忘れさせ屋~あなたが忘れたい事は何ですか~
鳳天狼しま
第1話 御堂ミツルの話
街灯の下で残飯を漁る猫を横目に、真っ黒い普段着に身を包んだ男が家路を急いでいた。
バイト帰り、黒いパーカーにブラックジーンズと黒いブーツの、黒い前髪で目元を隠した男。
彼の名前は”御堂 ミツル”
年は三十路近くなっていたが、未だにバイト生活から抜け出せない人生を送っていた。
彼の職場には、一周りも二周りも年上の先輩がうようよ居た。
その年になっても使い捨てのバイト生活で生計を立てることしかできない、それしか選ぶ道を許されてこなかった人々。
周りの同い年のもの達は、結婚やら昇進やらでステップアップしていく中、体のいい低賃金の易い仕事で使い捨てられ、取り残されてきた人々。
いわば貧乏くじをひかされてきたような立場の人々である。
ミツルは、失礼ではあるが、自分もいずれそうなるんじゃなかろうか、と一抹の不安を覚えずにはいられなかった。
ミツルの学歴は決して高いものではなかった。
最終学歴は高卒。面倒臭がりで予習復習はほとんどして来なかった。成績評価にはABC評価のうちのBが並んでいた。
家庭環境も裕福なものではなく、進学先は家から一番近い高校しか許されなかった。本当は通いたい大学があったのだが、”家庭の事情から”行きたいとは言えなかった。
(どこの大学に行きたかったんだっけ、そんな事も忘れちまったな)
ただひとつ、ミツルには覚えている事があった。いや、”忘れたくとも忘れられない事”と言った方が正しい。
高校の多感な時期に、ミツルには憧れていた人物がいた。茶髪ロングヘアの、美人で噂の担任女性教諭、来栖アヤコだった。
高二の春休み前、たまたま教諭と二人で話す面談の場があった。
本来は親も同席するのだが、ミツルの家では来る者が無く、教諭も驚いた顔をしていたのを覚えているくらいだ。
”用紙に書いた通り、うちではもう相談なんかしなくても、進路は決められてるんです”
そう話した事もミツルは覚えている。
ただ、教諭はその意味を理解しなかったのか、あくまでミツルの希望する進路はなんなのか、聞いてきた。
ミツルはその時初めて、他人に自分の夢について語ったのだった。
服のデザイナーになりたいだとか、ブライダルの場で働く人間になりたいだとか、幸せな人たちを見送る仕事がしたいだとか、そんな事を話した。
親からは”現実を見ろ、お前にそんな才能はない”、と一蹴された発言だっただけに、ミツルは顔から火が出そうな思いで言葉にしたのだった。
ミツルの発言に教諭は否定するでもなく、”素敵な希望を持ってるのね”と返した。
そして教諭は、ミツルが忘れたいと願っていた”あの言葉”を言ったのだ。
「夢は信じていればいつか叶うから、ミツルくんも諦めないで」
思えばそれは若人に希望を持たせたい大人の綺麗事でしかなかったのだろう。
もしくは”夢が叶った先に居る大人”の立場でしかものを語れなかった人間か。
バイトで使い捨てられる、苦い現実にぶち当たり続けてきたミツルにとって、その言葉はもはや忘れてしまいたい呪いのようなものでしかなかった。
デザイナーになりたい、ブライダルプランナーになりたいと願っても、学も知識も資格もない自分には採用の間口すら開かれないのである。
資格は取ろうと何度も努力してきた。しかし、落ちる度に自信を無くし、気付けばもう三十路前の年であった。
いつしか、”幸せな人たちを見送る仕事”が憎らしいだけのものになりつつあった。
(俺ってなんでこの仕事をやりたいと思ってたんだっけ)
「現実を見ろ、お前にそんな才能はない」
父さんの言っていた通りになったなぁ、と思いながら、ミツルは自宅アパートの鍵を開ける。
廊下に置きっぱなしの、出し忘れているゴミ袋を蹴飛ばしながら、部屋の中央の電気をつけた。
「夢は信じていればいつか叶うから、ミツルくんも諦めないで」
蘇るのは憎らしいくらいに綺麗で、いらいらするくらい生易しい教諭の言葉。
ミツルも若い頃は教諭の言葉を信じて頑張っていた。けれど、ある一定の年齢を通過すると分かるのである、自分は”夢が叶う立場の人間ではなかったのだ”と。
憎らしかった。現実を教えぬまま、生易しい言葉をかけた教諭も。夢を叶えられないまま、何が夢であったかすら忘れてしまった自分も。
世代が遅れてやってきた反抗期に悩まされているようで、とてもみっともなくて、けれどどうやって抜け出せばいいのかすら分からない。
おそらく死ぬまでこの”底辺”を這いつくばって、使い捨てられて死ぬ。
