

 思わず言葉を失った。どうして、今さらあたしを。

 今まで呪われた血だの忌み子だのとほざいて一度だって娘と呼んでくれたことすらなかったのに。あたしを見てくれたのは、レディーレだけだったのに。

「レディーレはどうするの? あんな状態じゃ動けないでしょ」

「あれはもうすぐ本来の役目を果たす。お前の侍女やメイドは別に用意するから安心しなさい」

 耳を疑った。

 そんな言い方、まるで、レディーレがいなくなるみたいな……。

「役目? 役目って何。あたしからレディーレを奪うつもり?」

「あれはお前の物じゃない。もう少しすればあれの中にある魔力が世界に還る。魔法しか適性のないお前も、ようやく価値がつくんだ」

 顔色一つ変えず、ただ腰掛けた王座で頬杖をつく父親を見て、脳が直接殴られたような衝撃が走った。

 明確に意味が分かったわけじゃない。でも、少し心当たりがあって。居ても立ってもいられず、ヒールで床を打ちながら必死に別館まで走った。



「レディーレ! 起きて、返事をしなさい!」

 深い眠りについていた気がする。誰かの声に引っ張られて、重たい瞼を持ち上げた。身体中を巡り、外に出ようと暴走する魔力が痛い。

「っ、レディーレ……? あんた、王族だったの?」

 視線が交わった目の前の人に向けられた、怯えるような、わたしと同じ色の震える瞳。

 肩で息をする女性をぼんやりと見ていると、ふと額に手を伸ばされた。

「あっつ……⁈ 待って、これ何度あるの?」

 訝しげに手に取った六十度まである体温計を口元に差し出され、咥える。

 しばらくそうしていると、女性がおもむろに口を開いた。

「五十度って、おかしいでしょ……。ね、え。レディーレ。あんたなの? 文献に書いてあった、不老不死で五百年まで生きた後、魔力と命を引き換えに自爆するって……」

 女性はわたしの役目を知っているらしい。眠たくて重い瞼をなんとか持ち上げて頷けば、柔らかい手つきで髪を撫でられた。

 この女性が言う通り、わたしは魔力が枯渇した世界の状況を少しでも改善するため、魔力を貯めやすい体に生まれたから人間爆弾となれるように生かされている。

 でも、おかしい。まだ三百年しか経ってないはずなのに、魔力が抑えられないほど体内で渦巻いている。

 それに、この女性は? 目の色からしてわたしと同じ王族。でも、こんな人わたしの記憶にはいない。

「すみません、あなたは?」

「……レディーレ。少し出かけよっか。車椅子使えば移動できるでしょ。行きながら、話すから」

 寂しそうに笑う女性に、胸がちくりと痛む。

 全身に走る痛みよりもずっと弱いのに、その小さな痛みがなぜだかとても苦しかった。



「それで、レディーレが最後にお世話してくれてた王家の忌み子があたしってこと。どう? 思い出した?」

「せ……しりあ、さま。セシリアさま。わたし、ごめんなさい……。思い出せました。ありがとうございます」

 魔力と熱に呑まれ、混濁していた記憶が姫さまの話から正常に思い出される。

「いいの。それより、ほら。来たかったんでしょ、ここ」

 あろうことか姫さまにわたしが座る車椅子を押させてやって来たのは、灰紫の小さな花々が一面に咲き誇り、風に揺られている丘。

 姫さまと二人きりで穏やかな風に吹かれて、そろそろ沈もうと地平線に向かい落ちていく夕日を眺めた。

 ぽつり、ぽつりと不規則に紡いでいく思い出話に胸が温かくなった。

 時間切れだと告げるように地平線に触れた大きな夕焼け。それと同時に、いっそう体が痛みを訴え始めた。

「セシリア、さま」

「ええ、大丈夫。あたしはここよ」

 優しく包み込まれる手に安心して、全身の力が抜けた。

「セシリアさま、わたし、セシリアさまがつくる国が楽しみです。きっと、温かい国になるから……」

 きっと、一時的に過ぎないとはいえ、国に魔力が戻れば姫さまは輝く。その未来を想像し、頬が緩んだ。

「そう、ね。ええ! あたしが女王になったら良い国にならないはずがないわ!」

 胸をドンと叩く姫さまの姿。ふと、ずっとわたしが思っていたことが分かった。ずっと、感情も望みも抱いてはいけないと、そう思っていたのに。

 同時に足先が粒子に還り始める。

「……セシリアさま、わたし、あなたともっと、手を繋いでいたかったです」

 たった今自覚した思いを口にした瞬間、胸からぶわりと、殺し続けてきた感情と涙があふれてしまった。

「もっと、手を繋ぎたかった。あなたの勇姿を見届けたかった」

「いくらでも繋いであげる。あたしの勇姿なんて別の星にいても届くでしょ?」

 小悪魔のようにウインクして見せる姫さまは頼もしかった。

 消えていくわたしの手とは裏腹に、握られる手に力が込められる。

 とくん、とくり。と心臓が泣く。優しさに満たされて、何か新しい感情が教えられたみたいだった。

 でも、わたしの心はそんなにたくさん入らなくて。

 ぴきりと破れた隙間から、全部流れ出してしまった。

 とぷり、と夕日が沈む。地平線の向こうへ。長年貯め込んだ魔力と肉体が還る。あるべき場所へ。

 もしかしたら、わたしは。愛していたのかもしれない。あの強く優しい姫さまを。

 答えなど出るはずもなく。けれど、最後に何か残したかった。

 ほとんど消えてしまった体で姫さまに口づける。力を振り絞って、わたしがいた印を、姫さまを守りたいと願って魔力の結晶に変えた心臓を。握られた手の中に託した。

「……ありがと。レディーレ」

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