184 楢崎彩音

「大丈夫か!?」


 俺は大慌てで彩音に駆け寄った。

 露天風呂のお湯が派手な水飛沫を上げる。


「ちょっとまずいかも……」


 彩音は床に両手を突いたまま立ち上がれないでいる。

 顔色も悪い。


「原因は何だ? 病気か?」


「ううん、話に夢中でのぼせちゃっただけ」


「おいおい。ていうか、それはそれで危険だ」


 幸いにも俺はのぼせた時の対処法を知っている。

 島での生活中に同様の経験をし、美咲に助けてもらったからだ。


「すぐに戻るから大人しくしていてくれ」


 彩音のタオルを床に敷き、その上に彼女を仰向けで寝かせる。

 脱衣所に行ってバスタオルを大量に取り、それを水に浸してから戻った。


「冷たいけど我慢してくれ」


「うん……」


 まずは一枚、濡れたバスタオルを彼女の足に当てる。

 脛から足の裏までを包み込むように。


「冷たっ」


 俺は「だろ」と笑った。

 次にもう少し上、太ももまで同様の方法で冷やしていく。

 左右にそれぞれ一枚ずつ使った。


「こうやって徐々に冷やすスペースを広げることが大事なんだ」


「いきなり全身を冷やしたらよくないの?」


「体への負担が大きいらしい」


「へぇ」


 足を冷やしたら今度は頭だ。

 丸めたタオルを枕代わりに敷いてあげる。

 ここまでくれば峠を越えたも同然であり、いくらか落ち着くことができた。


「あとはゆっくり水分を補給してクールダウンをすれば終わりだ」


 コクーンの〈ショップ〉でスポーツドリンクを購入。


「まさかこんなところで〈ショップ〉が役立つなんてね」


「同感だ」


 ほどなくして彩音は完全に回復した。


「このままだと風邪を引くから、上がる前にサッとシャワーを浴びておくね」


「俺もシャワーを浴びてから上がるとしよう」


 一時はヒヤッとしたが、どうにか問題なく乗りきるのだった。


 ◇


 体を乾かして服を着た。

 あとは戻って朝食まで仮眠を取るだけ。

 ――と、思った矢先のことだ。


「待って、漆田君」


 彩音が呼び止めてきた。

 俺より髪が長い分、まだ髪を乾かしている最中だ。

 服は着ておらず、タオルを巻いた状態。


「どうした?」


「部屋まで付き添ってもらっていい?」


「え?」


「回復したけど、まだちょっとくらくらするんだよね」


「分かった。なら肩でも貸そうか?」


 冗談のつもりだったが、彩音は「お願い」と返してきた。

 俺と違って本気だ。


「じゃあ待っているよ」


「ごめんね、遅くて」


「仕方ないさ。髪の長さが違い過ぎる」


 しばらくして彩音の準備が整った。


「体調は平気か?」


「だと思うけど……」


「くらくらが止まらず?」


「ちょっとだけね。貧血なのかも」


「鉄分をたくさん補給しないとな」


「ふふ、そうね」


 彩音に肩を貸した状態で船内を歩く。

 誰とも鉢合わせになることなく彼女の部屋に到着した。


「開けてもらっていい?」


「もちろん」


 言われた通りに扉を開けて中に入る。


「漆田君ってさ、わりと女慣れしているよね」


「そんなことないと思うけど……」


 話しながら彼女をベッドに座らせる。

 これで文字通り肩の荷が下りた。


「そのわりに私とくっついていても平気だったじゃん。ただ私に魅力がなかっただけかしら?」


「いやいや、それはさすがにあり得ない。たぶん島での生活を経て慣れてしまったんだろうな。俺の周りには女子しかいなかったから」


 今も栗原を除けば女性だけだ。

 圧倒的な女社会であり、俺と栗原の肩身は狭い。


「ふぅん、なるほどね」


 彩音の視線がヘビのように絡みつく。

 足のつま先から頭のてっぺんまで舐めるように見られた。


「ま、続きは別の機会に話そう。俺も部屋に戻って休むよ」


 無事に役目を果たしたので出て行こうとする。

 そんな俺の左手首を、「待った」と彩音が掴んできた。


「ん? どうし……って、うお!?」


 強引に引っ張られて、そのままベッドに引きずり込まれる。


「ここで休んでいったらどう?」


「ここでって……」


「私と一緒に」


「……マジ!?」


 頭が真っ白になる。


「漆田君を独占できる機会が次もあるか分からないもの」


 そう言うと、彩音は俺の首に両腕を絡め、体を密着させてきた。

 さらに耳元で囁く。


「いいでしょ?」


「いや……」


 と言ったところで言葉が止まる俺。


「いや?」


「いや……いやいや……いや……いやぁ……?」


「ダメなんだ?」


 彩音が俺から距離を取る。

 その顔は分かりやすく残念そうだ。


「ダメ……ではない!」


 俺は誘惑に負けた。


「ほんとに? 無理しなくていいよ?」


「無理はしていない! 大丈夫! 据え膳は残さずに食う主義だ!」


「ふふ、正直ね、漆田君」


「嘘をつけない性分なんでな。ところで、のぼせたんじゃなかったのか? あれは演技に見えなかったが?」


「最初は本当だったよ。髪を乾かしている頃には元気になっていたけどね。でも、今さらどうだっていいじゃん? そんなこと」


 彩音は妖艶な笑みを浮かべ、顔を近づけてきた。

 そのまま唇が重なる――かと思いきや、直前で止まる。

 チラリと俺の目を見た後、彼女は目を瞑った。


(どうしてこうなったか分からないが……!)


 俺から唇を重ねた。


「忘れないでね、今のが私の人生で初めてのキスだから」


 目を開けてニヤリと笑う彩音。


「嘘だろ? なんか慣れているような感じがしたけど。男湯にだって入ってきたし」


「失礼ね。これでも淑女なのよ? お風呂でも言ったけど、すごく緊張しているんだから。今だって心臓がバクバクだもん」


「ごめんごめん、別に淑女じゃないとは言っていないよ。ただ……んっ……」


 言葉が遮られる。

 彩音がキスしてきたのだ。

 余計な雑談は不要と言いたいのだろう。


 その気持ちを受け入れた。

 舌を絡めて、先ほどよりも濃厚な接吻せつぷんを楽しむ。


「漆田君……」


「彩音……」


 その後、俺たちは朝食までの間をひたすらイチャイチャした。

 仮眠をすることなく、後のことを考えることもなく。

 何もかも忘れて、島での生活以来となる甘い時間を満喫するのだった。

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