第9話 生気がない鉄子。
のぞみに仕えている侍女の巫女たちは、自分たちの主であるのぞみのことをとても心配していた。その内心の全てが善意ではなかったとしても。
まずはその生気のない瞳だ。何かを見ているようで、何も見ていないような気にさせられた。
艶のある黒髪とともに、のぞみを美しくするはずのその黒い瞳が、今は濁って見えるのだ。
彼女たちがのぞみに仕え始めてすぐは、そういう目ではなかった。生気に溢れるとまでは言えなくとも、輝きはあった。
だが、召喚の翌日、初めてダンジョンに行き、戻ってきてからは違う。ずっと、濁った瞳のままなのだ。そして、その濁りは着実に増している。侍女たちはそう感じていた。
それから、ダンジョンから戻ってくると手洗いの回数が異常に多かったのも、侍女たちは気になっていた。
朝、目覚めれば手を洗い、服を着せれば手を洗い、朝食前や朝食後にも手を洗う。とにかく、何度も何度も、のぞみは自分の手を洗うのだ。
彼女たちはそれを侍女頭に報告し、侍女頭は女官長に報告し、そしてさらに、この事実は宰相をはじめとするオジサン軍団にも伝わった。
のぞみが精神的に不安定である、として……。
勇者とはいえ子どもだからある程度は仕方がないと、オジサン軍団も最初は考えていたのだ。
のぞみは背が低く、体つきの女性らしさもまたまだ未成熟なチッパイ族だったため、本当は15歳なのに、12歳ぐらいだと認識されていたからだ。
ちなみに、こちらの世界では、12歳でもよっぽどのぞみよりも女性らしい見た目になっているのが平均的な姿だった。結婚年齢が低いことと関係しているかもしれないが、特に研究はされていないようだ。こちらでは普通なので。
期待はできるが、どれだけレベルを上げても、解放されない固有スキル『鉄道』の見えない価値。
精神的に不安定になっている幼い女の子の勇者。
ダンジョンの中層のさらに奥へと潜ることで、傷を負うようになっている護衛の聖騎士たち。
オジサン軍団は、次第に、のぞみのことを不良債権だと感じるようになっていったのだった。それも仕方がない状態と言えた。
これまでの長いケイコ教国の歴史の中で、失敗だったとされた、何人もの召喚勇者たち。
のぞみもそんな一人になる可能性が高いだろう。
そういう風に考えられていた。
元々、ケイコ教国だけが可能な勇者召喚は、ケイコ教国の強みだ。
だから、勇者召喚の年には、召喚の3か月後に、各国の外交を担当する者を招待して、勇者のお披露目を行うのが通例となっていた。
勇者召喚前から、各国へは案内を送っているので、お披露目自体は今さら取りやめるという訳にはいかない。
だが、いかに、のぞみを目立たないようにするか。
または、どうにかして、うまく他国に、それも高く売りつけることはできないか。そういうことを考えていた。
ただし、固有スキル『鉄道』に高い価値があれば話は別である。
勇者アカツキによれば、『鉄道』が秘めている可能性は、限りなく素晴らしいものだという。
アカツキは勇者として大当たりの部類で、ケイコ教国の信任も厚い。その言葉には重みもあった。
だから、まだ、のぞみの扱いは変わってはいなかった。
これでもし『鉄道』スキルが役に立たないものだったとしたら……。
大量の消費魔力を必要とする時点で、可能性として素晴らしいものだったとしても、多用できないスキルである可能性もある。
そうなった場合、のぞみは、『土魔法』の使い手でしかない。ただ、他の使い手よりもかしこさが高く、魔力が多いというだけだ。
のぞみの命運は『鉄道』次第。
そういう状況になりつつあるのが現実だった。そして、そのことをのぞみは知らなかった。
のぞみの異世界転移から2か月と少し。
ダンジョンでののぞみのパワーレベリングは中層の一番深く、深層の手前まで進んでいた。
聖騎士たちや回復役の神官たちの表情は固い。
彼らにとっては、通常ならば立ち入ることのない空間だ。彼らの適正レベルをはるかに超えた深さなのだから。あまりにも危険過ぎるのだ。
聖騎士の中には、のぞみのことをうらやましいとさえ思っている者もいた。
もし自分がのぞみと同じように、とどめを刺すだけの立場にいたとしたら、彼は自分のレベルも上げてもらえるのに、と。そう考えていたからだ。
それでも、そういうことをのぞみに聞こえるように、口に出すことはなかった。
のぞみの表情を見ていると、そういうことを言う気にはならなかったからだ。
ふたりの勇者による攻撃で手足を失ったミノタウロスの心臓に、ナイフを何度も振り下ろしながら、のぞみの瞳はどこも見ていないかのようだった。
とにかく表情に生気がない。
目の前に見えているものを見ないようにしている。そんな感じだ。
「『鉄道』が使えるようになれば、大丈夫だから」
アカツキがそんな言葉をかけると、のぞみは一応、うなずいて答える。
だが、そのうなずきは、ただ反応しているというだけで、そこには何の感情も込められてはいないようだった。
ナハは、あまりにもひどいのぞみの様子に、からかうことすら止めていた。
冗談が通じるか通じないか、それぐらいの判断はナハにもできるのだ。
(あれは、心、病んでるよなぁ、ぜってーに。ヤバいヤバい。異世界って、どっかで開き直るしかねぇのに、それができないとあーなんのかよー……。いや、同情はできねぇけど、さすがにねー。開き直って、日本じゃできなかったこと、ヤリまくるぐれぇで、ちょーどいいと思うんだけどなー)
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