第2話 周藤スミレの話

「おはようぽんず、今日もいい天気だよ!」

私の朝のルーティンは以前飼っていた愛猫の供養から始まる。


今はもうティーカップほどの小さな骨壷で眠っている、以前の飼い猫ぽんず。

もう膝に乗せたり抱っこしたりもできないけれど、写真に残っている面影は可愛い茶色い猫、ぽんずのままだった。

写真立てのまわりには、ぽんずの好物だったぬいぐるみやおもちゃが置いてある。

その中の一輪挿しの花瓶に、庭で摘んだ花をお供えするのが私の仕事だ。

今日の花瓶のお花は、庭の隅っこで寂しそうに咲いていた薄紫色の花だ。

ちょっと今の私みたいだなぁ、と思って選んだのは、誰にも秘密。

「お花さん、ぽんずといろいろお話してあげてね」

私も学校であった楽しいことや、嫌なこと。

ぽんずを膝に乗せていることを思い出しながら話すと、ふしぎと胸のつかえが楽になった。

「スミレ、そろそろ登校の時間よ」

「はーい!」

ルーティンを終えると、お母さんの声が聞こえてくる。

私は今日もランドセルを気だるい気持ちで背負う。

これから学校かぁと思うと、気持ちも憂鬱になってくる。

いっそぽんずがお守りになって着いてきてくれたらいいのになぁと思いながら、私は“行ってきます“と玄関のドアを開けた。


憂鬱な登校途中だけれど、最近変わったこともあった。

通学路でよく見かける黒猫ちゃん、左右の目の色が緑と青で違っていて、不思議なことに尻尾は二本ある子だった。

カーブミラーの下でいつも待っていて、私がくるのを見つけるとお友達みたいに一緒についてくる。

(こういうのって突然変異種って言うんだっけ、凄い子と知り合いになっちゃったな)

ぽんずに対して少し悪いような気もしながら、私は密かにその黒猫ちゃんに“クロ“と名前をつけていた。

学校の正門の前までくると、クロはお行儀の良いねこらしく立ち止まって、それ以上は入ってこなかった。


教室前に到着すると、クラス内カースト最上位のあかりちゃんの笑い声が甲高く響いてくる。

それだけで私の足は震え上がって、廊下に固まってしまう。

後ろからきた子に押されて教室に入ってしまったので、私は気付かれないようにそろそろと席に座る。

とりあえず第一関門は突破したかなと安心していると、目の前にあかりちゃんが立っていた。

私は一瞬息を詰まらせて、やっとのことで“何か用?“とだけ言葉を発する。

あかりちゃんはニヤニヤ笑いで、私のペンケースについた“ぽんずと同じ毛色の猫のぬいぐるみ“を鷲塚むと、断りもなく引きちぎった。

「……っ‼︎」

「スミレは小6にもなってこんな乳臭いおもちゃが好きなのぉ?恋バナのひとつでもしてみなよぉ、そしたら仲間に入れてあげてもいいよ」

「……私はっ……」

「ばーか、毎朝死んだ猫と会話してくる女なんて、仲間になんかするわけないじゃん、キモ」

(仲間に入れて欲しいだなんて一言も言っていないのに)