社会の縮図としては、確かに幸せな人たちを見送る仕事はしてきたかもしれない。けれどそれは同じ立場に立って見送るものではなく、踏み台にされていく中での事である。
正直腹が立った。
荷物を万年床のわきに放り出して、ミツルは布団に倒れこんだ。
時計の針は深夜前。明日の朝5時には支度をして、早番で出なければいけないなぁ。と考えているうちに記憶は微睡みの中へ途切れた。
***
ミツルが目を覚ましたのは不思議な空間だった。
どこか懐かしいと言ってもいい。
高校二年の時、面談をしたあの教室である。
カツカツと足音がしてすぐ、来栖教諭が来ると分かって、ミツルは反射的に机の椅子に座っていた。
開いた扉の先に立っていたのは、あの日のままの姿の来栖教諭だったが、どこか雰囲気が違っていた。
カツカツと歩み寄って来ると、ミツルの席の向かいの椅子に座る。
来栖教諭とは違う、緑と青のオッドアイが、ミツルの方を真っ直ぐに見る。
忘れたくないあの言葉をまた聞くことになるのだろうか、とミツルが身構えていると、教諭が口を開いた。
「アタシは忘れさせ屋。対象に遺恨の強い人間の姿を借りて、忘れたい事がある人間の夢に現れる。まぁ幻のようなものと思っておくれ」
教諭の姿と声を借りてミツルの夢に入ってきたその人物(?)は、こう続けた。
「これは明晰夢(めいせきむ)といって、夢だとわかっていながら見る夢だよ。」
なるほど確かに、言われてみれば、夢の中にいるとミツルは初めから気づいていたなと気付く。
「だからあんたが忘れたいと願って居ることを、いまここで再現して、意図的に忘れることだってできるのさ。どうだい、忘れたい事があるんだろう?」
「それは…」
しかしながら真に忘れたい言葉は何なのか。
ミツルはこの時になって分からなくなっていた。
そんなミツルを、忘れさせ屋とやらはオッドアイで見定めるように見つめて言う。
「見たところ、来栖教諭と、父親と、二人に言われた言葉がいまのあんたの呪いになってるね。けど、そいつのうち忘れられるのはひとつだけだ」
”さぁ、どうする?”
問われたミツルは、一時迷ってから父の言葉を忘れることを選んだ。
瞬間、あたりの景色はミツルの実家のリビングのそれに様変わりする。
気付けば忘れさせ屋も父の姿にかわっていた。
「お前、やりたい仕事に素直につけると想っているのか!この先の学費だって馬鹿にならないんだ、世の中そんなに甘いものじゃないんだぞ!それに妹のアサの治療費だって馬鹿にならないんだ、お前には就職して貰わなければ困る」
リビングの椅子に座り、いつものようにムスッとした顔で珈琲を呑んでいる父に対し、ミツルは震え声で発言する。
「俺は長男だぞ!やりたいことを願って何が悪いんだよ!」
”現実を見ろ、お前にそんな才能はない”
その言葉がいつもならば飛んでくるはずだった。
けれど、忘れさせ屋はそこで言葉を止めて、こう言った。
「あんたは随分前から、父親に抑えつけられて、妹の踏み台にされる人生をしてきたんだね、だから大人になってもそういう生き方しか分からなかった」
「そうだよ、だから俺は、なにが夢だったのかも忘れちまった……もうやめたいんだ、こんなクソみたいな日々の繰り返しも。どうすればいい?」
父の姿を取った忘れさせ屋は一言、
「何だっていい、お前なりに頑張ってみな」
という言葉を上書きして行った。
***
目が覚めると既に早番シフトの始業の時間だった。
慌てて支度をして家を出ると、朝五時過ぎ早朝の街中を駆けてゆく。
電話先に出た店長はめずらしく機嫌が良さそうだった。
「どうした、今日はめずらしく遅刻か」
「すんません!いま急いで向かってます」
「大丈夫、今日はさほど忙しくないから、気をつけて出てこいよ」
めずらしく優しい言葉をかけられ、ふと気付いた、今までにも色々なひとたちから、些細な優しい言葉を何度も掛けられてきたなと言うことに。
「何だっていい、お前なりに頑張ってみな」
一番に思い出されるのは、父の言っていた言葉、どうしてそんな大切な言葉をいままで忘れていたのだろうか。
いまや学生時代の夢も分からなくなりつつあったけれど、その言葉があるゆえに、不思議と頑張れそうな気もしていた。
職歴には恵まれなかったけれど、職場のひとたちには恵まれてきた方だと思う。
いまの人生もまぁまぁわるくないかな、と思いながら、ミツルはバイト先への道を急いだ。
ただ一匹、道端に佇んだ黒猫のオッドアイだけが、見守るようにその背中を見送っていた。
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