私の気持ちをぐちゃぐちゃにして、あかりちゃんはちぎったぬいぐるみをゴミ箱に捨てて去って行った。

私はその日、ぬいぐるみを泣きながら拾って帰った。


***


その日の夜、私は不思議な夢を見た。

いつも通っている教室であるはずなのに、どこか言葉にしがたい不思議な雰囲気が漂っている。

ふと教壇に目向けると、クロにそっくりな緑と蒼のオッドアイの黒猫が座っていた。


「こんにちは、ようやくこうして話ができるね。アタシは忘れさせ屋の黒猫。特定の人間の夢に現れる。まぁ幻のようなものと思っておくれ」


「猫ちゃんが喋った!」


驚く私に、クロは私の前の席まできてぴょこんと飛び乗ると、こう続けた。


「これは明晰夢(めいせきむ)といって、夢だとわかっていながら見る夢だよ。」


「めい、せきむ?よくわかんないけど、夢だってわかってるといいことあるの?」


クロは笑ったように目をすうっと細めて、私の質問に返す。


「あるさ、あんたが忘れたいと願って居ること、もしくは他人に忘れさせたいと思っていること、そういうものを忘れることができるんだよ」


「忘れたいこと……私何かあったかなぁ」


「実は今回はね、あたしはぽんずちゃんからのお願いで来たんだ」


「ぽんずからの?」


クロが言うにはことの詳細はこうだった。


“スミレが毎日供養をしてくれるのはとても嬉しい。

でも毎日話し掛けられることで、ぽんずの魂はこの世界にとどまってしまい天国へ行けていない。

最近は悲しい話を聞くことも多くなって、ぽんずは心配するあまり悪霊に心を変えそうになってしまっている“


「つまりぽんずは私のことを心配して、天国に行けいないまま悪霊になっちゃうかもしれないってこと?」


「そう言うことだね」


「どうすればいいの?私ぽんずにはゆっくり眠って欲しいの」


クロは再び目を細めると、私の何かを見定めるように、じーつと緑と青のオッドアイを向けてくる。

その表情は猫ちゃんなので深くは伺い知れなかったけれど、尻尾がイライラしている時のようにビュンビュン振られていたので、私はなんとなく察した。


「ぽんずのことを、忘れなきゃならないってこと?」


「ぽんずは自分が原因になることで、スミレに辛い思いをしてほしくないと言っていたよ」


「そっか……」


私は夢の中でも泣けるんだなぁと気づきながら、ボロボロと涙を流していた。

まさかぽんずと“またさよならしなきゃいけない“時がくるなんて、思ってもみなかった。


でもぽんずが天国にいけないなんて、私だって望んでいないことだ。


「私がぽんずを忘れれば、ぽんずは天国で暮らせるんだよね?」

「そうだね、あんたがいじめられる原因のひとつもなくなるかもしれない」


「じゃあ、私忘れるよ、ぽんずのこと―――――お願いします」


”いいんだね”と、確認するようなクロのうなずきに、私もうなずいて返す。

多分いまの私は泣きそうな顔を堪えているんだろうなと思いながら、私は深呼吸して、再び目を開ける。


そこにはクロの隣に並ぶようにして、亡くなって以後はじめて見るぽんずの姿があった。

悪霊になりかけている、という言葉の通り、左目が白黒反転した目になっていたけれど、鳴き声は生前のぽんずそのものだった。


「ぽんず……!なんで……?」


私が目一杯抱きしめようとする前に、茶色い毛色のぽんずが腕に飛び込んでくる。

ふわふわとした暖かな感触を抱きしめると、ザリザリとした舌が私のほっぺたを舐める。

抱きしめるほど、撫でてやるほど、覚えていられるのがこれで最後だなんて思いたくなかった。


やがてぽんずは、暖かな光になって宙に舞い、天高く登って夜空の星のひとつになった。


***


翌朝、私が目を覚ますとお母さんが以前の飼い猫の祭壇の片付けをしていた。

以前の飼い猫”ぽんず”のお骨は、地区のペット墓地に埋葬することになったらしい。

私は写真立てに納まっているぽんずの姿に目を止め、名前しか思い出せなくなったその子にそっと手を合わせた。

ぽんずの姿ももう朧気にしか思い出せないはずなのに、無性に寂しくなるのはなぜだろうか。


“ありがとう、安らかに眠ってください“


それだけ挨拶を済ませると、私はランドセルを背負い込み、学校へと向かった。


案の定と言うべきか、昨晩の不思議な夢に出てきたクロの姿は、いつものカーブミラーの下にはなかった。

代わりに路地裏の交差点でぶつかってきたのは、はじめてみる顔の男の子だった。


私はその髪色に驚いた、小学生なのにぽんずと同じ茶色い毛色だったからだ。


「えっと、これは俺がハーフだから……」


もの珍しげに見ている私に、男の子は戸惑い気味にそう返す。

彼は引っ越してきたばかりで、道がわからないようだった。

同じ学校へかよう最中だったらしいと知った私は、その日から一緒に通学することにした。


男の子の名前は“アザミくん“

お父さんが日本人で、お母さんが外国の人らしい。

成績もあかりちゃんと同じくらい頭が良くて、でも不思議なことにすごく優しい。


アザミくんと友達になってから私は、学校へ通う憂鬱もいくらか減って行った。


そんなある日のこと、アザミくんが私にとある不思議な話を聞かせてくれた。


「こんなこと話したら変なやつって思うかもしれないけど」


そう前置きをしたアザミくんは”ぽんずって猫を知ってる?”と私に問いかけた。

一瞬ドキッとしたけれど、その理由もよく分からないまま私はアザミくんの話に聞き入った。

ぽんずが我が家で以前に飼っていた猫だと伝えると、アザミくんは”やっぱり”と言った。


「数日前、俺の夢に不思議なオッドアイの黒猫と、ぽんずっていう茶色い猫が現れてさ。ぽんずの記憶のカケラを預けるから、スミレちゃんを守ってあげて欲しい、って」


”猫の言葉なんて真に受けるの、馬鹿かもしれないけど”と言うアザミくんに、私は”そんなことないよ”と返す。

涙の理由も、ぽんずとの思い出も、もう朧気にしか分からないのに、私はぽんずが夢に現れたという話を聴いて泣いてしまっていた。

なんだろう、こんな風に泣くのはずいぶん久しぶりのような気がしていた。


「ありがとう、ぽんずの事もう深く思い出せないんだけど、すごく嬉しい」


私の言葉にアザミくんは”そっか”と頷いてから、”ぽんずの代わりにはならないかもしれないけど、スミレちゃんのこと守るって約束したから”と言って、私に改めて”よろしく”を言ってくれた。


「ありがとう、私もいい友達になれるように頑張るね!」


ぽんずとクロが繋いでくれた不思議な縁は、この先も続いていくんだろう。

そう思うと、ぽんずが居なくなっても寂しくないな、と思えたのだった。

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